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37.南の連中と北の民

 森を抜けたキャサリンたちの目に映ったのは、草原のただ中で立っているカーシェ辺境伯と、彼に付き従う騎士たちの姿だった。


 辺境伯は街の巡回をしている時と同じように自然体で立っていたが、彼を護衛する四人の騎士たちはひどく緊張していた。遠く離れていても、彼らの緊張はひしひしと伝わってくる。


 キャサリンとデイヴィッドはある程度の距離まで近づくと、すっと横にそれて道を開けた。ナァンたちは二人にちらりと目線をやると、また前を見て進み始める。すぐに、辺境伯とナァンはすぐ近くで対面することになった。


「……私はカーシェ辺境伯、この地を治めている者だ」


「あたしはナァン、森の狼の氏族の長老だよ」


 互いに名乗った後、二人の間にはしばらく沈黙が流れていた。その場の全員が、固唾を飲んでことの成り行きを見守っている。


 やがて、ナァンがすっと表情を消すと口を開いた。


「もう聞いているだろうけど、あたしたちの同胞があんたたちに迷惑をかけていることを、改めて謝罪したい。ただ、あいつらの行動は、あたしたちにとっても本意じゃない。言い訳になっちまうけれど、それだけは分かっとくれ」


 対する辺境伯はほとんど表情を変えなかったが、豊かな口ひげに半ば隠れている唇が、ほんの少し笑みの形につり上がったようにも見えた。


「その謝罪を受け入れよう、『北の民』よ」


「おや、あんたはその言葉を知っていたのかい」


「ああ。百年前にこの街の基礎を築いたのは、私の先祖だ。貴殿らのことについても、先祖は書き記している。ただ、貴殿らがいくつもの氏族に分かれていることは、彼らの報告を聞くまで知らなかったが」


 辺境伯の視線が、傍らに控えているデイヴィッドとキャサリンに向けられた。思わず背筋を伸ばす二人に目元をほころばせると、彼はまたナァンに向かって話し始めた。


「さて、ではさっそく本題に入りたい。貴殿らが『聖地』と呼ぶ場所があの街の中にあると聞いたが、それはまことだろうか」


 それを聞いたナァンが、面白そうに目を見開く。彼女は辺境伯と同様に、ありのまま自然体に振る舞っているようだった。


「おや、いきなり本題かい。まあ、そういうのも悪くはないね。確かに、あたしたちの聖地はあんたたちの街の中にある。だけどね」


 みなの注目を浴びているのを自覚しているのかいないのか、芝居がかった仕草で彼女は肩をすくめた。


「その聖地がどこなのか、実はもうあたしたちにも分かりゃしないのさ。百年の間に、詳しいことを知る者はいなくなってしまったからね。今では北のとある地を新しい聖地として定めて、あたしたちはそこで祈りを捧げてる。聖地を奪ったあんたたちに対して少々割り切れない思いはあるけど、裏を返せばそれだけさ」


「ならばなぜ、川の熊の氏族の者たちは私たちの街を襲っているのだろうか」


「それは、あいつらが馬鹿だからだね」


 ナァンの身もふたもない言葉に、その場の全員が何とも言えない表情になった。ぎりぎりのところで声を上げるのをこらえたキャサリンが周囲を見渡すと、デイヴィッドは口元を震わせていて、ファルは無言のまま笑っていた。辺境伯は無表情に見えたが、ほんの少し頬に力が入っているようでもあった。


「あいつらは、聖地を奪還できれば他の氏族の上に立てるって考えてるんだよ。そのくせあいつらは武力しか取り柄がないから、力づくで奪い返すしかできない」


「……ならば、街の中にある聖地を見つけ出して貴殿らの管理下に置けば、川の熊の氏族が攻めてくる理由もなくなるのだろうか」


「たぶんね。ただ、そのためにはまずあたしや他の氏族の長老が街をうろついて聖地そのものを探し回る必要があるし、ちょっと難しいんじゃないかねえ」


「その前に、街の者と貴殿らとの信頼関係を築く必要がある。そういうことだな」


「その通りさ。まあ、うちのファルとそちらのキャサリンはあっさりなじんだみたいだし、希望はあると思うけどね」


「……街の者には北の民たちの事情を触れ回るとして……それだけでは足りんな。何か、彼らの存在が街にとって利益をもたらすような、そんな何かがあればいいのだが」


「あの!」


 難しい顔をして考え込んだ辺境伯に、キャサリンは思わず声をかけていた。デイヴィッドがあわてた顔で止めようとするが、彼女はものおじすることなくそのままの勢いで話し始めた。


「北の民が街に利益をもたらす方法に、一つ心当たりがあります」


 それからキャサリンは一つずつ説明していった。街に住むカインという元兵士が、銀の虹石を見事な装飾品に加工する技術を持っているということ。彼によって作られた装飾品はキャサリンの母の手によって売りさばかれていて、驚くような高値で飛ぶように売れているということ。そして、その原石は北の民の集落近くで多く手に入るらしいということ。


「だから、北の民と手を組んで銀の虹石をこの街の産業の一つにしてしまえば、彼らをこの街に利益をもたらす仲間として、受け入れる下地ができるんじゃないでしょうか」


 話を聞きながらキャサリンの耳元をじっと見つめていたナァンが、重々しくうなずく。


「確かに、銀の虹石の原石はあたしたちからすればありふれたものだ。そしてあんたの言う通り、その職人はいい腕を持ってる」


「……しかしそのカインという男、確か蛮族との戦いで足を負傷し、退役したのではなかったか」


 辺境伯が言葉を挟む。一兵士に過ぎなかったカインのことまで彼が把握していたことに驚きながら、キャサリンとデイヴィッドはうなずいた。


「そんな男が、別の氏族とはいえ蛮族だとみなされている相手と、そうやすやすと協力するだろうか」


 その指摘に、キャサリンはあっ、と口を開けて呆然とする。しかし彼女はすぐに気を取り直すと胸を張り、はっきりと宣言した。


「でしたら、今からカインさんを説得しましょう。東門のすぐ外くらいなら、彼の足でも問題なくたどり着けるはずです。そこまで来てもらって、ナァンさんと話してもらいましょう」


 あまりにも急な彼女の提案に、辺境伯は少し黙って考え込んでいたが、やがて重々しくうなずいた。


「……ああ、君の提案に乗ろう。デイヴィッド、お前は一足先にカインの家に向かって、彼をこちらに連れ出してきてくれ。キャサリン、君はナァン殿と共に、東門のすぐ外へ行ってくれるか」


「はい、カーシェ様。ところで、あなたはどちらへ行かれるのでしょう」


「私がいてはカインも自由に話しにくいだろう。だから、どこか近くに潜んでいることにする。彼の説得には加わらないが、話の成り行きは把握しておきたいからな」


 領主がこっそり隠れるというのもおかしな話だが、彼はあくまでも真剣にそう言っていた。それが分かったのか、ナァンがかっかっと声を立てて笑う。


「あんた、南の連中にしては面白いねえ。あんたが頭で良かったよ。あたしたちとあんたたちが、これからいい関係になれるといいねえ」


「私も同感だ、ナァン殿。さあ、みな準備にかかれ」


 その言葉を合図に、その場にいた者たちはそれぞれの位置に移動し始めた。ここでカインを説得できれば、また一ついい方向に進む。キャサリンはそう信じて、東門に向かって歩き始めた。

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