転生侯爵令嬢が告白に失敗して後悔する話。
私――リーシェン・マクロメルが異世界に貴族として転生して15度目の誕生日を迎え、前世から考えると早いが結婚適齢期に入った。
とはいえ、私は前世の記憶を生かし小説家をしていて、収入は十分にある。それに、我が家は侯爵家で私は跡取りだが、私の両親は恋愛結婚をすればいいと特に厳しくないので、初恋の相手である騎士様に告白しようと考えていた。
騎士様――ヴィ―カ・アリシェンは私より5つ年上のイケメンで、私の幼馴染。
この国では珍しく、私にとっては懐かしい黒髪で、鋭い黒曜の瞳をしている。彼はとてもモテるが女嫌いで、けれど私には優しかった。
それに、私は自分で言うのもなんだが、魅惑的な体型の美人だ。ややきつめだがはっきりと二重の瞳はアメジストのような紫でその目元には色気を感じる黒子があり、すらりとした手足している。そして、腰は細く胸は大きいというメ理想的なメリハリのあるボディだ。
だから、彼が私を特別に思ってくれているかもしれないという、仄かな希望を持っていた。
まぁ、告白とともに打ち砕かれたが。
思い出すと今でも泣けてくる。
そう、あれは9日前の夜会のこと――
私はあの日、ヴィーカに告白するために夜会に参加していた。
いつもよりも気合を入れて大人っぽい紫の、黒で刺繍が入ったドレスを着た。
胸元は黒のレースに覆われて谷間が薄っすらと透ける色っぽい感じの。
「ヴィーカ、あの話があるのだけれど……」
「ああ」
私が声をかけたとき、ヴィーカは少し驚いたような顔をしたが、無事にバルコニーに連れ出すことに成功した。
「あのね。えっと……月が綺麗ですねって言いたくて」
これは、元々はこの世界にない文化だったが、私の書いた小説の人気から最近流行ってきている告白の仕方。前世で有名だったから取り入れてみたら思いの外好評で、驚いとことを覚えている。
「……」
ヴィーカはいつも以上に無口で何も言わない。
「あの?」
眉を寄せて鋭い視線をこちらに向けられる。
「月なんて見えないが」
「そっか……そうだよね。ごめんなさいね」
不自然に間が空いて気まずい。
「これからもこれまで通りの関係でいてくれる?」
私の声は自分でも驚くほどに震えて、泣きそうだ。
「……」
「じ、じゃあね」
彼ほ何も答えない。私は目が涙で潤んでいることに気づいて思わず駆け出す。
そこからの記憶は殆どなく、ただ家に帰ったことしかわからなかった。
「お嬢様、入りますよ」
ベットに座って思いふけっていると、扉の向こうからメイドの声がした。
「どうぞ」
失礼します、という声とともに私付きのメイドであるマモが入ってきた。私より10年上のお姉ちゃんみたいな人だ。
「マモ、他に誰かいるの?」
ベットはレースで囲まれているので薄く見える人影だけが頼りだが、どう考えても二人は人がいる。それも、マモ以外は男でガタイの良さげな人。
「はい。お嬢様を心配したヴィーカ様が来てくださっています」
マモは微笑ましそうに笑って言う。
「……そう、ヴィーカが」
私に気を遣ったマモがさっと部屋を出ていく。
本来なら異性とふたりきりなんてありえない状況なのだろうが、ヴィーカは私の両親からの信頼が厚く、それが許されている。
「リーシェン、その、大丈夫か?ご両親からもう10日ほど塞ぎ込んでいると聞いたんだが」
いつもならヴィーカが私を訪ねて来てくれるだけで飛び跳ねるほど嬉しいのに、今日は驚くほど胸が痛かった。
「えぇ、大丈夫よ」
私は平静を繕って答える。
「なら、俺と少し話さないか?」
「それは……」
振られてもう可能性がないとわかっていても、この微妙な寝間着姿を見られたくはない。好きな人にはできるだけ可愛い姿を見てほしいのが女心というものだ
「開けるぞ」
ヴィーカは、有無も言わさずレースをめくってベットに侵入してきた。
私は咄嗟に体を布団で覆い隠す。
「は、いってこないで」
「リーシェン、ご両親が心配している。何があったのかわからないが、そろそろ出てきたらどうだ?」
あぁ、ヴィーカの優しさが痛い。心配してくれているのはわかるが、中途半端なやさしさは苦しいだけで、彼を罵ってしまいたくなる。
「リーシェン」
ほとほと困ったような、諭すような声。
私の、頭は真っ白になった。
初めて、感情の高ぶりで理性が切れるような音を聞いた。
「あな、たに……貴方に、何がわかるのよ!やめてよ受け入れてくれないなら、優しくしないでよ」
「急にどうし」
「何があったかわからないって何よ。貴方のせいでしょ!」
違う。そんなことが言いたいんじゃない。
「リーシェン?」
困ったようなヴィーカの声に、息が止まった。
「ごめんなさい。何も、ないの」
私はヴィーカに背を向ける。
「なぁ、リーシェン。どうしたんだ」
突如背中から伝わってきた優しい温もり。
「俺は、リーシェンを傷付けるようなことをしたか?」
落ち着いた重低音にささくれた心が少しだけ、ほんの少しだけ癒える。意を決して自分の心を言葉にしようとするが、うまく言葉にならない。言いたいことはたくさんあるはずなのに、頭は真っ白になるし、唇が震えてしまう。
「落ち着け、焦らなくていい。話せるようになるまでいくらでも待つから」
ぽんぽんと、優しく頭が撫でられて、心が揺れる。
期待してはいけないと、これは特別なことなんかじゃないと、どれだけ否定しても手を伸ばしてしまう自分がいる。
……あぁ弱くなったな。
転生してすぐは何があっても一人でがんばれたのに、彼に恋をしていることに気づいてからというもの、些細なことで傷ついてばかりだ。
「わ、たし、自惚れていたの。私にだけ優しくしてくれるから、私を特別に思ってくれているんじゃないかって。」
「ん?」
彼の戸惑いの声が頭に響く。
「優しい貴方に甘えてた。ごめんね、迷惑ばっかりで。……それで、告白はしたけど、振られるかもなって考えながら心の奥底では貴方なら受け止めてくれるって勝手に期待してたの」
頭におもいつくそのままに口にするから、話す順番がばらばらだ。前世の記憶でずるしているとはいえ、人気作家が、聞いて呆れる。
「だから、ほんとに貴方は悪くなくて、本当にただの八つ当たりなの。……多分、きっと、あと少ししたら立ち直れるから心配しないで」
嘘だ。こんな傷、塞がる気がしない。ずっとこのままかもしれない、なんて悲観的すぎるだろうか。
私は唇の端を引きつらせて、笑みのようなものを作る。
「……?」
振り返って見上げると、ヴィーカは顔を手で覆い隠してなにか考え込んでいるみたいだった。
「リーシェン、それ、俺のことで合ってるんだよな……?」
「じゃなかったら誰のことなのよ」
わかったことをわざわざ聞いてくるヴィーカに、つい刺々しい言葉で返してしまう。
「俺、貴方に告白された覚えがないんだが」
ほとほと困ったというような、嘘をついているようには聞こえないヴィーカの声に、私が困惑する。
ヴィーカ、何を言っているんだろう。まさか、あの後お酒を飲みすぎて記憶が無いとかだろうか。
「なんて告白したんだ?」
私の心をえぐる質問に、私はもうヤケクソになるしかない。
「月が綺麗ですね、って言ったのよ」
「!」
「思い出した?」
「あぁ、……それ、告白だったんだな」
私の考えの斜め上を行く回答に、口を開けて固まってしまう。私が想像するに、今の私は前世で有名だだ叫んでいる人絵画のような顔をしているに違いない。
「えっと……どういう事?」
「月が綺麗だと言われたのはわかっていたが、それが告白だとは思っていなかった」
「え、でも、ヴィーカはその意味を知っているって前に聞いたときに言っていたわよね?」
「言ったが、自分がそんな告白をされると考えたことがなかったから、話が結びつかなかった」
何気なくいうヴィーカに、私は脱力してしまう。本来なら怒るところなのかはわからないが、怒るよりも呆れが勝った。
「じゃあ、改めて答えを聞いてもいい?気を遣わなくていいから、素直に答えてほしいの」
「……格好がつかないから、俺から言ってもいいか?」
その言葉に、私の胸はキュンと跳ねる。それってもしかして、そういうことなのだろうか。いや、でもあまり期待しないほうがいい気がする。ヴィーカは口下手で別のことを言いたいのかもしれないし……それに、期待して違ったらそれこそ、たえられない。きっと、ヴィオルに対してさっきよりもひどく罵って、手も出てしまう。
様々な考えが頭をめぐり、遂には頭がパンクしてしまいそう。
「えっと。いいよ?」
「なら、遠慮なく」
ヴィーカの目は、謎にギラついている。
これってやばいやつ……?
「ヴィーッ」
発しようとした言葉は驚きで、空気ごと飲み込んでしまった。
「リーシェン」
ただ名前を呼ばれているだけなのに、顔が熱を持つ。なぜなら、ヴィーカが怖いくらいに真剣に、私の目の前で跪いて、私の手を取っているから。
「俺と結婚してほしい」
飾らない、率直なその言葉が私の胸にすんなりと入っていった。私の心が、彼の温かいもので包まれていく気がする。
少し、急すぎる気もするけど彼らしくて微笑ましい。
「早くない?」
私は心から笑って言う。私の告白に気づいてくれなかった意趣返しのからかいの意味も込めて。
「じゃあ、俺と婚約してくれ……だめか?」
私の反応が遅かったせいなのか付け加えられた『だめか?』の言葉にキュンとした。いつも堂々としているのに、こういうときだけ甘えたように顔を覗き込んでくるなんてズルい。それに、無駄に顔がいい。転生して自分だって顔が良く生まれたはずなのに全然違う。
「うん、婚約しよう……でも私、ヴィーカの気持ち聞いてないわ」
「っ!それは、」
彼の頬は急速に朱に染まる。
「それは、何?私、聞きたいわ」
「……好きだ、愛してる。子供の頃からずっと好きなんだ。でも男爵家の俺じゃ釣り合わないと思って諦めてた」
思わぬ彼からの不意打ちに、私は赤かった顔を更に赤くしてしまう。ここまで彼が饒舌なのは珍しい。
私の反応に気を良くしたのか、彼はニヤリと笑って言葉を続ける。
「でも、この前の夜会の後から貴方の様子が可笑しいと貴方の両親から聞いて。それで、その時に言われたんだ。好きな人と結ばれてもほしいがそろそろリーシェンの婚約者を見つけないといけない、と。それで、その時に気づいたんだ、俺は全然貴方のことを諦められてていないことに」
胸がときめく。どうしよう、そろそろ死んでしまうのかもしれない。胸の高鳴りがひどく、不整脈でも起こしていそうだ。
「それで?」
「ああ、それで、すごく嫉妬した。まだ決まってもいない貴方の婚約者に。……でも、それではだめだと思って、今日は見舞いという建前で貴方に会いに来た。告白するつもりだった」
嫉妬、というたった二文字がうれしいなんてどうかしている。でも、嫉妬するということはそれだけ私を思っているということだから、うれしくないはずがない。
「そうなの……うれしいわ。ねぇ、好きだってもう一度言ってくれるかしら?」
「あぁ、貴方が求めるなら何度でも」
そう言ったヴィーカは、私の隣に座り首筋に顔を寄せると、わざとらしく吐息を掛けてくる。
私の肩が、ピクリと跳ねた。
「擽ったいわ」
「嫌か?」
「嫌ではないけど」
「なら、良かった……」
照れているのか、首元で深呼吸しだすから余計に擽ったい。
「好きだ、愛している」
吐息混じりの低い声で囁かれ、ドキドキを超えてゾクゾクした。
「ありがとう……私も愛してる」
私の小さな声をヴィーカは聞き逃さなかったようで、驚いたように体を離すのが可愛い。
女嫌いなように見えるけど、女性に免疫がないだけなのかもしれない。
「なぁ、キスしてもいいか?」
きす……鱚?
ああ!……キス!
処理落ちしたかのように頭がうまく働かない。小説でのキスシーンなら何度でも読んでいるし、何なら書いてもいるのに恥ずかしい。
「い、いよ」
私はヴィーカと向かい合わせになるが、ドキドキして目を瞑って俯いてしまう。
すると、頭上からクスクスと笑う声がした。
「笑わないでよ」
「悪い、悪い」
ヴィーカの口先だけの謝罪に、私は唇をムウ、と尖らせる。
「可愛いな」
「……」
反応に困る。うれしいけど、それよりも羞恥心が勝るのだ。
「きす、しないの?」
咄嗟に出たのは、もっと恥ずかしいことで、慌てて口を覆った。
「ふーん。キス、したいか?」
ヴィーカは意味深口角を上げ、こちらを見やる。
「間違えただけよ。だから……」
そこまで言って気づいた。キスしたくないなんて嘘だし、そんなことを言ったらヴィーカを傷付けるんじゃないかと。
「だから?」
私の表情に気づいたのか、ヴィーカは意味ありげに笑って言う。
「……したい。キスして」
その笑いにほんの少しムカついた私は直接的に誘った。
「!ああ」
改めて向かい合う。
彼は私の頬をなで、顎を節ばった指で挟んだ。
「下手だったら悪い」
そんな言葉と同時に、ヴィーカの薄い唇が私の唇に触れた。
「んん!」
全然下手じゃないな、と感じる。それは、私を嬉しいような嬉しくないようなよくわからない気持ちにさせた。
唇と唇が重なるだけの長いキスの間に好きな人と初めてキスをした幸福感と少しの羞恥心に浸っていたとき、突然、口内に肉感のある舌が入ってきた。
こういうキスは気持ちいいけれど、何も考えられなくなくなる。
多幸感と息苦しさにぼぉーっとする。
息ってどうするんだっけ。
苦しくなった私は、慌ててヴィーカの胸を叩く。
「悪い」
「はあ。いいけど、急にされたら驚くわ」
ヴィーカは気まずそうに頬を掻いてそっぽを向いた。
「……ヴィーカ、気にしてない。むしろ、嬉しいわ。だって、その。急にがっついてしまうくらいに興奮した、ってことでしょ。違う?」
「違わない」
「じゃあ、良いよ」
それでも気まずそうなヴィーカに抱きつく。
「もう一回、良い?」
今度は本当に触れるだけのキスをした。
「本当に貴方は……人を誑かす悪魔のようだ」
「ふふっ。そのおかげで貴方が堕ちてくれたのなら、その才能に感謝するわ」
本当に。
ヴィーカが私を好いてくれたのだから、もう悪魔でもなんでも構わない。
「ほんとに、貴方は……俺以外を誑かすなよ?」
「当たり前よ」
「なら、良いが」
ヴィーカは呆れたようなため息をつく。
「だって、貴方だけを愛しているもの」
すると、苦虫を潰したような顔をされる。
「なによ。私のことを信じられないの?」
「いや、どちらにせよ、俺には信じるしかできないなと思って。だって、俺はもし貴方が他の人を好きになっても、ずっと貴方を愛してしまうと、思えるほどに貴方に惚れ込んでいる。だから、貴方は悪魔なんだ」
惚れた弱みってやつか、と再び苦い顔をした。
これほど嬉しいことはない、思う。
「私も貴方を信じてるわ。でも、私なら貴方が他の人を思っら、きっとその相手を嫉妬のあまり殺してしまうけど」
「なら、人死を出さにためにも嫉妬させないようにしないとな」
「そうね」
二人で、顔を見合わせて笑う。
そして、どちらかともなくキスをした。
あの日から1年が経ったある日。
「ヴィーカ、ちょっとこっち来て」
私達は結婚して、ヴィーカが我が家に越してきた。
そして、私は女侯爵のなるための勉強をしていたが、先日妊娠が発覚し、その勉強が一時的に取りやめになった。
「どうした」
「これ見てくれる」
その空いた時間に、せっかくだからと、書き始めた小説の原稿をヴィーカに渡す。
ちなみに彼は今、騎士でも上の立場になり忙しい日々を送っている。
「これは……」
「どう、かしら。私達のお話なの……」
題名を『転生侯爵令嬢が告白に失敗して後悔する話』と言う。
私が転生者であることを彼に伝えるために作ったような話だ。流石に、それを伝えるには心の準備が必要だったから、そのための。
「てんせい……」
彼は呆然と呟く。
やっぱり、受け入れられないだろうかと、私は、伝えたことを後悔し始めた。
「この設定は本当に貴方の事なのか?」
「ええ。そうよって言ったら嫌いになるかしら?」
「いや」
彼は、コンマ一秒も開けずに即答する。
「驚きはしたが、それでも貴方は貴方だ」
「そう」
私は言いながら、内心驚きを隠せない。
彼でも少しくらい嫌悪を見せるか、疑うと思ったのに。
「信じてくれるの?」
「前にも似たようなことを言った気がするが」
彼は前置きをする。
「貴方がそれを真実と言うなら、それは俺にとっても真実だ」
彼の盲目的と言える愛が、胸に響いた。
「ありがとう、信じてくれて」
「それで、これはどうするんだ?」
「貴方が嫌でなければ、出版しようと思っているわ。どうかしら?」
彼は考える素振りを見せる。
「いいが、俺にも俺視点のところを作ってくれないか?俺も書いてみたい」
「いいわよ」
私のことをどう思っていたかがわかるなんて最高だ。むしろ、私からお願いしたかったくらい。
「この子にも、好きな人ができるといいわね」
膨らみが目立ってきたおなかを撫でながら言う。
「そう、だな」
口ではそう言いながらも、どことなく嫌そうな顔をする。
「どうしたの?」
「どこの馬の骨ともわからないやつにはやれないな。少なくとも、俺より強くないと」
「男の子かもしれないわよ」
「それでもだ」
すでに親ばかのようなものを発揮しているヴィーカがかわいい。
「あとは、あれね。私みたいなおかしな告白をして後悔しないようにしないと」
今では笑いものだが、少し前までは引きずっていた。
「そうか?俺は、あれがあったから今があると思うが」
「なら良いけど」
私は肩をすくめて笑う。
前世の私からした、物語の中のような世界に私は生きていく。
そして、どうしようもない幸福に溺れるのだった。