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16.恐ろしい再会

 キャサリンの献身的な看護の甲斐あって、デイヴィッドもすっかり回復し、元の業務に復帰していた。キャサリンも店に戻り、長い間休んでいたことを詫びた。


「いいんですよ。旦那さんが元気になって、本当に良かった」


 店長はそう言ってにっこりと笑った。店長の妻や他の店員も、キャサリンに優しい目線を向けている。


「ありがとうございます。迷惑をかけた分、これからしっかり働きますね」


 そうやって彼女が張り切りながら仕事に復帰したその日は、いつも通りに穏やかな一日になる筈だった。




 この店は午前中から夕方まで営業する飲食店で、一番忙しくなるのはお昼どきだ。その時間だけは、経理を担当しているキャサリンも給仕たちの手伝いに回る。


 そうして客たちの間を忙しく動き回っていると、見覚えのある人物が顔をのぞかせた。


「やあ、キャサリンさん。繁盛しているようでなによりだ」


「あら、アルバートさん。来てくださったんですね」


 それはデイヴィッドの旧友、アルバートだった。彼女はあれから何度も彼と顔を合わせていたし、彼女がこの店で働いていることも彼は知っている。しかし、彼女が彼とこの店で会うのは初めてだった。


 今日の彼は純粋に客として来たらしく、今日のおすすめの料理について二、三彼女に尋ねると、そのまま料理と酒を頼み席に着いた。


「この間初めてここで食べたんだが、君たちの言う通り絶品だな。いい店を紹介してくれてありがとう」


 彼はそう言って顔をほころばせた。店を手放しで褒めている彼の言葉に、キャサリンは自分のことのように嬉しくなるのを感じていた。この店は、今の彼女にとってかけがえのないものの一つになっていた。






 そうして一番忙しい時間が過ぎていき、給仕たちも一息つけるようになってきた頃。


「しまった、香辛料の残りが少なくなってた。キャサリン、今から仕入れてきてもらえるかな」


 店の奥から店主がキャサリンに声をかける。彼女は仕入れも担当しているし、何よりこの店の人間の中では、一番目利きと値切りがうまい。店主夫婦や給仕たちにも色々と教えているのだが、まだ彼女を超える者はいなかった。


「分かりました、行ってきますね」


 彼女は快く返事をして、そのまま市場の方に歩き出した。そうやって彼女が大通りを歩いていると、脇道の方から声をかけてくる者がいた。


「済みません、そこのお方。少し、頼みがあるのですが」


 それは埃と泥にまみれたぼろぼろの服を着た老人だった。疲れ果てた様子で、路肩の石に腰かけている。


 キャサリンはその老人の顔に見覚えがあるような気がしたが、どうにも思い出せなかった。引っかかるものを感じながらも、彼のそばで足を止める。


「どうしました?」


「実は、私の連れの女性が動けなくなってしまって……手を貸しては、もらえませんか」


 そういう困りごとなら普通は屈強な男性に声をかけそうなものだが、動けなくなっているのが女性なら、男性ではなく女性に手を貸してもらいたいと思うのもうなずける。


 キャサリンはそう考えて、老人の後についていくことにした。店に戻るのが少しばかり遅くなるかもしれないが、人助けのためなら店主も納得してくれるだろう。


 老人はちらちらとキャサリンの方を振り返りながら、細い路地に入っていった。






「……申し訳ありません、キャサリン様」


 細い路地の突き当たりにたどり着いたとき、老人がそう言って深々と頭を下げた。その声と動作に、かつての記憶が唐突によみがえる。


 この老人はベンダー男爵の執事だ。屋敷の離れに押し込められていたキャサリンは、彼とは数回しか会ったことがなかった。そのせいで、気づくのが遅れてしまった。


 どうして彼がここにいるのだろう。嫌な予感に身震いする彼女の前に、予想通りの人物が突然現れた。ちょうど、彼女の退路を塞ぐように。




「久しぶりだな、キャサリン。前よりも少しは見られるようになりよったな。まあ、まだまだだが」


 その男、ベンダー男爵は、最後に会った時の姿が嘘のような落ちぶれ方だった。いつもごてごてと宝石で飾られていた服には飾り物の一つもなく、あちこちすり切れていて埃まみれだ。ご自慢のひげもぼさぼさで、ひどく汚れている。


 その傍らに先ほどの執事が悲しそうな顔で歩み寄った。かつての男爵はいつも多くの使用人を従え、それは偉そうに振る舞っていたのだが、今の彼に付き従っているのはどうやらこの執事一人だけらしい。


 少し見ない間に、ひどく変わってしまったものだ。キャサリンが場違いなほど冷静にそんなことを考えていると、男爵は顔を真っ赤にして怒鳴り散らし始めた。こういうところは、前と変わっていないらしい。


「お前の実家がいきなり資金援助をやめたせいで、俺は破滅してしまったんだ!」


 キャサリンはあっけにとられて、助けを呼ぶことさえ忘れていた。それをいいことに、男爵はさらに声を張り上げる。


「俺はお前の実家から得た金を元手にして、金貸しを始めたんだ。お前の両親はお前が離縁されたことも知らず、せっせと俺に金を差し出していた。あの間抜けどもがいれば、金貸しくらい楽勝だったんだ」


 キャサリンのみならずその両親までも侮辱しながら、男爵は叫ぶように話し続けた。


「しかしあいつらはお前の現状を知り、突然金を打ち切ると宣言したんだ! そのせいで、俺はとある貴族との約束を破ってしまい、にっちもさっちもいかなくなってしまったんだ!」


 いい気味だ、とキャサリンは思いながら、どうにかして隙をついて逃げられないかと無言で彼の様子をうかがっていた。逃げ場のないこの細い路地で、うかつに騒いで彼らを刺激するのはまずい。彼女はそう判断したのだ。


「だから、お前にはもう一度俺と結婚してもらう! そうすればお前の実家も、またおとなしく金を差し出すだろう! まったく、やっと醜女を追い出してすっきりできたと思ったのに、こんな目に合うとはな」


 彼の発言に、キャサリンは吐き気を覚えていた。こんな男の妻になど、もう二度となるものか。自分にはデイヴィッドが、たった一人の最愛の人がいるのだ。


 彼女の目に浮かんだ反抗の色に気づいたのか、男爵は意地の悪い笑みを浮かべて宣告した。


「もしお前が逆らうというのなら、お前が大切にしているあの店に火をつけてやるからな。それが嫌なら、さっさと俺と来い」


「私はあなたの妻になんかならない! 私の夫はデイヴィッドだけよ!」


 とうとう我慢の限界に達したキャサリンは、声を張り上げて叫んだ。大通りの方まで届くような、凛とした声で。


「誰か、誰か助けて! ここに人さらいがいるの!」


「生意気な小娘め……俺にたてついたこと、後悔させてやる」


 殺気のこもった目で彼女を見つめる男爵を、キャサリンは負けじとにらみかえした。彼女の前には男爵と執事。二人がかりでかかってこられたら、キャサリンに勝ち目はない。


 男爵もそれを分かっているらしく、彼女を見下したようないやらしい笑みを浮かべている。その一歩後ろに立っている執事は、相変わらず申し訳なさそうな顔でうなだれていた。


 キャサリンが焦りと悔しさ、そして嫌悪感に奥歯を噛みしめていると、男爵の背後、大通りに近い方から人の気配が近づいてきた。


 もしかして、先ほどの叫びを聞いて誰かが来てくれたのだろうか。キャサリンがそんな希望を抱いたその時、一人の人影が猛烈な勢いで駆け込んできた。

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