夢一夜
ある夜、こんな夢をみた。いや、本当に夢だったのかは定かではないが。
深夜、ぱちりと目が覚める。時計を見ると、夜の二時過ぎ。窓の外は真っ暗で、遠くの方に細い月が見えていた。そういえば数日前は新月だったと記憶している。月の動きを見ながら、生理周期を計算していたので、そんな情報も覚えていた。
「っていういか、あなた誰?」
ベッドから上半身だけ起き上がると、見知らぬ男がいた。歳は七十歳ぐらいで、髪の毛もバーコード状態だった。その割には身なりがよく、腕には高級時計があった。着ているスーツもどう見ても仕立てがいい。何より男は姿勢がよく、ほどよく筋肉がついているので、「老人」とざっくりと表現して良いのか迷うほどだった。それでも一人暮らしの女の家にいるなんて、犯罪者に違いない。ベッド下にある金属バットでぶっ殺そうとした。
「不法侵入!」
「いや、晶子さん、俺ですよ。北澤貞夫です」
「あ!」
思い出した。目の前にいるのは、北澤貞夫だった。
男性アイドル事務所の社長だ。昭和後期から平成まで、さまざまなアイドルを送り出してきた男だ。国民的アイドルも多く、芸能界では「ボス」とも呼ばれ、誰も逆らえない存在だった。実際、彼が監督したアイドルグループは必ず人気が出て、女性マネージャーが担当していたグループは干されたりしていた。
金、名誉、権力。何もかも持っている男だったが、きな臭い噂があった。権力を盾に男性アイドル達を性暴行しているという噂だった。実際、北澤貞夫はトランスジェンダーを公表し、ファンの間でも噂が絶えなかった。
ただ、証拠はない。私はフリーの記者で性被害のアイドルにも取材を重ねていたが、決定的な証拠はない。北河がその行為の動画を全部保有している所まで突き止めたが、その在り方は不明。また、被害者達も詳細を語りたくないようだった。噂もマスコミ達に忖度され、握り潰されているのが現状だった。
被害者達の話を聞くと、記者魂みたいなものも燃え、北澤貞夫本人に突撃取材をやった事もあった。まあ、全く相手にされなかったが、向こうは覚えていたのか。
「というか、北澤さん。あなた何故ここに? そしてあなた死んだのでは?」
北澤貞夫は確か1日前に亡くなったはずだった。私が今は製薬会社の闇を追っているので、すっかり忘れていたが。
「まさか幽霊?」
「わからない。ただ、晶子さんの名刺だけが何となく目に留まってきたんだよ。別に家族にも仕事の連中にも会いたくないしな」
「へえ」
私は今はノーブラで、着ているシャツからは若干透けていたが、北澤は全く興味がないようだった。目も逸らしもせず、同性のようなナチュラルな態度。これは本当にトランスジェンダーのようだ。
幽霊なのか何なのかわからないが、北澤貞夫はお腹が減ったという。温かくさっぱりした物が良いと騒ぐ。ワガママな爺さんだ。うるさいので、冷凍うどんを温め、だし汁で適当に味付けした。最後に卵と揚げ玉をトッピングして、北澤貞夫と一緒にそれを食べた。
「へえ、晶子さんってLGBT関連の本も読むんだ」
北澤貞夫は、私の部屋の本棚を見ながら呟く。適当に作ったうどんだが、ツルツルとした食感で、腹に自然に落ちていく。揚げ玉もサクッとし、こんな適当な料理でも、美味しく感じた。深夜のせいだろうか。それとも今は夢の中だからだろうか。夢だと思えば死んだ北澤貞夫がいる事も辻褄があってしまうが、うどんの味は妙に生々しかった。
「ええ、一応記者ですし」
「ふーん。でも、LGBTの人を認めて、俺のようなアイドルを虐待する人は認めないっておかしくね? 認めるんだったら平等に全部認めろよ」
さらりと北澤は、自分の罪を白状してきた。
「何が多様性だ。結局、俺みたいな性癖は認めんじゃないか」
「いやいや、相手の合意なしに虐待するのは、多様性ではないのでは? しかも権力で抑えているんですから」
「ふん。所詮、多様性なんて夢物語なのさ。善悪の基準もふわふわな癖によく言うわ。綺麗なLGBTだけ認めて、俺のようなのは批判するって筋通ってねぇよ」
北澤はズルズルと音を立ててうどんを啜っていた。
LGBTの本が彼の何かにスイッチを入れてしまったのだろうか。この後、北澤は今までも罪を白状した。何千件にも及ぶ虐待の話に、聞いているこっちは眩暈がしそうだったが、北河はスッキリとしていた。虐待の証拠がある動画のpcの場所やパスワードも全部吐き、私は急いでメモをとった。
「まあ、確かにこの国の善悪はふわふわしてますね」
「だろ? マスコミだって俺が死んだら手の平返すだろう。さっさと俺の事も全部記事にしてくれよ」
そんな重い責任ある事も頼まれてしまれてしまったが、断る事は出来そうにない。何だか再び記者魂に火がついてきた。
気づくとうどんの器は綺麗になっていた。北澤は「久々に手料理食った、美味かった」何んて言うから、ちょっぴり切なく、涙が出そうになった。
「さて、もう行こうかね、地獄へ」
こうして北澤は立ち上がり、消えていった。
「さよなら。善悪の基準が曖昧でふわふわな国よ」
最後にこんな台詞を吐き、北澤は完全に消えた。
夢だったのか、現実だったのかはわからない。ただ、あの北澤の約束通りに記事にし、証拠の動画も露わになった。警察には「なぜ知っているのか?」と問い詰められたので「第六感です!」とスピリチュアル系女子を演じる事になってしまったが。
世間は大騒ぎ。
噂を黙認していたマスコミは、今では北河をボコボコに叩き、事務所も吸収合併されるそう。
確かにこの国は、善悪の基準はなく、空気で運営されている事に納得してしまう。
もう北澤は部屋に現れる事もない。あれは夢だったのか、何なのかは定かでは無いが、一緒にうどんを食べた事は、なぜか忘れそうにない。
「ああ、今日は満月か」
窓の外を見ながら、雑に作ったうどんをすする。揚げ玉を咀嚼する音を感じつつ、あの夢のような一夜を思い出していた。




