【百合・読み切り】わたしの、浮気相手も推しです。 ~推しと付き合ってるのに、推しの相方に浮気を迫られてめちゃくちゃにされちゃう百合の話~
私にありえないことが、二つ起きている。
まず、一つ目。
私は、推しのアイドルと、付き合っている。
その相手は――、
『みなさんこんにちはー! アステル・テールの春風チホです!』
画面から元気な声が響く。
私は今、カラオケの個室にいる。
設置されたモニターの中で元気に挨拶しているアイドル――チホちゃんが、私の彼女。
付き合っている相手……。
推しは恋愛とかじゃなくない? という意見。
わかる。わかる……けど!
そこの解釈については長くなるので、今は一度置こう。
とにかく、私はチホを推しているのに、付き合っている。
これが、一つ目のありえないこと。
――そして、二つ目。
「……ねえ、ユメちゃん」
ユメ。
それが私の名前。
で、私を呼んでいるその相手は……。
『皆さんこんにちは。 アステル・テールの天羽星音です』
モニターの向こうで、涼しげな表情で挨拶をするアイドル。
天羽星音。
私の推しの、二人組ユニット『アステル・テール』。
チホちゃんの相方であるアイドル。
艶めく黒髪。抜群のスタイル。
――私は今、星音ちゃんに、組み伏せられている。
鼻先を、彼女の髪がかすめて、さらりとした感触や、妖艶な匂いが、伝わってきてしまう。
五感のいずれを刺激されても、脳が犯されるような快楽が溢れる。
心臓がうるさい。汗やばい。
どうして、こんなことに……???
「いいんだよ、ユメちゃん。全部私のせいにして、全部都合良く使ってくれれば」
星音ちゃんの口から、ありえない言葉が次々と飛び出してくる。
「ユメちゃんだってそういう気分にもなるでしょ?」
星音ちゃんの指が、私のシャツの裾をまくって、腹部に直接触れる。
ゆっくりと、指を下へ這わせていく。
長くて綺麗な指が、太股に沈んでいった。
ダメなのに。
こんなの、絶対ダメなのに。
星音ちゃんはアイドルだし、私はファンだし……。
それより、なによりも、私には、チホちゃんがいるのに……。
ああ、もう全部がおかしい。
「……私を……、二番目にして?」
ありえないこと、二つ目。
推しの相方に、浮気を迫られていること。
◆
『みなさんこんにちはー! アステル・テールの春風チホです!』
画面の向こうで、華やかな笑みを浮かべているアイドル。
春風チホ。
ふわふわの、腰まで伸びた亜麻色の髪。人形のような、どこか幻想的な美しさすらある。
けれど、笑顔は元気いっぱいで、見る人を温かい気持ちにしてくれる。
何度見ても、慣れない。
いつ見ても、可愛い。
私とチホちゃんが出会ったのは、小学生の頃だ。
チホちゃんは、その頃から可愛かったけれど、今とは違って大人しい性格だった。
それがどんどん明るくなって、アイドルになってからはもう、別世界の住人だ。
遠くに、いっちゃったなあ……と、時々、寂しくなる。
でも……。
「……ごめんっ、ユメちゃん、遅れちゃった!」
私がいたカラオケの個室に、チホが焦って入ってくる。
ぱんっ、と両手を合わせて、ぺこぺこ頭を下げる。
チホちゃんは、常にジェスチャーが大げさで、そこも可愛い。
「レッスン、ちょっと伸びちゃって……ごめんね!」
「平気平気。ヒトカラも好きだし。……でも、当然チホちゃんと一緒の方が楽しいけどね」
「ふふ、そう? それじゃ、お詫びに特別ライブにしちゃおっかなー」
「セトリは私が決めてもいいんでしょ?」
「もっちろん!」
イエーイ! と私はサイリウムをチホちゃんカラーのピンクにして振り回す。
デートになんでサイリウムを……とも思うけど、これが私たちのお約束のノリみたいな?
MV付き映像で、画面の中の可愛い衣装を着ているアイドルが、目の前で踊っている……という、光景も、何度見ても慣れない。
一通り騒ぐと、チホちゃんが私の横に座る。
そして……、こてん、と頭を私の肩に寄せる。
「ふわっ……!!?」
変な声が出る。
「ふふ。もぉー、慣れてよ~」
「な、慣れないよ……」
「私もまだ、ドキドキは……するけどね」
「え、する?」
「するよぉ」
「私なんかでドキドキする、はんふぇ……?」
ほっぺ、つねられた。
「『私なんか』なんて禁止ぃ~!!」
「ふぁい……」
――信じられないことだけど、私はチホちゃんと付き合っている。
きっかけは、チホちゃんが役で、『女の子同士の恋愛』を演じることになったことから。
チホちゃんは、最初はアイドルになろうとしていた。
所属していた事務所からの提案で、『アイドル役』のアニメのオーディションを受けることになり、それに合格して役をもらってデビューした。
チホちゃんとしては、『アイドル』になれればよかったので、『アイドル声優』でもオッケーだったということで、今も声優の仕事もしている。
チホちゃんの中でのアイドルの定義は、『みんなを笑顔にすること』で、細かい業種としてのカテゴリーはなんでもいいらしい。
ぎゅっ……と、チホちゃんが私の手を握る。
熱が、伝わってくる。
「……いいの?」
「……いいの。『友達』は、手を繋ぐでしょ?」
「え~、友達?」
私はわざと、少し悲しそうに言ってみる。
そこにちょっとだけ、真実を滲ませつつ、ちゃんと冗談で包み込んでね。
私達は、『付き合っている』……ことに、なっている。
でも、私達がする行為はすべて、『友達』のボーダーに収まっている、ことになっている。
「……友達。友達は……こうするよね、ユメちゃん」
チホちゃんは、アイドルだ。
チホちゃんは、『みんな』が好きだ。
みんなの、モノ……。
だからずっと、私達の関係には、『みんな』を裏切ることはいけないという罪の意識がまとわりついている。
でも、それでいい。
だって私も、アイドルのチホちゃんが好きだし。
……なら、なんで『付き合う』なんて……って、思うけど。
そこにも、どうにもならない複雑な感情があって……。
チホちゃんが、私の手を、私なんかの手を、愛おしそうに両手で握りしめる。
まるで、騎士がお姫様にするみたいに、優しく、大切そうに。
「チホちゃん……」
「『友達』は……するよね、これくらい」
チホちゃんは私の手の甲に唇を寄せる。
温かく、柔らかい感触がする。滲んだ可愛らしいピンク色のリップが、私に付着する。
脳が、痺れていく。理性が、溶けている気がする。
「好きだよ……ユメちゃん」
ユメ。
石上ユメ。それが、私の名前。
それから、チホちゃんは私を抱き寄せる。
私は、抵抗しない。
きっと、チホちゃんの中では、まだ名前がついていない感情がたくさんある。
友情も、
恋愛も、
性愛も、
どろどろに溶けて混ざって、なんの区別もされてない。
でも、薄っすらと、わかってしまいそうになっている。
だから、ひたすら『友達』を繰り返す。
本当にズルいのは、私だ。
全部わかっていて、チホちゃんの願いを正しく汲み取るのならば、私は言うべきなのだ。
――『アイドルが、こんなことしちゃダメだよ』って。
でも、言えない。
これでチホちゃんの演技がよくなるならそれでいい。
……いいや、それで全部じゃないだろう、石上ユメ。
本当に、卑怯。
私は、チホちゃんのラベルを真っ黒に塗りつぶした感情を、都合よく貪っている。
感情の瓶。そのラベルは真っ黒で。
この行為、この感情、どんな定義で、どんなカテゴリーで……。
そのすべてが、真っ黒で。
でも、いい。
ズルいのは私だって――私が、ちゃんとわかってれば、それでいいよね?
ねえ、チホちゃん……。
全部、私のせいにして。
チホちゃんは綺麗なままで……、汚いのは、全部、私の責任で。
ただ、チホちゃんを感じさせて。
……チホちゃんが、アイドルとして成功していく程に。
嬉しいのに。
応援したいのに。
――――寂しいから。
みんなのチホちゃんが一番好きだけど。
推しだけど。
私だけの、チホちゃんも欲しいよ。
◆
今日はチホちゃんと会うわけじゃないけど、楽しみなことがある。
私は小説を書いていて、それをネットに上げている。
その読者と会う、オフ会的なものがあるのだ。
小説といっても、二次創作だ。
アニメ『わたし達の恋は営業ですっ!』――略して『わたこい』。
二人のヒロインがW主演のアイドルアニメで、そのW主演の片方をチホちゃんが担っていたというわけだ。
この作品……、めっちゃ良い。
正反対の二人の新人アイドルが相性最悪なのに、『百合営業』を命じられる。
いやいや、営業で、仕方なく仲良くするんだけど、二人で困難を乗り越えていくうちに絆が芽生え……という、王道な感じのやつ。
私はもちろん、チホちゃんが演じる明るく元気な『ヒナタ』が好きなんだけど……、相方のクールな『ミツキ』もいいんだよね……。
……ちなみに、『わたこい』の二次創作をしてることは、チホちゃんには内緒だ。
チホちゃん、えっちなの苦手……かもしれないし。
いや、抱き合ったりしておいて? ではあるけど。
『わたこい』の作中で、恋とも友情ともつかない曖昧な感情、私ははっきり『恋』に変化していく過程を描いてしまったりしてる。
チホちゃんと解釈違いとかイヤだし、だったら内緒にしておけば安全というわけだ。
……隠れてあんなことしてるのに比べたら、本当に小さな秘密。
とにかく、今日は好きな作品の話を思いっきりできるという、なかなかない機会で、胸が高鳴っている。
チホちゃんとも話せるけど、私がチホちゃんの演技をひたすら崇める会になりがちだし。
そんなことを考えながら、私は待ち合わせ場所に到着した。
◆
『みなさんこんにちはー! アステル・テールの春風チホです!』
またもやカラオケボックスだった。
画面では、チホちゃんが最高の笑顔を見せている。今日も可愛い。
この映像死ぬほど見たけど、飽きない一生見れる……。
「……あ、他の人達は遅れるみたいですね……」
私はスマホを見つつ、少し離れたところに座る相手へ伝える。
彼女は『ルナ』さん。SNSのアカウント名だ。
ルナさんがこくんと頷く。
控えめな仕草。
長い黒髪が揺れる。前髪が長くて、目元も隠れてしまってる。ちょっと貞子感……と、失礼なことを思ってしまう。
私も髪は肩くらいのくせに、前髪長めでバリアを張ってしまうの、似たようなものだけど。
なので、親近感。
とりあえず、怖い人じゃなくてよかった。
でもどうしたんだろう?
室内でも、まだキャップを深めに被ってる。
……なんか、素性を隠すプライベートのアイドルみたい。
髪も長くて、艶があって……って……、私はどうして初対面の、オフ会の場で、いやらしい視線を……。
最低だ私は……、今日はそういう目的じゃないし、そもそも私にはチホちゃんがいる。
楽しく作品の話をするぞ!
と、そこで……、
『皆さんこんにちは。 アステル・テールの天羽星音です』
チホちゃんの元気な挨拶とは対照的な、クールな声が室内に響く。
はぁ……、星音様、今日も美しい。
推しはチホちゃんだよ?
幼馴染はチホちゃん。
付き合ってるのも……、チホちゃん。
でも、そもそもユニットで、二人で推しというかね?
二人の絡みも大好きだし……。
だから、星音様のことも大好きで……。
「――好きなの?」
その時、目の前の相手……、キャップ目深貞子さん……、だから失礼すぎる!
ルナさんが、そう問いかけてきた。
「え……、星音様が?」
ルナさんが頷く。
私は答える。
というか、ぐぅわぁぁ~~~~っと、溢れた。
「もっちろん……大好きですよ! 星音様は……、氷で出来た女神像みたいな……神聖で、冷たくて、格好良くて……!! でもっ、チホちゃんといる時は、たくさん笑うし、その笑顔が、すごい優しくて、ギャップがやばくて!!! 歌もダンスも上手いし!! 演技とかも、すごくて上手くて……、役への解釈も深くて、普段からたくさん物語に触れてるんだろうなって教養もあって…………!!」
語彙は死んでるけど、褒めが淀みなく溢れ続ける。
深く考えなくても、どんどん浮かんでくる。
ああ、……やっぱり私、星音様のことも好きだなって思う。
浮気じゃないよチホちゃん信じて!
だってずっと、『二人』のこと追いかけてたんだもん。そりゃ、二人とも大好きだよ。
「……ふふ。本当に好きなのね」
「え……あ、はい……っ」
なんか、緊張する……。
なんでだろう? さっき貞子さんとか失礼なこと思ったのに、ルナさん、声も綺麗だし、落ち着いた物腰にオーラがある。
「いつもありがとう……嬉しいわ」
そう言って、ルナさんが帽子を取って、手櫛で髪を整えた。
『いつも』?
どういうことだろう? と首を傾げていると……、
私の目は、とんでもないものを捉えた。
目の前に、星音様がいた。
「…………え? ええええええええええええ!!!?」
「わ、すごい声。カラオケだからいいけどね」
「えっ、えっ、なんでっ、星音様……なになに、なんで!?」
チホちゃん関連の……なにか!?
いや、そんなわけない。
だって、チホちゃんと付き合ってることは隠してる。
星音様も、同じユニットとはいえ、知らないはず。
チホちゃんが話していたら?
それもない。
話すなら、私に相談するはず。
勝手に話すわけない。
…………じゃあ、バレてしまっていたと、したら……?
それはあり得る。
星音様は、一番チホちゃんに近い人物だ。
……もうバレてて、糾弾しにきた?
怒られる…………????
もしくは、疑いの段階で、探りを入れてる?
「……私ね、あなたの書いている小説のファンなの」
「……え?」
「……私、ずっとあなたに救われている。あなたはいつも、ライブやバラエティの感想もすぐつぶやいてくれるし、アニメが放送したあとに、私が演技に込めた細かい想いを汲み取った話を書いてくれる。
……ほら、よくあなたの感想についている、『解釈が深すぎて、もう実質原作』とかってあるじゃない? あれ、私も心からそう思ってる。というか、たまに私もそういうコメントつけてる」
「…………はい???????」
どうしよう。
全然、頭も心も追いつかない超展開がきたな。
まず、まっさきに思うのは……。
星音様も、早口オタクになるんだ…………!!!?
早口でも美しい……。
……というか、え……?
少しずつ、水が染みていくみたいに、星音様の言葉を理解していく。
なんか今、人生で一番褒められた?
嬉しい……嬉しい……嬉しい……!
私が頑張ったところ全部わかってくれてる……こんなにわかってもらえていいの!?
それも推しに!?
なにこれ!? 夢!?
なんかのサービス!?
CD初回限定版を買って応募すると、めちゃくちゃ褒めてもらえます……みたいな!?
褒められまくるお話し会!!!?
そんなの応募してたっけ!?
「え、っと……あり、が……とうう、ぇ……? あれえ……?」
ヤバい。
情緒バグりまくってる、いきなり泣いちゃった。
ライブの時じゃないんだから!
「ごめ、んなさ……、……あっ」
星音様がハンカチを差し出してくれる。
推しのハンカチを汚すわけには……と思うが、断るのも失礼かも? と思い、好意に甘えた。
「あの、洗って返しま……」
「いいのよ、そんなの」
ひょい、とハンカチを取られてしまう。
ああ……私から流れ出た汚物が付着したハンカチが取られた……。
「……ところで、ユメ先生」
「……え、先生?」
「…………ダメ?」
うう、可愛い。
おねだりみたいな言い方……ギャップがすごい。
「恥ずかしいのはありますね……」
「……あなたも星音『様』じゃない。恥ずかしいわ」
「……星音……さん?」
「呼び捨てでもいいわよ?」
「呼び捨て!? ダメダメ! ダメですよそんな推しを!?」
「あら、推しなの?」
「え? あ……もちろん。チホちゃんと星音さん、二人とも推しみたいな?」
「……そ。……いつもありがとう」
……あれ。今なにか、間が?
「……じゃあ、ユメちゃん?」
「は、はい……」
うう、推しに普通に友達みたいな呼ばれ方するのも変な感じする。
「……ユメちゃん、ゼノンプロの新しいアイドル企画の、脚本家コンテストに応募してるわよね?」
「……えっ、なんで知ってるんですか!?」
「ごめんなさい。私は……、声優としてとは別に、脚本審査の方にも協力してるの」
「……そうだったんですか!?」
す、すごい……!
ゼノンプロというのは、大手の事務所だ。
そこで今度、大きな新アイドルグループのオーディションがある。
アニメやゲームの展開も最初から組み込まれた企画で、その脚本も募集しているのだ。
『わたこい』よりも遥かに大きな、すごい企画だ。
私はこれに応募している。
なぜなら、チホちゃんが応募しているから。
チホちゃんは……必ず合格する。
私はチホちゃんと、いつか一緒に仕事がしたい。
だから、チホちゃんがアイドルとして次のステージにいく手助けをしたい。
……といっても、私、今はまだ脚本家として、全然ダメなんだけどね……。
私も、チホちゃんも、まだ高校生。
……アイドルなら、若くても活躍してる人はたくさんいる。
でも、脚本家は……。
……いいや、そんなの言い訳だ。
関係ない。チホちゃんの隣に立つのに、そんな言い訳してる場合じゃない。
「……なにか、私に聞きたいことはない?」
「……ないです」
「……遠慮しなくていいのに」
「いえ……、別に、ズルしたいわけではないので……」
たまたま星音さんが、審査に関わって、たまたまプライベートで知り合えて。
それで自分の有利になるのは……なにか違う。
私は、ちゃんと自分の力でチホちゃんの隣に立ちたい。
……思い出すのは、『あの日』の舞台。
小学生の頃、学校で演劇をしたことがあった。
私が脚本を書いて、チホちゃんが演じる。
あの頃、チホちゃんはまだ少し内気で、私は今よりも明るい感じで……。
チホちゃんは、もっと輝ける! って、そう思って、必死にチホちゃんが輝く脚本を書いた。
……また、あの時みたいに、チホちゃんを輝かせたい。
それが私の、生きる理由だって言っていい。
チホちゃんと付き合っておいて今更……とも思っちゃうけど、それはそれ。
……もう、ぐちゃぐちゃの境界線の上で、それでも自分が納得できるとこに立っていたい。
「…………でも、あなた、このままだと絶対に落ちるわよ?」
「……そ、れは……」
「……あの、ムラクモアマナもコンテストにでるのよ? つまり、勝たなければいけないの」
ムラクモアマナ。
『わたこい』にも参加していた人気ライター。
今の私では、絶対に勝てない相手。
「期間は、まだありますから……。今この瞬間負けてても、これから、勝ちます」
絞り出した言葉は、決意というよりは、すがりつくような願望だった。
星に願うような、淡い、脆い、曖昧な気持ちかもしれない。
もしくは。
――――現実を見ていない…………、足掻き。
「……無理ね。期限までの成長幅を見積もりに入れても、まだ全然足りない」
「……そんなの……成長幅って……」
どうしてそんなことわかるの?
どうして、そんなこと言うの……?
いやだよ。
知らない誰かなら、何言われたっていいけど。
星音さんにそんなこと言われたら……、立ち直れない。
それだってダメな姿勢だけど。
本当に強い人なら、推しに否定されたって、頑張れるはず。
…………弱いなあ、私。
「……私もね、脚本家になりたかったの」
「……え? そうなんですか?」
「ええ。今はアイドルの仕事が大事だけれど、アイドルは永遠ではないでしょう? だからいずれ、本格的に『再開』しようと思っているわ」
アイドルは……永遠じゃない……!?
いやだ……、卒業しないで……。
って、今はそこは本題じゃない。
「『再開』って……以前、脚本家の仕事が……?」
「以前に、少しね。でも、今はどうしてもアイドルがやりたくて……。で、何が言いたいかっていうと、私は今回の審査にも関わっているし……『審美眼』という点で、私はそのへんのアイドルとは違うっていうのは、わかって欲しいの」
「……星音さんのこと、信じていないわけでは……」
推しを疑ったりしない。
でも、信じたくないことだってあるよ……。
「私の目から見てね、あなたは才能がある。それは私が保証するわ」
「…………え……?」
才能……。
それはすごく曖昧な言葉だ。
星音さんが、どういう定義で、ニュアンスで、意図で、その言葉を使ってるのかはわからない。
でも、そんなこと言われたら嬉しいに決まってる。
……あれ? なんか不安を煽った後に優しくするなんて、詐欺師みたいな喋り方じゃない? なんて……、頭の片隅で思ったことは、無視する。
嬉しい……嬉しい、嬉しい。
推しに否定されたら悲しい。
推しに肯定されたら…………そんなの、嬉しすぎる!
いやいや、待て待て私。
一回、落ち着こう……。
「……さっき、『成長幅』を見積もってもダメって……」
「こうも言ったわ――『このままだと絶対に落ちるわよ?』……ってね。『このまま』でなければ、あなたは、必ず、もっと上にいける」
必ず、
もっと上に……。
その言葉は、私の胸を熱くした。
ああ、ダメだ。さっきからずっと、この人の言葉に振り回されている。
なんていうか……、物語に出てくる『悪魔』みたいな人。
甘い言葉で惑わして契約を迫る。
力は与えるし、成功もできる。
でも……、見誤ると、破滅する。
どうしてだろう……そんなイメージが、浮かび上がってしまうのは。
それで――。
「なら……どうすればいいんですか?」
不安を塗りつぶす、衝動がある。
私は、絶対に、もっと上にいく。
そうしないと、チホちゃんの隣に立てない。
「……ユメちゃん」
「……はい」
「その、方法はね…………」
「方法は……?」
「……私と、付き合って」
「――……私……チホちゃんと、付き合ってるんです」
言ってしまった。
でも、星音さんが言いふらすとは思えないし、これで納得してもらえるはず。
…………というか、付き合う……!!!?
付き合う!?
なにを言っている!?
アイドルと付き合えるわけがないが!?
…………あれ、私、チホちゃんと付き合ってる!?
ダメだ、混乱でおかしくなる。
もうずっと、おかしいのかもしれない。
「……ユメちゃんは。まだ状況が理解できてないね」
「え?」
「――――それは、チホのために、夢を諦めるってこと?」
「そんなの……!」
なんでそんな言い方……っ。
……あれ?
でも……。
私の夢って、なんなんだろう?
――脚本家になること?
――チホちゃんを応援すること?
……でも、裏切るなんて。
「私が……自力で勝てばいいだけですよね?」
「……そうだね。なら、この話は一度保留かな」
「……保留もなにも、何度言われても嫌ですよ」
「……今は、それでいいわ」
星音さんは、そう意味深に言って……。
それで、この日はお開きになった。
◆
あれからずっと、考えている。
カタカタカタ……と、キーボードを叩く音響く。
――あれでよかったはずだ。
何度も繰り返す。
疑ってしまうのは、私が弱いから。
それだけのこと。
恋は。
感情は。
――弱い人間には、守れないと思う。
だってそうだよね?
チホちゃんが夢を叶え続けてるのに、私が弱いままなら、そんなのはもう、チホちゃんに相応しくない。
チホちゃんといたい。
だから、もっと、やらないと、やらないと……。
書いて、さえいれば。
書けば……。
書いて書いて書いて、頑張れば、きっと。
でも……本当は知ってるんだ。
どれだけ自分が強く願ってると思っても、それだけで自動的に夢が叶うことはない。
この世界は、複雑だ。
私は、どうすれば、大切なものを守れるんだろう?
答えが最初から明瞭なことなんかない。
いつだって、答えは、複雑な迷宮の奥底にある。
集中が途切れて、ふとスマホを手に取る。
タイムラインを流して、ジャンクな情報を消費していく。
誰かの不祥事。
誰かの幸せ。
ぜーんぶ……、どうでもいいなあ……。
摩耗した心は、凪いでいく。
心が、死んでいく感じ。
その時。
手が、止まるニュースが。
『ムラクモアマナ、ゼノンプロの新アイドル企画へ意欲を見せる。さらに、主役には春風チホを起用か!?』
……いや、だ…………。
――ムラクモアマナ。
売れっ子脚本家。
まだ、何者でもない私が、絶対に、勝てない相手。
……頑張れば?
ずっと頑張れば、いつかは?
いつかは、いつかは、いつかは……。
意味ないよ、いつかじゃ……!!
今、勝たなきゃ、チホちゃんが、取られる。
あいつの書いた脚本を演じて、チホちゃんが、もっと大きな、私の届かない場所に行く。
もう、きっと、私の入り込む余地なんかない。
私なんか、昔ちょっと一緒にいたなくらいの、モブになる。
チホちゃんの人生の、モブになる。
いやだ……、
いやだよぉ…………。
それだけは、いやだ。
……そうだよ。
なんでも、するんだ……。
――私が一番大切なのは、チホちゃん。
そう思って、私は星音さんにメッセージを送る。
◆
「……ユメちゃん。あなた、正しい選択をしてる」
また、あのカラオケボックスだった。
画面には、笑顔のチホちゃんと、星音さん。
でも、目の前にいる星音さんは、笑顔なのに、怖い。
「本当に……、これで、勝てますか?」
「保証する。あなたには、才能がある。あとは一つ、起爆剤になるきっかけがあれば……。私は、それになってあげられる」
甘美な言葉に、脳が溶かされる。
才能。
本当に、そんなもの……。
私はもう、どこまで私を信じられるんだろう?
「……単純な話よ。えっちなやつを書けばいいのよ。『アイドル企画』にはそぐわないけれど、その前に知名度と人気を稼いでおけば、必ずあとで役に立つわ。ムラクモアマナだって、そうやって人気になっていったの。大事なことよ?」
少し前の自分なら、その発想に反発したかもしれない。
もっと手段を選んで。
プライドを守って。
綺麗に、お行儀よく。
チホちゃんが喜ぶような作品だけを書いて、チホちゃんの隣に行きたい。
そうして、『勝ち方』にこだわったはずだ。
勝ち方なんて、なんだっていい。
やったもん勝ちなんだ。
勝てれば、なんだっていい。
「……それで、チホちゃんとは、どこまでしたの?」
「し、したって……」
「これは?」
手を、握られる。
「……それくらいなら」
「これは?」
抱き寄せられる。
匂いも、感触も、チホちゃんと違う……。
シトラスの香り。
チホちゃんよりも、スタイルの良い体。
こんなの、知らない。
「抱き合う、くらいなら……」
「なら、これは?」
「……んっ、いやっ、」
――胸を、触られた。
「これは初めて?」
「……これは、ダメ……です」
「どうして?」
「チホちゃんとは、こんなのしてない……」
「どうして?」
「……ファンを、裏切るから」
「ふふ。変よね、それ。付き合ってるのに? 悔しいけど、似てるのね、あなた達」
……ああ、そっか。
――同じ、なんだ。
チホちゃんは、『恋愛』を知らない。
だから、知りたがっていた。
でも、付き合うって感覚を知りたくて、私たちは一緒にいた。
結局、矛盾はしてる。
『ファンのために』、良い演技を。
そのために、ファンを裏切って。
――だから、これも、同じ。
仕方のないことなんだよ……。
だって、チホちゃんのためなんだよ?
胸から伝わる感覚が、甘やかに、じんわりと広がっていく。
こんなに気持ちのいいことなんだ。
…………チホちゃんが、教えてくれない快楽が、私を満たす。
「次は、これ」
唇を、重ねられた。
私の中に、星音さんが入ってくる。
温かい。
良い匂い。
柔らかい。
予測不能に動かされる舌。
知らない。怖い。気持ち良い、気持ち良い、気持ち良い。
壊れそう、
溶かされそう、
おかしくなりそう。
今度は、星音さんの手が、私の下着の中に滑り込んだ。
思わず、足を閉じてしまう。
とろけた思考の中でも、本能的に、星音さんの手を掴んで行為を止めた。
「それは……本当に……、ダメ」
「怖い?」
「だって……まだ、チホちゃんと……」
「しないでしょ? ファンは裏切れないんでしょ?」
「……」
そう、かもしれない。
こんなに気持ちいいこと、ずっと……。
「キスしておいて、今更よ?」
「でも……」
「大丈夫。イカなければ浮気じゃないと思わない? チホちゃんのこと思ってたら、イカないよね?」
「………………え?」
そう言って、星音さんは、下着に手を滑り込ませた。
もう出来上がってるのが知られるのが恥ずかしい。
キスと胸だけで、もうどうにかなってる。
「ダメ、ダメ、ダメ……ダメぇ……せのんっ、さっ♡ ぁっ、んっ♡♡」
「……やらしぃ……。……声、すっごく甘いよ?」
無理。
こんなの。
チホちゃん……!!
チホちゃん……、
ごめんね……ごめん……。
本当は……。
私ね、本当は、こんなことばっかり考えてたんだ。
チホちゃん何もしてくれないから、ずっと……。
でも、考えるだけなら、全然、浮気じゃないよね……?
考える、だけなら……。
波が高まって、もう限界だった。
頭の中で、チホちゃんが消えちゃうみたいに、快楽で全部が埋め尽くされそうになった瞬間――、
「――――はい、終わり」
「え?」
星音さんの、手が止まる。
「……なに? イッたら浮気だよ?」
「そう、ですね……」
「今日はこれくらいかな。ユメちゃん、すっごくたくさん心が動いてたし、きっといいものが書けるよ」
言いながら、わたしから引き抜いた指を開閉して、引いてる糸を舐めとる星音さん。
自分がどれだけ感じてたのかを見せつけられて、改めて恥ずかしさが押し寄せてくる。
その時、星音さんのスマホが鳴った。
「あ、チホちゃーん?」
心臓が、止まる。
「うん……、うん、自主練? いいよ。……うん、すぐできる。……ふふ。ちょうど今、準備運動が終わったところ」
そう言って、通話を終える星音さん。
「ごめんね、ユメちゃん。これからチホちゃんとレッスンだから……。ユメちゃんも、頑張ってね?」
「……はい」
「いいんだよ、ユメちゃん。全部私のせいにして、全部都合良く使ってくれれば」
「……そ、んなの……」
縋ってしまう。
チホちゃんの隣にいるため。
そういう綺麗な願いがあれば、なんでもできる。
……でも、もっと『理由』が欲しい。
安心させて。
……そうだよ……星音さんが悪いんだよ。
星音さんはひどいよ、悪魔だよ……。
「……私を……、『二番目』にして?」
「……」
――その問いに、私は答えられなかった。
見ないフリをする。
名残惜しそうに、太ももをすり合わせてしまう自分の動きを。
知らない。
こんなのは、知らない。
◆
なんだろう、これ。
私はぐるぐる、ぐるぐる、ずーっと悩んでる。
星音さんのことばっかり、浮かんでくる。
なんなんだろう……これ……。
……ぜーんぶ、えっちな本で見たことある。
でも、自分が当事者だと、少しも、茶化せない……。
ベタだなあ、なんて。
……星音さん、どうしてこんな……。
ぐちゃぐちゃになった頭で考える。
もう、何が正しいのか、わからない。
でも、一つ。
差し込む光のように、一つの思考が浮かぶ。
……今なら、すごいの書けそう。
◆
……ねえ、チホ。
私、ずっとあなたが憎かった。
私、あなたみたいに笑えないよ。
クールだとか言われたって、結局は根暗な女が格好つけているだけ。
……そんな私を好いてくれるファンもいたけれど……。
でも、ダメね、そんなアイドル。
私、あなたみたいになれないよ……チホ。
――でも、いいの。
チホ……、私、あなたを許さない。
だって、ユメちゃんを苦しめてたから。
本当は、前からユメちゃんとチホのこと、知ってたよ。
チホがユメちゃんを、幸せにしてくれるのなら、納得しようと思ってのに……。
でも、ダメよ。
あなたには、ユメちゃんを幸せにできない。
あなたは、『アイドル』だから。
絶対に、あなたは、最後にチホちゃんを苦しめる選択をする。
あなたのアイドルは、『みんな』のものでしょう?
私は違うわ。
私はね、ただ、ユメちゃんのためだけにある。
もう、私はやりたいようにやるね。
――ユメちゃんは、必ず、私が幸せにするから。