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満月記

 ある満月の日の夜だった。


「うそ、書籍化決定?」


 嬉しい知らせがあった。小説投稿サイトで書いてた作品の書籍化が欠点した。没落令嬢がメイドになり、王子様と一緒に殺人事件を解く話だった。


 ランキングにはかすりもしなかったが、プロ作家から感想が入り、これがきっかけで書籍化に繋がったようだ。


 正直、とても嬉しかった。高校の時からネットで小説を投稿し、大学でも文芸部に入ってコツコツと毎日書いていた。バイトと学校、執筆を両立するのは大変だったが、ようやく実になったとホッともする。書籍化の連絡は、大手出版社からのものなので、詐欺では無さそうだった。


 ふと、文芸部の河野朔太郎先輩の顔が浮かぶ。いわゆる文学青年で、よく創作論を話し合った仲だ。先輩は部員全員から嫌われていたので、可哀想だと思い、時々話相手をしてあげていた。明日は部室に行き、河野先輩にこの知らせを伝えよう。


 窓からは大きな満月が浮かんでいた。まんまるで、バタークッキーのような色合いだった。少し罪悪感も持ったが、キッチンに行き、紅茶をいれ、クッキーを皿に盛った。


 真夜中で月を見ながら食べるクッキーは、背徳感も相まって、余計に美味しく感じてしまった。一人の静かな部屋でサクサクとした咀嚼音が響いていた。


 私はこうして平和にクッキーを楽しんでいた。


 この満月が河野先輩にとっては、全く別物に見えていたとは想像もつかなかった。


 翌日、文芸部の部室に行くと、テーブルの上に違和感があった。


「あれ?」


 国語辞典や花言葉辞典などの本は、いつもよく見ているものだ。小説を書く為にこう言った本はよく使う。


 そんな本に紛れて、小さな虎のぬいぐるみがあった。黒と黄色の虎模様。思わず可愛いと叫びそうになるが、ぬいぐるみではなかった。虎は自立し、声も出している。その声は河野先輩とそっくりだったので、私の目はさぞ丸くなっていただろう。驚いて声も出なかった。


 河野先輩は虎になった?


 他の部員の助けを求めようとしたが、ここにいるのは私だけだった。


「河野先輩?」

「そうだよ」


 本人がそう言っているので、否定できない。小さな虎からこ聞こえる声は、どう考えても河野先輩のものだった。ちょっと鼻にかかった低めの声。間違いない。


「どういう事ですか?」

「実は」


 河野先輩は、事情を話す。昨日、部室に残り、一人で小説を書いていたら、突然小さな虎に変わってしまったようだ。


「えー?」


 信じられないが、河野先輩によると、満月の光に吸い込まれて、身体が変わってしまったそう。


 私は驚くが、河野先輩は平然とした表情だった。といっても小さな手の平サイズの虎は、全く怖くなく、ハムスターみたいで可愛い。試しにチョコチップクッキーを与えたら、食べた。


「いやー、可愛い!」


 私はミニ虎の河野先輩が可愛く、何枚も写真を撮ってしまった。特にチョコチップクッキーを食べている姿が可愛すぎる。


「写真撮るな!」


 普段は文学青年っぽく意識の高い河野先輩が、こんなに恥ずかしがり、怒っているのも面白かった。


 とりあえず家にミニ虎化した河野先輩を連れていった。人形用の家具も買い揃え、大興奮で写真を撮り続けた。人形用のテーブルの上には、砕いたチョコチップクッキーも置く。これは河野先輩用のものだ。人形用のカップにも紅茶を注ぐ。まるで小さなお茶会のよう。


 最初は河野先輩は怒っていたが、クッキーの美味しさに負け、大人しくなっていた。


「ところで、私、書籍化決まったんです」


 すっかり忘れていたので、一応報告した。


「ふーん」


 河野先輩はそれ以上何も言わなかった。そういえば先輩は、常々ネット小説を馬鹿にしている発言をしていた。私の作品もろくに読んでいない癖に「ネット小説テンプレ」とばっさり切っていた。テンプレだったら、もっとランキング上位にいるはずなのだが。


 一方、先輩が書いているものは、キリスト教系文学だった。隠れキリシタンの歴史とか武士道が云々といったお堅い作品を書いていた。先輩はクリスチャンでかなり右よりの保守的な宗派にいるらしい。先輩によると教会の女性は共働き禁止で全員専業主婦らしい。先輩が書くものもどうも右っぽかった。


 ただ、かなりの寡作で、年に短編を二作ぐらいしか書いていない。当然、その量では応募できる文学賞も少なく、河野先輩から何かを受賞した話は聞いた事はない。確かお堅い文学賞もネットで応募していたが、先輩は一次予選落ちしていた。落選後、応募用のタグもコッソリと消していたが、河野先輩が文学賞に応募していた事は知っていた。


 さっきまで和やかなムードだったが、なぜか険悪になってきた。


「いや、ネット小説は馬鹿っぽいよ。なにあれ、長文タイトルで悪文だらけ。くだらねぇ」

「いやいや、先輩だってネットで書いてるじゃないですか」

「俺は別」

「太宰だって当時はくだらない娯楽扱いじゃなかったっけ?」

「ふん。太宰なんて女子供が好むタイプだ」


 見た目は可愛いが、河野先輩の言っている事は相変わらずだった。


「俺は駄作の十万文字より最高傑作の二千文字を書きたいんだよ。美しく高潔な文体だと評価されたい。俺の作品はサムライスピリッツがあるからな。元々明治大正時代からキリスト教は俺のような頭良いエリートと相性がいいんだよ。元ヤクザ男とかスピ上がりの馬鹿女はこっちにくんな。当時のエリートは西洋文化理解する為に聖書研究やってたんだからな。それなのに今のリベラルの連中ときたら……」

「へえ。だったら、先輩。今からでも書けばいいじゃないですか」

「こんな姿になったから無理」

「先輩が声で小説言ってくださいよ。私がワードで打ち込みますよ」

「いいや、そんな事しなくていい!」


 どうも先輩は拗らせているようだった。最高傑作とやらを作る為にウンウン唸りながら、悩み始めてしまった。


「まあ、先輩も頑張ってね!」


 私はそんな先輩を残し、パソコンに向かった。書籍化で色々と原稿を手直しする必要があった。それだけでなく、色々と新作も書きたい。先輩にかまっている暇はなかった。


 そういえば色々な創作論も読んでいたが「書かなくてもいい」なんて言っているものは、一つもなかった。


 気づくと、窓の外から少しだけ欠けている月が見えた。河野先輩は、相変わらずウンウンと唸り、チョコチップクッキーを齧っていた。

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