7.辺境の街
「あそこが、目的の街なの?」
二人は高台に立ち、遠くに見えている街を眺めていた。二人の行く手には街道が細く長く伸びており、その先には草原が広がっていた。その草原の中に街が一つだけ、ぽつんと存在している。街を囲む高い防壁の中に、建物がひしめき合っているのが見て取れた。
「そうです。あの一番奥に見えるのが、おそらくカーシェ辺境伯の屋敷でしょう」
蛮族の住む地が近いという土地柄だけあって、遠目にもはっきりと分かるほどその街の守りは厳重だった。二人の正面に見える大きな南門の前に、街に入るのであろう旅人らしき人影が列を作っているのが遠くからでもよく見えた。
目的地を目にした二人はがぜん張り切って残りの道のりを歩き切り、じきに街に入ることができた。予想に反して、街に入るための手続きはとても簡単なものだった。門番の質問にいくつか答え、所定の通行料を払い、通行証を受け取る。ただそれだけだった。
壁の内側は、遠くから見るよりもずっとにぎわっていた。意外なほど多くの人が道を歩き、様々な店が軒を連ねている。どうやらこの街は、まさに発展している最中なのだろう。少なくともキャサリンの目にはそう映った。
「やっぱり、男性の方がずっと多いのね」
道を行きかう人を見ながら、キャサリンがぽつりとつぶやいた。すぐ横を歩くデイヴィッドものんびりと周囲に目をやっている。その長い前髪は、右目の周りをわずかに隠す一房だけを残して、後はゆるく編んで耳の後ろで留められていた。
旅の途中に少しずつ慣らしていったおかげで、彼はどうにかここまで顔をさらすことができるようになっていたのだった。ただ、前髪を切ることにはまだ抵抗があるようだったので、見苦しくないようにキャサリンが編んで整えてやったのだ。
その結果少しばかり風変わりな髪形になってしまったが、それはデイヴィッドの繊細な容貌にはよく似合っていた。当の本人も、視界が開けているのは新鮮だと言って、新しい髪形を気に入っているようだった。
「ここは兵士の街とも呼ばれているくらいですからね。さあ、まずは住むところを探しましょうか」
「そうは言っても土地勘なんてないし……そうだ、兵士の詰め所で聞いてみましょうよ」
どのみちデイヴィッドは兵士として働くつもりなのだし、兵士のための住居を紹介してもらえるかもしれない。そのキャサリンの提案に、デイヴィッドも笑顔でうなずいた。
兵士の詰め所にはすぐにたどり着くことができた。二人が最初にくぐった南門から続く大通りをまっすぐに進んだ、街の北側。そこにある広場に隣接した建物が、兵士の詰め所だったのだ。カーシェ辺境伯の屋敷もすぐ近くに見えている。
入口の所にいた兵士に声をかけ、事情を説明する。その兵士は気さくな人物だったらしく、二人を上から下までじっくりと見た後、豪快に笑い始めた。どうやら、一目で二人のことを気に入ったらしい。
「へえ、確かによく鍛えられてるな。あんたみたいなのは、ここでは大歓迎だぜ」
「はい、そう言ってもらえると嬉しいですね。剣の腕には多少自信があるんです」
「多少、じゃないでしょう? とても、が正解よ。あれだけの数の山賊をたった一人で退治してしまったんですもの。兵士さん、デイヴィッドはとても強いんですよ」
キャサリンは思わず口を挟んでいた。彼女の脳裏には、先日岩山で彼が山賊を撃退したときの舞うような剣さばきがありありとよみがえっていたのだ。彼女は剣術には明るくなかったが、きっと剣の達人でなければあんな動きはできないだろうと、そう思っていたのだ。
そんなこともあって、彼女は必要以上に熱心に語ってしまっていた。そんな彼女の勢いに押されたのか、兵士は一瞬あっけにとられたような顔をする。しかし彼はすぐに真顔になると、デイヴィッドに向き直った。
「山賊って、街道の岩山に出るやつかい? あいつらはそこまで腕が立つ方じゃないが、地形を熟知している上に、数に任せて襲ってくるからたちが悪いんだ。あれを一人で追い払ったって、あんた確かに腕が立つんだな」
感心したようにデイヴィッドを眺めていた兵士は、ふと何か思うところでもあったのか、今度はキャサリンの方に話しかける。彼は真面目な顔をしようと努力しているようだったが、その口の端にはこらえきれなかった笑みが浮かんでいた。
「それにしても、嬢ちゃんはえらくむきになってたなあ。そんなに、この兄ちゃんの力になりたかったのかい?」
「はい、デイヴィッドはすぐに謙遜してしまいますから。彼はすごいんだって、ちゃんと知ってもらいたかったんです」
キャサリンがきっぱりと答えると、兵士は愉快でたまらないと言わんばかりに大声で笑った。今度は二人の方があっけにとられている。
兵士は笑いながら手を大きく打ち合わせると、そのままデイヴィッドの肩に手を置いた。
「兄ちゃん、あんたいい子を捕まえたなあ。ここじゃ女性が少ないから、嫁探しが大変なんだよ。その点、兄ちゃんはもうそんな心配をしなくていいんだからな。いやあ、うらやましいぜ」
「え、あの、俺たちは」
「照れなくてもいいって。嬢ちゃん、良かったらあんたもここを見学していきなよ。あんたのいい人の仕事場になるんだからさ」
「いい人、って」
キャサリンもデイヴィッドも、見事なまでに真っ赤になっていた。旅の途中、二人がそういう関係であると勘違いされたことは幾度かある。けれど、ここまではっきりと冷やかされたのは初めてだった。
デイヴィッドとそういう関係であると思われることは、決して嫌なことではない。むしろ、嬉しく思う。そう考えている自分に、キャサリンは驚いていた。思わず彼の方を見ると、彼は少し困ったように眉をひそめつつも、やはり嬉しそうに笑いかけてきた。
旅の夜に感じた温かさが、また胸の内に満ちているのをキャサリンは感じていた。
その日の夜、二人は街のはずれ、防壁のすぐ近くにある小さな家に腰を落ち着けていた。この辺りは兵士や店の下働きの者たちが多く住んでいる下町で、小さな家がびっしりとひしめきあっている区画だった。
兵士の詰め所にいた兵士は親切にも、二人にこの家を紹介してくれたのだった。家賃も妥当なものだったので、二人はすぐにこの家を借りることにしたのだ。
「今まで裕福な生活をしていた君には、少し窮屈かもしれないですね」
荷物を下ろしたデイヴィッドが、キャサリンの方を気遣わしげに見やる。キャサリンはそんな彼に、明るく答えた。
「いいえ、あの男爵の屋敷なんかより、よっぽど住み心地がいいわ。……あなたも一緒にいてくれるし」
家賃を節約するという名目のもとに、二人は一緒に住むことにしたのだった。けれどキャサリンの本心は、デイヴィッドと離れたくない、ただそれだけだった。
自分が彼と別々に暮らしてしまったら、誰が毎朝デイヴィッドの前髪を編むというのか。旅の間、寝ぐせの残る頭のまま彼女のところに顔を出し、おとなしく髪を編まれていたデイヴィッドのどこか嬉しそうな顔を思い出しながら、キャサリンは心の中だけでそうつぶやいていた。
「俺も、君がいてくれてとても嬉しいです。……これからも、どうかよろしくお願いしますね、キャサリン」
「こちらこそよろしくね。デイヴィッド、あなたとここまで来られてよかった」
そんな言葉を交わしながら、きっとデイヴィッドも自分と同じように感じていてくれているのだろうと、そう彼女は推測していた。
風が吹けば飛んでしまいそうなほど小さな家は、それでも二人にとってはかけがえのない我が家になろうとしていた。




