23.ノーラの独白
その人物は、息を呑む二人の前でゆっくりと大きな木に近づき、黒い実を丁寧に摘み始めた。デイヴィッドがキャサリンにうなずきかけ、彼女は無言のまま立ち上がる。大きな木の前にいた人物が、弾かれたように彼女の方を見た。
「ノーラ、こんなところで何をしているの」
「キャサリン、あなたこそどうしたのよ」
かつてベンダー男爵の妻と愛妾であった二人は、小鳥の声と葉ずれの音が広がる明るい森の中で、静かに見つめあっていた。キャサリンはにらみつけるような強い目つきで、一方のノーラは不思議な余裕をもった、どこか気だるげな目つきで。
「……その木の実を摘んでどうするつもりなのか、聞いてもいい?」
「別に、私が何をしていても、関係ないでしょう」
「いいえ。……私は知っているのよ、あなたがアリサのお父様に何をしようとしているのか。こうしてここに現れたのも、その実を摘んでいるのも、全部そのためなんでしょう?」
「ああら、そうなの? あなたが一体何のことを言っているのか、全く分からないわ。それに、たとえ私が何か良からぬことをしていたとしても、どこにも証拠なんてないでしょう?」
ノーラがあくまでもしらを切っていると、デイヴィッドが茂みの陰からゆっくりと立ち上がった。その手には、先ほどの小瓶がしっかりと握られている。
「証拠ならあります。あなたに染みついたその匂いと、あなたがアリサの父君に与えていたこの薬です。暗殺未遂の犯人として、あなたとあなたに協力している流浪の民には、しかるべき罰を受けてもらわなくてはなりません」
彼が口にした流浪の民、という言葉に、ノーラの余裕が初めて崩れた。彼女はぎりりと唇をかみしめ、デイヴィッドをにらみつける。
「……どうして……どこから、その薬のことがばれてしまったの」
「俺は、元流浪の民でしたから。この薬のことも、その匂いのことも、良く知っているんです。あなたの罪を裁くため、俺は喜んでこの薬について証言させてもらいます。もうあなたに逃げ場はありませんよ。さあ、共犯者のいどころについて教えてもらいましょうか」
厳しい声でそう答えるデイヴィッド。ノーラは一瞬はっと目を見張ったが、すぐに自嘲のような笑みを浮かべ、力なく肩を落とした。
「……そう、だったの……。共犯者なんていないわ、全部私が一人でやったことよ」
「ノーラ、だったらあなたも流浪の民だったの?」
「ええ、そうよ。私はあの辛気臭い生活に嫌気が差して、家族が暮らす馬車を飛び出したの。それからあちこちさまよって、ベンダー男爵に取り入ることに成功したのよ。あの男はちょっとおだてるとすぐに貢いでくれたし、金づるとしては悪くなかったわ」
男爵が聞いたら激怒しそうな言葉をさらりと吐くと、ノーラは一つため息をついた。
「それも、あなたが離縁されるまでだったけど。あの男ったら、あなたを追い出したとたん私にしつこく求婚してきて、いい迷惑だったわ」
そう言えば、ノーラはキャサリンが離縁された直後に、ベンダー男爵のもとを離れているようだった。キャサリンはそんなことを思い出しつつ、彼女の話に耳を傾ける。
「あの男は愚かだったから、あの贅沢な生活があなたの実家あってこそのものだと気づかなかったの。あなたを目障りに思っていたのは私も同じだったけど、だからといって追い出してしまっては元も子もないのにね」
キャサリンがノーラから目をそらす。ノーラは彼女のそんな様子に気づいていないのか、遠い目をしたまま独り言のように話し続けていた。
「あのままあの男のところにいたら、私まで破滅してしまう。だからその前に逃げ出して、やっとのことで次の居場所を見つけたのに……またあなたに邪魔されるなんて、ひどい巡り合わせだわ」
ノーラは嘆くように、そっとこめかみに手を当てた。もう彼女の目には、キャサリンもデイヴィッドも映ってはいないようだった。
「きっと、あなたを巻き込んだのはアリサね。あの子は私を恐れていたから……こんなことなら、さっさとあの子を追い出しておくんだったわ」
「ねえ、ノーラ。あなたは一体、何を望んでいたの? 次から次へと相手を乗り換えて、挙句の果てには殺そうとするなんて……」
不気味な笑いを浮かべながら、何かに浮かされたように話し続けるノーラ。そんな彼女に、キャサリンが戸惑いながら声をかけた。ノーラはぎらぎらと目を輝かせながら、キャサリンを鼻で笑い飛ばす。
「何って、簡単よ。私は何一つ不自由しない贅沢な生活が欲しかったの。家族と共にさすらっていた小娘だったころからずっと、それだけが私の願いだった。それも、どうやらここまでみたいだけれど」
「やっぱり、私にはあなたが分からない」
「あらあ、奇遇ね。私もあなたが分からないわ。離縁されたとはいえ、いくらでも良い再婚先はあったでしょうに、そんな貧相ななりの男を捕まえて、自分も質素な服を着て暮らしている。そのくせ、それを不満に思っている節もない。本当、分からないわ」
ノーラの目が、キャサリンとデイヴィッドを交互に見る。あざけっているようなその口調とは裏腹に、彼女はひどく真剣な目をしていた。少し気おされていたキャサリンが、憤慨するように反論する。
「デイヴィッドを侮辱しないで。彼は、私にとって最高の旦那様なんだから」
「あれだけの不幸な結婚をする羽目になったのに、そこまで言い切れるだけの相手に出会えるなんて……あなたって、運がいいのか悪いのか分からないわ。でもこれだけは断言できるわね、私とあなたは絶対に分かり合えない」
そう言い放ったノーラの姿は、元のふてぶてしさを取り戻していた。
「さあ、そろそろ下らない話は終わりよ。あなたたちは私を捕らえにきたのでしょう? こうなったからには逃げも隠れもしないわ」
二人に笑いかけると、そのままノーラは森の外に向かって大股で歩き出す。我に返ったキャサリンとデイヴィッドが後を追ったが、彼女は一度も振り返らずに、胸を張ったまま古都まで歩き続けた。
女王のような足取りでノーラは歩き続け、やがて彼女は裁判所にたどり着いた。入ってすぐの広間に控えている職員たちが、何事だろうかという目を彼女に向けている。
あとは彼女をしかるべき機関の職員に引き渡せばいい。そう安心したキャサリンとデイヴィッドの二人は、ノーラの行いに驚かされることとなった。
彼女は突然声を張り上げ、その場の全員に聞こえるように高らかに叫んだのだ。
「私は夫である子爵を毒殺しようとした悪女よ。そこの二人に秘密を暴かれてしまったから、こうして出頭することにしたの。でも、牢獄に入れられるのも、処刑されるのもまっぴらごめんだわ。自分の幕くらい、自分で引かせてちょうだい」
そして言うが早いか、彼女は隠し持っていた短剣を、その豊満な胸の中央に突き立てた。




