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20.疑惑の種

 この日の聞き取りはすぐに終わり、キャサリンたちは明日改めて裁判所に来ることになった。拍子抜けした表情になりながら、四人は裁判所から出てくる。


 旅費と宿泊費はあちらもちだとはいえ、何日も足止めされることにキャサリンの父は難色を示していた。ひとしきり憤慨した後、彼はふと何かを思い出したらしく残念そうに言った。


「私たちはこのあと商談があるんだ。ただ古都に来てそのまま帰るのも、少しもったいないと思って仕事を入れてしまったんだが……お前に会えると分かっていたら、予定を空けておいたのに」


「夕方には終わるから、夕食は一緒に食べましょう。つもる話もその時にね。それじゃあ、また後で会いましょう」


 名残惜しそうにそう言いながら、両親が立ち去っていく。キャサリンとデイヴィッドはそれを見送ると、互いに顔を見合わせた。


「じゃあ、それまでどこかで暇を潰しましょうか。と言っても、私も古都には詳しくないから、どこに行けばいいか分からないのだけど」


「そうですね、だったらその辺りを歩いてみましょうか」


 のんびりとそんなことを話していた二人に、おそるおそる声をかけてきた人物がいた。


「済みません、少し時間をいただけないでしょうか」


 呼ばれて振り返る二人が見たものは、ノーラの後ろに付き従っていたあの少女だった。






「我がままを聞いてくださって、ありがとうございます。実は、あの人に聞かれないところであなたと話がしたかったんです」


 少女の願いを聞き入れることにした二人は、古都の一角にある茶屋に腰を落ち着けていた。店内は広々としていて、小さな円卓が互いに間を空けて並べられている。内緒話にはちょうどよさそうな店だった。


 彼女はアリサと名乗った。ノーラが結婚した子爵の一人娘だが、もちろんノーラと血のつながりはない。


「私の母は数年前に亡くなりました。父はそれから独り身だったのですが、あのノーラに出会ってすぐ、再婚を決めたのです」


 アリサの話によれば、どうやらノーラはキャサリンが離縁されてすぐ、ベンダー男爵のもとを去ったらしい。先ほど彼女自身が口にしていたように、男爵は彼女にとってはあまり魅力のない相手だったのだろう。


「後妻として収まったノーラは、我が物顔で家の財産を食いつぶしています……そして彼女は、父を亡き者にしようとしているんです。そうやって、私の家を乗っ取るつもりなんです」


 ずっと暗い顔をしているアリサの目に、狂気をはらんだような異様な光が灯った。


「今、彼女のお腹には父との子供がいます。その子が生まれたら、父は殺され、私は追い出されてしまうんです。だからその前に、あの女を追い出さないと」


「ちょ、ちょっと待って」


 アリサの異様な様子に、キャサリンがあわてて口を挟んだ。隣のデイヴィッドも目を丸くしている。


「それはまあ、ノーラは嫌な女だし、たぶん後ろ暗いところの一つや二つあるとは思う。けれど、殺すだの乗っ取るだの、それはちょっと話が飛躍しすぎているんじゃないかな」


「いいえ。私には分かるんです。あの女はそういう人間です。まだ、証拠がつかめていないだけで」


 机の上に置いた手を強く握りしめながら、アリサが絞り出すようにつぶやく。


「私の父はとても体の強い人でした。なのに、あの女と再婚したとたんに体を悪くして、今ではもう床を離れることすらできません。絶対に、あの女が毒を盛ったんです。早くあの女を父から引き離さないと、手遅れになってしまいます」


 アリサはそう言うと、食い入るようにキャサリンを見つめる。思わずキャサリンがたじろぐのにも構わず、アリサはさらに続けた。


「キャサリンさん、あなたはあの女のことを知っているんですよね。どうか、あなたが知っていることを全て教えてください。あの女を追い払うために、どんなささいな情報であっても欲しいんです」


 必死に頭を下げるアリサを前にして、ただうろたえるしかできないキャサリン。と、今までずっと黙っていたデイヴィッドが唐突に口を開いた。


「……キャサリン、ノーラは前からあんな香りをまとっていたのですか?」


 その質問の意味が理解できずにきょとんとしつつも、キャサリンは首を横に振った。アリサも顔を上げ、何事かと彼の方を見ている。


「いいえ。彼女がベンダー男爵のもとにいた時は、あんな不思議な匂いをさせていなかったわ」


「……彼女があの香りをまとうようになったのは、父と再婚してすぐのことでした」


 アリサが付け加えるように言った。それを聞いたデイヴィッドが、わずかに眉間にしわを寄せる。


「アリサさん、あなたの父君の症状ですが……もしかして、胸の苦しさを訴えてはいませんか? 他はどこも悪くないのに、何故か心臓だけが少しずつ弱っていく、そんな症状では」


「合っています!」


 どうやら彼はアリサの父の症状をぴたりと言い当てていたらしい。アリサが驚いた顔になり、彼の言葉に重なるようにして小さく叫び声を上げる。


 デイヴィッドは眉間のしわをさらに深くするとアリサに向き直り、声を潜めた。


「……一つ、調べて欲しいことがあります。あなたの父君が毎日口にされるものの中に、香りの強いものがある筈です。それを見つけてきてはくれませんか。俺の予想が当たっていれば、それであなたの父君を助けられるかもしれません」


「はい、分かりました。もし見つけたら、どうすればいいでしょうか」


「私たちは明日また裁判所に出向くことになっているから、そこに持って来てくれればいいわ」


 デイヴィッドの言葉に勢いよく立ち上がるアリサに、キャサリンがあわてて声をかける。アリサはぺこりと頭を下げると、今までの陰気な様子が嘘のように元気よく駆け出していった。




「……ねえ、あなたは何に気づいたの?」


 しばらくして、キャサリンがそうデイヴィッドに問いかけた。彼は目を伏せたまま、また声を潜め、静かに答えた。


「ノーラから、覚えのある匂いがしたんです。彼女があんな強い香りをまとっているのは、おそらくその匂いをごまかすためでしょう。そしてその匂いは……」


 ここで彼は言葉を切り、心配そうに見つめているキャサリンに笑いかけた。


「いえ、ここから先はあくまでも推測の話でしかありません。明日、アリサさんの報告を聞いてから、続きを話しますね」


「そう。……アリサのお父さん、助かるといいわね」


「ええ。俺も、そう思います」


 キャサリンもそれ以上聞き出そうとはせず、二人でアリサが去っていった方をぼんやりと見つめていた。

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