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14.カーシェ辺境伯

 街を囲む防壁の北側に設けられた小さな門の傍、壁のすぐ内側の広場に、キャサリンは一人で立っていた。


 今朝、デイヴィッドたちは北の国境を越えてきた蛮族を迎え撃つために、ここから街の外に出ていったのだ。順調にいけばそろそろ戻ってくる頃合いだ。彼女は、彼を出迎えるために少し前からここにいる。


 彼女が周囲を見渡すと、同じように兵士たちの帰りを待っているのだろう、家族らしき人間が同じように心もとなさげにしていた。




 この北門は兵士の詰め所にほど近いこともあって、この門を利用するのはそのほとんどが兵士たちだった。キャサリンも、デイヴィッドを出迎える時以外にここに来ることはない。


 この街に来てから、彼は幾度となく戦いに出向いていた。そしていつも、無事に帰ってきていた。それでも、キャサリンは不安でたまらなかった。どうか、デイヴィッドが無事に戻ってきますように。彼女は必死に祈りながら、ただひたすらに彼の帰りを待っていた。


 彼女の脳裏に、昨夜の会話がよみがえってきていた。






「もしかしたら、君にいい報告ができるかもしれません」


 デイヴィッドが少しはにかみながらそう切り出したのは、昨夜の夕食時のことだった。


「この地を治めておられるカーシェ様が、新たに幾人か騎士を任命されるつもりだとおっしゃられたんです。配下の騎士が減ってしまったとかで」


「騎士が減ったって、それって」


 不吉な予感にキャサリンが顔を曇らせると、デイヴィッドは笑って首を横に振った。


「お年を召された方が引退されただけですよ。君が心配しているようなことはありません。それに、こう言うと言葉は悪いですが、騎士の方が兵士よりも安全なんです。騎士は主にカーシェ様の護衛と、兵士たちの鍛錬や管理を担当しますから」


「だったら、ぜひともあなたには騎士になってもらいたいわ。戦いに出るあなたを見送るのは、いつまでたっても慣れないし、恐ろしいの」


 キャサリンが何かを思い出したように悲しげな顔になり、胸の前で手を組む。デイヴィッドは彼女の手にそっと自分の手を重ね、安心させるように微笑みかけた。


「ええ、君につらい思いをさせないためにも、頑張りますね。……明日、俺たちの隊は戦いに出ることになっています。そこで手柄を上げれば、おそらく俺は騎士になれると思いますよ」


「そうなの?」


「はい、そうなんです。実は、カーシェ様じきじきにお声をかけていただいたんです。あと少し手柄を上げればお前を騎士に任命できる、だから頑張るようにって」


「すごいじゃない! 辺境伯なんて身分の方が、ただの兵士長にじきじきにそう言ってくれるなんて、めったにないことよね?」


「カーシェ様は俺たち兵士のこともよく見てくださっている方ですし、声をかけてくださることもよくあるのですが……あんな風に言ってもらえるなんて、思ってもみませんでした」


 そう言って、誇らしさと照れくささが混ざった顔でデイヴィッドが笑う。そんな彼を、キャサリンも誇らしく、そしてとても愛おしく感じていた。






 あの時の彼の笑顔を思い出しながら、キャサリンはじっと門を見つめていた。そろそろ戻ってくるはずの刻限なのに、兵士たちの姿はどこにも見えない。


 デイヴィッドはひどく張り切っていた。この戦いで手柄を上げ、騎士になるのだと。けれどその意気込みのせいで、無茶をしてしまうかもしれない。彼は強いが、だからといって必ず無傷で戻れるというものでもない。


 手柄など上げなくてもいい。騎士になどなれなくてもいい。ただ、彼が無事であればいい。彼女がそう祈りながらうつむいた時、門の方が騒がしくなった。


 顔を上げたキャサリンの目に飛び込んできたのは、互いに支えあうようにしながら門をくぐる、傷ついた兵士たちの姿だった。




 北門の周囲にたむろしていた人たちが兵士たちに駆け寄る。キャサリンも同じように兵士たちに近づき、デイヴィッドの姿を探した。いつもなら、彼は傷ついた兵士に肩を貸し、いたわりの言葉をかけながら歩いている筈だった。


 けれど、今日の彼は一人でゆっくりと歩いている。その傍らには彼の剣を持った若い兵士が付き添っていて、心配そうな目で彼を見ていた。彼の肩や胸にはきつく布が巻き付けられていて、真新しい血のしみが浮き出ている。傷が痛むのか、彼の足取りはひどく慎重だった。


 デイヴィッドは駆け寄るキャサリンに気がつくと、いつものように笑いかけようとし、軽く顔をしかめた。


「大丈夫、デイヴィッド!?」


 いつもならためらいなく彼に抱きつくキャサリンも、どうしていいか分からない様子でうろたえている。


「ええ、大丈夫ですよ。少し負傷してしまいましたけど、命に別状ありません。済みません、約束を破ってしまって」


「いいのよ、約束なんて。無事ではないけれど、ちゃんとあなたは生きて帰ってきてくれたんだから」


 そう答えながらキャサリンが彼の手をとったその時、彼女の後ろから男性の声が聞こえてきた。低く重厚なその声は、人の上に立つ者にふさわしい威厳をたたえていた。


「お前にしては手ひどくやられたものだな、デイヴィッド?」


 彼女が振り向くと、そこには二人の騎士を従えた貴族が立っていた。立派な体格をし、見事に整えられた口ひげを蓄えた、壮年の男性だった。


 カーシェ辺境伯だ、とキャサリンがあわてて頭を下げる。この街の領主である彼は、普段からよく視察のために街中を歩いている。だから彼女も、彼の顔はよく見知っていた。そして彼女の隣では、デイヴィッドが不自由ながらもうやうやしく礼をしていた。


「はい、不覚をとりました。申し訳ありません、カーシェ様」


「お前は生きて戻った。それで十分だ」


「あ、あの! 恐れながら申し上げます!」


 デイヴィッドと辺境伯が話していると、デイヴィッドの横で彼の剣を持っていた兵士が、意を決したように声を張り上げた。


「デイヴィッド隊長は、俺をかばって負傷されたのです! 決して、隊長が油断したわけでも、敵に後れを取った訳でもありません!」


 緊張しながらも兵士は必死にそう主張している。その健気な姿に辺境伯はわずかに目元をほころばせると、デイヴィッドと兵士に笑いかけた。


「ああ。後ほど報告を聞かせてもらおう。デイヴィッド、お前はまずゆっくりと傷を治すことだ。……お前には、期待している」


「もったいないお言葉、ありがとうございます」


 頭を下げようとした時にまた傷が痛んだのか、顔をしかめそうになるのをこらえた彼にキャサリンが寄り添い、しっかりと支える。辺境伯の目線がキャサリンに注がれた。


「……君が、デイヴィッドの細君か」


「はい、キャサリンと申します」


「デイヴィッドを支えてやってくれ。彼は優秀だが、どうも自分を粗末にするきらいがある」


「はい!」


 これまで彼女は、あの卑劣なベンダー男爵以外の貴族をろくに知らなかった。だから貴族がこんなにも気軽に話しかけてきて、しかも温かい言葉をかけてくるということは、彼女にとっては驚きでしかなかった。


 彼らに背を向け立ち去っていく辺境伯の背中を見ながら、キャサリンは隣のデイヴィッドにだけ聞こえるような小さな声でつぶやいた。


「……カーシェ様って、立派な方ね」


「ええ。俺も、あの方にお仕えできて良かったと思っています」


 彼らの見つめる先には、兵士たち一人一人にねぎらいの言葉をかけている辺境伯の姿があった。

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