25.その後のこと
そうしてベンダー男爵が厳重に拘束されてどこかに連れていかれ、ノーラの亡骸も別の部屋に運ばれた。職員たちは、突然起こったこのとんでもない事態の後始末に追われている。
そんな中、キャサリンはデイヴィッドに付き添われ、裁判所の一室に腰を落ち着けていた。ノーラの件について、後で職員が事情を聞きにくるらしい。
先ほどの立ち回りで、キャサリンは薄くではあるが手のひらを切っていた。これくらい放っておいても治るわよ、と主張する彼女に、ちゃんと手当てしないと駄目です、とデイヴィッドは一歩も引かなかった。
彼は騎士としてのたしなみなのか傷薬と包帯を持ち歩いており、それを用いてかいがいしくキャサリンの傷を手当てしていた。
丁寧に包帯を巻かれた自分の手を見ながら、キャサリンは嬉しそうにつぶやいた。
「……やっぱり、愛されてるってとっても素敵なことよね」
「どうしたんですか、突然」
「さっき、男爵と話していた時に思ったの。彼は誰にも愛されていない、とても寂しい人なんだな、って」
そんな彼女のつぶやきに、デイヴィッドははっきりと眉をひそめた。
「……その時のことなんですが、どうしてあんな事を言っていたんですか? ベンダー男爵を下手に刺激してしまえば、君の命が危なかったかもしれないのに。俺は生きた心地がしませんでした」
「ごめんなさい、心配かけて。けれど、どうしてもあの時は怖いと思えなかったの。ただ、かわいそうな人だな、ってそんなことばかりが頭に浮かんで」
「かわいそうな人、ですか。……そうですね、俺もそう思います。君という人を妻としておきながら、君の魅力に気づくことすらできなかったなんて」
「もう、デイヴィッドったら」
隙あらば誉めてくるデイヴィッドに苦笑しながら、彼女はそっと彼の胸に頭をもたせかけた。
「ねえ、デイヴィッド。私、やっとあの過去を過去のものにできたと思うの。今まではあの過去の記憶が、今の私をしつこく縛っていた。でもさっき男爵に会ったことで、ようやく解放された気がするのよ。やっと、過去にけりをつけられた、そう思うの」
「……そう、ですか。本当に……良かった。やっと、君は自由になれたんですね」
デイヴィッドが彼女を抱きしめ、感慨深げにため息をつく。その声にこもった優しい響きに、キャサリンは目を閉じて笑みを浮かべた。
「それでね、一つあなたにおねだりしたいことがあるんだけど……」
「何でしょう? 大切な君のためなら、俺は何だって叶えてみせますよ」
「……結婚式を、挙げたいなって……ほら、結婚した時は私の我がままのせいで、式とかそういうの、しなかったし」
「ええ、もちろんです!」
彼女の申し出がよほど嬉しかったのか、デイヴィッドが子供のような笑顔を浮かべて彼女を思いっきり抱きしめる。キャサリンも笑いながら、最愛の夫をしっかりと抱きしめ返した。
しばらくしてやってきた裁判所の職員に、二人はノーラについて知っていることを全て伝えた。その頃には事情を聞いたアリサも到着しており、職員と一緒に二人の話を聞いていた。
「その、ノーラがあんなことになってしまったのは……ごめんなさい。もう少し、彼女の行動に気を配っていればよかった」
そう謝罪するキャサリンに、アリサは疲れたような笑顔で答え、首を横に振った。
「いいんです。きっと、こうなる運命だったんです。それと、父が……『ノーラが私を毒殺しようとしていたことには驚いたが、それでも彼女は私の妻だった。彼女の葬式は私が責任もって執り行おう』って。彼女は明日、私の家の墓に葬られることになりました」
「……あなたの父君は、素晴らしい方なんですね」
アリサの報告を聞いたデイヴィッドが、しみじみとつぶやく。キャサリンも彼に同意するようにうなずいた。
「きっと、ノーラも喜んでると思う」
ノーラはアリサの父を間抜けのお人よしだと言っていたが、そう口にした時の彼女の目には、ほのかな信頼のようなものが浮かんでいた。きっとノーラは、ほんのわずかではあるがアリサの父に心を許しつつあったのかもしれない。
だからこそ、ノーラはアリサの父を殺そうとしたのだろう。ひたすらに物理的な豊かさだけを追い続けてきた今までの自分を変えられるのが怖いと、きっと彼女はそう思ったのだ。どこにも証拠はなかったが、キャサリンはそう感じていた。
そうして裁判所を出た二人は、キャサリンの両親にまた会いに行った。結婚式について、相談するためだ。
式は二人が暮らしている辺境の街で挙げるつもりだったが、どうせなら両親も招待したい。既に結婚の手続きは済ませているのだし、式を急ぐ必要もない。だから、両親の都合に合わせて式を挙げたい。
そう考えてキャサリンの両親に相談を持ちかけたところ、彼らはふっくらとした顔を輝かせて、急いで仕事の予定を調整すると約束してくれた。
しかし彼女の両親は二人とも多忙ということもあって、式の日取りは三か月ほど後になりそうだった。申し訳なさそうにする両親に、ゆっくりと準備ができてちょうどいいわ、とキャサリンはあっけらかんと笑ってみせる。その横では、デイヴィッドも彼女に同意するように穏やかに微笑んでいた。
そうして二人が古都を去ろうとしたちょうどその日、ベンダー男爵とその執事の刑が決まったということが、キャサリンの両親を通じて彼らに知らされた。
かつて辺境の町の路地裏でキャサリンをだまして路地裏に連れ込んだ執事の男性は、一年の禁固刑。そして男爵は、裁判所でキャサリンに刃を向けたことで刑が重くなり、爵位剥奪の上、遠方の鉱山で強制労働となったのだ。
「……これでもう、あの男が君に関わってくることはないでしょう。やっと、安心できます」
もう傷もふさがり、うっすらとした白い跡を残しているだけのキャサリンの手を取りながら、デイヴィッドがため息交じりにそうつぶやいていた。
「そうね。これでやっと、本当に過去と別れられる。これからは、未来だけを見て進んでいけるのね」
キャサリンはデイヴィッドの手を握り締めると、晴れ晴れとした顔で遠くを見つめた。辺境の街に向かう乗合馬車がその先に停められていて、出発の時を待っている。
「さあ、帰りましょう。私たちの家に、あの街へ」




