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俺ってやつは悲しみに浸りたいのにどうしようもなくパトスがあふれてしまう

  1


 クラベとニディに案内されて、俺たちは謎の物質でできた通路を進んだ。

 謎の実験室に案内される気分だ。

 俺はこのドワーフ二人に、体の隅々まで調べられる…。

 想像したくないな。

 女の子がって置き換えると、想像したいような…。でも、グル子やポチやリアやレムが調べられるのは、いやだ!

 もちろん、カーラも。

 俺が調べるのなら、いい!

 まだ耐性が足りないから、実行できないけどね。

 想像するくらいいいじゃないか。

 ちょっと歩き難くなってきたので、変な想像は止めておこう。

 ハンターが俺を見つめている。

 否!

 俺の股間を見つめている!

 やめて!

 俺は近くにいたレムの後ろに隠れた。

「アオちゃん、どうしたの?顔が真っ赤よ?」

 レムが心配してくれている。

 けど、説明はできません!

 思春期なんだから、色々勘弁してください!

 なのに…。

 柔らかいものが俺の背中に触れた。

 ポチだ。

 俺の股間の息子が落ち着く間を与えてくれない!

 グル子が俺の腕をとった。

 当たってる!

 リアが反対側の腕をとった。

 だから当たってるって!

 レムが微笑ましそうに見ている。ようにも見えるけど、やっぱりその笑顔に陰りがあるように思えるのは、俺の勘違いではないはずだ。

 だって、いつものレムなら、皆と同じように俺に引っ付きに来るもの。

 右に曲がり、もう一度右に曲がると大きな広間に出た。

 振り返って、何か視界に違和感がある。

 俺は引き返して壁に近づいた。

 つもりだったのに、何かに頭をぶつけた。

 よく見ると透明な壁がそこにある。

 いや、透明じゃない。向こう側が見えているんだ!

 壁の裏側から見ると、素材のよく分からない壁だ。そしてこちら側から見ると、さっき通った通路が丸見えだった。

 不思議に思って壁を触っているとくぼみのようなものがある。触れなければわからないものだ。

 急に、そのくぼみが動いた。穴に変わってる!

 クラベかニディかどちらか分からないけど、俺の隣に来てニヤついた視線を送っていた。

「外敵の侵入を許した時、ここで迎撃するためのものだ」

 この声は…クラベに違いない。姿の違いはまだ分からないけど、声の違いは分かり始めた、気がする。

 とすると、この穴から槍でついたり、魔法を放ったりするんだろうなぁ。

 俺はへ~ボタンを押しまくった。もちろん、空想の、だけども。

 何より驚くのはこの透過する壁だ。まるで取調室のマジックミラーみたい。

 いやいやいや。

 俺としたことが、例えを間違った。

 確かに映画で取調室はよく出るけど、あんなガラスっぽいものじゃない!

 ちょうどいいものがあったじゃあないか!

 あの有名なアニメがあった!

 ドーム状の建物に入ると、中からは外の景色が見えた、あのアニメだ。最後は巨大な木が持ってくやつだ。

 ロボットがお墓を守ってたり、ヒタキの巣を守ってたりした、あの空中都市だ。

 ビックリして俺の思考回路がショート寸前だったよ。月に代わってお仕置きよ!

 外敵ってやっぱりジュエルイーターだよね。その対処のためにこんな場所まで作るなんて、ドワーフの技術ってすごそうだ。

 飛行石があれば空中都市も造っちゃうんじゃないかな?

 ポチが俺の腕を引っ張った。

 ポチにとっては、ここはつまらない所らしい。出口に向かって、俺を引きずった。

 外は巨大な空間だった。

 ヴィブラニウムの採掘場か、巨大ドラゴンの巣か、地底都市…。

 近未来的なものを取り除いた採掘場が一番近そうだ。

 実際、採掘場なのかもしれないけど。

 いくつもの建物が見える。

 下の方に川まであった。

 さすがに海はないな。地球の中心に別の生態系があったって映画のようなことはない。体験したい人は某有名ランドへ行ってみよう。っていまだにあの映画のアトラクション、あるのかな?

 まあ、もう二度と行けない身になったので、どうでもいいや。

 ほの暗い空間だ。あちらこちらに照明があるので、真っ暗ではないし、足元もちゃんと見える。

 でも、ダンジョンの中層の安全地帯のように、天井に光る巨大なクリスタルもない。このダンジョンにも出会いはあるかもしれないけども。

 日の光もなしで、ドワーフはよく生活できるな…。

 火の光はあちらこちらから見える。

 トンカン音も聞こえる。

 なんか、ファンタジーのドワーフの町って雰囲気だ。思ってた通り。

 って痛っ!

「ポチ!」

 俺が怒ると、ポチは手を離して駆け降りて行った。

 俺はオケツをさすりながら立ち上がった。斜面を少し落ちたらしい。

 どうやって上ろうかと思案していたら、グル子が手を差し伸べてくれた。

 俺はグル子の柔らかい手につかまって、引き上げてもらった。

 脚力だけでなく、腕力もあるのね。

 俺は感心してグル子を見つめた。

 おっと。お礼も忘れずに。

 グル子の微笑みがまぶしい!

 誰かが俺のオケツをさすってくれた。

 ってアーディングかい!

 俺は飛び跳ねて離れた。

 まったく!油断も隙もあったもんじゃない!

 ハンターも来なくていい!

 ドワーフの兄弟まで…。

「大丈夫!なんともない!」

 俺は不届きな奴らを近寄らせないために、無事だとアピールした。

 オケツがヒリヒリするけど、ばれたら大変なことになる!

 貞操の危機だ!

 騒ぎを聞きつけて、ドワーフたちが集まってきた。

 ほとんど見分けがつかない。

 よくよく見ると、体型の違いとか、髭の長さの違いとか、髭の無いのが…と思ったら、胸が膨らんでる。女性のドワーフは髭がないのね。

 ドワーフの女性は、多少筋肉質だけど、やっぱり出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでる。

 もちろん個体差はあるけど、魅惑的だ。肌の露出が多いせいもあるのかも。

 ドワーフの女性も仲間にできるといいなぁ。ついでに鍛冶の技量も持っていれば、言うことなし!

 クラベが同族たちに、俺たちのことを説明した。

 皆、大変だったなと、同情してくれる。

 出て行けなんて言われない…。

 いい所だ…!

 俺、人族にだけ嫌われてるのかな?

 そのうちに、機会があったら、別の町に行って確認してみなきゃ。

 俺たちはクラベとニディの住まいに厄介になった。近所の人たちが食材を持ち寄ってくれて、豪勢な食卓になった。

 地上で食べるものと大差ない料理だ。特に変わったものは無い。

 映画だったら、虫の料理だったり、サルの脳みそがデザートだったりするけど。まあ、どちらもドワーフとは関係ない。異郷の料理ってことで。

 地中奥深くだけど、ここで取れる食物もあるらしい。家畜までいるって。

 何よりすごいのは、上下水道の観念があったことだ。

 ことさら触れなかったし、汚い話だから避けてたけど、この世界って、共同の、ボットン式があるだけ。当然臭いし。

 洗浄機能は無くとも、水洗なだけで、なんかきれいで臭わない気がする。

 飲み水も各家庭に届いている。水汲みは必要ない。当然、水瓶もない。

 魔導具を利用しているので、手をかざすと自動的に流れる。

 なんと便利で、近代的なんだ!

 俺、ここに住みたくなっちゃった。

 でも住まないけどね。

 ドワーフの兄弟に寝込みを襲われたくないもの。

 朝目覚めたら、サンドイッチ状態なんて嫌だ。しかも裸で。

 ………。

 想像するんじゃなかった。

 鳥肌が止まんない。

 俺が関わらないのなら、男同士も別に何とも思わないんだけどね。

 やおい本…例の薄い本も、実は読める人だったりしました。

 でも俺自身がそういう世界に入りたいとは思わない。

 俺は女の子がいいんだ!

 どっこいしょ。

 その話は置いておいて。

 問題は、この後どうするか、どうなるか、だ。

 クラベとニディに、ジュエルイーターは自然消滅するのか聞いてみた。

 生き物は数が増え過ぎると食糧問題で滅びる。ジュエルイーターもあの数では生きていけないと思うんだ。

 でも、ニディの返事は俺の期待を裏切った。

「今は増殖期だ。それに、餓死したのを見たことがない。減らないと考えた方がいい」

 困ったことになった。

 いつまでもここに滞在するつもりはない。

 俺はやっぱり日の光が恋しくなると思うんだ。

 それに、ここは別の意味で危険だし。

 となると、どうにかして、あのすし詰め状態を突破しないといけないんだ。

 発生源を駆除できれば、あるいは何とかなるかも。

「どこから発生しているか分かる?」

「ああ」

 俺の質問に、クラベが短く答えた。

 分かるなら話は早い。

 まずその場所を教えてもらい、そこへたどり着く方法を編み出す。

 きっと魔法陣がいっぱいあるから、それを消して回る。

 後は、狭い通路を利用して、駆除し続けるだけだ。

 なんとなく方向性は見えた。

 クラベとニディが発生源を図解で教えてくれた。それを頭に叩き込む!

 異世界にスマホがあると、こういう時役に立つよね。スマホ欲しいなぁ。

 問題は、どうやってそこへたどり着くか、だ。

 フォースに導かれて…。なんてことはなさそうだし。

 通路いっぱいにバリアでも張って、封鎖できれば、何とかなるかも。

 絶対不可侵領域!

 ○Tフィールド!

 カーラに尋ねてみたけど、バリアは張れないらしい。全属性使えるようだけど、攻撃特化なのね。

 今の仲間にはできないことを、できるようにする必要がある。

 となると、方法は一つだ。

 こんな危機迫らない状態で発動できるのかは、やってみなきゃわからないけど。

 俺はレム一人を誘って外に出た。

 何かが起こっては困る。

 とりあえず、ひと気の無い所を探してさまよった。

 だいぶ歩いて、やっとのことで、川を下った先にある無人の場所を見つけた。

 ここなら少々何があっても問題ないだろう。

 ここなら、何しても、見咎められないだろう。

 エロいことするんじゃないよ?

 でも、なんか、人に見られたくないじゃない?

 恥ずかしいじゃない?

 レムの顔を見ると、俺は恥ずかしくなった。

 きっと耳が赤くなってる。火照ってるからわかる。

 俺は恥ずかしさをごまかすために、レムに説明した。

「これからレムの進化を促そうと思う」

 そう。それは間違っていない。

 だた、進化を促すには、その、あれをしなきゃいけない。

 ………。

 あーもう!

 分かったよ!

 はっきり言うよ!

 キスしなきゃいけないんだ!

 もう、顔も真っ赤だな。きっと。

 俺はしどろもどろに何か説明した。けど、俺自身、何を言ったかよく覚えていない。

 このシチュエーションにも、緊張してしまう。

 誰もいない場所。

 まるで校舎裏とか屋上に呼び出して、告白するみたいじゃないか。

 そう思ったら、言葉も出ない。

 キスを迫るって、やっぱり、そういうことでしょ?

 告白と一緒でしょ?

 でも、何とか口を開いた。

「とととととにかく!キキキスすりょ」

 舌かんだ!

 レムが微笑んだ。

 俺も見つめた。

 でも、一歩近づく勇気が出ない。

 レムが嫌いだから勇気が出ないんじゃない。好きだから、恥ずかしくなるんだ。

 俺を受け入れてもらえなかったらどうしようとか、俺の空回りだったらどうしようとか、拒絶されたらどうしようとか、考える必要もないことまで、頭の中で渦巻いてる。

 条件は見切った、みたいなこと言ってたけど、間違ってたらどうしよう。

 キスしても何も起きなかったら?

 実は、あの危機的状況も条件の一つだったりして…。

 不安が俺の足を石に変えた。

 レムの顔が近づいてきた。上から覆いかぶさってくる。

 レムは俺より背が高いんだ。当然ともいえる。

 あの有名な映画のように、階段の上に立つべきだった。段差を利用して、高さを合わせるんだ。

 で、男性からキスをする。

 でも、あれって、あの俳優だからできたシーンだよね。

 その俳優、映画にはあまりでなくなって、パーキンソン病と戦っていたところまでは覚えている。

 レムの顔が目の前にあった。

 俺からキス…。

 これが俺には無理そうだ…。

 と思っていたら、レムに唇を奪われた!

「俺がリードするつもりだったのに、頭が真っ白になって何もできなかった」

 俺は状況を理解するまで、だいぶ時間がかかったように思う。



  2


 長いキスだったように思う。

 硬いはずのレムの唇が、柔らかく、とろけそうに感じた。

 進化を果たし、柔らかい唇を手に入れたんだ。

 俺はそう思った。

 でもすぐに間違いだと気付いた。

 目の前のレムに変化がない。

 鉱物の唇だ。

 同時に、俺は悔いた。

 やっぱり間違えていたんだ…。

 何か、条件が足りなかったんだ…。

 俺は必死になって、何が足りないのか探した。

 危機的状況。

 その一つしか思い当たらない。

 やっぱり死ぬ間際でないとだめなのかも。

 俺は同じようなことをグルグルと考えていた。

 だからすぐには気付けなかった。

 レムが背を向けた。

「待って!レム!もう一度!」

 俺は一縷の望みを、再トライにかけた。

 このままでは終われない。

 でも、レムは振り向かなかった。

 俺は不審に思って、回り込んだ。

 レムの頬を、大粒の涙が伝い落ちていた。

 俺はなんて声をかけていいか分からなくなった。

 レムは無理に笑顔を作った。でも唇が震えている。

「アオちゃんは私のこと、愛していなかったのね。やっぱり姉のように…」

 レムの声が震えていた。

「そんなことない!確かに、きれいなお姉さん的には思ってるけど!俺の気持ちは…」

「じゃあちゃんと言って!」

 レムが珍しく、声を荒げた。

 俺は思わず怯んだ。

「ほらやっぱり…」

 レムが暗い笑みを浮かべた。伝い落ちる涙が俺の何かに突き刺さる。

 刺さった何かが、俺の思考と手足の動きを妨げた。

 俺は気付くと一人取り残されていた。

 いつの間にか、俺も泣いていたらしい。

 俺は袖で涙をぬぐった。

 まさかこんな結末になるなんて、思いもしていなかった。

 言わなくても、相思相愛だと思っていた。

 なのに、俺はレムにふられたんだ。

 レムは俺のものだと思っていたのは、思い上がりだったんだ。

 この悔しさが、誰もいなくなって空しい空間が、俺にその事実を突きつけている。

 俺はこんなにも、レムを慕っていたのに。

 そう思うと涙が止まらない。

 確かに、姉のように思う気持ちもないとは言えない。けど、それ以上に、きれいなおねぇさんとして憧れていた。

 レムも肉体を得て、俺と親しくしたいのではと思っていた。

 それが間違いだったから、こんな結果なんだ。

 思い上がりだったんだ。

 俺は恥ずかしくもなった。

 全ては俺の勘違いだったんだ。

 それなのに、俺はレムに強要して…。

 グル子やポチのストレートさが、当たり前と勘違いしていた。

 リアも俺に好意があるからこその、エロいテロを仕掛けて俺に鼻血を出させているんだと思ってた。

 でももしかしたら、寵愛のスキルでつながっているだけなのかも。

 それは主従関係に過ぎなかったのかも。

 主人の俺が望むことを、皆がしてくれていただけなんだ。

 俺はモンスターテイマーで、テイムした相手に疑似恋愛していた、痛い奴でしかないんだ。

 俺は醜態をさらし続け、グル子やポチやリアやレムに無理強いしていたんだ。

 恥ずかし過ぎて、もう皆の前に出られない。

 何をしていいかもわからない。

 だって、俺の信じてきたすべてが、覆ったんだ。

 これからどうすればいいんだ。

 まだ衝撃的過ぎて、これからどうしたらいいかもわからないし、考えることもできない。

 もう、ヒーローになりたいだとか、俺の願望も一切浮かばない。

 ただただ、消えてしまいたい。

 けっして、闇の魔女の精神攻撃を受けて、暗い思考になっているわけではない。

 だから解説と実況の神様が助けてくれることもない。

 俺はこれから、今までの恥ずかしい自分と対峙しないといけないと思うと、気が重くなる一方だ。

 もう、誰にも顔を合わせず、逃げてしまおうか。

 その時の俺は、それが不可能なことをすっかり忘れていた。地底の閉ざされた空間だ。どこにも逃げ場なんてなかった。

 とはいえ、実際は逃げることもできなかったんだけど。

 俺は急に頬が痛んで、ビックリした。

 痛む頬を手で押さえ、顔を上げると、俺を睨み付けるカーラがいた。涙でぼやけていたけど、カーラで間違いないと思う。

「あんたバカね!さっさと追いかけなさいよ!」

 カーラが何か言っている様子だけど、俺の耳には届いていなかった。と言うか、頭が働いていなくて、理解できなかった。

「あーもう!敵に塩を送るなんて…」

 だとか、

「こんな奴どうだっていいんだけど!」

 などと言っていたことは、後になって、冷静に思い返したことなんだ。

 冷静だったら、突っ込まなきゃいけないよね。俺、誰もいないところにレムを連れ出していたはずなのに、なんでカーラがいるの!

 でも冷静じゃなかったから、そんなことも気付かない。

 カーラはレムを悲しませないための行動をとっていた。

「あんた女の子の気持ち、全く分かってないわね!あーもういい!バカが考えても答えなんて見つからないわ!さっさと追いかけて!あんたの気持ちをはっきりさせなさいよ!意気地なし!」

 全ても見ていたようなことを言う。

「言わなくても伝わってるでしょ。だって、ねぇ?」

 俺の寵愛スキルでつながっているんだもの。俺は分かりきったことを聞くなとばかりに答えた。

 伝わっているのに、あの反応と言うことは、俺の勘違い、思い上がりだったってことだ。

「このわからずや!」

 カーラが俺の、反対側の頬までぶった。

「痛い!」

「こんなバカをライバル視してたなんて…」

 カーラが呟いた。これは偶然聞き取れただけで、俺に聞かせるものではなかった。その証拠に、俺が聞いていたことに気付くとカーラは顔を赤く染め、俺の頭を杖で叩いた。

 目が怒ってる!

 でもおかげで少し冷静になれたかも。

 岩の陰から、あれ、隠れてるつもりなのかな?マリアの頭が覗いてる。

 あれは隠れる気はないね。ポチが反対側の岩の上に立っていた。

 俺は恥ずかしくなって、視線を泳がせた。

 その先に、グル子までいる。

 岩の影が光ってる…。きっとアーディングだ。

 となると、見えないあの陰に、ハンターがいるに違いない。

 呆れて上を見れば、リアが飛んでる…。

 全員いるんかいっ!

 全部見てたんかい!

 俺の醜態を!

 俺に見つかったことに気付いて、マリアが出てきた。

「ねぇ。あたしのことをどう思う?好き?嫌い?」

「突然何を…」

「いいから答えなさい」

 俺は気圧されて、

「好きか嫌いかなら、好き…」

 と答え、言い終わる前にマリアは次の質問をぶつけてきた。

「愛してる?」

「愛してない!どっちかっていうと、お母さん?」

「あら」

 マリアが照れた。すぐに真顔に戻る。

「じゃ、この子のことは?」

「なんで私!聞きたくないわ!」

 マリアに指差されたカーラが抗議した。

「正直に答えて」

 言い淀む俺に、マリアは言った。妙な凄みを感じて、俺は抵抗できなかった。

「好きです。美人だし」

 マリアは無言で、グル子を指差した。

「愛してる!」

 俺の勘違いであったとしても。

 マリアの指が動く前に、ポチが飛んできた。

「俺のことは?」

 自分で聞くんかい!

 面と向かってだと、非常に恥ずかしい。

 そういえば、皆に見られてる…。

 視線が痛い!

 でも、答えないとマリア…だけじゃなく、ポチも許してくれそうにない。

「愛してる…」

 俺は小さな声になった。

 聞かれると恥ずかしい。

 今更だけど。

 ポチが俺の腕にしがみついた。

「俺も愛してるぜ」

 男前なセリフを、ポチは俺の耳元で囁いた。

 なんか、とろけそう…。

 このままポチに抱かれてもいい…。

 いつの間にか、グル子も俺に触れていた。

「私も愛してます」

 その奥ゆかしさがたまらない!

 抱きしめたい!

 俺の目の前に、リアが着地した。

「愛していると言いなさい。さもなければ呪うわよ」

 恐ろしいことを言うリアだけど、目が笑ってる。あれで冗談のつもりらしい…。

「ああ、もう。愛してるよ、もちろん!」

 俺の返事に、リアが抱き着いた。

「麗しの君!私のことは?」

「愛してない!」

 俺は振り向きもせずに答えた。なんか横で身悶えする声が聞こえるけど、無視だ。

「私のことは?友情以上のものは?」

 ハンターがいつの間にか現れていた。

 やっぱりいたのか…。

「まあ、頼れる友人ってところかな」

 間違ったことは言ってない。そして、ハンターの秘めた?あふれる気持ちに応えることはできない!

「今はそれで良しとしましょう」

 ハンターはやっぱり紳士だ。

 まさか…ドワーフの兄弟まで湧いてこないよね?

 見渡したら、いたよ…。

 でも、遠巻きに見ているだけで、入ってこなかった。

 俺は安堵した。

 あの二人まで入ってこられたらややこしいったらありゃしない。

 それに、この場はいったい何なんだ?

 俺はもう訳が分からなくなっていた。

 マリアの質問の意図が読めない。

「好き、愛してる。この言葉に違いはあるのかしら?」

 マリアが慈しむように俺を見ている。

 それは、俺の気持ちの大きさの違いかな?

 でも恥ずかしくて口にはできない。

「分っているようならいいわ」

 マリアには見透かされたようだ。

 さすがおかん!

「じゃあ聞くわ。レムのことはどう思っているの?」

 俺の勘違いを、身をもって示したレム。

 俺はふられたんだ。

 でも本当にそうなのかな?

 同じく勘違いだと思ったポチが豊満な胸を押し付けてくる。この笑顔が偽物なんだろうか?

 グル子が心配そうに見つめてくれてる。

 リアが胸元を広げてみせようとしている。

 リアはちょっと信じきれないけど、とにかく、ポチやグル子のこの態度が、偽物なんだろうか?

 俺の勘違いなんだろうか?

 俺は不安になった。

「女の子ってね、その言葉を聞きたいの。例え分かっていても。愛してるの一言を聞きたいの。でないと信じられなくなる時があるのよ」

 マリアが諭すように言った。

 確かにそうかも。

 女の子じゃないけど、俺も今、聞きたいんだもの。

 さっき、みんな、それぞれに言ってくれたけど。

 それ、本当?

「ね。俺のこと…」

 本当に聞いていいんだろうか?

 後悔しそうで怖い。

 出かかった言葉が胸につかえた。

「愛してるぜ」

「愛してるわ」

「身も心も捧げます」

 リアがとんでもないことを言っているような気がするけど、俺の口に出なかった質問を察して答えてくれた。

 その言葉がどれだけ俺の胸に、温かく響いたことか。

 俺は目頭が熱くなった。

 実際、涙も出ていた。

 皆の顔がぼやける。

「それが分かるのなら、行っておやり」

 マリアが優しく言った。

「とっとと追いかけなさい!この意気地なし!」

 カーラはそう言って、杖を振り上げた。

 痛いのは勘弁!

 防御にステータス極振りしてないからたまらん!

 俺は逃げるように走り出した。

 さっきまで動かなかった足が、今は軽い。

 グル子もポチもリアも、今回はレムに譲るらしく、俺を追いかけて来なかった。

 ドワーフの兄弟が指差している。

 そっちに行けってことか?

 ドワーフの兄弟が頷く。

 ありがとう!

 俺は二人の前を駆け抜け、レムを追いかけた。

 レムはこの初めての地で、どこへ向かったのだろう?

 考えても分からないので、俺はドワーフの兄弟が示した方向へひた走った。

 レムの姿は見えない。

 それにしても。

 思い返してみても、俺、さっきの状況、めっちゃ恥ずかしいんだけど?

 俺とレムだけだったはずなのに、結局皆ついてきてたんだ。

 一体どこからどこまで目撃されたのやら…。

 考えただけでも恥ずかしい。

 顔から火を噴きそうだ。

 でも、いいこともあった。

 改めて、グル子の想いが分かった。

 ポチの真っ直ぐな気持ちも。

 リアはいまいちわからないものの、あれはあれで、俺に身を心も捧げるってのは、あながち間違っていないのかも。俺を想っているって気持ちを、変な言い方にしたと思えば…。

 気になるのは、カーラの言葉だ。

 敵だとか、ライバルだとか…。

 一体何のことやら。

 まあ、分からないことは放っておく。

 そしてもう一つ、ありがたいことに気付いた。覗かれたのは恥ずかしいけど、皆に感謝しなきゃいけない。

 俺一人だったら、レムを追いかけることはなかったと思う。

 追いかけたとしても、しばらく経った後で、恋愛アニメのように、気持ちがすれ違ったんだろうな。

 念じれば相手に気持ちが届くなら、どれほど楽なことか。

 届け!届け!って祈り続けるよ。あのアニメは届いたけども!

 もしかしたら、追いついても気持ちがすれ違うかもしれない。

 それでもいい。

 俺の気持ちを伝えるんだ!

 それでふられるなら、それでいいじゃないか!

 俺の気持ちも吹っ切れていた。

 それもこれも、みんなのおかげだ。

 カーラが頬をぶってくれたから、俺は動けるようになった。

 マリアが諭してくれたから、俺の足りないところに気付けた。

 グル子やポチやリアが気持ちを伝えてくれたから、自分の気持ちを口にする大切さに気付けた。

 レムに追いついて、とにかく俺の気持ちを伝えなきゃ。

 でなければ、もう俺の気持ちが、あふれておさまらない。

 いっそのこと、フラれた方がすっきりするさ!

 それに、進化の条件。

 もしかしたら、俺が愛していると伝えることが、条件の一つだったのかも。

 皆切羽詰まった状況だったから、記憶があやふやだけど、たぶん、言ったはず。

 それに、それでだめなら、危機的状況の時に再チャレンジすればいい。

 もちろん、レムが許してくれるなら、だけどね。

 レムが俺のことを、そんなふうに想ってくれてなかったら、その時は諦めよう。

 レムは俺の姉的存在でもあるんだ。

 それでもいい。

 それに、だ。

「ここは世界の中心かどうか分からないけど、愛を叫ぶにはちょうどいい」

 そう思わないかい?

 やっと俺らしい思考に戻って来たな。



  3


 ほどなくして、俺はレムに追いついた。

「レム!」

 俺は呼びかけたものの、次にかけるべき言葉が思い浮かばなかった。

 さっきのことを詫びなきゃ。

 言い訳もした方がいいかな。

 ああ、でも、なんて言えばいいんだろう?

 振り向いたレムの頬に、涙が光った。

 涙が宝石のように輝いて見えた。その輝きは俺の心に突き刺さり、抜けない刺になった。

 男は女の涙に弱いっていうけど、その通りだと思う。

 涙を流すレムが美しいと思うと同時に、レムを泣かしちゃダメだとか、レムを抱きしめたいだとか、一杯気持ちがあふれちゃった。

 気持ちがあふれるばかりで、言葉は出て来ない。

 この気持ちが届けばいいのに…。

 レムに、届け!届け!届け!

 胸が苦しい。

 俺は何をやってるんだ!

 レムに気持ちを伝えるんじゃなかったのか!

 自分自身を叱咤する。

 でも、口がパクパク動くばかりで、声は出なかった。

 やっと声が出ても、

「あの」

 とか、

「その」

 とか、

「えっと」

 なんてのばかり。

 レムが悲しそうに微笑み、踵を返した。

 俺から遠ざかって行く。

 待って!

 俺は言葉にならない声を発していた、と思う。俺自身には自覚がないんだもの。ちゃんと待ってって言ったつもりだもの。

 でも、レムは止まらない。

 このまま終わってしまうんだろうか?

 ダメだ!

 今からでも、叫べばいいじゃないか!

 そう決心していたんだろう?

 でも!

 フラれてもいいと思ったんじゃないのか?

 でも!

 そんなこっぱずかしいこと!覚悟する時間をくれよ!

 いつまで?いつまで待っても覚悟なんてできるもんか…。

 自問自答している間に、レムが遠ざかっている。

 ダメだ!

 このまま行かせたら、本当にダメになる!

 俺の頭の中で、何かが警鐘を鳴らしてる。

 うるさすぎて、俺は何も考えられなかった。

 その代わり、勝手に手足が動いていた。

 気付いたら、俺はレムに追いすがり、手をつかんでいた。

 でも、レムだよ。

 俺の力じゃ止めることもできない。

 引きずられ、手が離れそうになる。

 今離したら終わりだ!

 そう思った次の瞬間、レムの顔が俺の目の前にあった。

 すぐには状況が呑み込めない。

 レムが驚いた顔をしている。

 俺もだよ。

 何がどうなった?

 自分でとった行動が、まるで分らない。

 俺は何をやらかした?

 でも、とりあえず、離れたらダメだ!

「離して!」

 レムが俺を引きはがそうとしている。

 俺は離れまいと、しがみついた。

 俺の両足が、レムの体を抱き込んで、しっかりとつかんでいる。

 俺の両手が、レムの肩と首に巻き付いている。

 うん。

 どうやら、俺はレムに、正面から抱きつ…しがみついているらしい。

 どうしてこうなった!

 余計に恥ずかしい状況じゃないか!

 なんだこりゃ?

 女の子にしがみつくって、どういう状況だよ!

 俺はどこぞの駄々っ子か!

 恥ずかしいなぁ、もう!

 なんか、柔道家の女の子のセリフが出てきたな。柔道家のおじいさんが、

「国民栄誉賞ぢゃ!」

 って孫娘をテレビ局に売り込んだりする。

 それはさておき。

 しがみついた以上、もう後戻りはできない。

 離したら終わりだ!

 さあ、言うべきことを言うんだ!俺!

 いきなり愛を語ってもまずいよね?

 まずは…謝るべきかな?

 しがみついちゃってごめん。

 さっきはごめん。

 ああ、でもちゃんと説明もしなきゃ!

 謝ろうとして、言葉がこんがらがる。

 はぁ…。

 まずは落ち着け、自分。

 ほんと、俺って不器用だな。

 そうだよ。

 まずは餅つけ、自分、だろう?

 自分の思考にツッコんでる場合じゃないな。

 言いなおしのギャグほどつまらないものは無い。

 じゃなくて。

 レムの頬を、涙が伝い落ちた。

 俺の胸に何かが突き刺さる。

 気付いたら、俺はその涙に口づけしていた。

 俺ってなんてことを!

 某イケメン俳優くらいしかやらないぞ!こんなこと!

 検事でヒーローになったからって、確かにあこがれはあるけど、マネできるかい!

 ってやっちまってから言っても説得力のかけらもないな。

 いっそのこと、いつものバーテンダーが出てきて、

「この状況を打破できるものって、無いよね?」

 って聞いたら、

「あるよ」

 って無愛想な顔のまま、通販アイテムを出してくれればいいのに。

 じゃなくて!

 俺はどこまで暴走すればいいんだ?

 レムが困った顔をしている。

 と言うか、驚きすぎてどうしていいか分からないって感じかな?

 よし、言い訳も何もなしだ。

 このままたたみかけろ!

「レム。俺が悪かった。俺を見限るのなら、それでもいい。でも、俺の気持ちは伝えておかないと気が済まないんだ!」

 意外とすらすら出やがった。

 なんでやねん!

 と自分に苛立ちつつ。

 俺はレムの目を見つめた。

 内心の苛立ちが消えた。

 あふれそうな気持は相変わらずある。

 でも、胸の苦しさが変わったように思う。

 このまま、胸のつっかえをあふれさせればいい。

「愛してる」

 俺は言った。

 一度口にすれば、あふれ出てくる出てくる出てくる…。

「レムを必要としてる。いつも君を求めてる。傍にいて欲しい」

 ふっるい映画であった口説き文句だ。もう、タイトルも内容も思い出せない。

 たしか、元は英語だし、どうしてこれが出てきたのか分からない。でもきっと、今の俺の気持ちに沿った言葉だったから、だろうな。

 アイラブユー。アイニージュー。アイウォンチュー。アイウィズユー。

「愛してる」

 俺はもう一度言った。

 レムの目から、涙があふれ出た。

 あれ?

 なんで?

 俺、泣かすようなこと言った?

 泣かないで!

 俺が悪かったから!

 俺は手を、足を緩めた。

 でも離れられなかった。

 レムに抱きしめられている!

 いつの間に!

 宙ぶらりんなのも困るので、俺はレムの肩につかまった。

「レム?」

「どうして初めから言ってくれないのかしら?意地悪な人」

 レムが抗議した。

 その言い方が妙に色っぽいので、俺は真っ赤になって、硬直した。

「私も愛しています」

 レムが言った。

 いつもの大人びた言い方ではなかった。

 でも、それが、俺のハートに突き刺さった。

 もう、メロメロです。

 石化されてます。

 女帝様!

 キスは、レムからしてくれた。

 レムの唇が俺のそれに触れる。

 硬いとは思わなかった。

 鉱物のはずの唇が、どうしたことか、柔らかい、甘い唇に感じた。

 唇の余韻を味わう。

 こんな、抱きかかえられたままのキスなんて、初めての経験だ。

 上から覆いかぶさるようなキスも、当然初めてだ。

 でも、心地いい。

 俺はレムの背中に手を回した。

 レムはきっと、俺の鼓動を聞いているんだろうな。

 唇からも、体中からも響くはずだ。

 早鐘のようにって、昔よく言ったけど、火消しのめ組じゃあるまいし、鐘はともかく。

 熱いビートを刻んでいるぜぇ!

 そろそろツッコミが欲しいな。

 と言うか、息してないよね、俺たち。

 うん。

 さっきからおかしいと思った。

 恋愛アニメだと、長いシーンになるけどもよ。実際やったら、窒息するよ?

 じゃあ何でまだキスが続いているかって?

 俺の頭の奥に響く声を聞けば、分かるわな。

『条件を満たしました。対象を進化させますか?』

 うん。時間が止まってたのね。

 なんか、ちょっと損した気分。

 もっとこう…、情緒と言うか…、なんと言うか…。

 まあいいや。

 当然、進化に決まってる!

 レムは皆を守る存在だ。その力が欲しい!

 同時に、柔らかい肉体も欲しい!

 俺は念じながら、胸を押し当てた。

 懐に手をねじ込めない状況だもの。

 これが使えてくれることを祈る!

 懐に何があるかって?

 賢者の石さ。

 レムがまばゆく光った。

 俺は目を開けていられなくなる。

 レムを離したくない!

 俺はレムをしっかりと抱きしめた。見えないといなくなりそうだ。レムを失わないよう、抱き留めておかないと。

 でも、触れている感触がない。

 俺の腕の中に、絶対に触れることのできない領域がある。確かにそこに何かある。

 でも感触はなく、その空間がレムであるとさえ、認識できない。

 俺は不安になった。

 その不安が、俺の視界を奪った。

 突如として目の前が真っ暗になったんだ。

 視界だけじゃない。

 呼吸もできず、俺はもがいた。

 手が柔らかいものに食い込んだ。

 何か色っぽい声が聞こえたような気がする。するけども、俺はそれどころじゃなかった。

 窒息する!

 口に空気が触れた。

 慌てて吸い込む。

 呼吸ができると、急速に落ち着きを取り戻した。

 何かいい匂い。

 手の柔らかいものは何だろう?

 指を動かすと、何か音が聞こえる。その音が妙に色っぽい。

 誰かが俺の体に触れた。すると、俺の視界が開ける。

 目の前に大きなふくらみ。そのふくらみを、俺の手がわしづかみにしている。

 何か分からず、指を動かして確かめる。

「アオちゃんたら、こんなところで…」

 耳の傍で、色っぽい声が聞こえた。

 すぐそこに、レムの顔がある。赤く火照った顔だ。

 レムの顔の下に、俺の腕が伸びていた。

「うわっ!」

 俺は驚いて手を離した。

「ごめん!そんなつもりじゃ…」

「そういうことは、ベッドの中で、ね」

 レムは俺を片腕で抱き留め、もう片方の手で乱れた胸元を正した。

 その仕草がまた色っぽい!

 元々、レムの胸は大きいと思っていた。硬くて、ただ漠然と思っていただけだ。でも実際に柔らかく弾力のあるものになると、迫力がまるで違う。

 俺はレムの凶器に当てられたようだ。

 鼻血が滴ってるもの!

 色っぽい声だもの!

 って、希望通り、柔らかい肌を手に入れたのね!

 俺はレムに触れた。

 胸じゃないよ?

 腕から肩に、そして、頬に触れてみる。

 柔らかく、温かい。

 指が吸い付くような肌だ。

 レムの見た目は…近影過ぎてあれだけど、鉱物ではなくなったこと以外、変化はなさそうだ。

 俺の体に触れているレムは、とにかく柔らかい。

 俺は恥ずかしくなって…でもレムから視線を外すことができなかった。

 いつもなら恥ずかしすぎて見ていられないのに、どうしたんだろう?

 ステータスを確認すると、ラトナヴァータラと言う種族に変わっていた。またよく分からない種族名だ。

 レムに触れている手に、硬い感触があった。

 レムがいつの間にか、鉱物の体になっている。

 ダイヤモンドか何かのように硬く、そして美しく輝いている。

 瞬きしている間に、元の柔らかい肌に戻った。

「え?なになに?」

 レムは俺をゆっくりと下ろした。

 レム自身も、自分の体を調べている。その手つきが、嬉しそうだ。

 また何かの鉱物に変化した。

 どうやってるんだろう?

「自在に変化できるみたいね」

 レムが言った。

 まったく新しい存在のはずなんだけど、俺はこの状況に見覚えがあるなぁ。

 前にも言ったと思うけど、とある映画の、あれはわき役だったんだけど、鉱物に変身する能力を持った女性だ。まだ能力者が特別な施設に集められる前の物語。まだ敵味方に分かれる前の物語だ。

 やっぱり、俺の思考が影響しているのかな?

 そんな気がするものの、答えの出る疑問ではないので、放置だ。

 俺の懐から賢者の石が消えていた。こちらはやっぱり、想定通りの影響を与えたと思う。

 俺の幸運に感謝だ。

 賢者の石があったからこそ、今のレムがあるんだ。

 さて、外見上は理想どおりだけど、他はどうなんだろう?

「他に何ができるの?」

 他の皆はピンチで変化したから、能力自体もその場で発揮していた。

 今回はそうじゃないから、事前に知っておくこともできる。

 それに、バトルものなんかで、後で進化した奴ほど、能力が多彩になる傾向がある。

 レムはその辺り、どうなんだろう?気になるじゃない?

「アオちゃんを守れるわ。もちろん、みんなも」

 レムはそう言っただけで、能力の披露はなかった。

 俺が不満そうな顔をしていると、レムは俺を抱き寄せ、豊満な胸に俺の顔を押し付けた。

 真っ暗だ…。

 そうか。さっきはこの状況だったのね。

 それにしても…。

 苦しい!

 恥ずかしい!

 柔らかい!

 俺はどうしていいか分からず、硬直した。頭の中も真っ白だ。

 でも。

 何か…。

 気持ちいい!

 俺はレムの柔らかいものしか考えられなくなっていた。

「レムに色々な能力が欲しい気がしていたけど、この柔らかさを味わったらどうでもよくなった」

 俺も男の子だ。

 これには勝てん。



  4


 整理しよう。

 俺の頭が真っ白にされて、何も分からなくなってる。だから、状況の整理だ。

 まず、レムの進化は成功した。

 偶然手に入れた賢者の石が、うまい具合に作用した。

 レムの新たな能力はまだ分からないけど、今までのパターンなら、必ず防御に適したもののはずだ。

 某アニメのように、怪物に変身することはない。はずだ…。変身して欲しくないな…。

 今、レムはカーラにからまれ続けている。

 カーラは妙に赤い顔で…。

 気のせいか、レムの胸元に視線がチラチラと行ってないかい?

 レムの胸って、大きいのに形がいいよね。見たくなるよね。

 やっぱりカーラは俺と好みが合いそうだ。

 似ているから、カーラは俺に冷たくあたるのかな?

 でも俺はもう知っている。

 カーラの中にも、俺に対する気持ちが芽生えていることを!

 いつかきっと、デレてくれることを確信している!

 じゃなかった。状況を整理するんだった。

 ここはドワーフの国。

 対価を支払えば、武具や装飾品を作ってくれる。

 クラベとニディは、賢者の石が無くなったことを、非常に嘆いた。

「あれがあれば、お前さんたちの装備一式、責任もって作れたのだ」

 ちょっと嫌味のこもった言い草だったけども。

「アオトが体で支払ってもいいぞ」

 ニディの口髭によだれがついているように見えたのは、気のせいにしておこう。

 クラベもニディも、男でも女でも行けるらしい。

 ドワーフの兄弟と俺が、裸で戯れている図なんて、想像したくもない。

 そんなもの、誰トクだよ!薄い本でも髭面ではなく、美形同士でしょうに!

 いや、だからって、アーディングとハンターと俺の図も、俺はヤダよ?需要があるからっても、ヤだからね!

 俺のケツはまだ守り切っている!

 これからも守り切るぞ!

 時を…じゃなくて話を戻そう。

 武具や装飾品については、対価が手に入ってから考えよう。

 これからのことだ。

 クラベとニディが俺たちの寝床と食事を用意してくれる。だから生活には困らない。だけど、ずっとこのままという訳にはいかない。

 ここから出なきゃ、何も始まらないんだ。

 となると、あの大量のジュエルイーターをどう攻略するか、だ。

 魔法陣のありそうな場所は、ドワーフの兄弟から教わった。どうにかしてそこへたどり着いて魔法陣を消す。そののち、せん滅にかかる。

 これが大まかな戦略だな。

 ごり押しで突破するにしても、やっぱり何か欲しいな。

 ジュエルイーターは宝石に寄ってくる。

 そういえば、宝石を大量に持ってたな。

 この宝石を使って、どこかに誘導し、一網打尽…。

 悪くなさそうだ。

 どこに誘導すればいいか…。

 いい所があるじゃないか!

 後はどうやって誘導するか…。

 リアの能力が役に立ちそうだ。

 俺が思い描く方法を、リアが実際にできるか、本人に尋ねた。

「お安い御用よ。ベッドの中でもできるわ」

 そう言って、リアは俺をベッドに誘おうとする。

 いやいやいや!

 行きたいけども!

 行っちゃダメな気がする!

 まったく。悪魔のささやきだな。

 今回、グル子とポチは、せん滅戦が始まるまで温存だ。

「レム。あのジュエルイーターの大群を近づけさせないようにできる?」

「ええ。アオちゃんには傷一つつけさせないわ」

 俺の問いに、レムは即答した。

「俺たちが襲われることなく、発生源まで行ける?」

 レムは返事の代わりに、俺とレムを包み込む球体のバリアを張った。

 俺は感嘆しつつも、性能を試しておくべきと考えた。

 バリアを張ったままにしてもらい、グル子とポチに外側から攻撃してもらう。

 バリアはビクともしなかった。

 二人の強力な攻撃に耐えるなんて!

 素晴らしい!

「これ、どれくらい維持できそう?」

「アオちゃんに触れていれば、ずっと出来そうよ」

 レムは妙な条件を加えた。

 俺は疑うことなく、了承した。

 だって、これで攻略方法が見つかったもの!

 レムを進化させて良かった。

 これで簡単に打破できるぞ!

「じゃあ、俺とレム、それにポチとグル子で行こう。リアは安全な場所から影武者を使ってジュエルイーターをあそこへ誘導して」

 リアは事が終わった後、俺と一日デートするという条件で、一人残ることを了承した。

 デ、デート…。

 今は考えまい…。

 それはともかく。

 この布陣で何とかなるだろうか?

 皆強い。少々なら問題ない。

 けど、今回は敵の数が多すぎる。そのことが気にかかった。

 万が一にも、彼女たちを失いたくない。

 正直、もっと戦力が欲しい。

「私も行くわよ。彼女たちを誰が守れるっていうの!」

 カーラが主張した。

 確かにせん滅力のあるカーラはうってつけだ。けど、カーラ自身の身を守る術がない。

 カーラも俺と同様、レムに守ってもらえばいいか…。

「レム。カーラも守れると思う?」

「大丈夫。任せなさい」

 レムは請け負った。

「よし」

 貴重な戦力が一人追加だ。

「麗しの君!」

 アーディングが俺の前に跪いた。

「どうか、私にご加護を!そして、私にも参戦するチャンスをください!微力ながら、麗しの君の役に立ちたいのです!」

 俺の寵愛スキルを受けた四人はとんでもない強さだ。アーディングはその事実を目の当たりにしている。

 アーディングは己の非力さを、不甲斐なさを、陰で嘆いていたのだろう。せめて俺を守れる強さを、そして俺の傍に居続けたいとも考えている。

 嬉しくもあり、困った申し出でもあった。

 強い仲間はまだまだ欲しい。

 アーディングは己の力を過信し、私利私欲に走る…いや、私利私欲には走るけど、人を助け、俺にアピールするくらいだろう。害にはならない。

 エルフの隠れ里で起こったような悲劇は、起こらないと確信できる。

 今回は敵が多すぎる。さすがに今のままでは、アーディングは連れていけないのも事実だ。

 正直、ここへ来る道中のことを思うと、グル子やポチ、リアにレムの四人では、戦力不足に感じる。数の暴力に抗うには、もう一段上の強さが欲しい。あるいは、もっと多くの戦力が。

 強い仲間は是が非でも欲しい。

 ただ、寵愛だよ。

 寵愛を与えたら、別の意味で危険になるはずだ。

 俺のケツを守るためにも、むやみなことはできない。

「麗しの君が同意しない限り、貴方に手を出さないと誓いましょう!」

 俺の顔に出ていたのか、アーディングは自分から宣言した。

 確かに、放っておいたら勝手に俺のケツを撫でるやつだからなぁ…。

 でも、みんなが無事に帰れる確率を上げたい。ヒーローの屍が増えていくのは、悲しいもの。

 生きて帰ってこそ、ヒーローだ。

 もちろん、身を犠牲にして世界を救うヒーローも、まぎれもなく、本物のヒーローだ。英雄だ。

 ただ俺としては、彼女たちの誰一人として、欠けて欲しくない。

「その誓い、破るなよ」

 俺は渋々、アーディングを認めることにした。

「はい!」

 アーディングが輝く笑顔を放った。

 ま、まぶしい!

 俺は目を覆いながら、アーディングに触れた。

『対象を寵愛しますか?』

 はい。

『条件を満たしました。対象の恩恵レベルが上がります』

 いきなりかい!

 どんだけアーディングは俺にご執心なんだ!

 俺は思わずケツを隠した。

 本人は自分の変化に驚いて、俺の様子に気付いていなかった。

 アーディングの外見上は変化がない。けど、まるで神々しい雰囲気だ。光る君のようだ。

 光の戦士って、こんな感じなのかも。

 ハンターが俺を見つめている。

 まるで獲物を見る目だ…。

 いや、違うな。

 アーディングに与えたのなら、自分にも同じものを、と言う意志だ。

 その証拠に、ズズズイッとにじり寄ってくる。

 ハンターは紳士だけに、自分から手を出すことはない。

 けど、本当か?

 このまま放置してたら、唇を奪われそうだ!

 俺は一歩下がった。

「ハンターもか?」

 俺はため息交じりに、確認した。

 ハンターが頷く。

 俺は返事の代わりに、ハンターに触れた。

『対象を寵愛しますか?』

 はいはい。

『条件を満たしました。対象の恩恵レベルが上がります』

 お前もか!

 節操のない奴らめ…。

 ハンターも見た目の変化はない。あふれ出るなにかもなかった。

 ハンターが弓を構えた。矢はつがえていない。でも、弓を引くと光の矢が現れた。

「魔力の矢が打てるようになった」

 ハンターは冷静に分析した。

 威力は、ここでは試せない。

 引き絞った弓を緩めると矢は消えた。

 でも矢をつがえる必要がないのなら、連射速度が上がる。中衛として十分だ。

 いいぞ。これで成功率はだいぶ上がる!

 ちょっと気になることが思い浮かんだけど、気にすまい!

 ………。

 ダメだ…。

 二人に寵愛を与えることができたってことは、俺、その気が湧きつつあるってこと?

 いやだ…。

 勘弁してくれ…。

 本当に、考えまい!

 そうだ。

 レムの胸に抱かれたら、こんな気持ち、どこかに消し飛ぶはずだ。

 胸のことを考えよう!

 グル子はそこそこ。

 リアもそこそこ。

 ポチは大きい。

 一番大きいのはレム。

 カーラは…。

 こら!目つぶしすな!

 カーラめ…。

 カーラはこの中で一番小ぶりだけど、十分だ。

 痛っ!

 俺のケツを蹴飛ばしやがった!

 カーラ!

 ちょっと見るくらいいいじゃないか!

 ドワーフの兄弟が、何事かと様子を窺っている。

 こいつらには寵愛与えないよ?

 まだよく知らないし、男でも女でもいけるタチらしいので、こいつらに付け入る隙を与えたくない。

 よし、平常心が戻ってる。

 作戦決行だ!

 ドワーフの兄弟だけでなく、国の皆が協力を申し出てくれた。

 なら、一部をここの入り口に誘い込んで撃退してもらおう。

 そして、リアの護衛も。

 マリアも残り、リアの護衛を引き受けてくれた。

「リア。作戦通りに頼むよ」

 リアは返事の代わりに、俺を抱きしめた。

「一緒に行けないんだもの。残り香くらい置いて行って」

 リアはそう言うと、俺の唇を奪った!

 奪われた!

 でも嫌じゃない。

 皆に見られて恥ずかしいのは嫌だけど。

 リアは物足りなそうだ。

「お願い。抱きしめて。痕が残るくらい強く」

 俺はリアに言われるまま、抱きしめた。

 柔らかく、華奢な体がある。

 リアは近接戦もできる。もっと体格がいいと思っていた。

 でも、本当のリアは華奢な女の子なんだ。

 温かく、柔らかい。

 リアの肌に触れた俺の手が、吸い付くようだ。

 俺はぎゅっと抱きしめた。

 この体が、傷付くことがありませんように。

 俺は過酷な場所へ、みんなを誘うんだ。

 グル子も抱きしめた。

 筋肉質ではあるけど、やっぱり柔らかく、抱きしめがいのある体だ。

 グル子とも唇を合わせた。

 ポチはより筋肉質だ。

 でも、出るところは出てる。

 俺を包み込みそうなほどに!

 ポチは自分から俺を抱きしめ、上から俺の唇を奪った!あごをクイッと!

 男前かっ!

 レムは…そのまま抱きつくと胸に顔をうずめてしまう。

 レムは少し屈んで俺を抱きしめた。

 鼻を押し当て、はにかんだ。

 可愛すぎる…。

 レムは顔を傾け、俺の唇に自分の唇を重ねた。

 なんか俺、受け身が増えてる気が…。

 まあいいけど。

 とろけそうだし…。

 アーディングが、次は自分の番だと待ち構えている。

 丁重にお断りだ!

 カーラは…だめか。

 仕方ない。

 おっと。

 無数のドワーフの目にさらされてたんだった。

 俺は急に恥ずかしくなった。

 以前の俺なら、人前でこんな事絶対できなかったのに。

 俺も成長したんだな。

 でも、恥ずかしいよ。

 そんなに見つめないで!

 ごまかすためにも、

「行くぞ!」

 一声発した。

 皆が頷く。

 ドワーフたちの声が地鳴りのように響いた。

 まるで決戦だな。

 こういう雰囲気、好きだ。

 俺もヒーローになった気分に浸れる。

 映画の出陣前のシーンて、自分が参加するわけでもないのに熱くなる。一緒に雄叫び上げたくなる。

 今は上げていい、よね?

 俺は皆に交じって雄叫びを上げた。

 ここに集まったドワーフたち、そのドワーフが無事に帰ることを祈り家で待つ家族たち、俺の仲間。

 皆の命運が、この一戦にかかっている。

 言うなれば、皆の将来が俺の手にかかっている。

 実行するのは俺の大事な仲間たちとはいえ、否が応でも士気が上がると言うものだ。

「思い描いたヒーロー像とは違うけど、人々を救うことには変わりない」

 俺自身の手で、ヒーローになることを夢見ていたけど、最近ではこれでいいんだと思える。

 俺の仲間がヒーローになればいい。

 そして、多くの人々が救われれば、それでいい。

「出陣じゃぁ!」

 大河ドラマよろしく、低い声で叫んでみた。

 呼応して雄叫びが上がる。

 俺たちは意気揚々とジュエルイーターの巣窟へ向かった。



  5


 洞窟の中を、俺はレムと腕を組んで進んでいる。

 腕に柔らかいものが押し付けられている。

 俺の意識は当然、そこに集中されていた。

 ポチやグル子が不満そうだったけど、レムがこうしないと能力を維持できないと言うんだから、仕方ない。

 そう、仕方なく、だよ。

 でも、柔らかいなぁ…。

 背の高さに違いのある二人がどうやって腕を組んで歩いているのかって?

 俺の足元をご覧ください。

 宙に浮いております!

 浮遊魔法を…と言いたいところだけど、もっと足元をよく見てね。

 なんと、リアの手甲の上に乗っているのさ。

 リアってすごい。

 手甲二つを操って俺の体を支えているんだから。これとは別に、ジュエルイーターを引き付ける役目も行っている。

 リアの分身が持つ、宝石が詰まった袋をめがけて、ジュエルイーターの大群が迫った。

 リアの分身は宙に浮いている。その足元は赤々と燃え滾る溶岩湖だ。

 ジュエルイーターが次々と、溶岩湖に飛び込んでいく。天井を駆けて行き、リアの分身の上に落ちる。

 リアの分身は巧みにジュエルイーターを避け続けた。

 ジュエルイーターが溶岩湖から這い出そうとするものの、既に体の大半が溶け、もがきながら沈んでいった。その上を別のジュエルイーターが駆け抜ける。

 仲間の上を駆け抜けた多くのジュエルイーターが、次々と溶岩湖に落ちた。さらにその上を別の個体が駆け抜ける。

 リアの分身は少しずつ、奥へと追いやられて行った。

 ジュエルイーターは尽きることなく、大量に流れ込み、次々と溶岩湖へダイブした。

 そのうちに溶岩湖がジュエルイーターであふれ、埋まってしまいそうな勢いだ。

 あるいは、一番奥までリアの分身が追い詰められ、宝石もろとも襲われてしまうかもしれない。

 そうなる前に、発生源を押さえなきゃ。

 俺はまぶたの裏に映し出されるリアの分身の様子を確認し、焦りを覚え始めていた。

 これもリアの能力…というより魔法…じゃなかった、呪いの一つで、まあ結果的に、感覚共有のような状態を作り出しているらしい。

 リアってすごいな…。

 ちなみに、リアと念話もできる。

 時々、リアはエロいビジョンを送りつけてくる。

 リアが裸でベッドに横たわり、手招きしている。シーツが微妙なところにかかっていて邪魔…じゃなかった!

 こんな時に変なもの見せるな!

 もっと見たいとは思うけども!

 ビジョンだけでも興奮するのに、今は腕に柔らかいものが触れているんだぞ!触覚と視覚が相まって、ああ、もう!パトスがあふれる!

 もう、リアのやつ、サキュバスみたいなことを…。

 俺はリアのビジョンに惑わされないように、目を開けておくことにした。と言っても、やっぱりリアの分身の様子が気になるので、時々目をつむって確認する。

 そうするとまたリアがエロいビジョンを送りつけてくるんだった…。

 俺は敢えて、バリアに押しのけられていくジュエルイーターを眺めた。

 レムの張ったバリアにジュエルイーターがぶつかり続けている。初めはその音や、無数にうごめくジュエルイーターが気になったけど、今は何とも思わなくなった。

 某恐竜映画なら、ジュエルイーターの歯がバリアに突き刺さったり、爪で引き裂かれたりするんだろう。

 バリアは恐竜に翻弄され、右に左に…。

 現実は映画のようなことはなかった。

 どちらかというと、海の中を流れるような気分だ。

 海底洞窟を探索しているかのような気分だ。

 前方の視界は皆無だ。

 映画で深海のシーンだとわずかな視界しかなかった。あれによく似てる気がする。

 本当に似てるなぁ。

 サメみたいなのが出てくるんじゃ?

 あるいはダイオウイカにからめとられ…。

 サメネタはいっぱいあったなぁ。品種改良した巨大なサメが、海底の研究施設を襲うのもあった。

 考えていたら、ふと、巨大なジュエルイーターが現れて、襲われるような気がしてきた。

 でも特に変化はなく、洞窟を進んだ。

 この視界の悪い状況でも、レムは目的地を見失うことはなかった。

 出発前にドワーフの兄弟から聞いた話によると、ジュエルイーターの発生源は特殊な鉱床なのだそうだ。

 そこでとれる鉱物を見せてもらったところ、レムが感知できると言った。

 そう、だから今は、レムが鉱床の匂いを頼りに進んでいる。

 分岐にたどり着くと少しの間、レムは意識を集中させる。目的の方向をつかむとまた歩き出す。

 このような、地味な作業が続いていた。

 地味ではあるけど、ちょっとでも気を抜けば、バリアにほころびが出てジュエルイーターに飲み込まれるか、向かう方向を見誤って迷子になる。

 レムは一人、緊張感に包まれて行動しているはずだ。俺の腕に絡める力が強いもの。きっと神経を使っているはずだ。

 俺の腕がさらに柔らかいものに食い込んだ。

 レムが俺を見てニヤニヤしている。

 え?わざとなの?

 緊張のためじゃないの?

 俺が耳まで赤くしてるの、楽しんでる?

 おのれ!

 この恨みはらさでおくべきか!

 そのけしからん胸に仕返しを!

 ………。

 分かってるよ。俺にはできないってこと。

 でも、以前の俺なら、逃げてたな。

 だいぶ慣れてきた証拠。

 思えばずっと悩みの一つだったんだ。

 念願のハーレムができても、俺が何もできないってのは、悲しいじゃない?

 今はまだ無理でも、この調子なら、将来何とかなりそうだ。

 だからって過激なことしないでよ。リア。

 またエロいビジョンを送ってくる…。

 俺の意思が筒抜けらしく、それに沿ったビジョンを送ってくるから、余計に困る。

 俺がレムを押し倒して服をはぎ取るなんて、できるわけないじゃないか!

 逆だろ!

 俺が押し倒されて…。

 おっと。

 願望があふれ出た。

 囮のリアの分身がだいぶ追い詰められている。溶岩湖の半分が、ジュエルイーターに埋め尽くされて見えない。

 間に合うか?

 俺は心配になった。

 リアの分身が襲われたら、リアはどうなるんだろう?

 分身と同様に傷付くのかな?

 分身がやられたらリアも…?

 そんなことはないと信じたい。

 でも、やっぱり傷付いて欲しくない。

「レム。後どれくらい?」

 俺は気が急いて尋ねた。

「もう少しだと思うわ」

 レムは俺の腕をさらに引き寄せて答えた。

 俺の気持ちを紛らわせようとしているのかもしれない。恥ずかしがる俺に、わざと胸を押し付けているんじゃないか。

 それしか考えられないように…。

 もしかしたら、リアも同じ考えで、時々エロいビジョンを送ってくるのかも。

 俺の気持ちを紛らわせるために。

 まったく。こいつらときたら。

 俺は目頭が熱くなった。

 突然、バリアの中にジュエルイーターが発生した。

 何が起こったのか分からない。

 けど、ポチが即座に反応し、ジュエルイーターを倒した。

 そのポチの上に、ジュエルイーターが落ちてくる。

 今度はグル子が反応し、可憐な足で仕留めた。

「ぼさっとしないで!」

 カーラに頭をどつかれた。

 痛いなぁ…。

 俺は頭をさすりつつ、カーラの視線を追った。

 あ。

 魔法陣がバリアの中にあった。

 魔法陣から次々とジュエルイーターが降り注ぐ。

 グル子とポチがそれぞれ、撃退していく。

 カーラが文句を言いつつ、魔法を放った。魔法陣の上側に命中し、魔法陣が消滅した。

 前進すると、今度は二つの魔法陣がバリアをすり抜けて中に入ってきた。というより、こちらが魔法陣の場所に近づいただけなんだけども。

 バリア、魔法陣は防げないのね。

 俺が感心している間に、アーディングとハンターも戦闘に加わった。

 カーラが魔法で魔法陣を消していく。

 見える人がいるって、いいなぁ。

 役立たずって言ってる声が聞こえるけど、気にしない。というより、レムの胸が気になり過ぎて、頭に入らなかった。

 洞窟の中ということもあって、魔法陣は手の届く中空にある。

 冷静に考えれば、俺が手で触れれば消せるのだから、カーラも攻撃に回ってもらった方が効率的だ。

 そんなことより、腕に当たる絶対的質量だよ!

 なんて考えてたせいか、レムが俺の腕を離した。

 そんな…。

 俺が物欲しそうに目で追う先で、レムがジュエルイーターを殴り倒した。

 気付くと周りにジュエルイーターがあふれていた。

 あれ?

 なんで急にこんなことに?

 見渡してみると、魔法陣がバリアの中に三つ、バリアにかかるように無数に見えた。

 バリアの中に一部でも侵入していれば、そこからジュエルイーターが発生していた。

 まずい!

 俺は咄嗟にリアの手甲から飛び降りて駆け出した。

 ジュエルイーターに向かったようにも見えるけど、魔法陣に向かっただけだ。

 俺じゃ、ジュエルイーターなんて倒せないもの。

 俺の背後からの光の矢が、ジュエルイーターに突き刺さった。

 ナイスハンター!

 心の中で叫びつつ、俺は魔法陣に触れた。そのまま駆け抜け、他の魔法陣にも触れていく。

 俺を援護するように、光の矢や魔法が道を切り開いてくれた。時々グル子やポチが前を横切って、ジュエルイーターを蹴散らした。

 俺が勢い余ってバリアの外に出ないよう、レムも前進していた。

 皆俺が指示しなくても、何をしようとしているのか、瞬時に理解してくれている。

 俺は走りながら、涙を流しそうになった。もちろん、うれし涙だ。

 とはいえ、目の前にジュエルイーターが降ってきたら、怖いのなんのって。

 俺は何度も尻餅をつきかけ、逃げそうになった。その都度、勇気を振り絞って前へ踏み出した。

 仲間を信じろ!

 呪文のように唱えて。

 ジュエルイーターの下をスライディングよろしく駆け抜けて魔法陣を消せたら、ヒーローもののアクションシーンみたいでかっこいいじゃないか!

 ハンターの魔法の矢が、目の前のジュエルイーターを貫通した。矢はそのまま、軌道上のジュエルイーターに次々と命中し、突き抜けていった。

 グル子とポチが、某格闘ゲームの乱舞奥義よろしく、蹴りの連打、拳の連打で道を切り開いていく。

 アーディングの斬撃が無数のジュエルイーターを巻き込んで道を切り開いた。

 バリアの内側からの攻撃は、外に出るらしい。

 なんと都合のいい!

 さすがレム!

 カーラが前方に広範囲魔法をかけた。一面のジュエルイーターが一掃され、魔法陣が無数に見えた。

 俺はすかさず駆け込んだ。

 レムもついてきてくれる。

 魔法陣を消しても、最後に一体は出現する。それをみんなが連携して倒してくれた。

 夢中で駆け回った。

 いつの間にか、広い空間に出ていたことさえ、気付かない。

 それと気づいたのは、カーラの範囲魔法がいくつかさく裂し、周りが見渡せるようになった時だった。

 無数の魔法陣が左右、前方に広がっている。

 俺は手直な左側へ走った。

 カーラの魔法で魔法陣を消すには、立ち止まらなければならない。ピンポイントで狙わないといけないためだ。

 俺が走るので、カーラは魔法陣を消す側には回れない。だって、止まればバリアから出ることになるもの。

 カーラはモンスターのせん滅に専念した。

 カーラの魔法は絶大だった。

 一瞬で黒い集団が出現する。それを瞬く間に蹴散らす。

 その間に、俺は魔法陣を消して回った。

「やればできるじゃない!」

 カーラが俺を褒めただと?

 俺は思わず振り向いた。

 カーラが俺に微笑んだ!

 見間違いじゃない!

 俺は嬉しくなって、思わずカーラに抱きついた。

「何すんのよ!ヘンタイ!」

 カーラの平手打ちを食らっても、悲しくない。

 だって、今のでカーラの恩恵レベルが上がってるもの。

 嫌よ嫌よも好きのうち。

 ってまるで時代錯誤なことを思いだしちゃった。

 だって、この考え、昭和世代までだもの。

 光源氏の時代が全盛期なのかな?嫌がる相手をものにしていく物語だったし。というか、嫌がってみせるのが作法みたいなふうだった。

 おっと。

 今はそれどころじゃなかった。

 俺は気を取り直して、魔法陣を消して回った。

 カーラのせん滅力がけた違いに上がってる。効果範囲が広がり、疲れ知らずに連発した。

 前衛組は、俺が魔法陣に触れた時に出てくるジュエルイーターを倒すだけでよくなり、かなり楽になった。

 ポチがカーラを抱きかかえた。

 これでカーラは魔法に専念できる。

 なんか、顔を真っ赤にしてポチにしがみついてるけど。

 まあ、カーラはちゃんと魔法を連射してるし、問題ないな。

 カーラの口元が緩んでるように見えるのは、気のせいにしておこう。ニディと被って見えたのは、言わない方がいいよね。

 レムが俺を抱えた。

 これでがぜん、移動速度が上がる。

 俺は両手を伸ばしているだけでいい。

 向かう方向を示す必要もあったか。

 なんともまあ楽な戦いだ。

 もっと苦戦すると思ってたのに。これならアーディングとハンターに恩恵を与える必要がなかったかも。

 寵愛したってことは、あいつらのことだ。ワンチャンあると、今まで以上に俺のケツを狙ってくるに違いない。

 早まったなぁ。

 俺は後悔しつつ、漫然とレムに方向を示した。

 俺って、どうしてこう、思慮が足りないんだろうなぁ。

 そもそもの始まりからそうだ。

 超絶無比な能力を願っていたら、こんなことにはなってなかったもの。

 まあ、そのおかげで、グル子やポチ、レム、それにリアを仲間にできたから、それはそれでよかったんだけども。

 よかったけども!

 ………。

 多分、何を選択したにしても、多少なりとも、それぞれ後悔が付きまとったんだろう。

 それに、終わったことだ。

 諦めが肝心!

 俺は困ってる人を、世界を救いたいと思う気持ちは変わっていない。そしてそれをなしうる仲間がいる。

 それで十分じゃないか。

 ちょーっとだけ、俺自身のケツに気を配ればいいだけの話さ。

「超絶無比な力は手に入らなかったけど、文字通り愛は世界を救う」

 だぜ。

 俺の愛が。

 だってそうだろう?

 俺の愛するものが、敵をやっつけて、平和を取り戻して行ってるんだもの。

 俺の愛は無敵さ。

 俺は背中を激しく打ち付けて、意識を失った。



  6


 何が起こったのか分からない。

 でも、確かに、意識が飛んでた。

 なぜか、背中がものすごく痛い。

 下に硬い物がある。

 でもレムではなかった。

 それは鉱石や岩の塊だった。

 何か動くものが視界に入った。

 ジュエルイーターだ!

 それと分かった時には、もう俺の目と鼻の先だ。

 食われるとか思う暇もなかった。

 ただ、恐怖を感じた。

 俺は悲鳴を上げていたらしい。

 そう気づいた時には、なぜかジュエルイーターがいなくなっていた。代わりに、綺麗な足が見えた。

 いつ見ても奇麗な足だ。

 惚れ惚れする。

 鬼化しても兄を慕い、助ける女の子も足が奇麗だけど、こっちの方がもっと奇麗だ!

 ちょっと触れてみたいと思うのは、俺だけかな?

「アオトさん!無事ですか?」

 グル子が俺に駆け寄った。今にも泣きだしそうな顔だ。

「大丈夫。まだ生きてる。助かったよ、グル子。ありがとう」

 俺が答える間に、グル子は俺の体をまさぐった。

 俺の顔に、グル子の胸が押し当てられる。いつものグル子なら、恥ずかしがってそこまでできない。それほどに取り乱しているってことだ。

 いつもなら恥ずかしがる俺も、なぜか妙に冷静だった。というか、自分の体なのに、他人の物のように感覚が薄かった。

 背中の痛みまでが薄らいでいる。

 背中が温かい。

 グル子が回復魔法をかけてくれていた。

 考えてみたら、アンデットが回復魔法って、違和感あるよね。でもおかげで助かってるから、いいけどね!

 レムのバリアに取り込まれた。

 どうやら俺はバリアの外に出ていたようだ。

 でもどうして、レムはあっちにいるんだろう?心配そうな顔をして。俺を背後から抱き上げてくれてたはずなのに。

 俺の背後には、洞窟の壁があった。

 壁際にいたつもりはない。移動した記憶もない。

 グル子のおかげで痛みが薄らいできたものの、あの背中の痛みは、壁にぶつかったことによるものと思えば、納得できる。

 すると俺は壁にぶつかったのか?

 でもどうして?

 お尻の下が揺れた。

 ここはかなり横幅のある洞窟だった。

 見渡せる程度にジュエルイーターが減っている。

 またお尻の下が揺れた。

 魔法の光がジュエルイーターを打ち砕いて行く。

 ジュエルイーターの壁を、ポチの連打で押し返し、粉砕した。

 ハンターの光の矢が、進行方向全てのジュエルイーターを貫いた。

 アーディングの斬撃が、光の衝撃波となってジュエルイーターをなぎ倒した。

 皆まだ戦っている。

 お尻の下が揺れた。

 一瞬、ジュエルイーターの大群の向こう側が見えた。

 何か巨大な…生き物が見えたような気がする。

 グル子が俺の顔を覗き込んだ。チラチラと、戦況も気にしている。

「もう大丈夫。グル子も行って」

 俺は背中の痛みも消え、グル子の手にすがって立ち上がった。

 いつまでもグル子をここに引き留めておくわけにはいかない。戦ってるみんなの負担を少しでも減らさないと。

 俺はもう一度、グル子を促した。

 グル子は心配そうに俺の頬に触れた。同時に仲間の心配もしているのが分かる。

 グル子の手に俺の手を重ねた。

 グル子と見つめ合った。グル子の優しさがこもった瞳だ。

「レム!もう一度お願い!残りの魔法陣を消して回るよ!」

 俺はグル子の手を頬から引き離した。でもその手を離したくない自分もいた。

 俺はレムに抱えられ、再び移動を始めた。

 握っていたグル子の手が離れる。

 俺の心までそこに置いてきたようだ。

 なんて浸っている場合じゃない。

 そう思っても、心のどこかに穴が開いたような感覚は消えなかった。

 どうして俺はこんなにも感傷的になってるんだろう?

 どうしてこんなにもグル子と離れ難く感じるのだろう?

 まるで胸騒ぎのような…。

 目の前に魔法陣が迫った。

 俺は手を伸ばし、自分の役目を果たす。

 グル子も戦闘に加わり。より広い範囲が見渡せるようになった。

 ズンッ!

 それは足踏みの音なのだろうか。

 奥に巨大な何かがいて、動くたびに洞窟全体が揺れ、音が俺を押し戻そうとする。

 突然、ジュエルイーターが雪崩のように動いた。ジュエルイーターが次々と上や下に落ちていく。押しのけるように巨大な何かが迫った。

 レムが俺を下ろし、両手を前に突き出した。

 バリアに巨大な何かがぶつかり、激しい衝撃が伝わる。レムは必死の形相で、それをバリアで押しとどめていた。

 よく見ると、巨大な尻尾のようだ。

 どれほど大きなものがこの奥にいるんだ…。

 尻尾は鞭のようにしなり、奥へ戻っていった。

 俺はこれに吹き飛ばされて壁に激突したのかもしれない。

 よく無事だったものだ。

 ほんと、つくづく思う。

 俺って弱いくせに、意外と頑丈。

 きっとヒーロー映画よろしく、尻尾の一撃を受けて吹き飛ばされ、壁にめり込んだんだ。

 いや、実際にはめり込んでないけど、そういうイメージということで。

 その方がヒーローの戦いっぽいから!

 レムは俺に微笑むと、再び俺を抱えた。

 きっと、レムがダメージをだいぶ緩和してくれてたから、俺は死なずに済んだんだ。

 俺は感謝の意を込めて、レムの頭を撫でた。

 サラサラの髪で、意外と触り心地がいい。

 また俺は下に下ろされた。

 レムのやつ、頭を撫でられるの、いやだったのか?

 なんて思っていたら、レムは俺に背を向けて、両手を前へ突き出した。

 また尻尾が来たようだ。

 バリアに激突する。

 その衝撃は凄まじいもので、レムがバリアごと後方へ押しやられるほどだ。そのレムの足元は地面にめり込んで、二本の溝を作り出している。

 レムが進化していなかったら、今の攻撃、やばかったよね。

 というか、俺も巻き込まれてたはずだ。

 レムが進化してくれてて助かった!

 アーディングが巨大な尻尾に斬りかかった。

 でも刃が立たない。

 グル子の蹴りで押し戻せたものの、ダメージがあるようには見えなかった。

 ハンターの矢でも貫通どころか、刺さりもしない。

「かってぇ!」

 叫び声に振り向く。ポチが両手をぶらぶらと振っていた。ポチも尻尾に殴りかかったんだろう。でも逆に手が痛かったらしい。

 カーラが色々な属性の魔法をぶつけてみても、尻尾は傷つきもしなかった。

 皆が尻尾にかかりきりになる。

「それは後回し!先に魔法陣を消してジュエルイーターを駆除するんだ!」

 俺の指示に、皆が反応する。

 ジュエルイーターはだいぶ減っている。カーラのせん滅力のたまものだ。

 後は見えている魔法陣を消して回れば、邪魔なものは無くなる。

 レムに尻尾の相手を任せ、俺はグル子に運んでもらった。ポチにはカーラの護衛を続けてもらう。

 アーディングとハンターは指示しなくても、時にサポートに回り、時に敵を蹴散らした。彼らは元々戦いのエキスパートだ。素人の俺よりよほどうまく立ち回ってくれる。

 何度目かの地響きと同時に、見える範囲の空間から魔法陣とジュエルイーターをすべて排除し終えた。

 後はあの尻尾とその持ち主だ。

 でも、刃物で切ることができず、グル子やポチですら傷付けることのできない皮膚…。

 俺はふと、思い当たるものがあった。

 ファンタジーもので驚異の硬さを誇る、巨大な生き物と言えば?

 ドラゴン!

 そう、ドラゴンと相場は決まってる!

 空を我が物顔で舞い、大地を震撼させ、吐く息はあらゆるものを燃やす。

 ドラゴン!

 硬いうろこで守られ、剣も魔法も通じない!

 ドラゴン!

 ………。

 ロケットランチャーで傷付くのかな?

 緑の人!

 あ、某アニメの話です。

 とにかく。

 一匹でも倒せば、ドラゴンスレイヤーとして称えられる!

 ドラゴンの血を浴びて無敵の勇者に…!

 神話のあれって、ドラゴンだったっけ?

 まあいいや。

 それよりも、だよ。

 ドラゴンだよ?

 仲間にしたくないかい?

 したいに決まってるだろう?

 竜娘。

 いい…。

 某アニメの空賊ふうに。でもお嫁さんに欲しいとは言わないよ。

 俺はハーレムを作る!

 そして皆を愛する!

 おっと。

 俺が妄想にふけっている間に、尻尾への総攻撃が始まってた。

 皆が尻尾の持ち主をどうにかしてしまう前に、俺が触れなきゃ!

「アオトさん!?」

「アオちゃん!」

「麗しの君!」

「バカ!」

 走り出した俺の背に、驚きと悲鳴のような声が浴びせられた。最後の一言はカーラらしい。

 俺はかまわず走り込み、尻尾に触れた。

 というか、尻尾に弾き飛ばされた、ともいう。

 でも触れたことには変わりない!

『対象を寵愛しますか?』

 イエス!マイロード!

 俺、変なテンションだな。決して魅了されて行動してるわけじゃないぞ!

『拒絶されました』

 ガーン。

 俺は絵文字よろしく、四肢をついて首を垂れた。

「俺のアオトに何しやがるっ!」

 ポチが豪快に尻尾を殴り飛ばした。

 でも相手にダメージはなかった。

 グル子は俺の元に駆けつけた。ケガはないかと心配してくれてる。

 うん。

 精神的ダメージを除けば、何ともない。

 グル子が悲痛な表情で、心配させないでと泣いた。

 俺への気持ちがあふれてる。グル子の気持ちが、俺の精神的ダメージを癒してくれた。

 いや、それ以上だ。

 俺は思わずグル子を抱きしめた。

「非常時のどさくさになんてことを!」

 カーラの苦情で、俺とグル子は飛び跳ねるように離れた。

 グル子ははにかんだように笑った。その顔がすぐに真剣なものに変わり、巨大な尻尾に対する怒りに変わった。

 グル子は一足飛びにかなりの距離を詰めて、尻尾に蹴りを見舞った。

 美しい蹴りだ。

 それにしても、残念だ。

 そうだよなぁ。

 知性があると、俺の寵愛を受ける利点とか考えちゃうんだろうな。

 というか、ドラゴンからしてみれば、俺みたいなちっぽけな生き物に興味すらないのかも。

 そんな奴から寵愛すると言われて、喜ぶはずもないか。

 ダメだな。

 説得する要素が何一つ見つからない。

 当然、あの尻尾を撃退する方法も見当たらない。

 ドラゴンから見れば、俺たちは所詮、尻尾で遊ばれているだけの有象無象なんだ。

 ん?

 そういえば、俺、あの尻尾の持ち主がドラゴンかどうかも確認してなかったな。

 鑑定!

 色々な転生物アニメだと、そういうスキルあるよね。

 そして、そんな都合のいいもの、俺は持ち合わせてなかった…。

 無い物尽くしだな。

 チート能力、アイテム収納、スキルの数々。地位や権力、財力も。神の加護を得て強くなるようなこともない。

 代わりに、仲間には恵まれている。異世界転生ものだと主人公の強さを引き立てる仲間が多い。

 だってねぇ。

 異世界転生ものの主人公って、万能すぎるでしょ。あれじゃ、仲間が…ねぇ。

 けっして妬みじゃないよ?

 羨ましくないよ?

 強がりじゃないよ?

 ………。

 ああ、分かったよ。

 ほんとは羨ましいに決まってるだろ!

 でも、俺の仲間が素晴らしいことも事実!

 だから、俺は弱くても平気さ。

 俺は俺の役目を果たせばいいんだもの。

 それに、俺を傷つけられて怒りあらわに戦う、皆のその気持ちが、とてもうれしい。

 難敵に怯むことなく、みんなが果敢に戦っている。その姿がまぶしいくらいだ。

 レムが珍しく、目を怒らせていた。普段、笑顔を絶やさない人だけに、迫力がすごい。

 レムに向かって巨大な尻尾が鞭のように迫る。

 レムのバリアの形状が変わった。

 尻尾が当たったかと思うと、バリアが刃物のように尻尾を両断した。

 ちぎれた尻尾が俺の横を高速ですり抜けていった。

 ちぎれた尻尾はそのまま壁にぶつかり、激しくめり込んで壁を崩壊させた。

 うん、巻き込まれなくてよかった。

 幸い、周りの壁は無事で、崩落するようなことはなかった。思わず天井を仰ぎ見たけども。

 それにしても、バリアの一方をとがらせて尻尾を切断するなんて、レムもすごいことを思い付くなぁ。

 防御技で攻撃なんて、想像もしてなかった。

 激しく地面が揺れた。

 尻尾の根元が奥へと消えていく。

 よっぽど痛かったんだろうなぁ。多分、体をあちこちにぶつけながら逃げて行ってるんだ。

 立っていられないほどの揺れは、そのためだろう。

 カーラが尻餅をついた。慌てて地面にしがみついてる。

 ポチは追いかけようとして体勢を崩し、膝をついた。

 ハンターは両足を広げ、胸が地面に付くほど体勢を低くしている。弓を構えて狙いを定めていた。けど、揺れるせいで矢を放つことはできない。

 アーディングは両手をついて、揺れに耐えている。

 グル子とレムは立ったままだ。

 すごいな。

 グル子は立っていることで精いっぱいの様子だけど、それだけでもすごい。

 レムは地面と一体になったかのようだ。

 よく見ると、レムの足が地面にめり込んでる。それで倒れずに済んでるのかも。

 周りがミシミシと悲鳴を上げていた。

 揺れに耐えきれないところから、崩れ始めた。

 天井からパラパラと石が降る。

 壁の表面が削れて落ちる。

 地面にひび割れが入る。

 揺れが激しすぎて、何もできない。

 頭上に瓦礫が落ちて来ないことを祈るのみだ。

 レムの足元に亀裂が走った。

 次の瞬間、レムが消えた!

 違う!

 レムが亀裂の中に落ちたんだ!

「レム!」

 叫んでみても、俺の声が出ているのかさえ分からない。今は洞窟全体が悲鳴を上げて揺れ動いて、俺の声なんてかき消される。

 揺れが小さくなってくる。

 俺は揺れが落ち着くのも待てず、レムが落ちた亀裂に駆け寄った。

 地面の起伏に足を取られ、俺は思わず亀裂に飛び込みそうになった。

 駆けつけたグル子とポチに支えられ、亀裂の上に体を投げ出した状態で止まった。

 真下はかなり深い。下に縦穴があったんだ。

 底に赤い光が見える。

 熱気が俺の顔を包む。

 溶岩だ!

「レム!」

 俺はグル子とポチに支えられたまま、亀裂を覗き込んでレムの姿を探した。

 どこかに引っかかっているかもしれない。

 きっと無事でいてくれるはずだ!

 でも姿は見えない。

 底は赤く煮えたぎっている。

 かなりの深さで、溶岩の熱気はそれほど熱くはなかった。

 岩壁は影になっている部分も多い。

 そういうところにレムがいるのかもしれない!

「レム!返事をして!」

 でも返事はなかった。

 カーラが下を覗き込んだ。あまりの深さに腰が引けている。

 俺は穴の上に身を乗り出したまま、レムの名を叫び続けた。

 アーディングとハンターが周りを警戒してくれている。

 横目に見えているものの、俺はそれと認識できていなかった。

 ただただ、レムを心配して、岩壁の影を覗き見ようと必死だった。

 底が赤く光った。

 そう見えただけなのかもしれない。

 赤い流れが強く光る度に、熱気が立ち昇った。

「溶岩が昇ってくるわ!」

 カーラが警告を発した。

「レムが昇ってくるのかも!」

 俺は期待した。

 レムのことだ。溶岩如きに負けるはずがない!

 赤く煮えたぎった溶岩が、吸い寄せされるように登ってきた。

 岩陰にレムがいたら溶岩にのまれてしまう!ダイヤモンドだって溶岩には溶けてしまうはずだ…!

 俺は心配になって身を乗り出した。

「無茶をしないで!」

 グル子が俺の体を引っ張った。

「アオトは俺が守る!」

 ポチが俺の体を、亀裂の穴から引きはがした。

「待って!レムが!」

 俺は穴を覗き込もうと足掻いた。でも、グル子とポチの力には勝てない。

「離して!レムがそこに!」

 俺は必死に訴えた。

 いつもなら、俺の言うことに従ってくれるグル子なのに、今は俺を離してくれなかった。

 普段から俺の言うことはあまり聞かないポチは当然、俺を持ち上げて亀裂から遠ざかった。

「止めろ!レムがまだそこに!」

 俺はそれ以外にも色々叫んだと思う。けど、自分でも何を叫んだかよく分からない。

 俺の気持ちは亀裂の上に残ったままだ。

 レムが戻るまで、俺の気持ちは待ち続ける。

 でも、体はポチに運ばれ、亀裂から遠ざかって行った。

 グル子は俺をつかんだ手を放そうとしない。

 遠ざかって行く亀裂が赤く輝いている。

 レムがいよいよ飛び出してくる!

 だから、皆、待って!

 洞窟の壁が俺の視界を遮った。

 邪魔だ!

 抗議しても無駄だった。

 誰も俺の言うことを聞いてくれない。

 誰もレムを助けようとすらしない。

 俺はポチを恨んだ。

 グル子を恨んだ。

 薄情者め!

 カーラを恨んだ。

 通路の向こうに赤い光が見えた。

 熱気が押し寄せてくる。

「急げ!」

 ハンターが叫んだ。

 ここにも薄情者がいた。

「なんとしても麗しの君を守ります!」

 アーディングが俺の視界を塞いだ。

 邪魔だ!

 そら!レムが追いかけてくるのが見えないじゃないか!

 首を動かし、体をねじって、遠ざかって行く、赤い光が作り出す影を見つめた。

 俺は仲間を見捨てないんだ!

 それに、レムだぞ?

 溶岩は何でもかんでも溶かすかもしれない。

 でも、レムだぞ?

 人間と機械との戦争を終結させるために未来から来たロボットでも溶かすだろうさ。

 だからって、レムが溶けるとは限らないだろう!

「レム!」

 俺の叫びは、洞窟に反響して空しく響いた。



  7


「これよりせん滅戦に入る!いよいよ我らが鉱床を取り戻す時だ!」

 ドワーフの一人が叫ぶと、大きな歓声が沸き起こった。気合を入れ、各々が武器を構えた。

「我らの防衛システムが試される時だ!」

 試練を迎えると言うよりは、自信のあるシステムの実証ができると言わんばかりの声が上がった。

 ドワーフの国にモンスターの侵入を許したことは、過去に一度もない。が、久しく途絶えていた来訪者たちの提案を受け入れ、モンスターの巣窟と化していた鉱床の奪還という名目も加え、ドワーフたちは使命に燃えていた。

 来訪者の一人であるリアの合図により、ドワーフたちは通路を開いて敵を迎え入れた。迎撃用にあつらえた狭い通路を利用し、侵入者を各個撃破していく。

 槍や魔法を利用して、壁越しに攻撃した。そのための穴が、透明な壁の随所に設置されている。撃ち漏らした敵を、狭い通路からの出口で戦士たちが迎え撃った。ドワーフの戦士は腕力が並外れて高く、振り下ろす一撃で硬いジュエルイーターですら、容易く両断してみせた。

 リアも戦士の一団に加わって剣を振るった。魔法も交えて戦うリアは一人で数人分の働きだ。屈強なマリアの戦う姿もあった。ドワーフに劣らない腕力を示し、敵を蹴散らしている。

 二つある出口の一方が、敵の数に圧されて後退した。

「隔壁を閉じろ!」

 ドワーフの叫び声に呼応し、天井が押し下がって道を塞いだ。

 隔壁を抜けて飛び込んできた敵を戦士たちが駆除する。一匹でも逃せば、仲間の背後を襲われかねない。乱戦に足をもつれさせ、呼吸を荒げてなお、ドワーフたちは身を挺して敵を排除した。

 一方の出口は開いたままだ。

 リアがその剣で敵を複数同時に切り捨て、魔法でさらに多くの敵を屠った。

 ドワーフたちは後衛と交代しつつ戦った。下がった者は荒い呼吸を整え、再び前線へ戻るまでの束の間の休息をとった。

 リアは一人、疲れ知らずに戦った。ただ、彼女は内心、気が気ではなかった。自身の呪いの力を利用してアオトと思考をつなげていたのだが、錯乱したアオトの感情が押し寄せてくる以外は何も分からなくなっていた。

 リアは今すぐにでもアオトの元へ駆けつけたかった。無数の敵が通路を塞ぎ、リアの邪魔をしている。苛立ちまぎれに剣を振るい、呪いを変化させた魔法を放った。

 リアは溶岩湖の上で陽動を務めている分身の制御もしなければならない。そちらはそちらで、敵が溶岩湖を埋め尽くさんばかりに迫っており、危機的状況だった。

 分身が失われるとどうなるのか、リアにも分からない。特に問題ないのかもしれないが、試したいとは思わなかった。

「少しは休みなさい!」

 マリアがリアの前に割り込み、敵を殴り飛ばした。

 反対側の入り口を塞いだため、戦士が皆、リアの周りに集まっていた。リア一人が奮闘しなくても、対処しきれるだけの人数がいる。

「お言葉に甘えるわ」

 リアは言うが早いか、後方へ下がった。これで分身に意識を集中できる。間違ってもアオトの意識に集中してはいけない。錯乱したアオトの感情が怒涛の如く流れ込んで、リアでも耐えられそうになかった。

 ドワーフの戦士たちが雄叫びを上げ、次々と侵入してくる敵を撃破していった。

 分身の足に敵が食らいつこうとする。リアは分身を操って蹴り飛ばした。払っても払っても、次から次へと敵が飛びついてくる。

 手にしている宝石の詰まった袋を溶岩湖へ落とせば、分身は助かるかもしれない。アオトからは、いざとなれば捨てていいと言われているものの、それは最後の手段だと考えていた。

 不意に、溶岩が盛り上がってリアの分身を襲った。溶岩に触れた下半身が、そのまま溶岩に混ざって消えた。溶岩はそのまま、波のように無数のジュエルイーターを飲み込んでいく。

 リアは不意を突かれ、分身の制御に失敗した。無事だった上半身が落下し、溶岩の波の第二波にさらわれて制御が途切れた。

 リアにダメージはない。念のため、分身を作ってみると、鎧の分身が出せた。分身が失われることはないと分かった。疲労感が増しているだけだ。

 アオトに託された宝石を失ったことが悔やまれた。アオトがここにいれば、責任を感じることはないと言ってくれる。そうと分かっていても、リアは自責の念に苛まれた。挽回するためにも、せめて自分の手で敵を一掃しなければと、前線へ戻った。


 カーラは、アオトの錯乱状態を目にしたおかげで、取り乱さずに済んだ。カーラもレムが溶岩に落ちた事実を受け入れがたく、泣き叫びたい衝動に駆られていたが、自分がしっかりしなければ、誰がグル子やポチを助け、導けるのかと、頭の中で呪文のように言い続けた。

 カーラは闇雲に洞窟を逃げているのではなかった。方向感覚を失わないよう、要所要所に魔法の印を残しておいた。その印をたどってドワーフの国を目指していた。ドワーフの国に戻れば、一息付け、アオトの心を癒す方法を見つけられる。

 なんでアオトの心配なんてしないといけないのかしら。カーラはそう思ったものの、自分でも驚いたことに、アオトのことを案じる気持ちがあふれていた。

 カーラはその気持ちを否定した。好きなのは女性であって男ではない。表立って公表していないものの、同性愛者なのだ。アオトよりも、グル子やポチ、そしてレムの方が気になる存在である。だと言うのに、アオトの笑顔が脳裏から離れない。女性に見えなくもないほど華奢で、人族にしては美しい部類だ。女性であったなら、確かにカーラの好みではある。あるが、汚らわしい男であることもまた事実である。さらには、カーラの恋敵でもあるのだ。グル子も、ポチも、リアも、レムも侍らせて、間抜けに笑っていたアオトのなんと憎らしいことか。

 アオトは意味不明な言葉を喚き散らしていた。ポチに抱えられ、心配そうにグル子が付き添っている。こんなにも慕われているというのに、当のアオトは二人のことに見向きもせず、まるで狂ったかのように叫んでいる。

 ポチの献身を思うと、腹立たしい。グル子の心配を取り除いてあげたい。カーラは何もできない自分に腹が立った。錯乱しているアオトに対しても、怒りを覚えた。

 アオトの頬を平手打ちして黙らせたい衝動を抑えつつ、カーラは皆を先導した。

 カーラも叫びたかった。泣き出したかった。レムのあの魅力的な胸に、まだ触れていない。レムの笑みを、正面から見つめたかった。カーラは一緒に風呂へ入るところまで想像したものの、どれも実現せずに終わった。スキンシップを楽しむことすら叶わなかった。自身の欲望だけでなく、友人を失ったような感覚すらあった。

 やるせなさを、不満を、どこかにぶつけたい。そのカーラの気持ちを汲んだのか、前方にジュエルイーターの大群が現れた。憂さ晴らしに蹴散らせと言いたげに、こちらに背を向けた状態で通路を塞いでいる。

 カーラは間髪入れず、魔法を放った。ハンターの魔法の矢も、どこか怒りを含んでいるように見えた。アーディングの突撃も、気迫が違っていた。

 ポチとグル子はアオトから離れることができず、戦力にはならなかった。その戦力不足を補って余りあるほどに、カーラ、アーディング、ハンターの攻撃は鬼気迫るものだった。

 アーディングはレムがモンスターの変異した生物だと承知していた。出会った当初は討伐しようとしたことすらある。ホレた男をたぶらかす存在でもあった。にもかかわらず、レムの消失に胸が痛んだ。アオトの錯乱した様子に、動揺した。何もできない己が悔しくてたまらない。アオトを救うことができない自分に嫌気がさした。その思いを剣に乗せ、力任せに振るった。

 ハンターはアオトを案じることしかできない。大切な仲間を失う気持ちはよく分かる。分かるが、ハンターではその喪失感を埋める役目を果たせないことも分かっていた。今できることは、アオトに害が及ばないよう、敵を排除することだけだ。ハンターは仲間を守ることに死力を尽くした。あまりの力に、弓の弦が切れてしまう。ハンターは片手に魔法の矢を作り、ナイフのように、敵に突き刺して回った。弓を棒のように振り回し、敵を叩き落とした。

 ジュエルイーターも黙ってやられはしない。背後の敵に気付き、次々に方向を転じて襲い掛かった。仲間が次々と、魔法で吹き飛ばされようとも、斬撃で吹き飛ばされようとも、棒術で弾き飛ばされ魔法の矢で止めを刺されようとも、その屍を乗り越えて進んだ。

 いくら個々が強かろうとも、数の暴力には抗えない。その事実に思い当たったのは、ハンターだった。周りを囲まれた。それでも弓を振り回し、魔法の矢で倒し続けた。いずれ、対処しきれなくなり、足に食いつかれ、腕をもがれ、腹を、喉を食い破られる。そうと分かっていても、戦うことを止めることはできなかった。逃げる選択肢など存在しなかった。

 ハンターは死を覚悟した。ただ、アオトの無事を祈るばかりだ。そして願わくは、自身のことがアオトの心に刻まれることを願った。友情以上の想いとして、刻まれることを。レムに遠く及ばないとしても。

 弓の弦が切れなければ、ハンターも死を覚悟することはなかった。切れたことを言い訳に後方に下がってもよかった。だが、ハンターはより前へ出て、敵を少しでも多く倒すことを選んだ。アオトを思うが故の、決死行だった。始めから死ぬ覚悟などできている。

 数匹のジュエルイーターがハンターに襲いかかった。もはや避けることは叶わず、すべてを打倒すことも不可能だ。諦めて目を閉じたハンターは、激しい風を顔に受けて目を開いた。一陣の風のごとく、一人の女性が舞い踊っていた。ハンターの目には、確かに踊っているように見えた。

 仲間が一人でも欠ければ、アオトが嘆くことになる。それはアオトのために取った行動でもあった。グル子はハンターの危機に、その脚力をもってして、風となった。ハンターに襲いかかった敵と、その周辺の全てを、竜巻のごとく蹴散らした。

 死を覚悟していたハンターが驚きつつも、グル子の背に向かって礼を述べた。グル子の胸中に今まで感じたことの無い物が沸き起こった。ハンターの言葉が妙な温かみを帯びて、グル子の中で炎のようにくすぶった。その炎はグル子にとって、奇妙にも、心地いいものだった。

「おい!」

 ポチはハンターを乱暴に振り向かせた。

「アオトを任せる!」

 ポチは返事も聞かず、錯乱状態のままのアオトをハンターに押し付けた。

「しっかりとつかまえてろよ!離すな!」

 ポチはそう言い置いて、戦場へ向かった。が、数歩で立ち止まり、踵を返した。ハンターに向かって指を突きつけるようにして言った。

「もしアオトに変なことしてみろ!俺がその指をかみ砕いてやる!」

 ハンターは無意識にアオトの臀部へと伸ばしていた自身の手を、慌てて引き戻し、暴れるアオトを抱えることだけに専念した。

 ポチは自分の脅しが効いたことに満足すると、背後に向かって飛び、空中で向きを変えると敵の中へ飛び込んだ。強力な両腕で蹂躙する。

 ポチとグル子が背中合わせに立った。無数の敵が、上から下から飛び掛かっても、ポチの拳が、グル子の脚が、すべてを退けた。カーラは二人の援護に回った。アーディングも、後方へ漏れ出た敵の対処に専念した。

 ポチとグル子の二人が前線へ出たことで、戦況は一変した。後方の心配がなく、主に前方を警戒するだけで済む状況は、二人にとっても有利だった。洞窟の天井や壁まで利用し、二人は飛び回った。二人が移動するたびに、敵は数を減らし、道が開けていった。

 前方から激しい音が聞こえた。ジュエルイーターに覆いつくされた通路の向こう側からだ。

 また先ほどのように、巨大な尻尾が出てくる前兆かもしれない。皆、それぞれに警戒した。今はレムがいない。彼女がバリアで防いでくれることは、もう二度とないのだ。警戒する仲間の顔も、一様に暗いものになった。

 ジュエルイーターの隙間から、黒い炎が漏れ出た。

 ドラゴンのブレスを連想したハンターとアーディングは、無駄と分かっていても、アオトとの間に自身の体を置き、盾となった。

 カーラは叫び声を上げながら、魔法を放った。グル子とポチは、ジュエルイーターの壁の向こうの見えない敵に向かって、襲いかかった。

 不意に、ジュエルイーターの壁が左右に分かれた。何かが飛び出してくる。

 飛び出した何かを狙いすましたかのように、グル子の蹴りが真っ二つに両断した。ポチの拳が四散させた。さらにカーラの魔法がそれぞれを吹き飛ばす。

「あ、ごめんなさい!」

 何を蹴ったか気付いたグル子が、口元を押さえて詫びた。

「俺、悪くない!止め差したの、あいつだし!」

 ポチは飛び下がって、カーラを指差した。

「えっ?えー!?」

 カーラは何が何だか分からず、辺りをキョロキョロと見渡した。

「皆酷いことするわ」

 四散し、魔法でさらに飛ばされたものを目で追いながら、もう一つの影が現れた。黒い炎で辺り一帯の敵を一掃し、その顔が照らし出される。リアだ。片手で剣を振り、片手で炎を放っている。

「無事だったのね。良かったわ」

 リアは無残に飛び散った分身を、残念そうに眺めながら言った。わざとらしい物言いと仕草なのだが、咄嗟のことで、誰もそれと気づかない。

「ごめんなさい!リアを攻撃するつもりはなかったの」

 グル子はもう一度詫びた。

 ポチは逃げるように、動く敵を追いかけた。

 カーラはリアに駆け寄ると、詫びながら、リアにケガはないかと触れた。リアが止めなければ、全身を隈なく調べただろう。カーラの表情に恍惚とした光が宿っている。

「アオ様は無事?よかった。ケガはないようね。分かってるわ。ドワーフの国に戻って休ませましょう」

 リアは返事も聞かず、事情を把握しているとばかりに、ハンターからアオトの身柄を奪った。ハンターが離そうとしないために、奪うしかなかった。

 リアは分身とポチに残党狩りを任せ、アオトを優しく抱きかかえて来た道を戻った。

 アオトは叫ぶことも、暴れることもなくなっていた。ただ、意味不明な言葉をブツブツと呟くだけだ。虚ろな瞳には何も映し出されていなかった。リアがアオトの手を取って、自身の胸に押し当てても、アオトの虚ろな瞳に光が戻ることはなかった。



  8


 アオトは赤ん坊になったかのように、自分の親指を口にくわえて丸まっていた。アオトを、裸のグル子が抱きしめている。少し前まではポチがそうしていた。その前はリアが。三人は交代で、アオトを抱きしめ続けていた。

 アオト自身も裸だ。どういう訳か、アオトが激しく震え続けていたため、肌で温めている。その上から温かい毛布を三枚も重ねていた。

 普段のアオトなら、素肌に、女性の素肌が触れただけで真っ赤になり、取り乱す。リアやレムなら、その反応を楽しんだことだろう。グル子は楽しむことができない。アオトに意識がないと分かっていても、裸で触れるのは恥ずかしい。それでもアオトを助けたい気持ちが勝り、惜しげもなく、アオトの体に胸を押し付け、足をからませていた。

 当初、人肌で温めることを、カーラは反対した。アーディングとハンターは逆に立候補した。ドワーフの兄弟、クベラとニディも立候補し、四人が睨み合いのまま小康状態に突入している。この部屋の外で、四人は睨み合ったままだ。女性たちは男四人を無視し、カーラの反対を押し切って看病を続けていた。

「アオ様はどう?」

 リアが囁いた。グル子は毛布の端から顔を上げ、首を左右に振った。

「交代にはまだ早いわ」

 グル子は抗議するように言った。裸で触れ合うのは恥ずかしい行為だ。でも、離れたくなかった。

「そのまま続けて。私はアオ様の精神に触れてみるわ。もっと早く試してみるべきだったのかもしれない」

 リアは小声で言うと、アオトの顔の前に座った。手を伸ばし、アオトの額に触れる。

「ポチは?」

「ドワーフたちと一緒に坑道の調査に出かけたわ。じっとしていられないのね」

 リアは半分上の空で答えた。アオトの精神はいまだに錯乱状態のままだ。その精神に触れるには、リアにも錯乱が感染する恐れがあるため、覚悟が必要だ。

 リアは横になり、毛布の中にもぐりこんで、アオトと額を合わせた。アオトの空いている手を取り、自分の頬に触れさせ、自分もアオトの頬に触れる。目を閉じてアオトに意識を集中させた。

 グル子は邪魔をしないよう、押し黙った。口を閉じると腕に力がこもり、胸をアオトの背中に押し付けた。温かく、微かに湿り気を帯びた肌が、グル子の胸を吸い寄せている。グル子の鼓動が、リアにも聞こえてしまいそうで、恥ずかしくてたまらない。だと言うのに、アオトの肌に吸い寄せられるままに、自分の肌を押し当て続けた。

 グル子は大量の汗をかいていた。その匂いを誰かに指摘されるかと思うと、恥ずかしくなった。意識すればするほどに汗が噴き出す。その汗が、アオトと密着した部分に流れ込んだ。グル子は言い知れない恥ずかしさに身悶えした。それでも離れたくはなかった。

「暑いわね…」

 リアが言った。リアも毛布の中では裸になっており、早くも汗を流していた。においについては一言も口にしない。リアは汗にかまうことなく、アオトの精神に触れた。

 リアはアオトの精神世界に下り立った。初めは何もないかと思われたが、風を頬に感じた途端、状況が一変した。

 リアは嵐の中に立っているような感覚を味わった。強い風が吹きつけ、今にも飛ばされそうだ。刺すような雨が、リアを寄せ付けまいとしている。アオトの感情が、強風となり、豪雨となってリアを遠ざけようとしている。

 裸のリアは風に抗い、姿勢を低くして進んだ。雨が痛いものの、その程度で逃げだすわけにはいかない。赤ん坊のようなアオトを看病するのは、それなりに充足感はあるものの、やはり物足りない。アオトには、今のリアの姿を見て、顔を赤らめてもらわないと面白くない。元のアオトを取り戻すためならば、この程度の嵐など、苦にもならなかった。

 リアの心を読み、拒絶するかのように、事態は悪化の一途をたどった。足元が揺れ、次々と地面が割れていく。風雨はさらに激しさを増し、今にも吹き飛ばされそうだ。雨は次第に雹へと変わり、辺りかまわず破壊の限りを尽くす。

 リアはたまらず、鎧に身を包んだ。鎧に雹がぶつかる音が絶え間なく響く。衝撃が重なり合って、内側にも打撃を与える。リアは体と鎧の間に呪いの霧を出して埋め尽くし、衝撃の緩和剤にした。

 大きな雹がぶつかり、リアはよろめいた。大きな盾を出し、身を隠して進む。盾が壁にぶつかったかのように重い。風に押し戻されそうになる。

 風が巻いた。背後からも、横からも吹き付け、同時に雹をリアにぶつける。

「手強いわね…」

 リアは呟いた。負けるものかと自身を奮い立たせた。アオトを元に戻すためなら、たとえ炎に身が焼かれようとも、突き進む覚悟だ。

 リアは分身を出し、左右にも大きな盾を構えた。さらに分身を出し、複数で一つの盾を押した。分身と呼吸を合わせ、嵐に突っ込んだ。前へ、早く進む。そうすれば、背後に雹がぶつかることはない。

 分身の一つが倒れた。上から降り注いだ大きな雹が、分身の体を貫いていた。リアは即座に新しい分身を作り出した。ペースを落とせば、本体も含め、雹に貫かれる危険があった。

 今や、雹の大きさは拳ほどの大きさがある。

 頭上も盾で守りたいが、風にあおられて吹き飛ばされると分かっている。もはや、運に任せて突っ切るしかない。リアは邪魔にならない最大数の分身を出して駆け出した。

 唐突に風雨が止んだ。侵入者を押しとどめることができないと分かって諦めたかのようだ。リアは慎重に辺りを見渡し、ゆっくりと、分身の数を減らしていった。分身を消した途端に再び強い風で吹き戻されても困る。最後に鎧と盾も消した。

 空は青空のようにも見える。実際の空とは違い、雲がない。大空を舞う鳥たちの姿もない。ただ、青い空間が広がっているだけだ。

 急に大地が割れ、リアは割れ目に飲み込まれた。慌てて何かをつかもうとしても、弾かれて掴むことができない。下に赤い、蒸気を発する光が見えた。溶岩湖のそれとよく似た光だ。このままでは溶岩湖に落ちて融かされてしまう。とにかく何かにつかまって落下を止めようともがいた。しかし、壁に手を弾かれ、落下は止まらない。

 リアは咄嗟に呪いの霧を出し、蜘蛛の脚のように広げて壁につかまった。滑り落ちるものの、次第に速度が落ちていく。

 一瞬、アオトの興奮した声が聞こえたように感じた。リアのとった行動が、彼の何かに触れたのかもしれない。例えば、リアには理解できない言葉だが、「映画」とかいうものに重なる何かが、今の一瞬のうちにあったのかもしれない。アオトは興奮するとよく、「映画」だとか「アニメ」だとかいう単語を呟いていた。

 呪いの霧で造った足が滑った。いつの間にか、壁が磨かれた御影石のようにツルツルになっている。リアは再び落下を始めた。下方では、溶岩が待ち構えている。

 リアは飛べることを思いだした。背中に翼を出し、空気をつかまえて落下を抑制した。すると今度は壁が、リアを押しつぶそうとするかのように迫り始めた。上は狭い。下に逃げるしかなかった。翼をたたみ、頭から落下する。落下しながら、わずかな風の抵抗を利用して、方向を調整する。

 再び、アオトが歓喜したように思えた。リアの脳裏に「不可能作戦」という言葉がよぎったが、意味は分からない。きっと、アオトの「映画」とかいうものの知識の一つだろう。

 壁に押しつぶされる直前にリアは抜けきり、溶岩湖に飛び込む寸前で翼を広げて滑空した。

 再び、アオトの喝采と、「スパイみたい!かっこいい!でも本物のスパイはこんなことやらないけど」と、遠くから聞こえた。壁の向こうから聞こえてくるような感覚だ。

 リアは溶岩湖の上でホバリングした。今度はこの溶岩に襲われるのかもしれない。どう対処したものかと思案しつつ、いつでも動けるように身構えた。

 溶岩は時々気泡を吐き出し、蒸気をまき散らした。しかし、それ以上の動きはない。

 溶岩に対する、アオトの恐怖心を感じた。トラウマを生み出した要因を、アオトの潜在意識は扱うことができないのだろう。なぜこんなものを出してしまったのかと嘆いているかのようだ。

 ならば話は簡単だ。アオトを取り戻すには、溶岩を取り除けばいい。リアはほくそ笑んだ。かといって、溶岩を呪いの霧の中に取り込むことはできない。何か別の方法を見出さない限り、アオトの心を救うことも叶わない。リアのこの精神体も、どうなるか分かったものではない。

 天井を見上げると、先ほど落ちてきた場所に小さな穴がある。まるで煙突のように、上へと続いている。しかし、リアが入れるような大きさではない。当然、逃げ出すことも、他の場所から使えるものを探してくることもできない。

 これはアオトの夢なのだから、溶岩に触れても大丈夫。そういう考えがリアに浮かんだものの、試す気にはなれなかった。

 両手が擦り切れている。壁を掴もうともがいた時にできたものだ。ここで傷を負うと、現実の実体にも影響する可能性がある。下手な対処はできない。

 下からの熱気で焼けそうだ。リアは全身から汗を滴らせていた。汗が溶岩に触れ、蒸気に変わると余計に熱く感じた。

「やっぱりどうにもならないんだね」

 アオトの諦めたような声が、壁の向こうから響いてきた。

「でも服は着てくれ」

 リアは聞き流した。アオトは目のやり場に困ると訴えつつも、リアを見ているのだ。その視線を感じる間は、まだアオトを、アオトの心を取り戻す可能性があると信じることができた。

 蒸気が体にまつわりつき、暑くて考えがまとまらない。大量の汗が滴り、溶岩湖に降り注いでさらに蒸気を発生させた。

 リアは脳裏に浮かんだ方法に飛びついた。それがアオトの心を取り戻す上で、いい方法かどうか、考える余裕はなかった。そして成功するかどうかも、考えられなかった。

 リアは呪いの黒い霧を発生させ、地面に触れた。その地面を引き出すイメージで広げた。地面がせり出し、リアと溶岩湖の間を埋め尽くしていく。さらにその地面を天井につなげた。熱が遮られ、身体が楽になった。

「おお?」

 アオトが前のめりになって見ているような気がした。リアは地面を形成し終えると、今度は地面の向こう側へ、呪いの魔法を放った。

 爆発でも起こったかのような音が立て続けに発生し、作り出した地面が向こう側から押された。地面がはじけ飛びそうな勢いた。慌てて地面の厚みを増して補強する。同時に壁の向こう側への魔法も放ち続ける。精神的にも負担の多い作業だが、アオトを取り戻すためと思い、意識を集中させた。

 地面を押す力が、天井へと抜け始めた。リアは「よし」と頷きつつも、地面の維持と、地面の向こう側への魔法を継続した。

 長い時間を要した。あるいはそう感じただけで、ほんのわずかな時間だったのかもしれない。リアは魔法を行使し続けた疲労で力尽きた。壁の向こう側への魔法も途絶えた。飛んでいることも難しく、弱々しく、自身が作り出した地面に落ちた。

 地面が熱い。そして脆かった。

 リアの体が触れた途端、地面が割れた。割れた隙間から白い蒸気が噴き出した。

「危ない!」

 アオトの叫びを耳にしながら、リアは高温の蒸気が迫るのを見た。瞬きする間の時間が間延びし、ゆっくりと流れる。蒸気に焼かれ、死ぬことを理解した。いっそ、なにも理解する間もなく、蒸気を浴びていた方が幸せだったかもしれない。

 そんなことはない。少しでもアオ様の心を揺さぶれたのだから、価値はあったのよ。リアは、最後はアオトの好きだった顔でと、笑顔を浮かべた。

 次の瞬間は、何が起こったのかリアにも分からなかった。蒸気を浴びて、焼け死んだはずだ。だと言うのに、熱くなかった。いつの間にか目を閉じていたらしい。そっと目を開けてみると、蒸気はなかった。それどころか、辺りは涼しく、心地よかった。

 下は溶岩が固まってできた地面だ。リアが作り出した地面が、中空に翼を広げているように広がっていた。蒸気も、熱気も消えている。

「アオ様。助けてくださったのですね。ありがとう」

 リアは辺りを見渡しながら言った。アオトの意識がどこにいるのか、よく分からない。声は壁の向こう側から聞こえるような感覚だったが、後ろからも前からも、そして上からも下からも聞こえるようだった。

「な、なんのことかな?」

 アオトの声はとぼけるように答えると、急いで話題を変えた。

「でもせっかくなら、両手を打ち合わせて地面を形成して欲しかったなぁ。あ、それとも、三十センチくらいの杖を振って、呪文を唱えて…」

 リアには何を言っているのか、全く分からなかった。しかし、アオトの声から、苦しみの色が消えていると感じた。少なくとも、薄らいで、アオトの好きな「映画」とか「アニメ」とかいうもののことを考えられるようになっているのだ。

「ああ、でも俺、死の呪いの呪文とか…」

 いつものように、妄想に浸っている様子が伝わってくる。リアは安堵した。足の力が抜け、固まった溶岩の上に座り込んだ。

「呪文と言えば、あれなら覚えてるな。多分。バ○ス!ではなくて、えっと、リーテ・ラトバリタ・ウルス…」

 アオトの声が、よく分からない言葉を告げていた。

「…ネトリール!よし!言えた!」

 アオトの声から喜びがあふれている。もう大丈夫ね。リアはやり遂げたと理解した。途端にまぶたも重くなった。溶岩の固まった地面は硬い。リアはその硬い地面に倒れ込んで、眠りに落ちた。

「ああ!リア!服を着て!ってそうじゃなくて、大事なお肌が傷付いちゃう!」

 アオトの慌てたような、そしてリアをいたわるような声が、眠りに落ちていくリアに、微かに届いて消えた。



 誰かが毛布をはがした。

 風が肌に触れて、心地いいような、寒いような。

 俺は服を着ていないのか?

 まだ眠くて、目が明かない。

 背後に誰かいるような気配だ。

 前にも。

 背中に何かが触れている。温かくて心地いい何かが。

 そして…柔らかい…。

 背中に当たっているものは…。

 きっとプリンだ。そうだ、そうに違いない!サクランボがのったやつだ!

 はービックリした。

「ア~オ~ト~?」

 俺の上から声が降ってきた。この声はポチだ。

「起きてるな?」

 ポチはそう言ったかと思うと、何かがこすれる音がした。そう、よく、衣擦れの音とか言うやつだ。

 え?

 ちょっと待って?

 どういう状況?

 ポチは何を見て、俺が起きてると?

 俺は怖くなって、目を明けられない。

 確か、俺は眠っていた。

 たぶん。

 だって、なんか、夢見てた気がするもの。

 ちょっとエロかった気が…。

 確か、リアが…裸で…。

 ニューヨークの隣人みたいなことして。

 汗いっぱいかいてて…。

 エロかった…。

 あくまで夢だからね!

 気付いたら、背中にプリンだ。

 この感覚…。俺は裸だ。

 そして、俺は男だ。

 さらに、寝起き。

 夢のリア…。

 背中のプリン。

 ………。

 !!!

 せ、生理現象だから!

 なんちゅう所で判断してやがる!

 そしてポチ!服脱ぐな!

「アオトさん…」

 背後の誰かが、俺にしがみついた。

 プリンが押し付けられる!潰れる!

 冷静になれ!

 鎮まれ!俺!

 ということは、正面にいるのはきっと、リアだな。

 目を明けるとすごいものを目撃させられそうだ。

 いや、見たいよ?

 見たいけども!

 心の準備というやつがさ!

 上から何かが触れた。

 柔らかくて、少し湿っぽくて、暖かい所と、冷えたところがある。

 ってポチが覆いかぶさって来たのか!

「うわああああああああああああああ」

 俺は叫び声をあげて逃げだした。

 手に触れた毛布で元気な息子を隠す。

 暴れん坊め!

 将軍様め!

 後ろで嘆く声が聞こえるけど、無視だ!

 あーでも、逃げてよかったんだろうか?

 せっかく、望んだハーレムだったんじゃないのか?

 男になるチャンスだったんじゃないのか?

 後ろ髪引かれる。

 でも。

 今はそんな気分じゃない。

 そう。気分じゃないんだ。これはただの生理現象だ!

 俺は自分に言い聞かせて逃げた。

 レムを失ってもパトスがあふれる自分に、呆れてしまう。

 もしもレムもいたら…。

 それは男になるチャンスだ。逃す手はない。

 けど、いない。

 それにきっと、本当にその場になったら、俺は逃げ出すんだろうな。

「俺ってやつは悲しみに浸りたいのにどうしようもなくパトスがあふれてしまう」

 ほんと、どうしようもないな。俺は。

 いつまでも変われそうにない。

 でも、今は仲間を失った痛みを受け入れよう。

 だから、生理現象よ。落ち着いてくれ!

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