芋娘
大正時代の話だ。
「全く使えない芋娘ね! あんたは泥だらけの汚い芋よ! こんな娘は、裏の山に捨ててしまおうかしら?」
「ごめんなさい……」
貴子はひたすら身を小さくして謝っていた。
ここはこの時代では珍しい西洋風の屋敷だった。ある華族の屋敷で貴子は、使用人として働いていた。
この屋敷のお嬢様は、玲子という。年齢は十六歳で貴子と同じ歳だが、雲泥の差がある。玲子は、西洋風の綺麗なドレスというものを着ていたが、貴子はボロボロの木綿の着物、頭には三角巾をかぶっていた。元々貴子も華族令嬢だったが、家が没落し、こんな身分に甘んじいた。両親も死んでしまい、他に頼れる人物も居なかった。
玲子にはいつも偉そうな態度をされた。事実、偉いにだから反抗もできない。玲子は貴子の事を「芋娘」と呼んでいたが、否定はできなかった。実際お人形のように美しい玲子を前にすると、泥だらけの芋娘に思えてしまった。
「もういい! 視界に入ってこないで!」
玲子にそう言われ、貴子は逃げるように女中部屋に帰った。屋敷は西洋風で豪華だったが、女中部屋はボロボロの畳の和室だった。天井にはうっすら穴があき、雨が降ると水が漏れるような部屋だった。壁も薄く、同じ使用人の噂話も聞こえる。
「玲子お嬢様はウンザリよ」
「あんなワガママで嫁の貰い手があるのかしら」
「噂だけどー、いくつか縁談もダメになっているみたい」
「はは、面白いわ」
どうやら玲子は使用人達から評判が悪く、ホッとする。
だからといって貴子の状況は何も変わらなかったが。今日も玲子の嫌がらせにあい、夕飯を隠されてしまった。
お腹が減ったまま、女中部屋の戻る。ボロボロの煎餅布団をひき、眠る事にした。他にする事もない。部屋の窓の外から白っぽい月が見えているが、全く気分は優れなかった。
玲子から言われた言葉の数々を思い出すと、涙が溢れる。布団の端が涙で濡れていた。
「あぁ、お母様……」
つい泣き言も溢れるが、貴子にはもう家族もいなかった。
冷たくボロボロの布団の上で、幼い頃母と食べた料理の数々を思い出す。
中でも風邪を引いた時食べた芋粥を思い出す。甘いお粥で、食べたらすぐ元気になった。ほろりと口の中で芋が溶け、身体も温まった。
芋粥が食べたい。
そうは言っても、どうせ明日も食事を隠されるだろう。
ぐう……。
お腹は情け無い音を立てるが、貴子の涙は止まらなかった。
翌日、ろくに食べ物も食べずに、仕事をこなした。旦那様の部屋に行き、もう必要のない雑誌や冊子をまとめ、裏庭にある焼却炉に持っていく。
一部ずつ雑誌や冊子を燃やしていくが、ある一冊に目が止まった。文芸誌だった。なんとなくペラペラとめくると、芥川龍之介という作家の小説が載っていた。
平安時代に虐げられた男が、ひょんな事から好物の芋粥を食べる事になるという物語だった。しかし男は、大量の芋粥を目にし、食欲は失せてしまうという終わり方だった。
それを読んだ貴子は首を傾げる。なぜ食欲が失せてしまったのか。今の貴子だったら、芋粥をたらふく食べたい。
貴子は首を傾げながらも雑誌を焼却炉に投げ入れた。
「貴子! ちょっと来なさい!」
なぜか奥様に声をかけられた。
「え?」
「いいから来なさい!」
てっきり何か仕事の失敗をして怒られるのかと思ったが、違った。風呂に入れられ、洋装に着替えさせられた。それだけでなく髪を巻かれ、薄化粧もさせられた。
泥だらけの芋娘だった貴子だが、今はその泥が落ちていた。つるっとした白い芋という感じになった。
「奥様、どういう事ですか?」
「驚いた事に鹿白財閥の御曹司があんたを見そめたっていうんだ。これからお見合いに行くから、言葉使いや姿勢を気をつけて」
え?
意味が全くわからない。
ただ、奥様に言われた通りに、鹿嶋財閥の御曹司という男とお見合いをし、とんとん拍子に婚約が決まってしまった。元々貴子の婚約者だった男で、ずっと行方を探していたらしい。男は、早く迎えに来れずに悪かったと謝罪した。
そういえば昔、この男と何度か会った記憶があった。
突然、芋娘からこんな身分になった為、玲子からは嫌味を言われた。それでも降って湧いた幸運にほっとしていた。使用人の同僚からは、「まるでシンデレラ」と言われ、少し笑ってしまう。
結婚まで日が近づく中、貴子は夫となる男と一緒に出かけた。
銀座に行き、洋服やアクセサリーを買って貰い、最後にはデパートのレストランで食事をした。
「貴子ちゃん、なんでも注文していいよ」
「え、でも」
「いいから」
男に促され、ハットケーキ(大正時代のパンケーキ)や餡蜜などを注文する。なぜかあまり食欲はわかない。
少し前に読んだ芥川龍之介という作家が書いた小説を思い出す。
確かに降って湧いた幸運で、美味しいものを差し出されても、食欲が湧かない。
目の前には甘い香りを放つハットケーキがある。綺麗な狐色に焼け、上には蜜がかけられていた。蜜は滴り、キラキラと輝いていたが、あまり食べたい気分になれない。
今の自分の身分は、シンデレラのようだという。それでも、なぜか心は嬉しくない。童話の中にいるシンデレラも、結婚した後、ちゃんと幸せになったか書いていない。王子が不倫しているかもしれないし、城での生活に退屈していたかもしれない。
貴子も結婚後の生活を想像するが、なんだかとっても退屈そうだった。
「あの、芋粥食べられる所知ってます?」
「いいや。そんなものよりハットケーキや西洋風の珍しいお菓子をいっぱい食べさせてあげるよ」
目の前にいる男が笑う。
貴子もつられて笑ってしまうが、全く嬉しくはなかった。