31.秘密の交流
そして次の日の午前中、キャサリンはまた森の中にいた。彼女の気配に気づいたらしいファルが、まだおぼつかない足取りで木の陰から姿を現す。その足首には、間に合わせの包帯のようなものが巻かれていた。
「ファル、今日も食べ物を持ってきたわ」
「そうか、ありがとう。今日は何だ?」
「昨日のお肉のソテーが気に入ったみたいだったから、今日もお肉にしてみたの。ほら、煮込みよ。ポールさんの自信作ですって」
言いながら、彼女は手にしたバスケットから次々と料理の入った器を取り出す。それを見るファルの目は、子供らしい無邪気な喜びにあふれていた。
微笑みながら見守るキャサリンの目の前で、ファルは恐ろしい勢いで食事を平らげていった。優に二人前以上あった食器の山が、あっという間に全て空になる。
膨れた腹を満足そうにさすりながら、ファルがにっこりと笑った。昨日のような敵意は、もうみじんも感じられない。
「南の連中は、面白い料理を作るんだな。知らなかった」
「ポールさんの料理は街で一番よ。少なくとも、私はそう思っているわ」
「そうなのか。道理で、やけにおいしいと思った。村一番の料理上手と、いい勝負だ」
そんな他愛無い会話を交わしながらも、キャサリンはちくりと胸が痛むのを感じていた。彼は森の狼の氏族の者だと名乗っていたが、同時に彼は自分が蛮族と呼ばれているとも言っていた。つまりデイヴィッドや兵士たちは、彼の同胞と戦っている。
ファルを助けたことを知ったら、デイヴィッドはどんな反応をするのだろうか。蛮族を助けたことを怒るのだろうか。それとも、子供を助けたことを喜んでくれるのか。キャサリンには見当もつかなかった。
悩んでいても答えは出ない。遅くとも明日には、ファルは家に戻れる筈だ。それまでの間デイヴィッドに気づかれなければ、それでいい。
キャサリンは頭を一つ振ると、すっかりくつろいでいるファルに話しかけた。
「……ファル、あなたは『森の狼の氏族』だと言っていたけれど……どうして、あなたたちは街に攻めてくるの?」
昨日からずっと、彼女はそのことが気にかかっていた。ファルは彼女のことを警戒していたが、話してみると普通の子供とそう変わりはしない。
だったら、街に攻め入ろうとする蛮族との争いも、話し合いで解決することができるのかもしれない。けれど今まで、蛮族相手に説得が通じたという話を聞いたことはない。
ならば、蛮族たちのそんな行いには、きっと何か理由があるのだろう。キャサリンはそう考えていた。
しかしファルは鼻の頭にしわを寄せると、不快感を隠そうともせずに答えた。
「……お前らの街を攻めているのは僕たちじゃない。あれは『川の熊の氏族』の連中だ」
「川の、熊?」
「ずっと西の方に住んでいて、僕の氏族とはほとんど交流がない連中だ。何もかも力任せの、野蛮な奴らだ。あんなやつらとひとくくりにされるのは迷惑だ」
どうやら、キャサリン達が「蛮族」とひとまとめにしている人間の中にも、いくつかの勢力があるらしい。そしてファルの仲間は、デイヴィッドたちと戦ってはいないようだった。その事実が、ふわりと彼女の胸を温かくする。
小さく微笑んだ彼女に、今度はファルが声をかけた。その目線は、彼女の耳元に釘付けになっている。
「それより、お前が耳につけているのって、もしかして銀の虹石か?」
「あなたはこれを知っているの?」
キャサリンの耳には、デイヴィッドから贈られた耳飾りがいつものように輝いていた。カインの手による、虹色に光る銀の石細工だ。
「ああ。僕たちの集落の近くでよく拾えるんだ。この辺にもあるんだな。でも、そこまで見事に加工されているのは初めて見た」
「街の人がこれを作ったの。加工しているところを見たことがあるけど、とても器用なのよ」
彼女がそう答えると、ファルは感心したように目を丸くした後、幼いその顔には不釣り合いな苦い笑いをもらした。
「そうか。南の連中にも色々いるんだな。お前はいいやつだし、料理もうまい。できることなら、一度街に行ってみたかったな」
「だったら、行ってみる? 服を替えてしまえば、たぶんばれないと思うわ」
「僕はこの服を脱いだりしない。この狼の毛皮は、氏族の誇りだから」
「そうなのね。……あなたの氏族は私たちと敵対していないって、分かってもらえればいいのだけど」
キャサリンが何気なく口にしたそんな言葉に、ファルは一気に表情を険しくした。
「僕たちは南の連中に敵対する気はない。けれど、南の連中は僕たちを見かけると『蛮族だ』と言って矢を射かけてくる。そんな連中を信用するのは難しい」
「でも、私とはこうして話せるようになったでしょう?」
「ああ。南の連中にも、話せるやつがいるって分かった。でも、全員がそうじゃない」
「だったら、これから少しずつ分かりあっていけばいいんじゃないかな」
「そうできれば、いいんだけどな」
苦笑しながら答えたファルが、不意に身をこわばらせた。彼はキャサリンの方を向いたまま威嚇するような表情になると、突然小さくうなり声を上げ始めたのだ。
ファルが自分ではなくその背後を見ていることに気づいたキャサリンは、そろそろと振り返り、辺りの様子をうかがった。
川のせせらぎの音に交じって、誰かの足音が近づいてきている。ファルを探しに来た誰かだろうか。それとも、街の人間だろうか。
「ファル、街の人だったら大変なことになるわ。あなたは隠れていて」
彼女は小声でそう言ったが、ファルは喉の奥でうなり声を上げたまま微動だにしない。彼の手は、腰に下げた小刀の柄にかかっていた。
困り果てた彼女がただ成すすべもなく立ち尽くす中、その足音はどんどん近づいてきた。木立の向こうから、その人物が姿を現す。
「ああ、ここにいたんですねキャサリン」
そうして現れたのは、彼女が今一番ここにいて欲しくない人物だった。
「デイヴィッド……どうして、ここに」
「見回りの途中、君が大荷物を抱えて東門を出ていったと、門の警備をしていた兵士が教えてくれたんです。少し気になって、探しに来てしまいました……あれ、そちらの子は」
そこでファルの存在に気づいたらしいデイヴィッドが、わずかに目を見張った後すぐに険しい顔になる。その目は、身構えているファルに据えられていた。
「キャサリン、離れて! その子は蛮族です!」
言うが早いか、デイヴィッドは剣を抜いてファルの方に突きつける。キャサリンの背後からは、ファルが小刀を抜く音がした。
あっという間に、デイヴィッドとファルはキャサリンを挟む形でにらみ合っていた。キャサリンを守ろうとしているのか、彼女に向かってデイヴィッドが左手を差し伸べている。彼女はその手を無視して、彼に呼び掛けた。
「デイヴィッド、この子は違うのよ! お願い、剣を引いて!」
「そちらは戦う気のようですよ」
そう答えるデイヴィッドは構えを少しも崩さない。彼女は彼の方を向いたまま、今度は肩越しにファルに声をかけた。
「ファル、彼は敵ではないの、大丈夫だから!」
「僕に剣を向けている。そいつは敵だ」
二人とも一歩も引こうとしない。おそらく、キャサリンが今の位置から動いてしまえば、遮るもののなくなった二人はすぐに切り結び始めるだろう。
キャサリンが悩んでいたのはほんのわずかの間のことだった。彼女は唇を引き結ぶと腹に力を入れ、ゆっくりと大きく息を吸った。
「ああもう二人とも、いい加減にしなさい!!」
彼女の叫び声が、静かな森の中に響き渡った。




