17.支えてくれる人たち
駆けつけた人物を見て、キャサリンは目を見開いた。彼女が誰よりも頼りにしている人物がそこにいた。
「デイヴィッド!」
「キャサリン、無事ですか!? ……どうして、ここにベンダー男爵が?」
どうやら兵士としての仕事の途中だったのだろう。鎧に身を包んだ彼は、いつもよりずっと頼もしく見えた。キャサリンの唇から、安堵のため息が漏れる。
デイヴィッドは目でキャサリンの無事を確認すると、右手を剣の柄にかけ、いつでも抜けるように身構えた。
「貴様……ラウル子爵のところの騎士だな。いや、元騎士、か」
どうやらデイヴィッドの正体に気づいたらしい男爵が低い声でつぶやく。明らかに、彼をあなどっている口調だった。
「女性をこんな路地の奥に連れこんで、どうするつもりだったのですか? 兵士の詰め所までご同行願います。そちらで話を聞かせてもらいましょう」
デイヴィッドが冷静に告げると、男爵はその言葉を鼻先で笑い飛ばした。
「断る。キャサリンは俺のものだ。自分の所有物をどう扱おうが勝手だろう?」
「彼女はあなたのものではありません。この街の民で、俺の妻です」
「はん、いつの間にかお前たちはそういう仲になっていたのか。……あの時適当にでっちあげたお前たちの罪が、まさか本当になってしまうとはな。しかしお前たちの事情など、俺にはどうでもいい。こいつはもらっていくぞ」
「いいえ、私はもうあなたとは何の関係もありません!」
男爵の言葉を、キャサリンがきっぱりと拒絶する。
「まったく……醜女のくせに俺に逆らうとは、ずうずうしくなりおって!」
そんなキャサリンの態度に怒りがつのったらしく、男爵はとうとう剣を抜いた。
「あなたこそ……彼女を侮辱するのは、やめていただけませんか」
男爵を恐ろしいほど鋭い目でにらみつけながら、デイヴィッドが同じように剣を抜く。その目には、キャサリンが今まで見たことがないほどの怒りが浮かんでいた。
そのあまりの剣幕に、思わずキャサリンは息を呑み一歩後ずさった。
デイヴィッドは手練れで、そしてはっきりと怒り狂っている。もしこの二人が剣を交えたら、彼はあっという間に男爵を切り捨ててしまうだろう。いつか山賊と戦っていた時の彼の姿が、キャサリンの脳裏にまざまざとよみがえる。
この場にデイヴィッドが来てくれたことは嬉しいし、男爵にはいなくなって欲しい。けれど、彼が男爵を斬るところはどうしても見たくなかった。彼には、いつもの優しく穏やかな彼のままでいて欲しかった。
二人が動き出す前に、誰か他の兵士が駆けつけてはくれないだろうか。キャサリンは一人立ち尽くしたまま、そんなことを考えていた。
そんな彼女の祈りが通じる筈もないのに、デイヴィッドと男爵は身じろぎもせずににらみ合ったままでいた。ほんの少しでも均衡が崩れれば、すぐに斬り合いになるだろうということは、戦いの経験がないキャサリンにも容易に理解できた。
そのままどれだけの時間が過ぎたのか、キャサリンの足が冷たくしびれ始めた頃、低く重厚な声がその均衡を打ち破った。
「デイヴィッド、下がれ」
大通りの方から幾人もの騎士や兵士を従えてゆっくりと歩み寄ってきたのは、なんとカーシェ辺境伯その人だった。どういう訳か、アルバートの姿もその後ろに見えている。
「……そちらは、どなたかな」
新しく現れた相手が身分のある者だと瞬時に見て取ったらしい男爵が、形ばかりは丁寧に問いかける。しかしその声には、はっきりと不機嫌さがにじみでていた。
「私はこの地を治めるカーシェだ。陛下より、辺境伯の位をいただいている。貴殿はベンダー男爵で相違ないだろうか」
その言葉に男爵がわずかに青ざめたが、それでも男爵は虚勢を張るかのように堂々と言い返した。
「ああ。いかにも俺がベンダーだ。それがどうかされたのか」
「……ならば私は、貴殿を捕縛しなければならない」
表情を変えずに辺境伯がそう口にした。次の瞬間、彼に付き従っていた兵士たちが男爵を取り囲む。
「おい、これはどういうことだ!」
「貴殿には、他の貴族を欺いたという疑惑がかけられている。見つけ次第捕らえ、最寄りの裁判所に連行するよう通達を受けている」
「それには事情があるのだ! このキャサリンさえいれば、全て丸く収まるのだ! そいつは、俺の妻だ!」
「その事情についての弁明を聞くのは、私の役目ではない。裁判所において、存分に申し開きされるがよかろう。それに、彼女は私の配下の妻だ。正式に婚姻の手続きがなされ、私が受理している。貴殿は彼女にとって、赤の他人でしかない」
血相を変えながらわめく男爵をあっさりとあしらうと、辺境伯はまた騎士たちを引き連れ、大通りの方へと戻っていく。
辺境伯はキャサリンとすれ違いざまに、目元だけではっきりと笑ってみせた。彼女と、彼女を守っているデイヴィッドを、微笑ましく思っているような笑みだった。
そして兵士たちに縛り上げられた男爵が、引きずられるように連行されていく。男爵は、刺すような目つきで二人をじっとにらみ続けていた。文字通り手も足も出なくなってしまった彼には、それが最後にできるたった一つの抵抗だった。
そんな男爵の後ろで、執事の老人がすっと頭を下げる。どうやら、彼はキャサリンに対して謝罪しているようだった。キャサリンも会釈を返しながら、彼が重い罪に問われないといいと、心の中でそっと祈った。
そうしてほとんどの人間が引き上げていき、後にはキャサリンとデイヴィッド、そしてアルバートの三人だけが残された。
「助けにきてくれてありがとう。あなたが近くにいてくれて、良かった」
心底ほっとしながらキャサリンがそう言うと、デイヴィッドはまだ心配そうな顔をしながら打ち明けた。
「実は、君がこの裏路地に入っていくのをアルバートが見ていたんです。それで、俺のところまで知らせに来てくれました」
「私はこの街にはさほど詳しくないが、この辺りは女性が独り歩きをするには危ない、ということは知っていたんだ。前を行く老人には、何かただならぬものを感じたしね」
どこか得意げにアルバートが口を挟む。彼は肩をすくめると、さらに詳しく話し始めた。
「そしてデイヴィッドを連れて路地に入ったら、ベンダー男爵の名前が聞こえてきたんだよ。これは彼の手には余ると判断したから、その足でカーシェ辺境伯の屋敷に向かおうとしたんだ。そうしたら、丁度街を視察されているところに行きあえたんだ。いやあ、本当に運が良かった」
「そうだったんですか。本当に、ありがとうございました」
何事もなく男爵を退けることができたのは、全てアルバートのおかげだった。そのことを悟ったキャサリンが深々と頭を下げる。横では、同じようにデイヴィッドが頭を下げていた。
「ああ、二人とも頭を上げてくれ。私はこの街に住む者として、当然の義務を果たしただけだからな」
その言葉に、二人ははじかれたように頭を上げ、顔を見合わせた。
「アルバート、それではあなたもこの街に住むのですか?」
「ああ。お前と同じように兵士から始めようと思う。これからよろしくな」
この街に来て良かった、自分を支えてくれるたくさんの頼れる人たちに出会えてよかった。握手を交わしあうデイヴィッドとアルバートの姿を見ながら、キャサリンはそんな思いで胸がいっぱいになっているのを感じていた。




