超絶無比なヒーローになりたいのにテンパってパトスがほとばしった
1
俺は蒼斗。
社会人の仲間入りを果たした今も、
「ヒーローになりたい!」
そう願ってやまない。
ケンカに弱くたって、女の子の顔をまともに見れなくたって、正義の心を失わなければ、ヒーローになれると信じている。
だって、ヒーローも多様性の時代だろう?
それに、ヒーローの中には自分は弱いのに、スーツで強くなって活躍するのがいるじゃないか。
そんなのいたかって?昔の海外ドラマであったんだよ。宇宙人からスーツ貰って…。古すぎて知らないだろうけど。
後はハイテク技術でヒーロースーツを作ったのもいるじゃないか。俺には作れそうにないけど…。
とにかく、俺だってそういうものに出会ってヒーローの道が開けても、おかしくないはずだ。
バンッ!
驚いて顔を上げると、いけ好かない上司が、もう一度机の上の書類を叩いた。
書類の不備をまくしたて、しつこく怒鳴り散らす。
そう何度も言わなくたって分かるって。同じこと何度も何度も何度も…。何十分も何時間も。
俺はうんざりしているから、憧れのヒーローに思いを馳せていたんだ。
こんな小言を何時間も聞くくらいなら、ヒーローになって困っている人を助ける方がよほど有意義だ。たとえそれが空想だったとしても。
バンッ!
また机を叩く。
ビックリするじゃないか。俺は音がするたびに、飛び跳ねてるような気がする。
怖いわけじゃないぞ。ビックリしてるだけだぞ。この程度を怖がっていたら、ヒーローなんて務まるものじゃない。
バンッ!
「人の話を聞け!目を見ろ!」
上司の叫びに、俺は思わず尻餅をついた。長時間立ち続けて足が疲れたんだ。
「ちゃんと聞いてます」
俺は頭にきて、言い返した。勢いよく立ち上がって、
「机を殴って大きな音させて、それ、脅迫ですよ。パワハラですよ」
言い返してやった。間違った行為を正すのも、ヒーローの務めだ。
「そんなだからあんたを慕う部下が一人もいないんじゃないですか」
うん。これは言い過ぎた。口が滑った。
案の定、上司は顔を真っ赤にし、机を叩きながら、二時間叫び続けた。
俺はその間、言い返すのを止め、ただただ、上司の怒りが収まるのを待った。
上司の怒りが収まるよりも先に、就業のチャイムが鳴った。こうなれば、逃げるが勝ちだ。
「定時なので帰ります」
俺はできるだけ澄ました声で言ってやり、上司の罵りを背中で跳ね返して帰った。
「仕事を放り投げて帰るのか!給料泥棒め!」
今日はまともに仕事できなかったけど、それは上司のせいだから、文句を言われても知らない。
それに、今日はハリウッドのヒーロー映画の公開日だ。見逃す手はない!
こんな日に残業なんて無理に決まってるでしょ。
いろんなヒーローが集まって作られた長いシリーズが終わり、新シリーズに向けて、個別のヒーローが活躍していく映画の一つだ。
すべての物語がつながるのは面白い。ヒーローが集まって力を合わせて戦うのもかっこいい。
ヒーローも、特殊能力持もいれば、道具を作って活躍するのもいる。スーツで戦えるようになったヒーローは前シリーズでヒーローらしく去った。
特殊能力や身体能力の高いヒーローも憧れるけど、俺にはなれない。なれるとすれば、スーツの力の方だ。だから、余計に前作の中心人物に思い入れがあった。
思い入れのあるヒーローが消えて、心に穴が開いたようでもある。あるけれども、新たなヒーローの活躍は、見たくて仕方ない。
会社から映画館は結構近い。おかげで次の公演時間には、十分間に合う。
俺は赤信号で立ち止まった。
歩道の反対側から、女の子がこちらに向かってくるのが見えた。
ドキリとして目を逸らす。
確か、制服姿に見えた。手元を見つめていたようだから、スマホに夢中なのだろう。
そっと顔を上げると、その女の子が信号に気付かず、交差点へ歩み出るのが見えた。
周りの人は我関せずで、止めようとも声をかけようともしない。一緒に横を駆けて、赤信号を渡る人もいる始末だ。
幸い、車の通りは少ない。
けど、スマホに夢中なせいか、歩くのが遅い。
一台のトラックが進んできた。運転手もスマホを見つめて前を見ていなかった。
女の子がひかれる!
俺は咄嗟に飛びだすと、女の子を突き飛ばした。
初めて触れた女の子の体は、柔らかかった、なんて感触は味わえず、俺の体はトラックにぶつかっていた。のだと思う。
なぜか、痛くない。
ものすごい音がして、視界が吹っ飛んだように思ったのだけど、普通に立ち上がれた。
女の子は尻餅をついているものの、無事だった。悲壮な顔をして何かを凝視していた。
周りの人々も、女の子と同じ方向を見ている。叫んだり、泣いたり、目を背けたり、写真を撮ったり。
不思議に思って視線を追った。
俺とぶつかったトラックの前面が大きくへこみ、赤いものがついていた。その前の路上に、ボロ雑巾のようなものが転がっていた。
どこか見覚えのあるような、無いような。
近づいてみると、赤黒いものがそこから広がった。おかしな方向へ腕が曲がっている。
え?これ、俺?
俺は思わず自分の手を見て、下の物を見た。
俺の手が透けてる…。体が透けてる…。
え、これって、幽体離脱?いやいや、この血の量…。俺、死ぬのか?
妙に他人ごとに感じていた。ただ、死を考えた瞬間から、後悔がよぎった。
今日の映画が見れないじゃないか!
憧れのヒーローにもなれないじゃないか!
女の子も触れないじゃないか!
いや、初めて触ったけども!感触なんてないよ!
透けて見える自分の手を見ても、叫び声をあげる女の子を見ても、実感がなかった。
こんなはずじゃなかった。
女の子を助けたことがきっかけで、付き合いが始まる。フラグはこうだろう。せっかくだからこの後映画に誘って。
そんなこともできずに終わるのか。
俺は狂ったように叫ぶ女の子の前に立った。ケガはないようだ。
女の子の肩に手を置こうとして、すり抜けた。柔らかいかどうかももう確かめられないんだ…。
俺は気持ち、手が肩に触れるくらいの位置に合わせた。
「無事で何より」
声をかけたが、女の子には聞こえていなかった。
でも、それでいいじゃないか。俺みたいな人間でも、人を救うことができた。それって、憧れのヒーローそのものだろ。
女の子と付き合ったことが無いのは心残りだけど、最後の最後で、この子のヒーローにはなれた。
ああ!くそっ!新作映画も見れないじゃないか!
待てよ…?このまま行けば見れるんじゃない?
俺は映画館の方へ向かおうか、真剣に考えた。
空が明るくなった。
吸い込まれるように、体が浮いていく。
ああ、本当に死ぬんだな…。
浮き上がりながら、そう考えていた。
「てな!簡単に諦められるか!」
考えていたからと言って、諦めがつくわけではなかった。
「ちゃんとヒーローになりたい!」
思いを叫ぶ。誰にも聞こえないだろうけど。
「新作映画!見たい!」
見逃したくない!
でももっと心残りがあったことに気付いた。
「女の子にモテたい!そしてお付き合いしたい!触りたい!」
だのに、このまま?
「死ぬの嫌だ!」
光に包まれながら、俺は絶叫していた。
「そんなに死にたくないか?」
誰かの声が聞こえた。
気付くと、光に包まれた空間の中、白く長いひげを蓄えた年寄りがいた。
「当り前じゃないか」
俺は言い返した。
超絶無比なヒーローは無理にしても、特殊なスーツを授かるとか、開発するとかして、ヒーローの仲間入りはできたかもしれない。
ヒーローになれば女の子にもモテたはずだ。
「そうか。それは困ったの」
老人はひげを撫でつけながら言った。
「何が困ったの?」
俺は思わず聞き返した。
「少々手違いでの。あの少女がここに来る予定じゃった」
「それって、俺、余計なおせっかいを焼いたってこと?」
「そう…いやいや、身をていした献身的な、善い行いじゃ」
「今肯定したよね?」
「善い行いをしたことかの?」
「とぼけるな」
「そうにらむでない」
老人はそう言って、笑った。
「笑ってごまかすな」
「ああそうじゃ。余計じゃった」
「認めやがった…」
「じゃが、善い行いでもある。予定外でもあるわけじゃ。ここは例外を適用するとしよう」
「例外?生き返れるってこと?」
俺は嬉しくなった。あそこに戻れば、女の子のヒーローは間違いない。そこから色々発展できるはずだ。
「生き返るのは無理じゃな。ゾンビになりたければかまわんが」
「ゾンビなんて嫌だ!」
「だろうて。そこでじゃ。ここではない別の場所で、生まれ変わるのはどうじゃ?」
「それって、アニメでよくある異世界転生ってやつ?」
「うむ」
「そんなこと現実であるんだ…?」
「アニメとやらとは違うがの。これはあくまで特例じゃ」
「今の記憶を持ったまま?」
「それが望みであれば」
「で、転生したら、膨大な魔力を持ってたり、超絶無比な勇者になったり、チート体質な平民になって勇者を助けたりとか…」
「可能じゃの。が、幾つも与えては均衡を崩す。良かろう、現在の記憶と、あと一つ授けて進ぜよう」
「なんでもいいの?」
「もちろんじゃ」
俺が考え込むのを、老人は笑ってみていた。
「ただし、五秒以内に決めなければ、わしが勝手につけるとしよう」
「え?ちょ!待って!」
「いぃち」
老人は面白そうにカウントを始めていた。
待って待って!もちろんヒーローになりたい!そしてモテたい!
「にぃ」
チート体質?レアスキル持ち?勇敢な心?女の子にモテる美貌?
「さぁん」
「待って!時間をちょうだい!」
「それが望みかの?」
「え?いや、違う!」
「よぉん」
老人は無情にもカウントした。笑みが広がっているところをみると、遊ばれているらしい。
考えがまとまらない。
老人の口が開き始めた。
俺の手に、女の子を押した感触があった。女の子と触れ合いたい。この感触をもっと味わいたい。
「モテたい!」
思わず叫んでいた。女の子と触れ合わずに死ぬのはヤダ!
老人が大きな笑い声をあげた。
「ヒーローになりたいのではなかったのかの?モテたいとは。パトスがほとばしった叫びじゃったわい」
「しまった!」
俺はなんてことを!
「超絶無比なヒーローになりたいのにテンパってパトスがほとばしった!」
確かに女の子にもてたい!同じくらいにヒーローにもなりたいのに!
だいたい、ヒーローになって活躍すれば、モテるだろうに!
冷静に考えれば答えは分かったようなものなのに…。
「楽しませてもろうたわ」
老人はそう言うと、手を振った。
俺の体が老人の手の動きに合わせて横に流れた。何かに向かって流されて行く。
「楽しませてもろうた礼に、わしからスキルを一つ餞別として与えよう。ではの。新しい人生を楽しみなさい。モテモテの人生をの」
そう言って高らかに笑う声だけが響き渡った。
2
物心つくまで、アオトとしての記憶は忘れていた。というより、考えることができなかったのだろう。
やっとアオトの知識を活用できるようになったのは、十歳だった。
唐突に、前世の記憶を思い出した。最後の老人との会話まで。
なぜ十歳になって記憶が戻ったのか、なぜそれまで戻ることがなかったのか分からない。分からないけれど、記憶が戻ったために、色々幻滅することになった。
まず、貴族や王族などの裕福な家庭ではなく、ごく貧しい一般家庭の子供だったこと。孤児や奴隷の子ではないだけましかもしれないけど。
とはいえ、両親に愛されている。そこに不満はない。
それに、金の力でどうこうしようと思わないから、これはこれでいい。
問題は、俺の体には人並以下の力しかないことだ。これでは到底、超絶無比な力は発揮できない。あの時、これを望んでいればと、後悔してやまない。
なぜって、ショートソードですら、まともに振れない筋力と体力だよ?これでどうやってヒーローになれと?
さらに、強大な魔力に目覚めることもなかった。魔法はからっきしだめで、生活魔法ですら習得できなかった。どうやら、人より魔力が乏しいらしい。
平和な世界なら、これでも生きては行けるだろう。だけど、最近分かってきたことによると、この世界にはゲームやアニメのようにモンスターが存在していた。
さらに都合の悪いことに、男の子は十五の誕生日を迎えると冒険者として修業することが習わしだという。
こんな貧弱な体で?魔力もなしに?
最弱ステータスでゲーム始めるようなものじゃないか!
なんだこのクソゲーは!
あのじいさん、確かに転生させてくれたから、神様なんだろうよ?
でも、これは…ないだろ!
せめて人並みの身体能力くらいよこせよ!
学校に通っても、最下位確定だ。
クラスの皆にバカにされ、試験で訪れた初級の森に、俺は一人取り残されるという命に関わる悪戯もされた。
そこでマナの源を発見して最弱から最強に変わった。などと都合のいいことも起こらない。
神に愛され、次第に能力に目覚めていく…。なんてことも、当然ない。
取り残された森から、自力で脱出しなければ、死ぬだけだ。
諦めたかって?ヒーローが諦めたりするかい?当然、俺も諦めない。
そこはゲームでならした攻略の虫が役に立った。
逃げ回りながら、モンスターが突然現れる、その条件や、逆にモンスターが急に消える瞬間を、その理由を観察した。
たまたま見えただけだって?まあそうなんだけど、解析したのは俺だ。解析できなきゃ、意味がない。
この森には所々、地面から近い空中に魔法陣がある。この魔法陣に近づくと、魔法陣が点滅を始め、さらに近づくとモンスターが現れる。
だから近づかなければいい。
一度現れたモンスターが魔法陣に触れると、消える。つまり、モンスターに遭遇しても、魔法陣を盾にすれば、回避できるんだ。
魔法陣のルールが分かれば、モンスターに遭遇しないルートを見つけることは造作もなかった。
消す方法も分かったことが最大の幸運だった。何かの拍子に動物なんかが魔法陣に近づいてモンスターが現れても、追い返すことができるから、慌てることはない。
俺より早い奴だと、少々心もとないけど。きっと何とかなるなる。
俺はクラスメイトに、何度も森に放置された。そのたびに無傷で生還するので、皆は不思議がった。
出現パターンを把握しているので、俺をいじめる皆をモンスターの出現場所へ導くことも可能だった。
いじめは悪いことだと分からせるためにも、たまにはこういう反撃も必要だ。だけど、数にものを言わせて討伐し、先生に褒められていた。
逆に、戦闘に参加しなかった俺は先生に叱られた。
仕方ないじゃないか!
自慢じゃないが、最下級モンスターのゴブリンですら、俺は勝てないんだぞ!
皆は十歳でゴブリンに勝った。
俺は十四になっても勝てなかった。未だにショートソードが振り回せない。
筋トレしても、肉がつかない。食事が貧しいせいもあるにしても、いくらなんでも育たなすぎだろう。
ナイフやフォークより重いものは持ったことがありません。
どこの貴族様だよ。我ながら笑えないネタだ…。
両親はまともな食事を食べさせてあげられなくてごめんねと、何度泣いたことか。
いや、両親のせいじゃないから。あのくそじじいのせいだから!
両親からは愛情だけはこめて育ててもらった。こんなにも弱い俺でも、両親は見捨てなかった。
甘やかしすぎだと、周りはバカにしていた。だから俺がいつまでたってもゴブリンに勝てないのだと。
俺がバカにされるのはいい。だけど、育ててくれた両親がバカにされるのは、我慢ならなかった。
両親が自慢できることが一つだけあった。
俺は頭脳だけはいいらしい。というか、足し算引き算掛け算割り算…。
小学生か!
おかげでこの辺りは余裕だった。
クラスの皆がなぜこんな簡単な問題に苦戦するのか…。苦悩してるのが面白いから、教えてやらない。
決して、いじめの腹いせじゃないぞ。
世界史は、ゲームやアニメの世界観を学ぶようで楽しかった。
皆は覚えが悪かったなぁ。こんなに面白い情報なのに。
ここはダーナ・イラという大陸の中央付近にある名も無い村だ。
ダーナ・イラは神に与えられた大地で、それ以外の地は魔の領域とされているようだ。
遥か東に巨大な湖があり、魔物が巣くう。
多分、海のことで、海中生物でもいるのだろう。シーサーペントとか、クラーケンとかいるのかも。ちょっと見てみたいな。
西は平原が続いていて、人の支配地だ。ああ、そうそう。東も海の手前までは人の住む土地だ。人は平原に暮らしているようだ。
北は大森林。色々な魔物の巣窟だとか。
南はここからでも晴れた日には見える、山脈がある。険しい山の中にはワイバーンだとかドラゴンだとか、凶暴なモンスターが住んでいると習った。
見るだけなら、どこも行ってみたいな。戦いたくはないけど。
北と南は危険地帯。そして東の果ての海も。
冒険者になったら、そのどこかに近づかなければならない。
どこかの国の軍役みたいじゃないか?
そういえば、金持ちなら避けて通る道もあるらしい。
貧乏人の俺には無理な話だ。
ヒーローになるには、北のアルラニアか、南のギリに行くと活躍できるだろう。遠いが、東のファルヴァラも魅力的だ。
活躍して勇者となれば、俺の思うヒーロー像に近づくはずだ。
いかんせん、俺が弱すぎる…。
西のガーナは都市圏だけあって、比較的平和らしいけど、兵役を逃れられない…もとい。冒険者になってもできるだけ危険に遭いたくなく、かつ、それなりのコネや財力のある奴らが行く場所だ。
つまり、弱くても、俺はアルラニアかギリかファルヴァラで冒険者になるしかない。
そういう義務って、どうかしてる!偉くなって法律を変えてやるか?
その前に、配属された先で生き残れるかどうかが問題か…。
いいじゃないか。弱くたっていつかはヒーローになれると、前世でも信じてた。この異世界人生でもヒーローになれるチャンスはあるはずだ。俺は希望を捨てない!
もう一つ、楽しい授業があった。魔法学だ。
この世界では魔法が存在する。
地、水、火、風、空の五大要素を基本とし、要素を司る神の力を借りることで魔法を発現させる…らしい。
地と水を司るカファ。
火を司るピッタ。
風と空を司るヴァータ。
その属性の神を信仰することで、力を借りることができる。
つまり、炎系の魔法を使いたければ、ピッタ神を信仰する必要がある。
なるほど。俺には信仰心なんてない。元日本人だからな。だから魔法が使えないのかもしれない。
日常魔法は非常に簡単なもので、火をおこしたり、タライの水の流れを多少制御したりといった程度だ。これらは信仰なしでも使えるはずなのに、俺には無理だった。
使えないから興味がない、ということはない。こういう系統問題はゲームでもよくあるもので、非常に興味をそそられた。
生活魔法で得意な属性を信仰すれば、上位魔法まで習得できる可能性がある。
不得意でも選ぶことは可能だけど、その場合、上位魔法は習得できない。というか、習得できた人がいないらしい。
ゲームのお約束通り、三神のパワーバランスの均衡がある。
ヴァータはカファに強く、ピッタに弱い。
ピッタはヴァータに強く、カファに弱い。
カファはピッタに強く、ヴァータに弱い。
まるでゲームの三すくみ属性のまんまだ。
これ以外にも魔法がある。
アーユスとパシューだ。
アーユスはケガや病気の治癒を行う魔法だ。ゲームで言えば神聖魔法の分類で問題ないだろう。
パシューは授業でもはっきりしなかった。分かったことは、異形の神ということだけ。人が信仰するものではないらしい。
それはともかく、魔法を離れても、カファ、ピッタ、ヴァータの三神は広く信仰の対象になっていた。
こちらは魔法の三すくみと関係性が微妙に違う。
例えば、農耕の助けとなるのは、カファとヴァータだ。水や土を司るカファは当然として、雨が空や風によってもたらされるものだから、ヴァータも信仰される。
同様に、日の恵みもなければ作物は育たない。となると、ピッタも信仰されることになる。
このように、三神は生活の全てに関わるものとして信仰されていた。
日本人をやってた頃は信仰について何とも思わなかったのに、この三神の話を聞くと、興味がわく。
ま、どの神も、俺を助けてはくれなさそうだけども。だから、当然、信仰などしない。
信仰心がなくったって、学問の方は誰にも負けなかった。
だけど、ここでの優劣は、結局のところ、腕力だ。モンスターに勝てるかどうかだ。
野蛮人どもめ…。
おっと、失言だ。取り消しておこう。
なんにしても、モンスターに勝てない俺は、必要のない人間となる。
この頭脳を持ってしても、こればかりは解決できなかった。というか、どうせなら、特殊スーツを開発できるような頭脳を持ち合わせていればよかったのに。
俺の頭脳の役立たず…。
宇宙人からスーツを授かるような幸運もない。
大昔のヒーローものに、田舎の普通の人間が、宇宙人からスーツを授かって、ヒーローになるってドラマがあった。第一話でスーツの取扱説明書を無くしてドタバタするものだったけども、何の力もない人がヒーローになるんだ。ワクワクするじゃないか。
なんでそんな古いドラマを知っているかって?ネットに色々転がっているのをあさっていたからさ。
俺を転生させたあのじいさんも、そんなスーツをよこしてくれるような親切心は持ち合わせていなかったようだ。
どうしようもないまま、十五の誕生日が明日に迫っていた。
冒険者として旅立たされる前に、せめて一度はゴブリンに勝っておきたい。さもないと、どこに行ってもこんな最弱冒険者に仕事はない。俺だって依頼したくないよ。
ムリゲーだって諦めるつもりはない。
仕事さえできれば、頭脳をフル回転させて何とか抜け道を見つけ出すことができるはずだ。
とてつもなく強いモンスターを仲間にして、活躍できるようになるかもしれないじゃないか。
強力無比な精霊と契約して無双ができるかもしれないじゃないか。
強い奴の信頼を得て、俺の采配で難局を切り抜けていく、ってのもいいかもしれない。
参謀…。いい響きじゃないか。
戦えなくても、近所の森ならいくらでも攻略できる。魔法陣のルールを把握できたからだ。これを利用すれば、俺にもできる仕事の一つや二つ、あるはずだ。
とはいえ、十五の誕生日までに、ゴブリンを一匹でも倒せないと、俺は終わりらしい。大人たちがそう話していたのを聞いたことがある。
どう終わるのか気になるものの、終われば両親が悲しむ。避けなければ。
一対一で戦える場所を確保して、後は創意工夫で倒せばいい。
森は完全に攻略できるんだ。その知識をフル活用して、ゴブリン一匹と対峙できる場所を見つけ出そう。
もちろん、いざという時の脱出経路も必要だ。
長年の経験から分かったことがある。皆は森の中にある魔法陣が見えていないらしい。地面からほど近い空中に浮かび、光っているのに…。
魔法陣の色で、ある程度出てくるモンスターの強さも分かる。青が弱く、赤が強い。青みが強ければ弱い系統で、赤みが強くなるほどに強くなる。
最弱のゴブリンは、当然青一色の魔法陣から出てくる。
青い魔法陣がポツンとある、おあつらえ向きな場所を見つけた。
この魔法陣に近づけば、ゴブリンが現れる。もしも違うのが出たら、やり直すだけだ。
近くに川もあった。逃走経路にちょうどいい。
ここまでは計画通りだ。
俺はショートソードを抜き放った。
剣の重さに振り回されることはなくなっていた。
これで何とかなる!
試しに振ってみると、少しふらつくものの、何とか、様になっているように思う。
「よし!行くか!」
俺は声に出して覚悟を決めると、魔法陣に近づいた。
青い魔法陣が点滅し、光を帯びる。
子供の背丈ほどの、緑の肌の生き物が現れた。手に棍棒を握っている。これがゴブリンだ。
ゲームやアニメでもよく出てくる生き物だ。大抵のゲームで、スライム同様、やられキャラ的な存在だ。
なのに棍棒を振り上げ、牙をむき出して俺に向かってきた。
俺は思わず腰が引けた。
気付いたゴブリンがあざ笑うように俺を見た。棍棒を振り上げたまま、一歩近づく。
俺は一歩下がっていた。
ゴブリンの一歩に合わせて後退る。
いやいやいやいや!戦えよ!
俺は思わず自分にツッコミを入れた。
自分の頭を小突いて足を止めた。ショートソードを両手で構え、正面にゴブリンを見据える。
正眼の構えというやつだ。
カッコつけてみたものの、正直腰が引けてる。切っ先が左右に振れて定まらない。
ゴブリンが駆け出した。勢いをつけ、俺に向かって棍棒を振り下ろす。
放っておけば、勝手にショートソードに刺さってくれたのかもしれない。だけど俺は思わず横に転がって逃げていた。
後ろを見ると、棍棒が地面にめり込んでいる。
あんなのをもらったらひとたまりもない!
俺は這いずって離れ、急いで立ち上がった。
ゴブリンが棍棒を引き抜き、よだれをまき散らして俺を見ている。
俺を食べる気だ。そうに違いない。俺をうまそうに見てやがる…!
まるで仲間になりたそうにこちらを見ている、的な流れで、食べたそうに見られても…。
食われてなるものか!
ゴブリンの排せつ物になって新たな冒険ってか?ウンチの大冒険!
俺は一瞬、それに目がついたシュールなものを連想した。
思わず吹き出す。
おかげで体の力が抜けたらしい。構えた剣の先の揺れが止まった。
ゴブリンが棍棒を振った。
俺はショートソードで棍棒を叩いた。
棍棒の軌道が変わり、他所に向かって流れていく。ゴブリンの体ごと横に流れた。
ゴブリンの背中が丸見えだった。
チャンス!
俺は踏み込むとがむしゃらにショートソードを振り回した。
空振りもあったし、何かをかすめた感触もあった。そしてショートソードは何かにめり込んで止まった。
気が付くと、俺の手にショートソードはなく、代わりにゴブリンの体からショートソードの柄が飛び出していた。
ゴブリンは棍棒を振り回そうとした。だけど力が抜けたのか、下に落とした。
ゴブリンが一歩前に出る。
俺は思わず一歩下がった。
俺の武器は今、ゴブリンの体に刺さっていて、手持ちがない。
頭が真っ白になり、何をしていいのか分からなかった。
ゴブリンがさらに迫る。
俺はこいつに食い殺されるのか…。
恐怖と共に、俺は悟った。ショートソードを突き刺しても倒せない相手に、俺が勝てるはずもない。
足の力が抜け、座り込んでいた。
ゴブリンが俺を見下ろしている。
不意に、ゴブリンの体が揺れ、俺に向かってきた。
やられる!
俺は目を閉じていた。
あーあ。せっかく異世界ライフが始まったのに、もう終わりか。
俺は諦めていた。
せめて痛い思いをせず、死にたかった。前世の交通事故も、痛みを覚えていない。
あんな感じで終わってくれ。
俺は目をつむったまま、そう願っていた。
いつまでたっても痛みが無い。
もう終わったのか?前みたいに幽体になってるのかな?
その割には、肩に何か重いものが触れているような…。
袖が何かでぬれたらしい。
俺は気になって目を開けた。
すぐ目の前に何かの物体がある。
よく見ると、それは緑色をしていた。そして臭い。
「くっさ!」
俺は思わず叫んで、突き飛ばした。
それはゴブリンだった。
目の前に倒れて動こうとしない。
俺の袖はゴブリンの血でぬれていた。そこから強烈な臭いが漂う。
「うっわ!」
取ろうとしても取れるものじゃなかった。
冷静に考えれば、ゴブリンに初めて勝った。大いにはしゃいでいい場面だ。
だけど、俺は臭さに狼狽し、何とかしようともがいていた。
「くっさー!」
俺は我慢できずに服を脱いだ。
「記念すべき初勝利のはずなのに、肥溜めに落ちた気分だ!」
思わず言ってみたものの、俺は肥溜めなんて落ちた経験はない。というか、見たこともない。時代劇か何かで見ただけだ。
本当だぞ?
どんな臭さか知らないけど、きっとこんなのに違いない。
俺は脱いだシャツをつまみ上げ、におってみた。
「くせぇー!」
3
俺は安全なルートをたどって帰宅した。
臭いシャツは一応持って帰った。貧乏な家だ。洗って落ちるなら、また着ないと。
落ちるのかな…?
「くっさ…」
シャツをタライに入れ、井戸から汲んできた水に浸した。
どうか、落ちますように。
臭いものは放置して、俺は両親を探した。
記念すべき初勝利を報告しなければ。
両親が喜ぶさまを思い浮かべると、笑いが込み上げてくる。
ところが、小さな家を探し回っても両親がいない。
畑にもいない。
近所を回ってもいない。
「おいセシル」
誰かが女みたいな名を呼んだ。
残念なことに、異世界での俺の名だ。これだけは好きになれない。こんな軟弱な名前を付けた両親を恨みたくなる。
「セシル!」
「何だよ!」
俺は不機嫌に振り向いた。
近所のおじさんだ。なぜか、驚いた顔をしている。
「お前、無事だったのか」
「何の話?」
「森へ一人で入って行っただろ。アーチのやつが畑から戻って言うもんだから、大騒ぎになったんだぞ。でもいるってことは、森へは行かなかったんだな。良かった」
「行って帰って来たよ」
「そうなのか?じゃあ、入ってすぐに引き返したのか。それが正解だ」
おじさんは俺が弱いことを知っている。俺が一人で森に入り、ゴブリンを倒して、無事に帰って来たと言っても、信じないだろう。
そうか、こういう時にあの臭いシャツが役に立つ。
というか、説明するのも面倒だ。
「それより、両親がどこにいるか知りませんか?」
「そうだった!まずいぞ!」
おじさんは急に慌てだした。
「お前を追って森に入ったんだ!二人して!」
「何だって!?」
「人を集めて…おい!セシル!どこに行くんだ!戻って来い!」
俺はおじさんが呼び止めるのも聞かず、一目散に森へ向かった。
俺は魔法陣のルールを知っている。魔法陣が見える。だからモンスターと出会わずに移動できるんだ。心配される必要もない。
森の入り口に人だかりができていた。皆近所の見知った顔で、畑仕事はできてもモンスターの相手をできるような人たちではない。
そうでもないのかな。皆、若いころに冒険者修行をしているはずだ。俺より戦えるのかも。
でも武器を持っていない。だから皆、森に入ろうとはしないんだ。森の奥を恐々と覗いているだけなんだ。
俺はみんなの横を駆け抜けた。
驚いて呼び止める声、ただ叫ぶ声、悲鳴のような叫び声。色々混ざり合って、何を言っていたのかさっぱり分からない。
俺はかまわず森に踏み込んだ。
両親がどちらに向かったのか、見当もつかない。
弱いモンスターばかりの森だけど、たいした武器防具を持ち合わせない両親が、たった二人で入って、無事で過ごせるとは思えなかった。
俺は別だ。魔法陣が見えているから、避けて通ればいい。
前に人に説明したことはあるけど、信じてもらえなかったので、このことは黙っていることにした。
両親も信じていないからこそ、俺を心配して森に入ったんだ。
「くそ!どこに行ったんだ!」
俺は立ち止まって辺りを見渡した。
木、木、魔法陣、木…。
見渡す限り、木ばっかりだ。
両親がどこに行ったのか、まるで分らない。
何かヒントが欲しい!
バキバキッ
大きな音がした。
どっちだ?
俺は耳を澄ました。
頼む!何か聞こえてくれ!
俺が焦れば焦るほど、森は静まり返った。
父さん!母さん!
声に出して叫んでもいいけど、森の生き物が声に驚いて魔法陣に近づき、それで魔法陣が反応してしまっても困る。俺は頭の中で念じた。
「危ない!」
人の声だ。
左!
俺は駆け出していた。
急いでも、ちゃんとモンスターの出現する魔法陣は避けていく。
さっきの声は父さんの声に似ていた。
森の吹き溜まりに出ると、鍬や鎌など武器になりそうな物を手にした村人たちがいた。村人たちは前を見て怯えている。
彼らの前に石碑で区切られた土地がある。
石碑に囲まれた内側は、魔人クラスのモンスターが出現すると言われ、誰も中に入りたがらない。入って出てきたという話しすらなかった。
俺をいじめたクラスメイトも、さすがにこの中へ俺を入れようとはしなかったほどだ。
「父さんと母さんは!?」
俺は誰でもいいから答えてほしくて声を上げた。
頼むからこの中ではないと言ってくれ!
村人たちは暗い顔で俺を見て、石碑の奥に目を向けた。
入ったらしい。
誰一人として、踏み込もうとはしなかった。逆に逃げ腰だ。
当然、俺では手も足も出ないことは分かっている。でも、気付いた時には、石碑の内側に踏み込んでいた。
後ろで呼び止める声が聞こえても気にせずに駆けた。
木々を抜け、草を踏み分け、岩に飛び上がった。
滑って膝を打ったけど、気にしていられない。
シダ植物に足を取られながら突き抜け、小柄な木の幹にぶつかると、目の前に僅かに開けた場所があった。
そこに異質な魔法陣が浮かんでいた。模様が複雑で、重々しい。色も複雑だ。今までに見たことのないタイプだ。
見たことがないということは、俺の知っているルールと違うかもしれない。でも考えている暇はなかった。
魔法陣の前に一人の少女がいた。
小柄で、黒髪をお団子にしている。
少女がつまらなそうな目で見ている先に、両親が倒れていた。
可愛いな。
俺は女の子をちらちらと見つつ、両親の元へ駆けつけた。
「セシル!」
「来てはダメ!」
両親が俺に気付き、悲痛な叫び声を上げた。どちらからともなく駆け出し、俺と少女の間に立ち塞がる。
少女が何か言った。言葉が違うのか、何を言ったのか分からなかった。でも愛らしい声だった。
「二人とも大丈夫?」
俺は両親に声をかけた。しかし、返事はなく、代わりに二人とも俺の脇を反対向きに駆け抜けた。
違う。吹き飛ばされたんだ。
そう理解するまでに数秒かかったように思う。
少女が一歩踏み出した。
俺は思わず、両親をかばうように立った。
少女が指を振ると衝撃波が発生し、俺は吹き飛ばされた。
木の幹にぶつかって止まる。
全身が痛い。どこをどう打ち付けたのか、まるで分らない。
少女が俺に近づこうとした。
見た目と裏腹に、少女は強すぎる。指を振るだけで俺たちはなす術もなく吹き飛ばされるなんて。
痛みで足に力が入らない。
少女から逃げることも叶わなかった。
俺の異世界ライフはもう終わりか?せっかく目の前に可愛い女の子がいるっていうのに。
「息子だけは!」
両親が叫んでいる。
少女が両親の方を向いた。
気付くと、俺は両親の前に立っていた。
そして気付くと、全身の痛みを感じて倒れている。また吹き飛ばされたらしい。
もう痛くて立ち上がれない。
こんな可愛い子がモンスター…?もしかして魔族というやつか?
俺は痛みで朦朧とする頭で、なぜか授業を思い出していた。
人とよく似ているが、モンスターの親玉にあたるのが、魔族らしい。強力無比な力を持っており、勇者クラスでなければ倒すことも、逃げることもできないと習った。
やっぱり俺はここで死ぬんだな。両親も一緒に…。
少女がうるさいハエでも払うかのように手を振った。その手が両親に向かう。
両親は何としても助けたい!
俺は思わず這いずるように立ち上がると、少女の小さな腰にタックルしていた。
あ、柔らかい。
こんな可愛い子なら、たとえモンスターでも、愛でたいな。観賞用?接触用?いやいや、全部でしょ!
どうせ死ぬんだ。この感触をしっかり味わわなきゃ!
俺は少女の体に触れた頬の感触を味わい、妙なことを考えた。いや、勝手に浮かんだんだ。決してそんなつもりで飛び込んだわけではない!
でも手の感触が柔らかいなぁ…。
いや、そんなつもりじゃないんだって!
でもどうせ死ぬよな、この状況。なら、堪能したもん勝ちだ!
俺のパトスが勝っていた。
こうなれば、手の感触を精一杯味わわなければ、もったいない!頬をもっと柔らかいものに押し付けて味わわないと!
こんな可愛い子だぞ?愛でなくてどうする!
俺は痛みを感じることがなかった。
また吹き飛ばされて、もう立ち上がれないくらいの痛みを感じると覚悟していたのに、何も起きなかった。
「これがあのジジイの言っておったスキルか」
愛らしい声が聞こえた。
「人のために立ち上がれるとは。いや、これはこの者の気質か。ふむ。スキルといい、気質といい、面白いの」
見上げると、少女と目が合った。黒い瞳が奇麗だ。
「可愛い」
俺は思わず呟いていた。
「お主、アホウなのか?殺されそうになって呟くセリフではないぞ」
「いや、アホウではないと自負している。でも、どうせ死ぬなら、せめて可愛い子とイチャコラしたいじゃない?」
「は?」
「いや、だって俺、死ぬんだろう?というか、死んだのかな?だからこんな柔らかい物に触れているのかも」
「それはわしの胸じゃ」
少女は冷静に指摘すると、俺を引きはがそうとした。
俺は離れないように必死でしがみついた。
「離れぬか!」
「いやだ!」
「鬱陶しいの!」
「離れたら両親を殺すんだろう?それはさせない!」
「殺さないから離してくれ」
「いやだ!もっと味わう!」
「何をほざいておるのだ!このアホウは!」
「あれ?両親を殺さないと言った?」
俺はやっと頭が回転し、名残惜しい柔らかい物から離れた。
少女の割にご立派なものをお持ちで。
俺の頬に触れていたものを思わず見つめた。
「人のために命を投げ出すヒーロー気質かと思いきや、ただのスケベェじゃな」
少女はそう言うと、隙間から体を抜き取って離れた。
俺は思わず両親の前に立ち塞がった。また襲われてはいけない。
「しかし、他愛のないスキルに見えて、なかなか奥深いようじゃの。これは少々研究してみる価値があるやもしれぬ」
少女はぶつぶつと呟きながら、自ら複雑な魔法陣の中に消えた。
「助かった…?」
しばらく立ち尽くして、俺は確認するように呟いた。でも返事がない。
これは現実ではないのかも。返事がないのがその証拠だ。
「というか、俺、あの子と会話してなかった?」
俺は混乱しているらしい。
「でも可愛かったな…。柔らかかったなぁ…。もう一度会ってみたい…」
手の感触が、頬に残る柔らかい感触が、忘れられない。
「いい思いをした!」
死にそうになっていたことすら忘れて、俺は残り香を堪能した。
何か忘れてないか?
ふとそう思った。俺は辺りを見渡して、忘れていたものを思い出す。
両親が二人とも倒れていた。
「そうだった!両親を助けるつもりだったのに、女の子の体に惑わされた!」
駆けつけて確認すると、どちらも生きている。気絶しているだけのようだ。
道理で返事がないわけだ。
もう一度後ろの魔法陣を見た。
空中に浮いたまま、今は光を失ったようになっている。
あれに近づけば、またあの女の子が出てくるのかな?
俺は興味がわいていた。あの女の子なら、何度でも出会いたい。
両親がいる状態で近づくのはまずい。
それに、次もまたあの女の子が出てくるとも限らない。出てきて欲しいけど。
今は実験すべきではない。
次は必ず死ぬかもしれないんだ。
そう思うと、膝が震えた。今も死にそうな目に遭ったんだ。両手や頬の感触に惑わされていたけど、命拾いした直後なんだ。
「助かったんだ…」
呟くと、膝の力が抜けて座り込んだ。
助かった嬉しさと、頬に残る柔らかさとが、俺の思考を奪っていた。
4
俺の肩を両親に貸して、三人並んで歩いた。歩きにくいけど、両親の温もりを感じて安心できた。
二人ともちゃんと生きているんだ!
両親はともに足の力が入りきらない様子で、俺の肩に体重を乗せている。重みと一緒に温もりも感じる。それが心地いい。
生きていると実感できた。
頬に残る柔らかな感触は、残念なことに消えつつあった。それはそれで守りたい感触だけど、両親の温もりも、またいいものだ。
頬の感触は前世でも味わえなかったものだ。記憶にしっかりとどめておかなければ!永久保存版だ!
俺の予想だにしなかったことが起こった。
村人の集まる石碑まで戻ると、奇跡が起こったかのように皆が騒いだ。
さらに、森を出ると、拍手喝采で迎えられた。
次から次へと、
「よくやった!」
とか、
「すごいじゃないの!」
とか、
「お前誰だ。あのセシルとは思えん!」
とか、好き勝手に言った挙句、背中をポンポン叩かれた。
痛いって!全身打ち身だらけなんだから!
膝、どこで打ったっけ?痛くて歩き難い…。
でも両親のために、頑張って歩いた。
村を上げての祭り騒ぎになった。
村人が集まり、俺たちを取り囲んだ。
誰かが両親を受け取り、運んでくれた。
俺は両親の恍惚とした顔を見つめながら、二人の運ばれて行く先について行った。
両親は念のため治療を受けた。
俺も服をはぎ取られ…痛い!だからそこ痛いって!…包帯ぐるぐる巻きにされた。
俺は診療所から担ぎ出された。
村の広場は何かの祭りが始まっていた。
ジャッキー・チェンのカンフー映画の中に、こんなシーンあったなぁ。
強敵を倒して、ミイラみたいに包帯だらけになって、担架に担がれて、浮かれ騒ぐってやつ。最後は落とされなかったっけ?
俺が心配した事態は起こらず、広場の中央に下ろされた。まるで神を祀るように、壇上に据えられた。
俺の前に色々な料理が並ぶ。
あ、リンゴジュースがある!
季節外れってことは、誰かの秘蔵品だ…!これ、いただいていいのかな?
肩身の狭い思いをしながら、ただただ縮こまっていた。
でもリンゴジュースは頂きたい。
それにしても、あの少女は何だったんだろう?
俺の思考はそこに吸い寄せられた。
もちろん、柔らかい感触のせいもあるけども。
あの子が魔族だったとして、どうして俺たちを見逃したのだろうか。
答えの出ない疑問が付きまとった。
異世界の知識のある俺にとって、魔族が人類の敵であると習っても、あの少女が敵には見えなかった。
言葉さえ分かれば、手を取り合えるのではないか。
実際、元の世界でも、言葉や主義の違いのために、過去に戦争が起きた記録がある。でも、話し合いで手を取り合う世界が出来上がった。
こちらでも、もしかしたら、同じことが可能なのかもしれない。
さすがにそのことは口にしない。
魔族に魅入られたとか、裏切者呼ばわりされることが目に見えているから。それだけ皆が魔族を敵対視している。
指を振るだけで俺たちは吹き飛ばされた。あれだけ強大な力があれば、確かに脅威だ。
さらに言葉が通じないとなれば、何を考えているのか分からず、恐れ、危険要素を排除したくなる。
あれ?
そう言えば、どうして言葉が分かるようになったんだろう?
しっかりと会話も成立していた。向こうにも伝わっている。
どうしてなんだろう?
まさか夢落ち?
いやいや、この頬の感触は偽物であってたまるか!
まだ失わないぞ!洗わないぞ!
コホン。
とにかく、俺は意思の疎通をしたはずだ。その原因が分かれば、魔族とも分かり合える日が来るのかもしれない。
分かり合えたら、あの柔らかい物をもう一度…。
「おい、顔が赤いぞ?大丈夫か?」
近くにいた村人が心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。
「え、うん、大丈夫。疲れてたり、全身痛かったりするだけ」
「そうか、大丈夫か!」
あわよくば休ませてもらうかとも思ったけど、通じなかった。
「よし!飲め!食え!遠慮するな!」
村人は言うと、自分も飲み食いする。
見渡すと、皆、酒を飲んだり、何かを食べたりしている。
どうやら、俺を口実に、宴会をしたかっただけのようだ。
じゃあ、遠慮なくジュースをいただくとしよう。
誰の秘蔵品か知らないけど、淡い酸味のあるこのジュース、うまいんだ!これが!
それにしても、ゴブリンを倒したことよりも、無事に帰れただけの方が、これほど騒がれるとは思わなかった。
というか、この状況だと、ゴブリンを倒したと言っても、
「またまたぁ」
とか、
「もうそれ以上盛らなくていいよ」
なんて言われて、話も聞いてもらえなさそうだ。
皆、俺の話を聞くより、酒を飲みたいだけなんだ。
まあいいけど。
「生還者に乾杯!」
誰かが叫んだ。
次々に皆が叫び、何を言っているのか分からなくなった。
コップを突き上げ、嬉しそうにあおっている。
飲む口実にされたな。
俺は遠慮しないことにした。
ジュースをたらふく飲み、好きな食べ物を遠慮なく食べた。
「お前、やるじゃないか」
率先して俺をいじめていたクラスメイトが、まるでダチを称賛するように言った。
「こいつ、俺のダチなんだぜ!」
言っちゃったよ。ただのいじめっ子のくせして。
ま、関わりたくないから受け流した。というか、これ、うまいな…。あのおばちゃんのお菓子だな、これ。
「ねえセシル」
俺をいじめていた女の子がすり寄ってきた。
「女の子みたいって思ってたけど、でもここはしっかり男だったのね」
その子は俺の胸に手を当てて、上目遣いに潤んだ瞳を向けた。
やばい!ある意味やばい!
何もかも、遺恨も忘れて、押し倒してしまいたい!
「あの森で何があったか、教えて」
こら、引っ付くな!や、柔らかい…違う!あの子の感触が上書きされちゃう!やめて!
俺は思わず離れた。
顔も合わせられない。
でも気になって、チラ見してしまう。んでまた目をそらしてしまう。
でもこの子、奇麗なんだよな。それを鼻にかけて、鼻持ちならないやつだけども。…柔らかいな…。やっぱり女の子って、いいな。
「ほらほら。ジュース飲んで」
女の子がコップを差し出し、俺の腕に絡みついた。
柔らかいものが二の腕に触れてる。
触れてる!
あ、でも、あの子よりちっちゃいな。
柔らかいけど。
だめだ!俺、ジュースで酔ってるかも。
顔がやたらと熱い。
ってまあ、前世で酔ったことあるから。これは雰囲気に酔ってるってやつだけどもね。
俺はいつの間にか、森でのことを話していた。もちろん、女の子のことは伏せて、魔族とだけ言った。
会話したことなんて言えるわけがない。魔法陣の時は人に言ったけど、信じてもらえないし、俺が頭おかしいと言われちゃったんだ。だから、同じ轍は踏まない。
幸い、魔族が勝手に消えたことについては、皆が憶測を述べてくれた。
俺が何か魔族の嫌がることをしたとか、嫌がる臭いがあったとか、そんな話に落ち着いた。
「セシルに倒せるわけがないからな」
「ゴブリンも倒せないんだからなぁ」
なんて笑うやつまでいた。
ああそうだよ。倒せねぇよ。
俺はやさぐれて、リンゴジュースをがぶ飲みした。
どんな魔族かとしつこく聞かれた。色んな人から。
女の子のことを説明するわけにはいかない。
俺は角の生えたやつだったと、ごまかした。
過去に目撃された魔族に角持ちがいたらしく、皆それで納得してくれた。
助かった…。
下手に語るものじゃないなと、今頃気付いた。冷や汗ものだった…。
いじめっ子の女の子が俺に寄り添って離れなかった。
「よく見るとあなたって、奇麗な目をしているわね。顔もそこらの女の子よりかわいいもの。妬けちゃう」
いじめっ子の女の子はそう言って、俺の胸に指を這わせた。
でも俺はお腹が満たされると、両親が心配だからと、振り解いて帰った。
解かなかったら、もしかして…。あんなことやこんなこともできたのかな?
ああ!もったいないことをしたかも!
俺は帰りながら、後悔した。
いや待て!早まるな自分!
相手はいじめっ子だぞ。初体験のために選ぶ相手か?違うだろう?
選ぶんだったら、あの魔族の女の子だな。今のところ。
俺の候補は乏しい。というか、俺をいじめていなかった子は、皆無だからなぁ。
今後の出会いに期待しよう。
あ。
俺、モテモテになるんじゃなかったのか?
あのくそじじいめ!全然モテモテじゃないじゃないか。
いや、モテ期来たのかな。
さっきの、腕に寄り添っていた女の子を思いだす。
今まではあんなこと、あり得なかった。
確かにモテ期が到来したのかも。
いいぞ!冒険者修行の旅に出た先で、いい子に出会ってモテる!これだ!
順風満帆だ!
俺は自分が弱いことも忘れ、有頂天になって、家に帰った。
両親は俺の姿を見るなり、起き上がって俺を抱きしめた。
二人とも体中が痛いはずだ。俺以上に包帯でぐるぐる巻きなんだ。
それでも、二人は俺を抱きしめて、嬉しそうに泣いた。
誇りに思うだとか、もう二度とあんな危険な真似はするなだとか、矛盾することを言っているけど、総じて、俺を愛してるってことだな。
悪い気はしない。
いや、正直に言おう。
嬉しいさ。泣けるほどに。
思えば、前世では人に抱きしめられた覚えなんてなかったなぁ。子供のころにはあったんだろうけど、覚えちゃぁない。
小さな村は親切なもので、両親のための食事が外から運ばれた。
「リターナー・セシル」
来る人来る人、妙な単語を発して、俺を見ていくんだが…。
妙なあだ名をつけてくれるなよ…。
なにはともあれ、夜が更けてくると人の訪問はなくなり、親子水入らずの時間を過ごした。
よくよく考えてみれば、明日には俺は旅立たなければならない。これが最後の夜なんだ。
両親も分かっている。だから余計に、俺に優しく接してくれるんだろう。事あるごとに、俺を抱きしめたがるんだろう。
正直、途中から恥ずかしくなってきた。
俺、もう子供じゃないんだぞ。
待て。十五と言えば、前世では子供か。中三だもんな。
じゃあ仕方ないか。とはなるかっ!
中三と言えば、両親に抱きつかれるのを嫌い、逃げる。恥ずかしかったり、バカにされたくなかったり。
ま、ここにはバカにするやつもいないことだし、両親がそれで安心するなら、抱きしめられるままにしておこう。
俺が恥ずかしいのを我慢すればいい。
体中痛い割には、気付いたら朝だった。
ぐっすりと眠ったらしい。それも、両親に抱きしめられて。
安心しきって眠る子供同然じゃないか!
やべっ!顔真っ赤になってるな、これ。
俺は両親の腕をそっとはがし、起き上がった。
うん。きっと疲れてたんだ。昨日は色々あったから。だから爆睡したんだ。そうに違いない。
俺が起きたことに気付いて、両親も目覚めた。だけど、二人とも体中が痛くて起き上がれなかった。
当然だよな。あれだけひどい目に遭ったんだもの。
俺が動けるのは、やっぱり若さか?
それとも、タフさは人一倍なのかな?
もう痛みはほとんどなかった。我ながら凄い回復力だ。
俺は両親に休んでいるように言って、身支度した。
今日は村の中央に行って、俺の冒険者修行の先を決める日だ。
選択肢は、北のアルラニア、南のギリ、東のファルヴァラ、西のガーナ。
ガーナは無理だけど。
でもできるだけ楽なところにしよう。強いキャラなら、ゲームでもハードなところ行って経験値稼ぐって方法あるけどさ。弱かったら、無理。
だから、身の丈に合った、楽なところから始める。小さなことからコツコツと。
千里の道も一歩より。
ヒーローへの道もしかり!
大森林のアルラニア、山岳地帯のギリ、海辺のファルヴァラ。三つのどこが一番楽なのかは、最新の情勢を聞いてみないと。
とはいえ、噂では、アルラニアは大変なことになってるらしい。そこは無しってことで。
村の中央は、昨晩から酒を飲み続け、その辺で眠った村人たちが、まだ転がっていた。
俺は白い眼で村人たちを眺めつつ、中央広場に行った。
村長がすでに待ち構えていた。
「よく来たな。セシル」
村長はそう言って親しみ深く微笑んだ。
「体はもう大丈夫なのかい?」
「うん。動けるみたい」
「若いなぁ」
村長は目を見開いて、俺の体を上から下まで眺めた。
村長は咳払いすると、
「さて、どこか行きたい町は決まっているかい?」
「ガーナ」
俺は試しに言ってみた。
「あそこかぁ。すまんな。あそこの枠はすでにいっぱいだ」
村長は思い出したように付け加えた。
「今年は大森林でモンスターの活動が活発になっているそうだ。アルラニアの人気が無くてねぇ」
それは、俺にアルラニアを選べということか?
「魔神領域から生きて帰れるセシルだ。君ならどこでも活躍できるだろう。でもどうせなら、人々が困っているところへ行って君の能力を役立ててみないかい?困っている人の手助けをしたいだろう?君は優しい子だからね。いえね。嫌なら嫌でいいんだよ?でもね。アルラニアから切に願う声が届いていてねぇ。いや、嫌ならいんだよ?君ならいけると思うんだけどね。君みたいな勇気のある子なら、いけると思うんだけどね。もちろん、怖かったらやめてもいいんだよ」
このいやらしい言い回し。これで別の場所を希望したら、怖がってるってことだよな。
「それって、冒険者修行もやめていいってこと?」
俺はわざと言ってやった。冒険者にならなくて済むなら、それに越したことはない。
「またまたぁ」
村長はそう言って笑った。
「君ほどの者が冗談きついよ。おじさんビックリしちゃう。じゃ、アルラニアにするね?」
村長は問答無用だった。
アルラニアを希望する人が全くいなかったんだ。だから、ていよく俺に押し付けて、体裁を保つつもりなんだ。
初めからそのつもりだったな…、村長め…。
俺が村長を睨み付けても、村長は気にしなかった。返事がないことを承諾の意ととり、
「いやぁ。君が選んでくれて助かった!助かった!」
と言って高笑いで去っていった。
え?マジでこれで決まりなの…?
俺は呆然と立ち尽くした。
「できるだけ安全な町に配属されたかったのに、よりによって最難関の町かよ!」
俺は思わず、天を仰いでいた。
5
村長が国に連絡すると、早々と俺の元に迎えが来た。そこに待機してたのかってくらい、すぐだ。
無理やり徴収された新兵のように、俺はさらわれた。
両親が泣きじゃくるのを尻目に、俺は強制連行…。
なんだこの旅立ちは!夢も希望もないじゃないか!
旅立ちは…こう…希望にあふれて、だな!ああ、もういい!
俺は早々に諦めた。
同道するクラスメイトは一人もいない。
怖い大人たちに囲まれ、所在なさげに馬車に座っている俺。
もう好きにしてって感じ。
どうせ、大人は俺の言うことなんて聞きゃあしないんだ。村長が最たる例だ。
いいさ。どこだって。
俺は魔法陣のルールを知っている。魔法陣を見ることができる。危険を回避できるのだから、どこだって何とかしてみせるさ!
そうさ!危険が多いほど、ヒーローへの道が近づくってものさ!
森でモンスターに囲まれたお姫様を、俺が導き、助け出せばいい。
俺はふと思い立った空想が、現実に起こりそうに思え、ワクワクした。
モテ期も到来しているんだ。その美人なお姫様とムフフな事だって…。
絶体絶命のお姫様の手を引いて、森から生還!
きゃーあなたってすごいのね!(頭の中で裏声)
なに、これくらいお安い御用さ。
あなたのような勇者様に出会えて、私、幸運だわ(裏声)
姫の美しさに惹かれて立ち寄ったまで。
美しいだなんて…(裏声)
うん。ツッコミも妨害も入らないな。自分でもお姫様らしくなくてちょっと…。
俺は前世の、いけ好かない上司の、机叩きを思い出した。
あれは必要ない。あんなのツッコミと違う。
とにかく妄想を続けよう。姫様と俺は惹かれ合い…。
と、思い描き始めた矢先、馬車が激しく揺れて停まった。
結局妨害入るのかい!
俺は不機嫌に顔を上げた。
馬車の窓の外に、武器を振り回す野蛮な男たちが見えた。
え?なにあれ?
俺を連行している大人たちが、武器を手に、慌てて馬車を降りた。
降りた矢先に一人、斬り殺された。
斬り殺されたよ!剣で殴られて、倒れたよ!血が!血が!飛び散ったぁ!
俺は怖くなって馬車の隅に縮こまった。
なんだこれ!人が死んだよ!死んだんだよね?
人が死ぬの、初めて見た。あ、自分の死、以外ね。とにかく俺はそれで動転した。
人の死が受け入れがたい。
昇降口の先に倒れた人を見ても、まだ死んでいないようにも思えた。
起き上がって、こっちに這いあがってくるかもしれない。真っ赤な血の涙を流しながら。黒い血を吐き出しながら。
ホラーじゃないかっ!
ゾンビ映画でよくある!
俺は余計に怖くなって逃げ場を探した。だけどどこにも逃げる先はない。
ドサッ
外で誰かが倒れた。
バシャッ
何か水っぽいものが馬車にかかった音がした。振り向いてみると、反対側の窓が真っ赤に染まっている!
俺は声にならない悲鳴を上げていた。
きっとムンクの叫び状態だ。
こんなこと思いつくって、意外と冷静なのかな?俺。いやいや、そんなはずはない。
「荷を守れ!アルラニアに大事な魔法具を届けるんだ!」
誰かが叫んでいた。
「おい少年!お前も降りて戦え!」
え?俺にいきなり実戦?それも対人戦闘の?
格闘ゲームじゃあるまいし、無理だ。
無理無理無理無理無理!
無駄無駄無駄無駄、みたいなノリになっちゃった。俺にそんな能力があったら、出て戦えるだろうに。
ドスッ!
俺の顔の横に、刀身が生えた。
「いやぁ!」
俺は思わず、反対側に転がり落ちた。
耳元かすめた!
俺は自分の耳を触った。
なんともない。
手が濡れている。
真っ赤な血だ!
と思ったら、昇降口に倒れている人の血だ。
いや!血だよ!大量だよ!
俺は死体と反対側に転がった。
ちょっと温いのが、余計に俺の恐怖を煽った。
手についた血を、地面にこすりつけた。
その手の先に、見知らぬ、汚らしい、大きな靴が近づいた。
見上げると、剣を掌でパチパチともてあそぶ、強面のおっさんがいた。
俺を見下して、怖い顔をしている。
俺を見下して、いやらしい笑いを浮かべてる。
棍棒振り上げたゴブリンみたいな顔をしやがって!
俺は思わず頭に来た。
男の股間に拳を突き出して、素早く逃げた。
振り向くと、男が両目を寄せ、内股になって飛び跳ねていた。
よし!
ケビン坊やのようなノリでガッツポーズを決めて、馬車を回り込んで逃げた。
逃げた先にもいらっしゃるのね。あの映画とそっくり。マカリスター家の少年よ。君は偉大だった。
ケビンのようにはいかないな…。
俺は両手を上げ、抵抗しないと訴えた。
無駄だった。
凶暴なおっさんたちが剣を振り上げた。
その背後から、俺を連行している大人の一人が斬り付けた。
凶暴なおっさんの一人が俺の目の前に倒れた。
背中が!背中が割れてる!血が!血が!
俺、何度見ても、慣れそうにないな。そしておんなじ反応してるな。
死体を見ないようにして、怖いから。後ろに逃げようとしたら、さっきの金的食らわせたおっさんが立ち塞がった。
やべっ!
さらに後ろへ逃げようとすると、俺を助けてくれた大人のお腹に剣が深々と突き刺さっているのが見えた。
いや!
ホラーだ!
そのうち、内臓が飛び散るんじゃないだろうな!俺は死ぬ運命にあった!死ぬのは座っていた場所の順番で!
そんな映画があったんだよ。
せっかくだ。ここから助かる、ヒーローものを思いだそう。
颯爽と白馬を操る美青年が現れて…。
それってお姫様が助けられる奴じゃん。俺、お姫様かい!
違う違う。
そうだな。スーパースーツが届くまでの時間を、得意の話術で稼ぐ。
うん。俺に話術はない。
そしてスーパースーツもない。
ナノマシンが欲しい!
そうこう妄想している間に、俺は二人のおっさんに囲まれていた。
絶体絶命…。
「待って待って待って!」
俺は両手を上げて、必死に訴えた。
何とか生き残れる方法はないかな。頭脳をフル回転させて、この場から逃れる方法を探すんだ!
「魔法具はどこだ?」
おっさんの一人が言った。
それを教えれば、俺は助かる?
教えて、見つかった途端に用済みで殺されるよね。普通。
そもそも、魔法具って何?その辺の荷物の中にあるんじゃないの?俺知らね。
「そこの荷物の中じゃない?」
俺は馬車の後方に積まれた荷物を見つめた。
二人のおっさんがそっちに行ったら、逃げよう。
って一人しか行かないのかよ!二人仲良くいけよ!
金的殴られたからって、しつこく俺を睨むなよ。
口に出しては言えないけども。
あ、俺の少ない荷物が…散乱しちゃった。ひもじくなった時にお食べってもらった焼き菓子が…。三秒ルールも…あ。踏みやがった!
おばちゃんのお菓子だぞ!
俺はおばちゃんのお菓子も守れない、貧弱ものでござんす。
悲しくなってきた。
てか、死にそうなのに、俺、意外と平気なのか?お菓子の心配って…。
まあ、何度も死にかけたからなぁ。実際、一度は死んでるし。
「ガキ!適当言いやがったな!」
荷物をあさっていたおっさんが戻ってきた。目当てのものが無かったらしい。
別のおっさんが数人現れた。
おっさんは仲間を呼んだ。
おっさんが現れた。
どこぞのゲームみたいに増殖するなよ!
切っ先が一つ、二つ、三つ…十。
俺に向かっている数だ。
詰んだな。
「どうか!どうか殺さないでおくんなさい!」
俺は両膝をついて抵抗しないアピールした。
両手も上げてみる。
戦争映画のワンシーンであったな。
そう思って、両手を少し外側に広げ、仰け反ってみる。
これが人生最後のポーズか…。
ヤダよ!
まだモテモテライフを堪能してない!
異世界転生物って、こんなに死に目に遭うものないでしょ!おかしいって!
俺が弱すぎるのが問題か…。
まさか…。死に戻り…。
いや!無理無理無理無理!
そもそも生き返るとは限らん!
死ぬの嫌!
あの主人公、おかしいよ!絶対マネできねぇ!
膝に何か、振動のようなものが伝わった。
俺は思わず、道の前後を確認した。
「おいガキ!隠し立てするとは言い度胸じゃねぇか!その広げた腕から斬り落として欲しいか?可愛いお顔を切り刻んでやろうか?」
おっさんの一人が言って、剣を振り上げた。
だんだん振動が強くなる。
音も聞こえた。
パッカラパッカラ。
白馬の王子さま!暴れん坊将軍!
あ、待って、後半は無し。砂浜じゃないし。
おっさんたちにも聞こえたようで、一斉に音の方へ振り向いた。
本当に白馬だった。
マジか!
乗っているのは輝く鎧を身につけ、マントを翻した、金髪の美青年。
マジか!
馬鹿みたいに同じ言葉繰り返すけど、
「マジか!」
叫んじゃった。
金髪の美青年騎士は…盛りだくさんだな。とにかく美青年は鎧と同様に輝く剣を抜き放つと、駆け抜け様におっさんたちを次々と斬り倒した。
すごい腕前だ。
手綱を引いており返してくると、残りのおっさんズを一網打尽にした。
かっけぇ!
惚れ惚れするほどに、美青年で、腕前も美しかった。
「大丈夫ですか?」
美青年は辺りを確認すると、俺に声をかけた。
颯爽と飛び降り、俺の前に跪く。
もう何をやっても絵になるな、この人。
俺は両手を上げていることも忘れて、見とれていた。
美青年が俺の手を取り、立ち上がらせた。
お姫さまって、こんな気持ちで…。
いやいや、俺に男色の気はない!断じてない!
でもこの人、奇麗な瞳だな…。
「お怪我はないようですね」
美青年の手が、俺の頬をなでる。
ぞくぞくしちゃう。
俺は思わず、こわばって、そのまま硬直した。
「私はアーディング」
美青年は名乗りを上げると、俺の手を取って、手の甲に口づけした。
待て。それって、お姫様にやるやつじゃん!
なんで俺に…。
男同士なのに、赤くなっちゃったじゃないか。
「麗しの君。しばしお待ちいただけますか?」
アーディングはそう言うと、俺を連行していた大人たちのなれの果てを確認して回った。
麗しの君…?
俺は引っかかるものを感じつつも、アーディングについて、倒れた大人たちを確認して回った。
一人、まだ息のある人がいた。その人は懐から包みを出すと、アーディングに託した。
「これをアルラニアへ届けてくれ」
とぎれとぎれに言った言葉は、それだった。
そして、俺も一緒に運んでくれと、いらない頼みまで追加した。
ここで放置されるよりはましだけど、どうせなら村に返して欲しい。
こんな血生臭い出来事には金輪際、関わりたくない。
「こと切れたか…。すみません。私の到着が遅れたばかりに…」
アーディングは遺体に手を合わせ、涙ぐんだ。
ただの通りすがりだろうに、律義なことだ。そして美青年ときている。
まさに、物語の主人公だな。王子さまだな。
憧れないよ?俺のなりたいのは、王子さまではなく、ヒーローなのだから。
「私が安全に、君をアルラニアまでお送りいたしましょう」
アーディングはそう言って頭を下げた。
「あなたのお名前をお伺いしてもよろしいですか?」
アーディングは俺の手を取って、目を見つめた。引き込まれるような目だ。
「セシル」
俺は思わず答えていた。
「おお!なんとも麗しいお名前ですね。あなたによくお似合いです!」
アーディングは感激して言うと、口笛を吹いて愛馬を呼んだ。
白馬が駆けつける。
なんだこの絵にかいたような流れは!
呆気に取られていた俺は、いつの間にか馬上の人となったアーディングに、力強く引き上げられ、横座りにアーディングの前へ導かれた。
真横に、アーディングの厚い胸がある。鎧があるとはいえ、そこに逞しい体がある。
見上げれば、涼しげな美青年のとがった顎、自信に満ちた唇、奇麗な鼻、透き通った瞳、さわやかな金髪…。
俺が女なら、ホレたな。
そして俺は今、アーディングの腕の中…。
まさにお姫さま!
俺が!
妄想と全然違う!
「美しい姫と出会いたかったのに、美青年にお姫様扱いされた!」
俺は頭の中で叫んでいた。
さすがに声に出すと、品性が疑われるでしょ。
6
どうやら、アーディングは俺に気があるらしい。
事あるごとに、手を取り、甲に口づけされ、抱き寄せられ、見つめられ…。
この美形…俺でもはまりそう…。
待て!落ち着け!
貞操を守れ!
俺は必死に抗った。
お肌が触れ合う回数が増えると、だんだん俺の中の何かが崩れていった。
何日か一緒に旅する間に、アーディングにならいいかもと、おかしなことが頭を過ってしまうほどに。
まずいだろう!
だって、あの顔を見てると、吸い寄せられそうなんだもの。近いんだもの。
だからそれがまずいんだ!
俺は葛藤を繰り返していた。
アーディングは紳士だった。襲われることはない。
だから余計に、こちらから迫りたくなる。
待て自分!
俺の頭はおかしくなっている。魅了でもかけられたのか?絶世の美女に転生しているのならまだしも。
俺が女に転生していたら、もう我慢できなかったかも。
押し倒して味見の一つ…っておい!
危なかった。
肌を接しているのがまずいのだろう。早く町について、アーディングから離れたかった。
でないと、気付くと二人で裸で抱き合ってた、なんてことになりかねん!
いやだそんなの!
初めては女の子がいいの!
俺はアーディングを見ないように心掛けた。
そういう時に限って、馬上で体勢を崩し、アーディングに引き寄せられて、腕や胸の中に納まるのだった。
頼む!俺の理性が続く間に町についてくれ!
俺は行きたくなかったはずのアルラニアを、切望していた。
その町は、巨大な木々が世界を覆いつくす手前にあった。
壁に囲まれた町だ。壁が高いせいか、背の高い建物は見えない。屋根が見え隠れする程度だ。壁より高いのは、壁に組み込まれている尖塔くらいだ。
カラフルな屋根が見え、明るい町という印象だ。
同時に、俺の理性の救い主だ。
何とか耐えきった!
俺は安堵した。
馬上の、アーディングの腕の中のまま、門をくぐった。
宿屋らしい建物が並ぶ。
続いて屋台が並んだ。そこがこの町の繁華街らしく、人通りが多い。
色々なものを売っている。村にはなかったものだ。
俺は興味をひかれた。
何も買えないけど。
異世界で売り買いされているものがどんなものなのか、興味あるじゃない?ウインドウショッピングしてみたい。窓ないけど。
人々がこっちを見ているような気がする。
女の人が口元に手を当て、キャッキャと俺の方を見ている。いや、アーディングか?
違う、俺の状態を見て、喜んでいるんだ!アーディングの前に、横向きに座り、アーディングの両腕に守られている。ともすれば、その胸に支えられる、この状況!
女性陣のハートに響くものがあるようだ。
俺のハートは赤く染まって震えてるぜ。
カッコつけても無駄だな。俺にGの鼓動はない。
妄想でもごまかしきれない。
恥ずかしー!
繁華街を抜けてしばらく進み、一つの建物の前に止まった。
そこが冒険者ギルドで、俺の目的地だ。アーディングの目的地でもあった。託されたものの届け先がギルドだった。
アーディングは馬を下りると、俺を抱き下ろしてくれた。至れり尽くせりだ。
もう、ほれぼれする…。
俺は不覚にも、うっとりとアーディングの顔を見つめていたらしい。
アーディングの顔が近づいてくる。
待て待て待て待て!
俺は慌ててアーディングから離れた。
危なかった…。
アーディングの手が物欲しそうに、俺に向かって伸びていた。
こいつ、俺が男と分かっているのか?
待てよ?俺、男だと名乗ったっけ?
「あ、ありがとう」
俺はしどろもどろに礼を言った。相手の顔もまともに見れない。
相手は男だぞ?なぜ見れない!美形ではあるけども。ずっと見ていたいほどに。
「でも、俺、一応男だから、その、そういうのは…」
「かまいませんよ」
アーディングの涼しい声が聞こえた。
見上げると、アーディングが愛おしそうに俺を見ている。
「男ですよ?」
「ええ。気付いておりました。麗しの君」
えっと…。
俺は反応に困った。
「性別は私の想いを阻むものではありません」
アーディングはそう言い、
「どうか、別れの口づけの許しを」
と、会釈した。
「断固断る!」
危なく受けるところだった。俺は断ることができて安堵した。
「そうですか…。残念です」
アーディングはそう言ったものの、冒険者ギルドに入ると見せかけて、俺の手を引いた。
くるくると回って、いつの間にかアーディングの胸の中にいた。
アーディングが俺の顎を引き上げる。
目の前に、アーディングの唇があった。
俺は咄嗟に手を口に当てた。その手にアーディングの唇が触れる。
ああ、柔らかく、温かく、湿っぽい…。
危険な匂いが漂っていた。
これが唇に触れていたら、きっと、気が付くと裸で抱き合ってる結果だな。
恐ろしい男だ…。
アーディングは残念そうに俺を離した。
この男、意外と危険人物だった…。
俺が警戒して見ていると、アーディングは冒険者ギルドの入り口を開けて、俺に道を示した。
まるでレディーファーストだ。俺、男なんですけど…。
自信がなくなりそうだ。
俺はアーディングを睨み、身構えたまま、ギルドに入った。
ギルドの中には数人の冒険者らしい人々と、カウンターに受付の女性がいた。
アーディングは受付嬢に、預かりものの荷を手渡し、俺を紹介した。
「新しく配属になったセシルですね?連絡をもらってます」
受付嬢はアーディングの顔を恍惚と見つめながら、石板を出し、俺にこの上に手を置くようにと言った。
こっちを見てくれよ…。まあ、おかげで俺は受付嬢を見ることができたんだけど。
結構きれいな人だ。二十代かな?
その目で見つめられたら、思わず目をそらしてしまうだろう。前世の症状が、未だに付きまとっていた。
俺は言われるまま、石板に手を乗せた。
石板が輝く。
受付嬢は何も言わず、アーディングを見つめたまま、石板をむしり取った。
態度!
俺は思わずツッコミたかったが、相手が女性だと、声が出ない。ヘタレだった…。
受付嬢は名残惜しそうにアーディングから視線を外し、石板を見た。もう一度見た。
さらにもう一度、石板を見つめ、俺を一瞥し、また石板を見た。
「どうかされましたか?」
アーディングが怪訝そうに尋ねた。
「えっと、稀にみる最弱ステータスです。クラスも未定なんて、初めて見たわ」
「クラス?」
俺は思わず尋ねた。
「戦士、剣士、騎士、魔法使いなど、あなたの特性のことです」
アーディングが答えた。
「それが未定とは、私も初耳です」
「魔力もゼロに等しいです。それに、見たこともないスキルが二つだけ」
受付嬢は同情するような目で俺を見ていた。
どうやら、相当貧相な結果だったらしい。
まあ、弱いのは知ってたよ。でも改めて言われると、傷つく…。
アーディングがそっと俺の背に触れた。
ああ、もう、このまま…。
待て待て!身を任せるな!
俺は慌てて離れた。
アーディングは素知らぬ顔で、
「見たことのないスキルとは、どのようなものでしょう?」
と受付嬢に尋ねた。
「えっと、寵愛、恩恵の付与、だそうです」
「どのようなものなのかもさっぱり分かりませんね」
アーディングも首をひねった。
「スキルにレベルもついています。どちらもレベル一ですけど」
受付嬢はそう言った後、
「スキルを使ったことある?」
と俺の目を見た。
俺は思わずうつむいて、首を左右に振った。
そんなスキル、見たことも聞いたことも、当然使ったこともない。
そもそも自分が何かのスキルを持っていたことも知らなかった。
ん?
そう言えば、転生するときに、あのじいさん、スキルを餞別として与えるとか何とか言わなかったっけ?
それがこれのことなのか。
と分かっても、どう使うものなのかもさっぱりだけど。
寵愛、恩恵の付与。どちらも戦闘向きではなさそうだ。つまり、役立たず、ということか。
最弱で、役立たずのスキル持ち。
泥沼だな。
「あなたに任せられる依頼は…」
受付嬢が言葉を詰まらせた。
無いのかい!
「そうでした。依頼の前に」
受付嬢は思い出したように口を開いた。
「今後どちらに宿泊するか、教えてください」
「宿泊?まだ決まってません。お金もあんまりないし、どこか安いところ、あります?」
俺はうつむいたまま、尋ねた。
強制徴収の割に、かかる経費は自分持ちという、地獄の冒険者修行。そうと分かっていたから、質問できた。
「もしよろしければ、私の所へ来ませんか?」
アーディングが提案した。
「私の住まいがあるのですよ」
俺は思わずアーディングを見つめた。嬉しそうな顔になっていたらしい。アーディングが愛おしそうに頷いた。
「あ、いえ、せっかくだけど、遠慮しておきます。俺の修行でもあるし」
「そうですか?いつでも困ったら、尋ねてください」
アーディングは残念そうに言うと、受付嬢から紙とペンを借り、住所を書いて俺にくれた。
受付嬢がすごい形相でメモを見ていたことは、気付かなかったことにしておこう。
「ありがとう。困ったら…行かせてもらうよ」
俺は一応、メモをポケットに入れた。
これを使う時は、相当の覚悟が必要だ。貞操をささげる程度に。
守れ!俺のケツ!
受付嬢が安宿を紹介してくれた。何とか数日滞在できそうだ。でも、すぐに仕事をしないと、資金が尽きる。
「仕事、あります?」
俺はうつむいて尋ねた。
「そこの掲示板に張り出したものの中から、五等級の依頼書を選んでください」
受付嬢は言った。
俺は早速掲示板の前へ行った。
「麗しの君」
アーディングが耳打ちした。耳がこそばゆい。もっと吹きかけられたら、おかしくなってしまいそうだ。
俺は身を引いて耳を守った。
「私は用があるので、これで失礼します。お困りでなくても、私の所へ訪ねてきてください」
アーディングはそう言うと、会釈して立ち去った。
貞操は守られた!
俺はしばらくアーディングを見送った。
守り切ったぞ!
おっと、それはいいとして。
いつまでも見送っていたら、名残惜しそうに見えるじゃないか。
俺は慌てて掲示板に振り向いた。
モンスターの討伐依頼が多い。一等級から四等級。希に五等級向けがあるものの、ゴブリンに苦戦する俺が、一人で戦えるとお思いですか?
俺、誰に言ってるんだろう?
まあいいや。
薬の調合、資材の収集。三等から四等に多い。調合技術なんて、無い。
あった!
簡単な調達依頼っぽいのが、五等級だ。
森に生えている薬草の採取だな。採取する薬草についても書かれている。
これなら俺でもできる。何せ、モンスターと出くわさない方法を知っているのだから。
俺は早速その依頼書を取って、受付へもっていった。
「これ、お願いします」
しどろもどろになりつつ、俺は何とか言った。
「薬草の採取ですか。まあ、そんなところでしょうね。危険に出会ったら、迷わず逃げてくださいね」
受付嬢は優しいことを言って、受理のハンコを押した。
俺は冒険者ギルドを出ると、先に安宿を訪ねて部屋を取った。残念なことに、食事代が別だった。
これでは手持ちが三日で尽きてしまう。
貧乏は世知辛いのぉ。
俺はすぐに町を出て、北の森に向かった。
日本では観光地になりそうなほどに、幹の太い、樹齢何千年といった木が、頭上高くそびえていた。
ふと、あるアニメを思い出す。
巨人が出てきて人を食べるんじゃないだろうな…。
思わずそんな気分にさせられる森だ。
実際、巨人のモンスターもいるのかもしれない。出くわさないように気をつけなきゃ。ひとたまりもない。
森の中はいたるところに魔法陣があった。青い魔法陣はほぼなく、赤に近い。
中には複雑な紋様の魔法陣まであった。まさか魔神クラスは出ないと思うんだけど、近づかないに越したことはない。
魔法陣を避けると、かなり複雑に行ったり来たりしなければならなかった。
依頼書に、採取場所のおおよその位置も書かれていた。そこは森を多少分け入らないとたどり着けない。
魔法陣に触れないルートを、まるで迷路を攻略する気分で捜し歩いた。
時間さえかければ、こんなところ造作もない。
俺は難なく迷路を攻略し、採取場所にたどり着いた。
指定の薬草を、指定の量集める。
簡単簡単。
俺は鼻歌交じりに薬草を集めた。
さすがにたどり着くまでに時間を要していた。薬草を集め終えるころには空が赤く染まった。辺りも薄暗くなっている。
暗闇に閉ざされる前に森を出ないと。
金がないから、明かりの用意もできるわけがない。
俺は視界の悪くなる中を急いで戻った。
何か後ろの方で騒がしい気がするけど、気にしている場合じゃない。
時間がないんだ!
だけど、騒ぎの方が俺を放っておいてくれなかった。
「死霊の森があふれた!」
叫び声が聞こえた。
森に分け入っていた冒険者だろう。
「モンスターにかまわず逃げろ!」
そんな声も聞こえた。
足音が迫る。
どう考えても、人のものとは思えない足音もある。
俺は怖くなって振り向いた。
数人の冒険者が横に広がって走ってきた。
その後方に、モンスターの山。山。山。
魔法陣を通過するたびに、その数は増していた。
なんじゃこりゃ!
せっかく魔法陣を回避してきたのに、これでは意味がない。
回避していたら、後ろの集団に飲み込まれる。
このままじゃ死ぬ!絶対死ぬ!もみくちゃにされて死ぬ!轢死だ!
俺は思わず走り出していた。魔法陣が反応しようが、かまってられない。
そこから何かが出現していたけど、気にしない。
後ろの集団に轢かれるよりはましだ!
幸い、出てきたモンスターは、そこに駆け込んできた冒険者に注意を向けたらしく、すぐ後ろに足音はなかった。
そう思ったのは間違いだった。
唐突に、巨大な蜘蛛が道を塞いだ。
足音がないはずだ。木の幹を渡り歩いていたんだ。
複数の目が俺を凝視する。
人を助ける神獣様では…ないよね?助けを求めたら、こっそりと救いの手を述べてくれる優しい蜘蛛じゃないよね?
どっちかって言うと、ハグ○ッドの飼ってた蜘蛛の方っぽい…。
俺は急いで木の幹の裏に隠れた。
逃げてきた冒険者たちも慌てて方向を変えた。
その後方に、ゾンビやグールやスケルトンやジャイアントやトレントや蜘蛛やなんやかんやと、うじゃうじゃいた。
俺は木の幹を回り、走った。
先ほどの蜘蛛がいなくなっている。
冒険者たちの方へ行ったのかもしれない。
俺は森の外に向かって走った。
全速力で走った。
なりふりかまっていられない。
魔法陣を気にしなければ、森を出るのはあっという間だった。
森を出ると辺りは薄暗くなっている。
街に明かりが灯っていた。その明かりが希望の光に見える。
横を見ると、大勢の冒険者が横並びに走っていた。
こんなにもいたんだと、びっくりするほどに。
後ろの音が恐ろしい。音が鳴る度に背筋が凍る。
恐怖心に駆られて振り向く。モンスターの集団が森からあふれ出ていた。
追いつかれる!
俺はひた走った。変な声が出てたようにも思うけど、気のせいにしておく。
門の守衛が、急げと手招きしていた。
俺は大勢の冒険者たちに轢かれながら、なんとか門を駆け抜けた。
地面に転がり、後ろを見る。
呼吸が辛くて、後ろの様子をなかなか理解できなかった。
次々と冒険者が飛び込んで、俺の回りに倒れる。
最後らしい冒険者が駆け抜けると、守衛は急いで門を閉め、かんぬきをかけた。
門がものすごい音を立てて揺れた。
壁も揺れたように感じる。
周りに転がる冒険者たちが頭を上げ、壁を見つめ、仲間と顔を見合わせた。
大勢が、這いつくばって呼吸を整えている。
俺は呼吸が整うと、自分の確認をした。
なんてことだ!
採取した薬草がだいぶ減っている。どこかに落としたんだ。
でも、怪我はない。
命あっての物種か。外が落ち着いたら、また森に行けばいいさ。
俺は気楽に考えた。
「戦える者は壁の上に集まれ!」
誰かが号令し、人々が壁の上に向かった。
横で倒れていた冒険者たちも立ち上がり、壁に向かった。まだ戦うらしい。
俺には無理だ。弓も引けない。
俺は戦えない人だからと、頭の中で言い分けをして、冒険者ギルドに戻った。
ギルドは受付嬢以外誰もいなかった。
「あら!無事だったのね」
受付嬢は俺を見ると、喜んだ。
「初日に死んだら最短記録だったわ」
何かとんでもないことを言っているけど、とにかく無事を喜んでくれているらしい。
俺は残った薬草をカウンターに置いた。
「あら、予定の量に足りないわね。これでは依頼達成にはならないわ。残念だけど」
「ですよね…」
「この薬草はこちらで買い取ります」
受付嬢は優しく言った。
が、もらえた額は、パン一つ分だ。優しくない。
「華々しく、悠々自適な冒険者ライフ…は求めてなかったけど、世知辛く暮らしたいわけでもない!」
ぼやいてみても始まらない。
俺は寂しい懐を抱えて安宿に戻った。
7
命あっての物種だ。
だから、森から逃げかえったことに後悔はない。断じてない。
無いが、ひもじい。
俺は宿屋を追い出されていた。
だって、あれから一週間経っているもの。
宿屋を手伝うからとねだってみたけど駄目だった。厩でいいからと言っても無駄だった。
ゲームなら厩にタダで泊まれるのもあったのに。テレポート罠で壁に入って終わることが多かったけど。
それはそれとして。
俺はひもじい。
世知辛い風に吹きさらされ、壁の上から外の如何ともしがたい状況を眺めて過ごしている。
アンデット以外のモンスターは森に帰った。
今や、死霊の森からあふれ出たアンデットたちが壁を、唸り声を上げながら殴りつけたりぶつかったりしているだけだ。
ただ、数が多すぎる。
ゾンビの足が速くなくてよかった。音に反応して飛び込んでくるようなものでなくてよかった。
ブラピにはなれないからな。あんな群れの中を観察しながら逃げるなんて、無理。
グールがゾンビを食べている。
おかげで少しずつ数が減っているけども、一ヶ月はかかるんじゃないかな。外に出られるようになるのは。
もっと早く解決するには、死霊の森の中にある神殿に浄化の宝珠を置くことだと、冒険者ギルドの受付で聞いた。
その宝珠は偶然にも、アーディングが届けたものだ。
死霊の森は数年に一度、今みたいな現象が起こるので、聖人が集まって宝珠を作り、死霊の森を清めるんだそうだ。
考えてみると、そんな貴重なものと一緒に、俺は運ばれてきていたんだ。
片や、役立たず。皮肉なもんだ。
皮肉ではお腹は太らない。
宝珠を死霊の森に運ぼうにも、アルラニアを囲むアンデットの数が多すぎて、誰もむかえないらしい。
すると、外のアンデットが減るのを一ヶ月待ち、それから宝珠を置きに行くことになる。
俺のお腹は持たないよ。
すでに限界に近い。
意識も時々飛んでるよ。
三日飲まず食わずだから。
なんとも卑怯なことに、井戸の持ち主なんてのがいて、外に出られないことを言い訳に、水汲みに金をとるようになった。
人の命に関わるんだぞ?卑劣過ぎないかい?
夢に見た異世界は、世知辛い。
こんな現実は見たくなかったね。
冒険者稼業も、ブラックだよ。稼げないと、食えない。
三日前に半日働いて、パン一個だものなぁ。
ああ、思いだしたらお腹が鳴りだした。
町の中に、薄汚れた人々が、うなだれて徘徊していた。
俺ももう直ぐ、あの仲間入りだ。
アーディングの顔が浮かんだ。
アルラニアで唯一、俺を助けてくれそうな人物だ。
アーディングなら、優しく微笑み、俺を迎え入れてくれるだろう。
食事を恵んでくれ、一緒に風呂に入り、そのままベッドへ…。
それは嫌だ。
ギリギリまで我慢しよう。
人は飲み食いしなくても…あれ?あれって一週間だっけ?もっと短かったっけ?
え?もう三日…。
もうやばいってこと?
俺、餓死するってこと?
そんな終わり、嫌だ!
俺は立ち上がってアーディングの家を訪ねようと考えた。ケツをささげれば、生きていけるんだ。背に腹代えられない。
だけど、足に力が入らない。
震えて力が抜ける。
俺は這いずって、時間をかけて壁から下りた。
誰も俺を助けてくれない。
冒険者が時々壁に上がったり下りたりしているけど、俺のことは見て見ぬふりだ。
もっと優しいお姉さんとかいてもいいと思うんだ、俺は。
聖女様みたいな冒険者が足を止めて、俺に飲み物と食べ物を恵んでくれる。そんな出来事があってもいいじゃないか。
そんでその聖女様と楽しく夕食を…。
おっと、俺、いつの間に立ち上がってたんだろう。今のうちに急げ。
ふらつき、壁に手をつきながら歩いた。
でも妄想の力もそう長続きしなかった。
道半ばで座り込んでしまい、動けなくなる。
俺、もう終わりなんだ。
悲しくなった。
何かが俺の頬を伝い下りた。
俺、泣いてるのか?
指ですくうと、一滴の涙があった。
水だよな…。
俺は思わず指に吸い付いていた。
こんな量じゃ足りない。
と思っても、もう涙が出ない。
なんて都合の悪い体なんだ!
俺は壁に背を預けた。
今まで何度も死にかけた気がするけど、今回ほど確実なものはなさそうだ。
どうせ死ぬなら、女の子にもみくちゃにされて死にたい。
そう。このまま妄想を続ければ、また立ち上がれる。きっと立ち上がれる!
いいの思いついたぞ。
女体化の薬を手に入れ、アーディングに飲ませれば、俺の希望通りじゃないか!あいつなら美女になること間違いなし!
ケツをささげることもない!
いいねぇ。
気付くと、俺はまた歩いていた。
「大変だ!冒険者が門を開けた!」
通りの向こうで叫ぶ男がいた。
「なんで開けたんだ!」
誰かが言い返した。
「勇敢にもあれを討伐してくるってよ!そいつ、開けた途端にアンデットに踏みつぶされたらしい!」
「なんだって?」
「するってぇと、何か?」
「その何だ!」
「何ってなんだ?」
「アンデットが町に入った!」
聞いていた人々はパニックに陥った。
皆訳の分からないことを口走りながら、走った。
どっちに向かっていいかも分からないらしく、行ったり来たりしている。
ここにもそのうちにアンデットが来るのか。
餓死するのがいいのか、アンデットに食われて死ぬのがいいのか…。
どっちも嫌だな。
どうせなら、美女のゾンビにもみくちゃにされたい。柔らかい身体でぶつかってきて…。
こいつーみたいな?
手で押すと、たまたま?胸に当たったり?お肌触れ合ったり?
よし、いいぞ!俺。
妄想のおかげで歩けてる。
とにかくアーディングの家に匿ってもらおう。食事を恵んでもらおう。後はそれからだ。
皆が同じ方向へ走り始めた。
皆、後ろを気にして走っている。
ついに来たか。
俺はふらふら壁際を歩きながら、振り向いた。
ゾンビとグールとスケルトンの集団が、逃げ遅れた人を襲いながら迫っていた。
俺は横に倒れた。
手をつこうとしたところに壁がなく、横の狭い路地に倒れ込んだ。
「いったぁ…」
頭を打った。手と肘と腰も。
ふと影ができた。
見上げると、アンデットが俺を見ている。
顔は崩れてよく分からないものの、髪らしいものが長く垂れている。胸の辺りに膨らみもある。腰のくびれもある。
腐っていなければ、奇麗な長い足だったに違いない。俺は思わずアンデットの足を見てそう思った。
アンデットが俺に迫る。
腐ってなかったら、奇麗な人だったのかも。そんな人に迫られるなら、俺、大歓迎だ。
綺麗な髪を愛で、くびれた腰を愛で、奇麗な足を愛でる。
最高じゃないか!
アンデットが覆いかぶさった。
ホラー映画よろしく、俺は噛まれるんだな。そんで俺もゾンビになって徘徊する…。
ろくな終わりじゃないな。
でも、どうせ終わるのなら、たとえ腐ってても、女の子の体に触れたい!
俺は思わず、アンデットの体に手を伸ばしていた。視覚補正が必要なので目はつむっている。当然だ。
柔らかすぎるものに触れた。
「あ、ごめん。胸触るつもりはなかったんだ」
俺は思わず言い訳していた。
何かが耳の奥に聞こえた気がするけど、アンデットが返事するわけもない。
俺は謝りつつも、指を動かした。
望んだ弾力がない。
俺の指はどこまでも、肉の中にめり込んでいく。
こんな感触嫌だ!
綺麗な女の人の柔肌を撫でて愛でたいんだ!
『対象を寵愛しますか?』
耳の奥にはっきりと聞こえた。
「は?何言ってるの?」
『対象を寵愛しますか?』
同じ言葉を繰り返す。
俺は思わず目を開けた。
アンデットの顔が目の前にある。
「ひっ!」
俺は目をそむけた。
もう噛まれる!
…待てども痛みはない。
そっと目を開けると、同じ位置のまま、アンデットが止まっていた。
俺の手がアンデットの腐った胸に突き刺さっていた。
思わず引こうとしたものの、手が動かない。
それ以前に、まぶた以外動かない。
これってもしかして…時間が止まっている?ついに俺も能力に目覚めた?
ここからヒーローへの道が!
動けないけども。
動けないと意味ないじゃん。
あの主人公、どうやってこの状況から動けるようになったんだ!教えてくれ!オラオラオラオラ!
『対象を寵愛しますか?』
また耳の奥で声が聞こえた。
寵愛…愛するってことかな?
そりゃ、腐ってなければ、大歓迎だよ。
相手は女の子だもの!
『対象を寵愛しますか?』
俺はどうしていいか分からないので、とりあえず、
「イエス!」
と叫んだ。
するとどうしたことか、俺に覆いかぶさっていたアンデットの体が光に包まれた。
アンデットの体がゆっくりと下がり、俺の手が抜ける。
アンデットの体はそのまま宙に浮き、光に包まれて見えなくなった。
眩しい!
俺は両手で目を覆った。眼をつむっていても眩しいんだ。
気付くと眩しくなくなっている。
俺はそっと手をどけ、ゆっくりと片目を開けて確認した。
目の前に一人の女の子が立っている。
破れ、汚れた布を体に巻き付けただけの、半裸に近い格好だ。
素足だ。裸足だ。生足だ!
俺は思わず目をそらした。
でも気になるじゃない?
そっと横目で、ちらちらと見る。
力強い足、スラっと伸びた足、まぶしい太腿、布に覆われた神秘の場所、くびれて引き締まった腰、曲線を描く腹部、布に覆われた柔らかそうなもの…があふれそうだ。
顔は…。
俺は視線を上げていった。
女の子が身をかがめ、俺を覗き込んだ。
大きな瞳。
「きれいだ…」
俺は思わず呟いた。
女の子が唸り声を上げた。
「ひっ!すみません!」
思わず謝る俺。当然、視線を逸らしていた。
何か音が聞こえ、伏せた目を上げると、女の子がアンデットを蹴飛ばしていた。
女の子のおかげで他のアンデットが路地に入れずにいた。
女の子が路地の入口を守ってくれている。
おかげで俺は助かるのかもしれない。
「あ、ありがとう!」
俺の言葉に、女の子の唸り声が返ってきた。
一瞬怖くなったけど、もしかしたら、言葉が話せないのかも。
そもそも、これはどういう状況だ?こんな女の子、さっきまでいなかったぞ。どこから来たんだ?
さっきまで女性の形をしたアンデットがいたじゃないか。あれはどこへ消えた?
アンデットを蹴った女の子の足に、別のアンデットが食らいついた。
足がもげる!
もげた!
もげるものなの?
「ちょ!大丈夫?」
俺は手助けできないけども。足を失って大丈夫も何もないわな。
俺の命はこの女の子にかかっている。でも、足を失ってはさすがに…。
「え?」
俺は思わず、ぽかんと口を開けた。
女の子は別のアンデットの足をつかむと引き抜き、自分の失った足の代用にした。
「ちょっと待って!くっつくの?」
俺の問いに答えるかのように、女の子はくっつけた足でアンデットを蹴りつけた。
大丈夫らしい。
取り付けた足が、奇麗なお肌の足に代わる。
えっと、これって…。もしかして、この子、さっきのアンデット?
女の子の腕がもげた。
女の子は襲ってきたアンデットの腕を奪い、自分に取り付けた。瞬時に自分の腕に早変わりだ。
人形じゃあるまいし、アンデットだな。
見た目は、俺の妄想?それとも何かの魔法でそう見えているだけで、実際はアンデットのまま?
いや、アンデットのままはままか。
なんか、俺、何を言っているのか分からなくなってきた。
「そこのあなた!無事なの?」
路地の奥から野太い声がかかった。
向こう側の通路に、筋肉逞しい男がいて、こっちを見ていた。
「あ、はい、何とか!」
「こっちへ逃げてらっしゃい!さあ、早く!急ぐのよ!」
男はそう言って手招きした。
俺は立ち上がろうとしたけど、手にも足にも力が入らない。
「動けない…」
「あう」
女の子が俺を覗き込んでいた。目で、路地の奥を示した。
「うん。行きたいけど、動けないんだ」
「うー」
女の子は後ろに向かって蹴りを入れると、俺の体を持ち上げた。
楽々と持ち上げて、俺を路地の奥へ運んでくれた。
不思議とこの子と意思の疎通ができた。
「ありがとう」
俺は女の子の顔を見つめた。
綺麗な肌をしている。これは俺の幻覚だろうか。
女の子の顔がすぐそこにあると思うと、ドキドキしちゃう。そんな場合じゃないと分かっていても、ドギマギしちゃう。
目を逸らしても、やっぱり気になってチラ見しちゃう。
俺の体に触れている女の子の…体温がない。というか、冷たい。
けど、俺の体を支えて、崩れるようなことはなかった。
あ、俺、女の子に触れてる…。俺からじゃないけども。触れてる!
初めて触れた!
俺は思わず興奮していた。空腹も忘れ、力が入らないことも忘れ、アンデットに囲まれて危機的状況なことも忘れた。
「さ、こっちよ!急いで!」
男の人が道を示した。
女の子は俺の顔を見た。まるで支持を待つ忠犬のようだ。
忠犬と思ったためか、女の子の顔を見返せた。
「その人について行って」
俺がそう言うと、女の子は俺をお姫様抱っこにして、男の人の後に続いた。
俺を守ってくれるナイトだ!
てか、俺、こんなんばっかりだな。でも今度は、相手が女の子なので、大歓迎さ!
俺が守られる側なことも忘れて、ぼんやりと女の子の腕の感触を味わっていた。
ヒーローたるもの、本来は女の子を守らなきゃ、なのに。
男の案内で、一軒の堅牢そうに見える家にたどり着いた。
男は扉を硬く締め、重たいものでふさぐと、俺を見た。
「どこか怪我をしたの?違うの?よかったわ」
女の子に抱えられたままの俺を、男の人は気づかわしげに見た。
「何?お腹が空いて動けないの?もう、びっくりさせないで。それならそうと仰いな」
男はそう言うと、
「あたし、マリア。よろしくね」
と言って台所に消えた。
え?マリア…?男でしょ?
よく考えてみると、言葉遣いも…。
俺は女の子の腕の中で考えにふけっていた。
「何時までも抱えてるの。しんどいわよ。ほら、そこのソファーに下ろして」
マリアは手に深皿をもって現れた。
俺は女の子に、ソファーに下ろすように頼んだ。
女の子は俺の頼みを聞いてくれるらしい。他の人の言うことには答えない。
かわいい子だ。本当に忠犬みたい。
でも俺の思考はそこで止まった。
この匂いは!
俺のお腹のレーダーが鳴り響いた。
食べ物の匂い!
「残り物でごめんなさいね」
マリアはそう言って、筋肉質な手に納まっていた深皿を俺に差し出した。
俺は思わずむしり取って、スプーンも使わずに、皿に盛りつけられたスープを飲んだ。具も飲んだ。
「ゲホゲホ!」
「ほらほら。慌てなさんな」
マリアはそう言って俺の背中を叩いた。
あまりに力強かったためか、のどに詰まっていた具が飛び出た。
もったいない…。
俺は床に落ちた具を残念そうに見つつ、皿の液体をすすった。
舌、のど、食道、胃…。液体が伝わっていくのが分かる。
それにつれて、生気がわいてくるような気がした。
五臓六腑に染み渡る!
とはこのことだよなと、俺は思いつつも、スプーンをひっつかんで食べた。
マリアはいつの間にか、パンとミルクまで用意してくれた。
俺はがっつき、がぶがぶ飲み、食らいついた。
ものすごい勢いで、数日分の食事をしたような気がする。
「生き返ったぁ…」
俺はひと心地着いた。
「あ、ご飯ありがとう」
「どういたしまして」
マリアはそう言ってほほ笑んだ。
「一体どれくらい食べてなかったのかしら?」
「三日です。水も買えなくて…」
「あの地主は今度、懲らしめてやらなくちゃ」
マリアは物騒に筋肉を盛り上がらせた。
この人に懲らしめられたくないな。この筋肉だと、恐ろしい結果しか予測できない。
平手打ち一発で、壁にめり込みそうだ。
でも、俺も怒られるのかな…?
「あの、俺、お金が…」
食事を平らげた後で言うのもなんだけど、対価がない。
「気にしなくていいのよ。困った時はお互いさま」
マリアはそう言った後、首をひねった。
「そう言えば、あなたの名前をまだ聞いていなかったわね」
「俺はセシルです」
俺は本名を名乗った。恥ずかしがって隠さなくても、この人なら大丈夫に思えた。
「いい名前ね。あなたにピッタリ」
マリアは俺の名前を褒めてくれた。
「そっちの女の子の名前は…?それにしても薄着ね。ちょっと待ってらっしゃい。いくつか見繕ってあげるわ」
マリアは尋ねておきながら、返事を聞かずに奥へ消えた。
奥でガサゴソ音が続いた後、
「ちょっとこっちへいらっしゃい」
と言った。
女の子は動かない。
俺も食事に満足して動けない。
「その子、名前は?」
マリアの声。
名前か。名前あるのかな?というか、元アンデットでいいんだよな?てことは、名前なんてないよな。
女の子が俺をじっと見ている。何かを期待しているようにも見えた。
それは俺の気のせいなのかもしれないけど、そう感じたとたんに、俺が名前をつけなきゃ、と思った。
グールがいたのを思い出した。
よし。
「グル子」
俺は女の子に向かって言った。
「君の名前にしよう」
女の子が嬉しそうに微笑んだ。ように見えた、気がする。俺は思わずうつむいていた。
あ。元はグールではなく、ゾンビかも。
「あ、やっぱりゾン子で」
女の子が嫌そうな顔をした。最初のでいいらしい。
「じゃあ、グル子で」
女の子が笑った。
「ぴったりの名前を付けたつもりだったのに、種類を間違っていた」
とは、言えない。
いつの間にかマリアが戻っており、眉をひそめて俺を見ていた。
「グルコ?ひどいネーミングセンスね」
「ええ!グル子いい名前じゃない。ほら、この子も喜んでる!」
「本人がいいなら、いいわ」
マリアはそれ以上追及しなかった。
グル子が普通の女の子とまるで違うのに、マリアは追及すらしなかった。
マリアと俺とでは妙にニュアンスが違う呼び方になっていることに気付くのは、もう少し後だった。
「グルコちゃん。こちらへいらっしゃい。セシルは来ちゃダメ」
マリアは動こうとしないグル子を引きずっていった。
俺は久方ぶりに腹が膨れ、眠気に襲われていた。
8
物音に、俺は重いまぶたを上げた。
女の子が視界に入った。
俺はまぶたを閉じる。
確か、黒いブーツにホットパンツだった。奇麗な足だった気がする。
俺は気になって目を開けた。
黒いロングブーツの上に、可愛らしい膝と、まぶしい腿があった。その上にホットパンツだ。腿とパンツとの境目がまぶしすぎる。直視できない。
俺の眠気は飛んでいた。
ホットパンツの上は動きやすそうなシャツ。シャツの胸が膨らんでいる。
俺はつばを飲み込んでいた。
肩から腕にかけて、コートがある。よく見ると、そのコートは腰までの長さだ。と思ったら、背中側は腿の後ろまである。
変わった形だ。でも、それが似合って見えた。
手には黒いグローブだ。ブーツとお揃いだ。
コートの上に、奇麗な首筋と、とがった顎。
赤い唇に、整った鼻。目は大きく、幼げだ。
俺は目をそらしたけど、何か引っかかってもう一度見た。
髪は綺麗に梳かされ、背中まで届いている。
女の子が俺をじっと見つめている。
俺もじっと見返した。
こんなに女の子を見つめたことなんて、前世でも、この異世界でもないぞ。
違和感の正体が分かった。
グル子と目が同じだ。天真爛漫な瞳が同じだ。
でも、髪がこんなだったかとか、記憶にない。
「どう?綺麗になったでしょ?あたしの見立てた服もぴったりよ」
野太い声が聞こえた。マリアだ。
「グル子なの?すごい!見違えた!」
俺が喜んだと分かり、グル子は笑った。
笑顔がまぶしすぎて、直視できない。
「あたしの趣味も役立ったわね」
「趣味?」
「この服もブーツもグローブも、あたしの手作りよ。いつかあたしが着ようと思って作っていたの」
サイズ感が違い過ぎる。足の太さ…三倍?着れない穿けない似合わない。
俺はかろうじて口を閉ざせた。危なくつぶやくところだった。
マリアって、どういうサイズ感してるんだろう…?
「そのコート、変わってるね」
「ありがとう」
マリアは誉め言葉と受け取ったらしい。
「さて、あたしは出かけてくるわ。あなたたちはここでゆっくりしていなさい」
マリアは戸口へ向かった。
「どこ行くの?」
俺は不安になって尋ねた。
「門を閉じに行くの。誰かがやらないと、町はアンデットで埋め尽くされてしまうわ」
「そんな。マリアがやらなくても…」
「あたしにはそれができる力があるのよ。持てる者が持てる能力を発揮しなくてどうするの」
マリアはそう言って肉体を見せびらかした。筋肉を自慢としているようだ。
マリアは戸を開けようとした。
「待って!」
俺は思わず呼び止めていた。
マリアがヒーローのようで眩しい。俺もそうありたい。彼?彼女?と行動すれば、ヒーローへの道が開けるように思えた。
「俺たちも行きます」
「危ないわよ」
「確かに俺は何もできないけど」
俺はグル子を見た。
「グル子はたぶん強い。グル子ならマリアの手助けになると思うんだ。んで、グル子は俺の言うことしか聞かないと思う。だから、俺も一緒に行く」
「足手まといはいらないわ」
マリアは痛烈に言った。
「グル子が守ってくれる!」
マリアは俺とグル子を交互に見た。
「全幅の信頼を置いているのね。羨ましい」
マリアの最後の一言は聞き取れなかった。
「正直、人手は欲しいわ。そうね。あなた、冒険者修行ね?じゃ、覚悟はできてるのね。いいわ」
マリアはすぐに同行を認めた。
覚悟なんてないけども、町を守るマリアに感化されただけだけども。
でも、何かしたいと思う気持ちも、俺の胸の奥でうずいている。この気持ちは間違いでないはずだ。
だって、俺は今も、ヒーローに憧れているんだから。
「グル子。俺とマリアを守ってくれ。頼む」
グル子を見ると、嬉しそうに頷いた。
本当に理解しているのか疑問が残る。けれども、路地でのことを思うと、グル子は俺を守ってくれるのは間違いない。そして、強いはずだ。俺の信じるグル子なんだから!
こういうものに、根拠なんて必要ない。ヒーローの強さに根拠がないのと同じに。
俺はマリアの後ろに立った。
大丈夫。体は動く。
マリアは俺に向かって頷くと、かんぬきを外し、ゆっくりと戸を開けた。
目の前をアンデットが徘徊していた。
マリアはアンデットを殴り飛ばした。
アンデットが落下した先へ、他のアンデットが意識を向け、動き出した。
マリアはそっとやり過ごすと、通りに出た。
俺も後に続く。
グル子もちゃんとついてきた。
ブーツになれないのか、少し歩き辛そうではある。
マリアは近くに落ちていた大きな板を拾い上げ、それの硬さを確かめた。
「ちょうどよさそうね」
呟くと、マリアは板を盾のように持ち、板にタックルするように走り出した。
俺は慌てて後を追う。
グル子は初め、遅れがちになった。でも次第にブーツになれたのか、追いついてきた。
道行くアンデットはマリアの板にぶつかり、そのまま巻き込んで押された。
まるで人力ブルドーザーだ。
マリアは根こそぎ、前にあるものを押した。強烈なタックルはとどまることを知らず、道を切り開いていく。
板に巻き込まれなかったアンデットが横から襲い掛かってくる。
グル子の足が宙を舞った。奇麗な軌道を描き、アンデットを蹴り飛ばす。
グル子は着地すると反対側へ飛び蹴りを放ち、アンデットを弾き飛ばした。
マリアお手製のコートが、まるでマントのように翻る。
かっこいい…。
グル子はさらに、背後から迫るアンデットに飛び込んで、踊るような動きで殴り、蹴った。
黒いブーツとグローブが大活躍だ。それらが凶器となって、アンデットの接近を阻んだ。
「これなら大丈夫そうだ」
俺はマリアの背に守られ、グル子の格闘技に守られて進んだ。
前方の路地に魔法陣が見えた。
え?町中に?
俺は疑問に思ったものの、マリアの進行上にある。
魔法陣からモンスターが現れたら、完全に不意をつかれることになるだろう。
「マリア!左に寄って!右を行ったらモンスターが出現する!」
魔法陣に関することは、誰にも信じてもらえなかった。
マリアも信じず、そのまま突き進むのではないかと思った。
マリアは何も言わず、進路を少し左方向へ向けた。
よし!それなら魔法陣の関知外だ。
魔法陣は点滅を始めていたものの、モンスターが現れることはなかった。
魔法陣の近くをアンデットが通っても、反応しない。同じく、アンデットが魔法陣に触れても消えることはなかった。
人間にしか反応しないのかな?それに、魔法陣の模様の違いのせいかな?アンデットが消えないってことは…。
俺は魔法陣の新たなルールを発見したような気がして、考察したかったけど、そんなことをやっている暇はない。
前方に、他にも魔法陣があった。
俺はその都度、マリアに方向を指示した。
マリアは何も言わず、俺の言う方向へ進んでくれた。
横の路地から冒険者が現れた。その冒険者が、マリアが避けた魔法陣に触れる。
空中からジャイアントが現れ、冒険者を押しつぶした。
「あれを避けていたのね」
マリアは横目で確認して言った。
「でもセシル。どうやってあれを予測したの?」
「説明しても誰も信じてくれないんだ」
「現象を見たのよ。あたしは信じるわ」
マリアは板を力強く押し続けた。その背中が、妙に俺を信頼しているように見えた。
かっこいい背中…。これがヒーローの…。
俺はマリアをヒーローとしか見えなくなっていた。ヒロインか?まあいいや。
「モンスターが現れるところには魔法陣があるんだ。その魔法陣は…そこ右に寄って。もう少し!オッケー!…その魔法陣は俺にしか見えないらしい」
「確かに信じがたいことだけど、実際に現れるのを見たもの。あたしは信じるるわ。指示をちょうだい!」
マリアはヒーロー映画の緑の巨人よろしく、うじゃうじゃいるアンデットの中を力技で突き進んだ。
これで吠え声を上げたら、まんまだな。
俺はおかしくなった。
グル子が俺の横に並んだ。
グル子は何だろう?格闘技だから…。男に変えれば、新シリーズの主人公の一人かな。
俺は…椅子の人か?
俺は寂しくなった。
いや、一緒に走っているから、椅子ではないな。
俺は気を取り直して、マリアの頼もしい背中に続いた。
グル子が後ろへ動いた。
アンデットをなぎ倒し、戻ってくる。
グル子はシューティングゲームのビットみたいに自動攻撃してくれるな。いい子だ!
俺はグル子を後で褒めてあげようと決意した。
グル子が右側のアンデットに飛び掛かった。
折悪く、左側からアンデットが飛び込んでくる。
まずい!
マリアは動けない。
グル子もこちらを見ていない。
このままではマリアが襲われ、前方の盾を失ってしまう。
俺は思わず、アンデットの前へ飛びだしていた。
あ、俺、戦えないんだった。
思ったときには遅い。
両手を広げ、マリアをかばうようにして、アンデットにはらわたを食いちぎられるだけだ。
そう覚悟していたけど、何も起きなかった。
気付くと、美形の騎士がアンデットを串刺しにしているところだった。
グル子が戻ってきて、騎士に殴りかかろうとする。
「待って!その人は味方!」
俺はグル子を呼び止めた。
グル子はしっかりと俺の言葉に反応し、踵を返して迫り来るアンデットを蹴散らした。
「麗しの君!このような危険なところで何をしているのです!」
美形の騎士はアーディングだった。
俺はケツを気にしつつ、アーディングに礼を言った。
「何って、門を閉じに向かってるんだ。これでも冒険者なんだし」
俺は何もしてないけどね。空しくなるから考えないようにしよう。
「あなたがやらなくても…!いえ、すみません。取り乱しました」
アーディングは見もせずに、横のアンデットを斬り捨てた。
「不肖、私もお供しましょう!」
ビットが一人増えた!
いや失礼。でもそんな気分だった。
ゲームなら、パーティーに入れてもらい、経験値吸い放題のウマウマ状態だろうなぁ。最も嫌われるプレイスタイルだけど。
セカンドキャラなら、養殖プレイさ!
俺はいつからセカンドキャラになった…?
思わず自滅するツッコミを入れてしまった。
「あ、そこ左に曲がって!」
「門はすぐそこです!」
アーディングが抗議の声を上げたけど、マリアは俺の指示に従って左に曲がった。
「なぜです?あのすぐ先だったというのに!」
アーディングは言いながらも、俺の脇を守ってくれた。
「あの先はモンスターが出現するんだ。それを避けたの」
俺は簡潔に説明した。どうせ、信じてもらえないものだし。
「モンスターが…?バカな!町中で…!」
アーディングは言ったものの、眉をひそめた。
「それがあなたのスキルの効果なのですか?」
アーディングは自分の中で、勝手な回答を導き出したようだ。
どのスキルのことを言ってるのか知らないけど、説明が面倒だし。
「そう!役に立つでしょ!」
と、自慢げに言っておいた。
「素晴らしいです!さすが麗しの君!」
アーディングは俺に、最高のスマイルを送ってみせた。
眩しすぎる!ダメージ受ける!ガード不能技!
俺は思わず目をそらした。
そらした先で、グル子が可憐な舞を見せた。どんどん動きがよくなっているように見える。
ホットパンツがまぶしい!
踊りながら、周りの敵を蹂躙する。
グル子って恐ろしい子!
いや、ちょっち言ってみたかったセリフなの。
グル子が味方でよかった。
グル子を信じた俺は正しかった。
グル子は綺麗だし、強いし、もう最高だ!
マリアは俺の指示がないので、右へ曲がった。右に曲がらないと門へはたどりつけないし、正面は壁だったからだ。
路地に魔法陣は見えない。
「そのまま突っ切って!」
「任せなさい!」
マリアは地面を揺るがすほど踏み込んで、素晴らしいチャージを見せた。シールドチャージとも言うのかも。
ゲームではあまり見かけない技だけど、アニメとか、テーブルトークRPGでは時々ある技だ。
マリアは門の向こうまでアンデットを弾き飛ばした。
アーディングが門へ駆けつけ、門の外から入ろうとするアンデットを食い止めた。
グル子が他の路地から向かってくるアンデットを阻止した。
俺か。俺しかいないな。
俺は門の片方を動かそうとした。けど動かない。
アンデットの残骸が引っ掛かってる!
俺は慌ててアンデットの残骸を除去した。
アーディングが必死に戦ってるのを、音で感じる。マリアとグル子が俺を守ってくれてる。
急がなきゃ!
思えば思うほどに焦った。
俺には力がない。アンデットの残骸を動かすだけでも、一苦労だ。でも、この作業に手を割けるのは、俺しかいない。
これは俺がヒーローになる、その一歩なんだ!これはヒーローになるまでの…。止めよう。パクり過ぎる。モチベ上げるにしても、やり過ぎだ。
俺は邪魔なアンデットの残骸の除去を急いだ。
やっと片方の門が閉じる。
もう片方の邪魔なものも除去した。
「アーディング!」
俺が皆まで言わなくても、アーディングは理解していた。
アンデットを退けると、素早く下がって門をくぐり、俺と一緒に閉めた。
外からアンデットが門を押す。
俺とアーディングで門を押さえた。
「かんぬきを!」
アーディングが歯を食いしばって言った。
「分った!」
俺は急いでかんぬきを…ない。どこだ?
焦って見まわしても見つからない。
「かんぬき見なかった?」
俺は思わず叫んでいた。
「これを使いなさい」
マリアが、自分が振り回していた棒きれを投げてよこした。
持ち上がらない…!何この重量!
俺は何とか引きずって門の所へ行った。
アーディングは門を押さえつつ、俺の手助けをしてくれた。
重い棒が持ち上がる。ほとんどアーディングの力だ。俺は棒の向かう方向を調整しただけ。
アーディングは門を支えつつ、重い棒をかんぬきの代わりにした。
力づき、俺は座り込む。
ドスン!
門が大きな音を立てた。でも、棒が支えとなって、門を固定している。
大丈夫だ。もう入ってこない。
アーディングはマリアやグル子の加勢に回った。
無数のアンデットを相手に、よく体力が続くなぁ…。
俺はへたり込んだまま、三人の戦う様子を眺めた。
あ、魔法陣が消えた!
近くに見えていた魔法陣が、薄くなって消えた。
門を閉じたからだな。
また新たな魔法陣のルールを発見したように思う。けどやっぱり検証している場合ではなかった。
戦っている三人が徐々に、俺の方へ下がっていた。
アンデットの数が多すぎるんだ。
このままではアンデットに飲み込まれ、俺たちもアンデットの仲間入りを果たして終わる。
何とかしたくても、俺に能力などない。
魔法でも使えれば!
アニメよろしく、爆炎の魔法でなぎ倒すのがいい。
炎…?
俺は辺りを見渡した。
アンデットの残骸が多数ある。
さっき触った感じ、水分を含んでいないように感じた。今触って確認しても、確かに乾いている。
これならよく燃えそうだ。
火!
ライター!
無いな…。
せめて生活魔法が使えれば…。
俺には無い物尽くしだ。
そういう時は、人に頼る!
俺は潔い男だ!
「誰か火をおこせる?」
「火?種火くらいなら起こせるわよ。料理で使うもの」
「初級の火炎魔法なら使えます」
マリアとアーディングが同時に答えた。
「ああ!そうか!さすが麗しの君!」
アーディングは理解した。
すぐに小さな火球を作り出してアンデットに投げつけた。
アンデットは瞬く間に炎に包まれた。
その炎が隣のアンデットに移り、次々と伝染していく。
「燃えやすいのね!」
マリアはアンデットをつかみ上げると、料理台に乗せるように、その下に小さな火をつけた。
アンデットに火がつくと、マリアはそれをアンデットの集団に投げ込んだ。
炎が広がっていく。
町も燃えてしまいそうだけど…。
命あっての物種だよね?許してもらえるよね?この放火は。
俺は罪悪感に襲われた。
ふと見上げると、炎に包まれたアンデットをグル子が殴りつけていた。
グル子にも燃え移る。
「グル子!」
俺は慌てて駆け出した。
グル子の燃える腕に飛びついて、無我夢中で火を押さえた。
俺が押さえると、火がグル子の腕に吸い込まれるように消えた。
俺は自分の手がどうなっているかなんて考えられなかった。
グル子の燃えていた腕をとった。
「グル子!大丈夫か?痛くない?」
グル子は怪訝そうに俺を見つめていた。
グル子には痛覚がないんだ。元アンデットなんだから、当然といえば当然だった。
グル子が消えてしまっては俺が困る!
俺がグル子を守らなきゃ!
俺が!
俺はグル子の燃えた腕を撫でた。その腕は焼けただれて…ない…。え?
『寵愛のレベルが上がりました』
耳の奥で声が聞こえた。
だからどうしたってんだ!
俺は何かに騙されているのだろうか。
理解できないことが多すぎる!
グル子の腕は、燃える前と変わらず、奇麗だ。柔らかく、弾力がある。女の子の腕…。
俺は顔を真っ赤にして手を放した。
「グル子…グル子…!」
俺は混乱して、言葉も失っていた。
「ご主人様」
聞きなれない女の子の声が返ってきた。
顔を上げると、グル子の唇が動いた。
「ご主人様。私、大丈夫」
グル子から声が聞こえる。
グル子が喋った!
喋った!
「グル子!」
俺は嬉しくなって、思わずグル子を抱きしめた。柔らかい…。
「あ、ごめん!」
俺は慌てて離れた。恥ずかしくて顔も上げられない。だから、グル子が抱きしめられて嬉しそうな顔をしていたことにも気付かなかった。
俺はとにかく、グル子が無事だったことが嬉しかった。町が燃えていることも忘れ、ただただ、グル子の無事を喜んだ。
「ヒーローになるつもりが、町を燃やした犯人になってしまった」
などとは考えないようにしていた。
ま、考えるまでもなく、グル子で頭一杯だったんだけどね。