11.商人の血が騒ぐ
その日いつもより早く帰宅したデイヴィッドが見たものは、結婚の時に贈った耳飾りをしげしげと眺めている妻の姿だった。彼女は窓辺に座り、日の光の中で輝く耳飾りをやけに真剣な目で見つめていた。
「どうしたんですか、そんなに熱心に見つめて」
「おかえりなさい。……ねえ、この耳飾りはどこで手に入れたの?」
「ああ、知り合いが作っているものなんですよ。女性が少ないこの街ではそうたくさん売れないので、個人でこつこつ作って細々と売っているんです」
それを聞いたとたんキャサリンはぱっと立ち上がり、彼の傍に駆け寄ってきた。
「その話、もっと詳しく聞かせてくれない?」
彼女の勢いに押されながらもデイヴィッドが語った内容は、キャサリンにとって興味深いものだった。
この耳飾りは、怪我により退役した元兵士が生活の足しになればと作っていた装飾品の一つだった。彼は元々手先が器用で、この近くで採れる石を慎重に研磨し、加工することで見事な輝きを生む宝石とする方法を独自に編み出していた。
しかしこの街には女性が少なく、装飾品の類はさほど需要がなかった。そんな事情から、彼は完成品を店などにおろすことはせず、個人的に細々と売りさばいていたのだった。
「……この珍しい石、この見事な細工。これなら、もっと大きな街に持っていけば飛ぶように売れる。十分に商売として成り立つわ」
商人の娘としての血が騒いだのか目を輝かせるキャサリンを、デイヴィッドは困ったような、愛おしいような目で見つめていた。
「でしたら、一度作った本人に会ってみますか?」
「ぜひ! お願い!」
「……やっぱり君は、そうやって生き生きとしている時が一番可愛いですね」
熱心になるあまりにデイヴィッドにつかみかからんばかりになっていたキャサリンは、突然の誉め言葉に一瞬で真っ赤になった。
「ふ、不意打ちで褒めないで、心の準備ができていないから」
「そうなんですか? 俺はいつでも君のことを褒めたいんですけどね」
おかしそうに笑うデイヴィッドを、キャサリンは真っ赤になったままの顔でにらみつけた。本人は全力でにらんでいるつもりだったのだろうが、それはデイヴィッドが言うように何とも可愛らしい姿だった。
それから数日後、二人は一緒に元兵士の家を訪ねていた。二人が住む家からさほど遠くない一角にその家はあった。デイヴィッドが扉を叩いて声をかけると、入りな、という野太い声が中から返ってくる。
二人がそのまま中に入ると、無精ひげを生やした骨太の中年男性が顔だけを二人に向けて会釈した。手には何か小さなものが握られている。どうやら、彼はそれを磨いていたようだった。その目の前の机には、その辺で拾ってきたような石ころがいくつも並んでいる。
片足を投げ出すようにして椅子に座っていた彼は、磨いていたものを机の上に置き二人の方に向き直った。足が悪いのか、その動作はひどくぎこちない。
「こんにちは、カインさん。作業中にお邪魔して済みません」
「いいんだよ、お前にはいつも世話になってるからな。そっちがお前の嫁さんか?」
「はい、彼女はキャサリンです。キャサリン、こちらがあの耳飾りを作ったカインさんですよ」
「はじめまして。この耳飾り、とても美しくて気に入っているんです」
キャサリンが今日も身に着けている耳飾りを指し示すと、それを見たカインの武骨な顔が笑み崩れた。
「おう、似合ってるぜ。やっぱりべっぴんさんに身に着けてもらえるのが一番だよなあ」
カインの誉め言葉に、思わずキャサリンが頬を染める。その初々しい仕草に、またカインの笑みが深くなる。
「いやあ、本当に可愛らしい嫁さんだ。あんたが独り身だったら、遠慮なく口説いてたんだがなあ」
黙ってなりゆきを見守っていたデイヴィッドが、眉をそっとひそめた。彼にしては珍しく、カインの言葉を遮るようにして割り込む。
「カインさん、あまり彼女をからかわないでください」
「はは、すまん。あんまり可愛らしいんで、ついやっちまった。で、俺に聞きたいことってのは何だ?」
カインが笑いながら本題に入ると、それまでずっと赤面しながら戸惑っていたキャサリンが、突然カインが作業をしていた机に近づいた。今まで恥じらっていたのが嘘のような勢いだった。
戸惑うカインをよそに、彼女は矢継ぎ早に質問を繰り出していった。装飾品を一つ仕上げるのに、どれだけの手間と時間がかかるのか。原石はどこで手に入るのか。同じような細工を作っている者はほかにいるのか。
その答えを聞きながら、彼女の目はどんどん輝いていった。その勢いに飲まれてカインがひるむ。それに対し、彼女の傍らで黙って話に耳を傾けているデイヴィッドはしじゅう嬉しそうな顔をしていた。
一通り話を聞き終わってカインの家を出たキャサリンは、その帰り道でデイヴィッドにしきりに話しかけていた。彼女はまだ興奮冷めやらぬといった顔をしていた。
「実際に話を聞いて確信したわ。これは商売になる。そうすれば、カインさんももっと稼げるようになる。何より、こんなに美しい宝石を、辺境で眠らせたままにしておくのはもったいない」
自分の耳元にそっと手を当てながら、彼女は力強くうなずいた。しかし次の瞬間、困ったように目を伏せる。
「ただ、まだ大きな問題が残っているの。どうやってこれを他の街に運び、売りさばくか。私が一から販路を開こうとすると時間がかかってしまう。……一つだけ、すぐに使えそうなあてがあるにはあるんだけど」
「……君の実家ですね」
彼女を気遣うようにデイヴィッドが声をかける。キャサリンは足を止め、静かにうなずいた。背中をわずかに丸め、何かをこらえているように胸の前で手を握りしめている。
「男爵は、私が離縁されたことで両親が怒っていると言っていた。あんな男の言うことは信じたくもないけれど、もし両親が怒っていたら、失望していたらどうしようって、私、それが怖いの」
「だったら、まずは手紙を書いてみませんか。あの日あった本当のこと、それからのこと、そして今の暮らしについて、直接君の言葉で伝えてみてはどうでしょう」
助けを求めるような顔でデイヴィッドを見る彼女に、彼はいつもと同じ穏やかな笑顔を向けた。
「君を育てたご両親なら、真実を知ればきっと分かってくれますよ」
「……そう、ね。そうしてみるわ。……デイヴィッド、あなたがいてくれて良かった」
「俺も、君がいてくれて良かったと思っていますよ」
そうして微笑みあう二人は、もうすっかりいつも通りの姿を取り戻していた。




