29.予想外の遭遇
デイヴィッドが意外な一面を見せてからは、キャサリンも反省して二人の時間を大切にするようになった。幸い、彼女が勤める店の移転も無事に終わり、彼女は今まで通り仕入れや経理のみに集中できるようになっていた。
彼女は毎朝、仕事に出かけるデイヴィッドを見送るとすぐに店に出向く。そして店員たちを連れて仕入れに向かい、いったん帰宅して家事をこなす。
午後になって客が減った頃にまた店に戻り、帳簿のつけ方を他の店員に教える。そして夕方、デイヴィッドが帰宅するよりも先に家に戻る。それが、このところの彼女の生活だった。
一日中家事だけをこなしているよりも、何か仕事をしていた方が気持ちにめりはりがついていい。けれど、前のように仕事にかかりっきりになってしまっては、またデイヴィッドを悲しませてしまう。
それらを考えて、彼女はこういった働き方をすることにしたのだ。雇い主であるポールとアンナの了承もちゃんと得ている。キャサリンは以前からずっと、他の店員の育成に余念がなかった。そのおかげで、彼女が少しくらい仕事の量を減らしても、店の運営に支障が出ないところまでこぎつけていたのだ。
そうして週に一度ほど、キャサリンとデイヴィッドは連れ立って東門をくぐり、こっそりと原石を採りにでかける。誰にも見つからないように気を配りながらの二人きりの外出は、ある意味では二人の穏やかな生活におけるちょっとした刺激になっていた。
そんなある日の昼前、いつものように家に戻り掃除をしていた彼女のところに、一人の子供が訪ねてきた。質素だがこざっぱりとしたなりの、少しやんちゃそうな子供だ。
「キャサリンさんだよね? カインおじさんから、これを預かってきたんだ」
「あら、お使い? ありがとう。はい、これはお駄賃よ」
子供にわずかばかりの銅貨を渡すと、その子供は歯の抜けた顔でにっこりと笑い、元気よく去っていった。その背中を見ながら、キャサリンは渡された紙を開く。
そこにはたどたどしい筆跡で、こう書かれていた。
『原石が予定より早く尽きちまった。追加で採ってきてくれると助かる』
次に二人で原石を採りにいく日まで、まだ三日はある。カインは少しでも多く稼ぎたがっていたし、できるだけ早く採りにいった方がいいだろう。
それにカインの装飾品を実際に売りさばいているキャサリンの母からは、矢のような催促が届いていた。彼の手による物珍しい装飾品は、どうやら裕福な人々の間で人気になっているらしい。いくら仕入れてもすぐに売り切れてしまうのだと、嬉しい悲鳴がつづられた母からの手紙がつい先日も届いていたのだ。
その手紙を思い出してくすりと微笑んだキャサリンは、少し考えこむと出かける支度を始めた。東門の方には蛮族や山賊は出たことがない。デイヴィッドには止められているが、急いで行って急いで戻ってくれば、特に危険なことはないだろう。
それからすぐに、彼女は戸締りを済ませて家を飛び出した。一人きりの外出に、ほんの少しだけ後ろめたいような気持ちを覚えながら。
通い慣れた道なき道を突き進み、キャサリンはカインに教えられた秘密の場所にたどり着いた。
大きな木がうっそうと茂る森の奥、苔に覆われた高い崖。ところどころ岩が崩れ、木の根や新しい岩がむき出しになっている。その一角に、周りの岩よりも暗い灰色をしたきめの細かい岩の筋が、うっすらと浮き上がっている場所がある。それこそが、カインが見つけた秘密の鉱脈だった。
「それにしても、こんな分かりにくいものを見つけるなんて、カインさんもついてたのね」
キャサリンは感嘆のため息を漏らす。何度見ても、この鉱脈からあんな美しい石が生まれるということが彼女には信じられなかったのだ。そしてそれ以上に、この鉱脈は周りの岩とよく似ていて、存在を知っていても見つけるのは中々に難しい。
カインはここにたどり着いたのも、あの鉱脈に目をつけたのも偶然だったと言っていたが、だとすると彼は、とんでもない幸運に恵まれていたのだろう。
キャサリンは周囲に気を配りながら、持ってきた金づちで慎重に鉱脈を叩く。高く澄んだ音が森の中に響いたが、その音は近くにある川の音がかき消してくれている筈だ。ただそれだけに、周囲から近づく人がいたとしても気づきにくい。彼女は少し叩いては手を止め、人の気配がしないか耳を澄ませていた。
何度か叩いているうちに、拳の半分くらいの大きさの原石がいくつか採れた。彼女は嬉々としてそれを袋に詰め、金づちをしまうと来た道を急いで戻る。
そうして彼女が川の近くに差しかかった時、上流の方から物音が聞こえてきた。初めは木の枝が折れるような小さな音だったが、どんどんその音は大きくなっていく。少し遅れて、大きな水音が彼女の耳に届いた。
キャサリンは思わず立ち止まり、川の上流を見る。すると、何か大きなものがゆっくりと流れてくるのが見えた。
「今のは一体何だったのかな……えっ、あれって……もしかして、人?」
考えるよりも先に彼女は飛び出していた。荷物を川原に置き、流れてくる人のようなものに向かって川の中を突き進む。幸い、川は深くはなく、流れもさほど速くはなかった。
彼女は手を伸ばしてそれの服の端をつかみ、引き寄せた。そのまま川から引き揚げる。人のようなそれは、わずかに身じろぎしたようだった。
慎重に川から引き揚げたそれを、彼女は困惑しながら見ていた。それは金の髪に白い肌をした子供だった。年の頃は十くらいか、もう少し下かもしれない。どうやら落ちた時に気を失っただけらしく、その胸は規則正しく上下している。
それだけならどうということはなかった。しかしその子供がまとっている服は、キャサリンが見たこともない異様なものだったのだ。
倒れたままの子供は、灰色の獣の毛皮をはぎ合わせた風変わりな衣を着こんでいて、首には獣の牙を紐でつないだ首飾りのようなものをかけていたのだ。その姿は、まるで灰色の獣のようにも見えた。流れてくる子供が間違いなく人であると、キャサリンがすぐに判断できなかったのも無理はなかった。
「この子、どこの子なのかな……」
やはり、一人で来るべきではなかった。今さらながらに後悔していたキャサリンは、ふとあることを思い出していた。
『蛮族はいつも北西から攻めてくるんです。みな全身に獣の毛皮をまとって、首からは獣の牙を下げているんですよ。まるで獣そのもののようにも見えて、とても恐ろしいんです』
いつかのお喋りの間に、デイヴィッドはそんなことを言っていた。彼が語る蛮族のいでたちは、目の前の子供のものと寒気がするほど一致していた。
この場から逃げた方がいいという思いと、気を失っている子供を見捨てておきたくないという思いとの間でキャサリンが揺れていると、子供がまた身じろぎし、目を開けた。
子供は俊敏な動作で飛び起きると、敵意に満ちた目でキャサリンを見つめた。冬の空のような、くすんだ青い目が彼女を真っすぐにとらえていた。




