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【短編】今日もわたしはあなたを感じてる。

作者: 春野美咲

ゆっくりと落ち着いて読んでいただけたら幸いです。



「お嬢」


 そうわたしを呼ぶ、彼の声が好きだった。




 初めて会ったのはいつだっただろう。

 もうずっと側にいたような気さえする。

 生まれたその時から、あなたがそこに居たような気がしてしまう。

 本当は、まだ一年と経っていないというのに。



 わたしは人よりも弱く生まれてきた。

 理由はよくわからないけれど、体が弱いということだけは理解していた。

 どうやらわたしは、日に日に身体のあらゆる機能が衰え、いつか何も感じないまま死んでしまうらしい。

 それは例えば、耳が聞こえなくなったり、目が見えなくなったり。

 物に触れている感覚も、自身の呼吸の有無さえも、わからなくなってしまうのだとか。

 それを理解した時には、自分の身体に恐怖さえ感じてしまった。


 けれど、今はもうそんなこと、どうでもよくなっている。

 だって、あなたと会えたんだから。



 あなたがやってきたのは春のこと。

 わたしを憐れんだ父が、世話係として連れてきた人だった。

 わたしが気に入らなかったらまた別の人を用意する、と言う父の言葉を聞き逃しながら、わたしは彼の姿を眺めていた。

 静かな人だった。

 父に命じられるまで一切声を出さず、その静かな瞳でわたしを見ていた。

 彼は背が高かった。

 肌の色も、部屋に閉じこもって真っ白なわたしとは比べられないほど濃いものだった。

 凍ったように動かないその表情が、冷たく感じた。

 彼は自分の名さえ語らなかった。

 けれど、父にわたしを何と呼ぶかを問われた際、迷った末に「お嬢」と呟くその声に、わたしは初めて感動を覚えた。


「お嬢」


 そうわたしを呼ぶ、彼の声が好きになった。




「お嬢」


 一緒にいるようになってからしばらく、彼は静かにわたしの側にいた。

 まるで透明人間に徹するような態度に、わたしが不満に思うのは当然だった。

 あなたはそこにいるのに。ずっと側にいるのに。

 もっとあなたを感じていたかった。


「ねえ、お願いがあるの」


 あぁ、わたしはもしかしたら酷い悪女なのかもしれない。

 逆らえないあなたに、わたしは更に縛りを与える。

 わたしは彼に約束を求めた。

 わたしが死ぬその時まで、側にいてほしいと。

 わたしが死ぬその時まで、あなたを感じていたいと。

 そんなことを求めるわたしは、きっとこの世で最も醜いだろう。

 でも、どうか許してほしい。

 わたしは年上のあなたより早く、瞬く間に散ってしまうから。

 わたしが死んだ後は、あなたが若い娘を娶って子を授かったって構わないから。

 その子供に、わたしの名を与えたって構わないから。

 だからどうか、わたしが死ぬその時まで、側にいて。

 その声で、わたしを呼んで。

 あなたのすべてを、感じさせて。

 あなたという存在を、最期まで感じさせて。

 これが、最初で最後のわがままだから。

 最初で最後の、約束をして。


「……ええですよ。俺は、お嬢の側におります」


 口下手な彼が、そうわたしに伝えてくれた。

 約束をしてくれた。


 それから、彼は少しだけ柔らかくなった。

 それは表情とか、態度から感じ取れるものだった。


「お嬢」

「なあに」


 そして、毎日尋ねてくるようになった。


「聞こえますかい」

「ええ聞こえるわ」


「見えますかい」

「ええ見えるわ」


「わかりますかい」

「ええ、わかるわ」


 いつも同じやりとり。同じ聞き方。

 もし本当にわたしが見えなかったり、聞こえていなかったりしても何の意味もなさないやりとり。

 それでも、わたしはこの時間が好きだった。

 口下手な彼なりの言葉が好きだった。


「お嬢」


 彼がそう声をかけてくるのが嬉しかった。


「お嬢」


 口下手な彼がもどかしそうにわたしを呼ぶのが。


「お嬢」


 そうやって不器用に笑う彼が。


「お嬢」


 そうわたしを呼ぶ、彼の声が好きだった。



「お嬢」

「なあに」


 あなたがそう呼ぶ度に、わたしは胸が躍るように感じる。


「お嬢」

「どうしたの」


 あなたが見せる不器用な笑顔に、わたしが笑ってしまう。


「お嬢」

「……」


 わざと返事をしないでいれば、慌てるあなたの顔が見えて、わたしは幸せを感じた。


「お嬢、お手を」


 そう言って、わたしの手を引くあなたに、その温もりに、わたしは何度胸が高まるだろう。


「お嬢」


 そうわたしを呼ぶ声に宿ったあなたの感情を感じるのが、わたしは好きだった。

 いつかその声が聞こえなくなって、その表情さえ靄の中に取り込まれてしまったなら。

 引かれる手のひらから伝わる、あなたの体温さえも感じられなくなる日が来たのなら。

 それが嫌だと感じることに、わたしはほんの少し喜びを感じる。




 あなたと出会って春が終わり、夏が過ぎて、秋が来た頃。

 わたしの目は、あなたの姿を捉えることが完全にできなくなった。


「お嬢」


 悲しそうな音に、わたしは不思議と嬉しさを感じた。


 大丈夫よ。目が見えなくなったって、あなたのことはわかるわ。


 わたしの声は、まだ彼に届いている。




 だあれ


「……俺です。お嬢」


 わかっているわ。あなたの後ろにいる人よ。


 わたしがそう答えたら、その後ろにいる人が

「流石ですねお嬢様」

 と言ったのでわたしは当然よ、と答えた。


 あなた以外だって、わかるのよ。

 たとえ見えなくても。

 ……聞こえなくても。



「お嬢」


 その声にどんな色が乗せられているのかがわかる。

 たとえ、この耳が聞こえなくなっても。

 あなたの表情が見えなくなっても。

 光さえわからなくなっても。

 あなたがこの頬を撫でてくれることが。

 あなたのその優しさが、わたしは。






────────────────────────






 お嬢、俺の声が聞こえますかい

 ええ、聞こえているわ


 お嬢、俺の顔が見えますかい

 ええ、あなたの表情がよく見えるわ


 お嬢、俺の体温がわかりますかい

 ええ、相変わらずあなたは温かいのね


 お嬢、俺が触れてるのがわかりますかい

 ええ、あなたがこんなにも近くにいるわ


 ……お嬢、俺が側にいるのがわかりますかい

 ええ、あなたはずっとわたしの側を離れていないわ


 ……お嬢、目が、開けられますかい

 ……あら、おかしいわね。もちろんと答えたいのに、開かないわ


 …………お嬢

 なあに


 …………お嬢っ

 どうしたの


 ……お嬢、は、俺がわかりますかい?

 あぁ、やっと答えられるわ。もちろんよ。あなたのすべてを、感じるわ


 お嬢

 なあに


 ……〜〜〜〜〜〜っ。

 ……そう、言ってくれて、嬉しいわ。あぁ、こんなにも、嬉しい……とは……な……わ


 …………………〜〜〜〜っっ。

 ……わ……しも…………よ




『お嬢』

『なあに』



 たとえ、耳が聞こえなくても、目が見えなくても。

 繋がれている手から、何も感じなくても。


 今日もわたしはあなたを感じてる。


最後までお付き合いくださりありがとうございます。


少しでも面白いと感じて下されば、評価コメントしていただけると嬉しいです。


あらすじが難しい……。

詐欺になってないか心配です。

なにか違和感がございましたらお気軽に感想お願いします。

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― 新着の感想 ―
[一言] 優しいお話ですね♡
2023/10/06 18:17 退会済み
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