34.気の早い来客
それから二人は、ファルが森に現れるのをひたすらに待ち続けた。いつもと同じように日々を過ごしながら、週に一度原石を採りに行くために森に向かい、ファルを待つ。しかし、彼は中々二人の前に姿を現してはくれなかった。
「今日もファルは来なかったわね。やっぱり、彼の仲間は私たちのことを警戒しているのかな」
「きっとそうでしょうね。川の熊の氏族は相変わらず街に攻めてきていますし。……今の自分が最前線で彼らと剣を交える立場でないことを、少しだけ良かったと思ってしまいます」
「あなたがそう思うのも当然だと思うわ。川の熊の氏族はファルたち森の狼の氏族とは疎遠になっているみたいだけど、広い意味では彼の仲間のようなものだし」
そう言いながら、キャサリンは周囲の音に耳を澄ませる。やがて彼女は首を横に振り、デイヴィッドに話しかけた。
「そろそろ日も傾いてきたし、帰りましょうか。原石をカインさんに届けないと」
デイヴィッドが背負った袋の中には、カインに頼まれた原石がいくつも入っている。ファルが「銀の虹石」と呼んでいた、あの装飾品の材料だ。
「そう言えば、ファルもこの石を知っていたのよ。細工が見事だって褒めていたわ」
「蛮族が褒めていたなんて知ったら、きっとカインさんは驚きますね」
そんなことを話しながら、二人はいつものように街に戻っていった。ファルに会えなかったことに、少しだけ気落ちしながら。
しかし二人は、すぐにそんな落胆を忘れるほど驚くことになってしまった。東門についた二人は、予想外の人物に出迎えられたのだ。
「母さん、どうしてここにいるの? まだ私たちの婚礼までは日にちがあるのに」
「キャサリン、元気そうね。あなたの言う通りまだ一月近くあるけれど、どうせなら私も準備を手伝おうと思ったのよ。だから予定を調整して先に来ちゃったわ」
「準備を手伝うって、母さんが?」
そう答えながら、キャサリンは動揺を顔に出さないように必死になっていた。ファルのことがあってからそちらに気を取られていて、婚礼の準備は全く進んでいなかったのだ。
しかし彼女の母は目ざとくキャサリンの動揺を見抜くと、得意げに笑った。
「ええそうよ。あなたのことだから、あれこれと忙しくしていて準備を後回しにしているかもしれないって思ったんだけど、どうやら当たっていたみたいね」
「だって、準備といってもそんな大したものじゃないし。人を呼んで式を挙げるだけだから」
「いいえ、大切な娘の晴れ舞台なのよ。しっかり盛大に祝わないと。……前にあなたを苦しめてしまった、その罪滅ぼしくらいはさせてちょうだい」
今まで陽気に話していたキャサリンの母が、不意に悲しげな顔になって目を伏せる。そんな顔をされてしまっては、もうキャサリンには断りようもなかった。
「それにね、私が一足先に来たのにはもう一つ理由があるの。あなたから卸してもらっているあの装飾品ね、あれを作っている職人の方と一度ちゃんと話しておきたかったのよ」
場に満ちた暗い雰囲気を吹き飛ばすように、キャサリンの母はまたにっこりと笑う。ここでようやく、あっけにとられていたデイヴィッドが口を挟んだ。
「ちょうど俺たちも、その職人のところに向かうところだったんです。一緒に行きませんか」
「デイヴィッド、あなたも元気そうでなによりね。ええ、案内をお願いするわ」
そう言うと、キャサリンの母は弾むような足取りで街の中に向かっていく。彼女はふっくらとした見た目の割に身軽なようで、あっという間に先へと進んでいってしまった。
「……前から思ってたんですけど、君って母親似のような気がします」
「よく言われるわ」
「何を話しているの、二人とも。早く行きましょう」
大きく手を振りながら呼び掛けてくる彼女に、二人はあわてて駆け寄った。
「初めまして、カインさん。いつも娘がお世話になっております」
「ご丁寧にどうも。こちらこそ、お宅の娘さんには感謝してもしきれませんよ。それに、あの装飾品をとんでもない値で買い付けてくれるあなたにも」
それから少し経った後、キャサリンの母とカインは互いに深々と頭を下げながらそんな挨拶を交わしていた。
「早速だけど、相談したいことがありますの。あの装飾品、もっとたくさん作ることはできませんか?」
よそ行きの口調でまくしたてるように話すキャサリンの母に、カインは困ったように顎をかくと、机の上に置かれた原石を手にしながら答えた。こちらも、いつもよりずっと丁寧に話している。
「ちょっとそれは難しいですね。こいつを加工するのにはこつがあるんで、職人を増やすにも時間がかかります。それに、俺が知ってる原石の鉱脈はそこまで大きくない。掘る量を増やせば、下手すりゃ数年で原石が尽きちまうかもしれません」
「そうですか……残念です。こちらは今の倍、いえ十倍の量でも取引できますし、そうすればあなたにももっとたくさんお支払いできるんですけどねえ」
「まあ、増産のめどがつくことがあったら、また連絡しますよ」
「ええ、そうしていただけると助かります」
今日が初対面になる二人は意外と馬が合ったようで、二人の会話はそれからもしばらく続いていた。そんな二人を離れて眺めながら、キャサリンとデイヴィッドはそっと目を見かわして微笑みあっていた。
宿に滞在することにしたキャサリンの母と別れて家に戻った後、キャサリンは何か考え込んでいるようだった。ぼんやりと立ったまま、じっと宙を見つめている。
「もしかして、さっきの二人の話について何か思うところでもあるんですか?」
かがみこんで彼女の顔を下からのぞき込むようにしながら、デイヴィッドが小さく首をかしげている。突然目の前に迫った彼の顔にどぎまぎしながらも、キャサリンはうなずいた。
「やっぱりあなたには分かっちゃうのね。森の中で言ったでしょう、ファルがこの石を知っていたって」
「はい、覚えていますよ。彼らはあれを銀の虹石、と呼んでいるのでしたよね」
「そうなの。そしてファルが言うには、あの原石は彼らの集落の近くでよく拾えるんですって」
ここで彼女の言いたいことを察したデイヴィッドが、目を丸くして言葉を継いだ。
「だったら、ファルたちと協力することができれば、原石をもっとたくさん手に入れることもできそうですね。……実現は難しそうですが」
「私もそう思ったから、あの場では何も言わないでいたの。……ああ、ファルは今どうしているのかな」
「きっとうまくいきますよ。……待つしかできないのは、もどかしいですけどね」
二人の目は自然と、窓の外に向いていた。そこにはただ夜の闇が広がっているだけだったが、二人はただ静かにそちらを見つめ続けていた。




