32.蛮族側の事情
まるで駄々っ子を叱っているような彼女の叫びに、不意を突かれたのかデイヴィッドがあっけにとられて目を丸くする。彼女はその隙を見逃さなかった。
大股でデイヴィッドとの距離を詰め、彼の右手首を両手でしっかりと握る。その手を離さないようにしながら、彼女はくるりとファルに向き直った。ファルもデイヴィッドと同じように、ぽかんとした顔をしている。
「ほら、二人とも剣を収めて。まずは落ち着いて話し合いましょう。それでも決着がつかないようなら、その時に改めて戦えばいいじゃない」
そんなことを言いながらも、キャサリンは心のどこかで確信していた。この二人はきっと分かり合えると。少なくとも、停戦に持ち込むことくらいはできる筈だと。
彼女が一生懸命に剣を奪い取ろうともがいていると、やっと我に返ったデイヴィッドがあわてて彼女の手を振り払った。
「わ、分かりました。自分でやりますから。危ないですから、君は手を触れないでください」
そう言いながら、デイヴィッドはゆっくりと剣を鞘に納める。その目は、まだファルをじっと見つめていた。
ファルの方も用心しながら、そろそろと小刀を鞘に戻した。こちらも険しい目で、デイヴィッドをにらみつけている。
どうやら最悪の事態だけは避けられたようだった。そのことに安堵しながら、キャサリンは二人に言い聞かせるように説明を始めた。
「じゃあ、状況を説明するわ。あのねデイヴィッド、この子は……」
「……君は、どうして次から次に厄介事に巻き込まれてしまうんでしょうね」
一通りの説明が終わった後、デイヴィッドが感慨深げにつぶやいた。彼はもうファルへの警戒を解いているようだったが、その顔はまだ険しかった。理解はしたが納得はしていない、そんな表情だった。
「ファル、君は俺たちが戦っている蛮族とは違うんですね」
「蛮族、じゃない。お前たちはひとくくりにしてそう呼ぶが、お前たちが戦っているのは川の熊の氏族で、僕たち森の狼の氏族とは違う」
対するファルも、眉間にくっきりとしわが寄ったままだ。デイヴィッドが騎士だと聞いた時、彼は小刀を抜きこそしなかったが、できることなら噛みついてやりたいと言わんばかりの顔をしていた。
「あいつらが南の連中に戦いを挑むせいで、僕たちまで南の連中に敵視される。今じゃもう、南の連中との話し合いの余地もなくなったって、長老は嘆いてた」
「……結局、川の熊の氏族が問題なのね。ねえファル、彼らはどうして街に攻めてくるのか、あなたは知っている?」
困った顔で二人の間に座っているキャサリンが首をかしげながら尋ねると、ファルはまだ難しい顔をしたまま、ぼそぼそと説明を始めた。
「……お前たちの街がある辺りには、元々僕たちの聖地があった。年に一度、僕たちの先祖は聖地に集まって、祈りを捧げていたって聞いてる」
彼の言葉に、キャサリンとデイヴィッドは無言のまま顔を見合わせた。その間も、ファルは淡々と話し続けている。
「百年くらい前、南から人間がたくさんやってきて、あそこに街を建てた。南の連中は僕たちが近づくと剣を向けてきた。そのせいで、僕たちは聖地に近づけなくなった」
「それって、悪いのは私たちの方よね、どう見ても」
キャサリンが眉間にしわを寄せながらファルを見る。彼は彼女と目を合わせることなく、落ち着いた口調で話を締めくくった。
「百年の間に、僕たちは聖地を諦めた。けれど川の熊の氏族だけは諦めずに、今でも聖地を取り返そうとしているんだ」
「……彼らが攻めてくるのには、そんな理由があったんですね……」
デイヴィッドはどこか遠い目をしている。今までは一方的に攻めてくる蛮族でしかなかった彼らの事情を知ったことで、彼の心境にも変化があったのだろう。
「それにしても、百年前の聖地か……思ってたよりも、根が深い話だったのね」
「ええ。それでなくても、俺たちと彼らとの間には、既に多くの血が流されています。今さら和解するのは難しいでしょう。ファルの話を信じるなら、戦いに加わっていない氏族もいるようですし、彼らとの和解ならできるかもしれませんが……」
「僕は嘘なんか言っていないぞ」
「ああ、済みません。ただ俺たちには、君たちを見分けることができないんですよ。だからみなひとくくりにして『蛮族』と呼んでいる訳ですし」
「簡単だ。まとっている毛皮を見ればいい。僕が着ているのは狼の灰色の毛皮で、あいつらは黒い熊の毛皮を着ている。他の氏族も、その名前にちなんだ毛皮や羽を身に着けている。この装束は、僕たちの誇りだ」
そう言いながら、ファルは胸をそらして身にまとった灰色の毛皮を見せつけてくる。
「そういえば、攻めてくる蛮族はみな黒ずくめでしたね、一人の例外もなく」
納得したようにデイヴィッドがうなずく。幾度となく蛮族と戦ってきた彼がそう言うのだ、ファルの氏族は戦いには加わっていないのだろう。キャサリンははっきりと安堵の表情を浮かべ、そっと胸をなでおろした。
「これで、問題ははっきりしたけれど……打つ手がないことには、変わりがないのよね」
ファルたちに対する誤解を解き、彼らだけでも街の中にあるという聖地に入らせてやりたい。そんな思いを抱えながらキャサリンがため息をつくと、先ほどから考え込んでいたデイヴィッドが決意したように顔を上げた。
「……決めました。俺は今の話を、カーシェ様に全て打ち明けます」
「デイヴィッド、それって」
「カーシェ様って、誰だ」
心配そうに眉をひそめるキャサリンと、きょとんとした顔のファル。
「カーシェ様は俺の主で、あの街で一番偉い人ですよ」
「ねえ、デイヴィッド。そんなことして大丈夫なの?」
カーシェ辺境伯は王からこの地の守りを任された身だ。ファルたちのことを話してしまえば、彼らを討つように命令してくるかもしれない。あるいは、敵である蛮族と通じたとしてデイヴィッドを処罰するかもしれない。そうキャサリンは危ぶんだのだが、彼は笑って首を横に振った。
「あの方はそんな方ではありませんよ。俺はカーシェ様を信じています。……だからどうか、君も俺を信じてください」
彼女の心にまだ不安と心配は巣くっていたが、穏やかに微笑みかけるデイヴィッドの顔を見ると、彼女はそれ以上何も言うことができなかった。黙ったまま静かにうなずく。
そんな二人を見ていたファルも、重々しく口を開いた。
「……僕も、お前たちのことを長老に話してみる。長老は、お前たち南の連中と話し合いたいと、ずっと願っていたから。もしかしたら、お前たちがその願いを叶えてくれるかもしれない」
「はい、お互い頑張りましょう、ファル。俺たちは週に一度この森に来ます。何か進展があったら、その時に教えてください」
「ああ、分かったデイヴィッド。僕は明日の早朝にここを立つつもりだ。何かあれば、また知らせにくる」
キャサリンを置き去りにして話を進める二人を、彼女はぽかんと口を開けたまま眺めていた。
「……案外、気が合うのかもね……」
二人に聞こえないように、そんなことをつぶやきながら。




