12.元主のその後
家に戻ったキャサリンは、デイヴィッドの助けを借りながら、時間をかけて両親にあてた手紙を書き上げた。分厚くどっしりとした紙の束を胸に抱きながら、彼女は感慨深げにつぶやく。
「……あの日、あなたに出会ってから本当に色々あったのね……手紙が、こんなに分厚くなってしまうなんて。ねえ、私の両親はこれをちゃんと読んでくれると思う? それに、手紙を読んで怒ったりしないかな」
「それは、俺にも分かりません。けれど、何があっても俺は君の味方ですから。何があっても、君は一人にはなりません」
「そうよね。私は一人じゃない。あなたが私を支えてくれる。……だから、私も勇気を出さないとね。手紙、出してくるわ」
そう言って出かけようとしたキャサリンに、デイヴィッドが流れるような動きで寄り添った。彼女の腕をとって、いつものようににっこりと笑いかける。
「俺もついて行っていいですか? そうだ、どうせなら、今日の夕食はどこか外で食べませんか」
「だったら、気になっているお店があるの。そこに行きましょう」
きっと自分の緊張をほぐそうとして、彼は突然こんな提案をしてきたのだろう。そう気づいたキャサリンは、やはり自分は幸せ者だと実感しながら、愛しい夫にとっておきの笑顔を向けた。
それからは特に変わったこともなく、二人は穏やかに暮らしていた。二人がかりで稼ぎ続けたおかげで、もう少し広く住み心地のいい家に移ることができたし、生活に余裕も出てきた。
デイヴィッドは順調に出世し、今では一部隊を率いる兵士長になっていた。その穏やかな人柄と抜きんでた剣の腕から、彼は配下たちに慕われていた。そのこともまた、彼の自信に繋がっているようだった。
キャサリンが勤めている店も、彼女がにらんだ通りどんどん繁盛し、規模を拡大していた。かつて店主夫婦と彼女だけで切り回していたその店は、何人もの料理人や給仕が行きかう、とてもにぎやかな店になっていた。
デイヴィッドが一人の男性を連れて帰ってきたのは、そんな平和なある日のことだった。
「はじめまして。私はアルバート、デイヴィッドの友人です」
そう言って礼儀正しく頭を下げたのは、デイヴィッドと同世代の男性だった。どうやらここまで旅をしてきたばかりのようで、大きな荷物を背負い全身埃にまみれている。
しかし彼が身にまとっている服は質の良いものだったし、やけに姿勢が良く、動作にも全く無駄がない。そしてよく見ると、彼は背に剣を背負っていた。この街の兵士に支給されているものより、ずっと上等な剣だった。
もしかして、とキャサリンが思ったその時、彼の横に立っていたデイヴィッドがほんの少し困ったような顔をして付け加えた。
「彼は、俺がラウル子爵のもとにいた時の騎士仲間なんですよ。……俺が子爵のもとを離れる時、彼にはこの街を目指すつもりだと話していたんです」
「でもお前、私が本当に訪ねてくるとは思っていなかっただろう。兵士の詰め所に私が顔を出した時の、お前の驚いた顔と言ったら」
「だって、ここはラウル様の領地からはかなり離れていますし、他には何もありませんから。わざわざ俺に会うためだけに来るなんて、思ってもみませんでした」
「水臭いことを言うなよ。友人を訪ねるのに理由なんていらないだろう?」
その答えにキャサリンは何も言わず目を見張り、感謝の意を込めてアルバートに頭を下げた。そのまま二人に椅子を勧め、茶の支度を始める。
「……しかし、ちょっと見ない間にお前はずいぶん変わったなあ」
「そうですね。素敵な人に巡り合えましたから」
「はいはい、ごちそうさま。まったく、昔のお前からは想像もつかないくらい、幸せそうに見えるよ。……良かったな」
親しげにデイヴィッドと言葉を交わした後、アルバートは不意に真剣な顔になり口を閉ざした。出された茶に形ばかり口をつけ、慎重に言葉を選びながら話し始める。
「実は、私がこの街に来たのは、お前に会いたかったというのもあるが……もう一つ、お前に伝えておきたいことがあったからなんだ」
「ああ、そういうことだったんですか。一体どういった話なんでしょう」
友人相手にも丁寧な口調のデイヴィッドを微笑ましく思いながら、キャサリンもアルバートに目を向けた。けれど彼はとても複雑な表情をしていて、彼女にはその内心を推し量ることはできなかった。
「……ラウル様が、亡くなられたよ」
衝撃的なその知らせにキャサリンが口を押さえる。アルバートは意識的に彼女たちの方を見ないようにしながら、さらに言葉を続けた。
「ラウル様のお前に対する扱いについて、私たち騎士はずっと納得いかないものを感じていたんだ。だからお前が追放された後、騎士たちは理由をつけて、一人また一人と辞めていった。私も含めて。……要は、私たちはあの方を見限ったんだ」
キャサリンが横目でデイヴィッドの様子をうかがうと、彼は何の表情も浮かべず、恐ろしいほど静かにただ座っていた。
「そんな折、悪名高い盗賊団がラウル様の領地で暴れ始めた。ラウル様は激怒して、自ら討伐に出向かれたんだ。そして、そのまま帰らぬ人となった」
そう語るアルバートの口元には、どこか皮肉めいた笑みが浮かんでいた。
「ラウル様のもとに残った騎士は半分もいなかった。そんな少数で、遥かに数の多い盗賊団に挑み、ラウル様は一人突出して包囲されてしまったと、そう聞いている。……かつて、お前があの方をお守りした時と、同じような状況だったらしいな」
デイヴィッドはずっと黙りこくっている。キャサリンも言葉を返せずにいると、アルバートは肩をすくめ、ゆっくりと立ち上がった。
「とにかく、それだけを伝えたかった。私はしばらくこの街に滞在するつもりだし、また今度飲みながら話そう、デイヴィッド。今日はこれで失礼するよ」
そう言い残してアルバートが立ち去った後も、デイヴィッドはずっと微動だにしなかった。
すっかり静かになった家の中で、キャサリンはそっと椅子を動かし、デイヴィッドのすぐ横に座りなおした。何も言わない彼の頭を引き寄せ、優しく胸に抱え込む。
されるがままになっていたデイヴィッドが、やがて小声でぽつりぽつりとつぶやき始めた。心ここにあらずといったような、虚ろな声だった。
「……もし、俺が追放されていなければ、ラウル様はまだ生きておられたのでしょうか……」
「そうかも、しれないわね」
「あの方は……ずっと俺につらくあたっていましたが、それでも一度は俺の主だったんです」
「そうね、一度はあなたが守ろうとした人だったのよね」
「俺は……あの方がいなくなって悲しいのと同時に、なぜかほっとしているんです。人が亡くなったというのにこんな感情を抱くなんて、ひどい話ですよね」
「いいえ、あなたは何も悪くないわ。あなたはその感情を、否定しなくていいの」
独り言のような彼の言葉に、穏やかにキャサリンが答える。彼はまた黙り込んでしまったが、やがてその肩が小さく震え始めた。
声を殺して静かに涙を流すデイヴィッドを、彼女は優しく抱きしめたままでいた。




