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15.看病と昔話

 デイヴィッドの傷は、本人が思っていたよりは深いものだった。彼は配下の兵士をかばって背中を切りつけられ、体勢を崩したところを矢で射られていたのだ。背中の傷は骨をかすめていたが、しばらく安静にしていればきれいにふさがると医者は断言していた。


 これならすぐに治るだろう、誰もがそう思っていた。しかし肩に受けた矢の傷から悪いものが入ったのか、傷はみるみるうちに腫れていき、デイヴィッドはそのまま熱を出してしまったのだった。


 キャサリンは仕事を休んで彼の看病に当たった。医者でも薬師でもない彼女にはただ付き添っていることしかできなかったが、それでも苦しんでいる彼を一人にしておきたくはなかったのだ。


「……キャサリン、仕事に行かなくて、いいんですか?」


 所在なさげに部屋の中をうろうろしている彼女に、寝台に伏せったままのデイヴィッドが声をかけた。熱が出ているせいなのか、その声はひどく気だるそうだ。


「いざという時のために、給仕の一人に経理を学ばせていたの。だから、数日くらいなら私がいなくてもお店はやっていけるわ。どうしようもなくなったら、呼び出されてしまうかもしれないけど」


 言いながら彼女はデイヴィッドの額に置いた布を取り、冷たい水で濡らして絞るとまた彼の額にそっと置いた。ひんやりとした感触が心地良かったのか、苦しげだった彼の表情がわずかに緩む。


「そう、ですか……」


「私がここにいても、できることなんてほとんどない。それは分かってるんだけど、それでもあなたを一人にしたくないの」


「いいえ、君がいてくれるのが、一番嬉しいです」


 キャサリンは悲しげに微笑むと、寝台の横に椅子を引き寄せて腰を下ろした。そのままデイヴィッドの手をそっと握る。その手は熱く、乾いていた。


「……こうやって看病されていると、子供の頃を思い出しますね」


 ぼんやりとした目を宙にさまよわせながら、デイヴィッドがつぶやく。その言葉を聞いたキャサリンは迷いを感じていた。


 今は彼を休ませておいた方がいい、それは分かっていた。けれど彼女は彼の過去の話に興味があったのだ。今まで一度も、彼は自分の過去について話すことはなかったから。


 そうやってキャサリンが戸惑っていると、デイヴィッドは独り言のようにゆっくりと話し始めた。


「俺は、流浪の民の出なんです。ひとところに定住することなく、ずっと旅を続けていました。剣の振るい方も、旅をするのに必要な知識も、全部あの頃に身に付けました」


 キャサリンは流浪の民という言葉に聞き覚えがあった。わずかな家財道具だけを馬車に積み、あちこちをさすらいながら交易などで生計を立てている民。彼らは独自の文化と知識を持ち、それゆえに定住する民からは遠巻きにされていた。


 だから彼女も流浪の民に実際に会ったことはなかったが、まさか自分の夫がその出だったとは。彼女は驚くとともに、納得もしていた。彼の飛び抜けて優れた剣の腕は、そんな過酷な生活の中で培われたものだったのだ。


 そんな出自のことを明かしたことで不安を覚えたのか、デイヴィッドがゆるゆると目線を動かして彼女を見る。そんな彼と目が合うと、キャサリンはにっこりと笑ってみせた。彼がどんな出自の者であっても、自分が彼を思う心に変わりはない。そう示すように。


 彼女の笑顔を見たデイヴィッドはほっとしたような顔になると、またゆっくりと話を続けた。


「ある街に滞在していた時、俺は両親をはやり病で一度に亡くしてしまって……一人になった俺は、そこの街の兵士として雇われることになりました。そして少しずつ手柄を立てていって……ラウル様に、お仕えすることになったんです」


 ラウル子爵の名前を聞いたキャサリンは、思わず顔をしかめていた。かつてデイヴィッドに命を救われておきながら、逆恨みのような感情のままに彼をうとんじ、虐げていた愚かな貴族。彼女がラウル子爵について知っていることは、たったそれだけだった。


 けれどその事実だけでも、彼女がラウル子爵を嫌うには十分だった。既に彼が故人であるということは、彼女の感情になんら影響を与えなかった。


 幸い、デイヴィッドはキャサリンのそんな表情には気づかなかったらしく、ふっと目を閉じてゆるやかに話し続けていた。


「……両親を亡くしてから、俺はずっと一人でした。友人はいましたけど、こんな風に頼れる相手はいませんでした」


「でも、今は私がいる。そうでしょう?」


 彼の声にひどく心細げな響きが混じっているのに気がついたキャサリンが、元気づけるように優しく声をかける。それに答えるようにデイヴィッドは薄く目を開けると、彼女を愛おしそうに見つめた。


「はい。俺にまた、家族と呼べる相手ができるなんて、思ってもみませんでした。それも、こんなに愛おしい人と一緒になれるなんて。俺は、幸せです。今までの人生で、一番」


「私も幸せよ、デイヴィッド。ずっと、いつまでも一緒にいましょう。……そのためにも、早く体を治さないとね。少し、眠った方がいいわ」


「そうですね。……あの、俺が眠りにつくまで、そのまま手を握っていてくれませんか? 子供っぽいとは思うのですが、その方がゆっくりと眠れる気がするんです」


 照れているのか彼は目線をそらしていたが、その口調は甘えているような、ねだっているようなものだった。今まで聞いたこともないそんな口調に、思わずキャサリンはくすりと笑う。


「もちろんよ。……そうやって、あなたに甘えてもらえるなんて、嬉しいわ」


「だったら、また折を見て我がままでも言ってみましょうか。もちろん、君を困らせない範囲で、ですけれど」


 話しているうちに疲れてきたのか、デイヴィッドのまぶたが重くなっていた。キャサリンは彼の手をしっかりと握ると、その目元にそっと唇を落とした。


「おやすみなさい、デイヴィッド。私の大切な、たった一人の旦那様」


 彼は何も言わずにそのまま目を閉じたが、その口元には満足そうな笑みが浮かんでいた。






 幸いなことに、デイヴィッドの病状はすぐに良くなっていった。若くて体力があったのに加え、彼は薬草の知識にも長けていて、安価な薬草を組み合わせることで最大限の効果を引き出すことができたのだ。


 それを見てキャサリンが感心していると、デイヴィッドはこれも子供の頃に両親から教わった知識なのだと、どこか誇らしげに説明していた。そして彼女も、そんな彼を誇らしく、愛おしく思っていた。

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