18.一通の封書
ベンダー男爵との思いもかけない遭遇からしばらく経ち、キャサリンの日常はまた平穏さを取り戻しつつあった。
彼女の恩人であるアルバートもこの街になじみ、兵士として日々元気に働いていた。彼は時々二人の家を訪ねてくるようになり、二人の生活に新たな彩りを添えてくれていた。どうやらそろそろ兵士長に昇格できそうだと、彼がはしゃぎながら報告しに来た日は三人一緒に前祝いと称してひとしきり騒いだ。
そして、デイヴィッドも晴れて騎士となることができた。先の戦いで負った彼の傷が癒えて、元のように戦えるようになったら騎士として召し上げようと、彼の主であるカーシェ辺境伯はそう考えていたのだった。
「あなたがまた騎士になれてよかったわ。しかも、とても良い主君にお仕えできたのだし。これは盛大にお祝いしなくちゃね」
「ありがとう、キャサリン。君が祝ってくれるのなら、俺はそれだけで十分ですよ。君も忙しいんですし、無理はしないでくださいね」
「私がお祝いしたいのよ。あなたは騎士として十分な実力を持っているのに、ずっと兵士だったでしょう? もったいないなって、いつも思っていたの。それがやっと騎士になれたんだし、嬉しくてたまらないの」
「……ああ、やっぱり君はとても可愛いです。俺のことをそこまで喜んでくれるなんて。本当に、俺はいい奥さんを持ちました」
嬉しそうに目を細めながらしみじみとつぶやくデイヴィッドに、キャサリンは少し口をとがらせてみせると、腰に手を当てて彼に向き直った。
「もう、デイヴィッドったらまたそんなことを言って。最近、のろけが過ぎるんじゃない?」
「そうですか? 俺は思ったままを口にしているだけなんですけどね」
言いながらも、彼はキャサリンの髪を一房捕まえて、そこに小さくキスをする。キャサリンはまだ慣れないのか、頬をわずかに赤くして彼から視線をはずした。
「そうだ、キャサリン。お祝いしてくれるというのなら、一つお願いをしてもいいですか?」
「ええ。どんなお願いなの?」
「今度、休みを合わせて一日ゆっくりしましょう。ずっと家にいて、二人きりで一緒に過ごすんです。きっと、楽しいですよ」
彼からの思いがけない提案に、キャサリンは一瞬目を丸くしたが、すぐに満面の笑みになった。
「そうね、それは最高のお祝いになりそうね」
「でしょう? と言っても、今は騎士に任命されて間もないので、うまく休みがとれるまでには少しかかりそうなんです」
「だったら、あなたが休みをとれるまで待ってるわ」
これで決まり、とばかりに二人は見つめ合い微笑んだ。二人の行く先には、何も邪魔するものはないように思えていた。
ところがそれからしばらく経った頃、複雑な表情をしたデイヴィッドが一通の封書を持ち帰った。
「それは君あてです。訳あって、俺は既に内容を知っていますが……まずは読んでみてください」
キャサリンが首をかしげながら封書を開くと、そこには几帳面な字がびっしりと並んでいた。
「ベンダー男爵の裁判において、事情を知る参考人として話を聞きたい……指定の期日までに、古都の裁判所まで来られたし。往復の移動にかかる費用は、裁判所もちとする」
眉間に思いっきりしわを寄せながら読み上げるキャサリンに、デイヴィッドが苦笑しながら言葉を添える。
「この知らせは、この街の領主であるカーシェ様のもとにも届いています。俺は、カーシェ様から一足先にその知らせを聞かされたんです」
「そうだったの。旅費を出してくれるなんて気前がいいけれど……しばらくここを留守にしないといけないわね」
そう言いながら、キャサリンは切なそうに眉を下げる。少しの間でもデイヴィッドと離れていたくない、その顔にはそう書いてあった。
「そのことなんですが、俺も古都について行っていいですか」
「えっ、でもあなたには騎士の仕事があるでしょう?」
「実は、カーシェ様がこうおっしゃったんです。『女性の一人旅は危険が伴いかねない。気心の知れた護衛は必要だろう。お前は私の騎士として、彼女を守ってこい』って」
にっこりと笑うデイヴィッド。キャサリンは彼に飛びつきながら、はしゃいだ声を上げた。
「ああ、本当にあなたはいい主に巡り合えたのね!」
「ええ、俺もそう思います。……先日、休みを合わせて一緒に過ごしたいと言いましたが、予想外の形で叶ってしまいそうですね」
「そうね。完全に二人きりとはいかないけれど、しばらくの間はずっと一緒にいられるものね。ふふ、何だか楽しみになってきたわ」
「俺も楽しみですよ。さあ、そうと決まれば旅の支度を始めましょうか」
そう言いながらも、彼はキャサリンを抱き留めたまましばらくの間放そうとはしなかった。
次の日、二人は仕事を休んで旅の支度にかかりきりになっていた。キャサリンは勤めている店にしばらく留守にすることを告げ、普段は彼女が担当している経理等の仕事について、店主や他の店員に割り振るのにかなりの時間を費やしていた。一方その間、デイヴィッドは旅に必要なものを買い集め、のんびりと荷造りを進めていた。
そしてさらに次の朝、二人は旅支度に身を包み住み慣れた我が家を後にした。キャサリンの分の旅費は裁判所から出ることになっていたし、デイヴィッドの分についても、辺境伯が一部を出してくれたのだ。表向きは、今までの彼の働きに対する報奨金ということになっていたが。
二人は辺境伯の重ね重ねの厚意に感謝しながら、乗合馬車に乗り込んだ。
「……最初にこの街に来た時には、こんなことになるなんて思いもしなかったわね」
徒歩とは比べ物にならない勢いで過ぎていく辺りの景色を眺めながら、キャサリンが傍らのデイヴィッドに話しかける。
「そうですね。色々なことが変わってしまいましたけど……でも俺は、全てがいい方向に変わったと思いますよ」
「私もよ。あなたに出会えて、この街に来られてよかった」
彼らの目線の先には、少しずつ遠ざかっていく街の姿があった。高い防壁に囲まれたこの街は、今では彼らの故郷のようなものになっていた。




