表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/10

芋娘

 大正時代の話だ。


「全く使えない芋娘ね! あんたは泥だらけの汚い芋よ! こんな娘は、裏の山に捨ててしまおうかしら?」

「ごめんなさい……」


 貴子はひたすら身を小さくして謝っていた。


 ここはこの時代では珍しい西洋風の屋敷だった。ある華族の屋敷で貴子は、使用人として働いていた。


 この屋敷のお嬢様は、玲子という。年齢は十六歳で貴子と同じ歳だが、雲泥の差がある。玲子は、西洋風の綺麗なドレスというものを着ていたが、貴子はボロボロの木綿の着物、頭には三角巾をかぶっていた。元々貴子も華族令嬢だったが、家が没落し、こんな身分に甘んじいた。両親も死んでしまい、他に頼れる人物も居なかった。


 玲子にはいつも偉そうな態度をされた。事実、偉いにだから反抗もできない。玲子は貴子の事を「芋娘」と呼んでいたが、否定はできなかった。実際お人形のように美しい玲子を前にすると、泥だらけの芋娘に思えてしまった。


「もういい! 視界に入ってこないで!」


 玲子にそう言われ、貴子は逃げるように女中部屋に帰った。屋敷は西洋風で豪華だったが、女中部屋はボロボロの畳の和室だった。天井にはうっすら穴があき、雨が降ると水が漏れるような部屋だった。壁も薄く、同じ使用人の噂話も聞こえる。


「玲子お嬢様はウンザリよ」

「あんなワガママで嫁の貰い手があるのかしら」

「噂だけどー、いくつか縁談もダメになっているみたい」

「はは、面白いわ」


 どうやら玲子は使用人達から評判が悪く、ホッとする。


 だからといって貴子の状況は何も変わらなかったが。今日も玲子の嫌がらせにあい、夕飯を隠されてしまった。


 お腹が減ったまま、女中部屋の戻る。ボロボロの煎餅布団をひき、眠る事にした。他にする事もない。部屋の窓の外から白っぽい月が見えているが、全く気分は優れなかった。


 玲子から言われた言葉の数々を思い出すと、涙が溢れる。布団の端が涙で濡れていた。


「あぁ、お母様……」


 つい泣き言も溢れるが、貴子にはもう家族もいなかった。


 冷たくボロボロの布団の上で、幼い頃母と食べた料理の数々を思い出す。


 中でも風邪を引いた時食べた芋粥を思い出す。甘いお粥で、食べたらすぐ元気になった。ほろりと口の中で芋が溶け、身体も温まった。


 芋粥が食べたい。


 そうは言っても、どうせ明日も食事を隠されるだろう。


 ぐう……。


 お腹は情け無い音を立てるが、貴子の涙は止まらなかった。


 翌日、ろくに食べ物も食べずに、仕事をこなした。旦那様の部屋に行き、もう必要のない雑誌や冊子をまとめ、裏庭にある焼却炉に持っていく。


 一部ずつ雑誌や冊子を燃やしていくが、ある一冊に目が止まった。文芸誌だった。なんとなくペラペラとめくると、芥川龍之介という作家の小説が載っていた。


 平安時代に虐げられた男が、ひょんな事から好物の芋粥を食べる事になるという物語だった。しかし男は、大量の芋粥を目にし、食欲は失せてしまうという終わり方だった。


 それを読んだ貴子は首を傾げる。なぜ食欲が失せてしまったのか。今の貴子だったら、芋粥をたらふく食べたい。


 貴子は首を傾げながらも雑誌を焼却炉に投げ入れた。


「貴子! ちょっと来なさい!」


 なぜか奥様に声をかけられた。


「え?」

「いいから来なさい!」


 てっきり何か仕事の失敗をして怒られるのかと思ったが、違った。風呂に入れられ、洋装に着替えさせられた。それだけでなく髪を巻かれ、薄化粧もさせられた。


 泥だらけの芋娘だった貴子だが、今はその泥が落ちていた。つるっとした白い芋という感じになった。


「奥様、どういう事ですか?」

「驚いた事に鹿白財閥の御曹司があんたを見そめたっていうんだ。これからお見合いに行くから、言葉使いや姿勢を気をつけて」


 え?


 意味が全くわからない。


 ただ、奥様に言われた通りに、鹿嶋財閥の御曹司という男とお見合いをし、とんとん拍子に婚約が決まってしまった。元々貴子の婚約者だった男で、ずっと行方を探していたらしい。男は、早く迎えに来れずに悪かったと謝罪した。


 そういえば昔、この男と何度か会った記憶があった。


 突然、芋娘からこんな身分になった為、玲子からは嫌味を言われた。それでも降って湧いた幸運にほっとしていた。使用人の同僚からは、「まるでシンデレラ」と言われ、少し笑ってしまう。


 結婚まで日が近づく中、貴子は夫となる男と一緒に出かけた。


 銀座に行き、洋服やアクセサリーを買って貰い、最後にはデパートのレストランで食事をした。


「貴子ちゃん、なんでも注文していいよ」

「え、でも」

「いいから」


 男に促され、ハットケーキ(大正時代のパンケーキ)や餡蜜などを注文する。なぜかあまり食欲はわかない。


 少し前に読んだ芥川龍之介という作家が書いた小説を思い出す。


 確かに降って湧いた幸運で、美味しいものを差し出されても、食欲が湧かない。


 目の前には甘い香りを放つハットケーキがある。綺麗な狐色に焼け、上には蜜がかけられていた。蜜は滴り、キラキラと輝いていたが、あまり食べたい気分になれない。


 今の自分の身分は、シンデレラのようだという。それでも、なぜか心は嬉しくない。童話の中にいるシンデレラも、結婚した後、ちゃんと幸せになったか書いていない。王子が不倫しているかもしれないし、城での生活に退屈していたかもしれない。


 貴子も結婚後の生活を想像するが、なんだかとっても退屈そうだった。


「あの、芋粥食べられる所知ってます?」

「いいや。そんなものよりハットケーキや西洋風の珍しいお菓子をいっぱい食べさせてあげるよ」


 目の前にいる男が笑う。


 貴子もつられて笑ってしまうが、全く嬉しくはなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ