4.過去
一月も終わりに近づいて、クラスの女子は誰にチョコをあげるのか、どんなチョコを作るのかといった話題で持ちきりだった。男子は関心を持たないか、持っていても無関心を装う者がほとんどだった。なぜなら去年もらえた者はだいたいもらえるし、もらえなかった者はまずもらえないという厳然たる事実があり、それを無視してチョコを欲しがるのは、みっともない真似だからだった。
ところが、そこにほんの一か月前に現われた少年が、この平和な状態をかき乱してしまった。女子の中でヴァロの素っ気ない態度にはね返されて戦線離脱する者は少なく、かえって腕によりをかけたチョコで陥落させようと意気込む者の方が多かった。この結果、もらえるはずの男子がもらえない方に転落するという悲劇が多発した。要するにクラスの中に不穏な空気が充満したのだった。
こうした事態をあの少女ーーイルドは心底面倒くさいと思っていた。彼女はバレンタインデイ自体を軽蔑していた。……地元の町の学校に通っていた時のことだった。ほのかに好意を寄せていた男の子に三日間掛けてチョコを作って、バレンタインデイに渡そうとした。ところが、教室の机の中に入れていたチョコがよりにもよってクラスでいちばん意地悪な女の子に見つかってしまった。
「これは何?」
「……何でもないわ。返して」
「学校にこんなもの持ってきていいわけないでしょ。先生に渡すわ」
その後は最悪だった。母親まで呼び出され、散々お説教され、最後には男の子の名前まで言わされてしまった。……自分の火属性の魔法で何もかも、もちろん真っ先に自分を焼き尽くしたいという衝動を必死で抑えていた。
町を出て魔法学院に向かう時、あの男の子が見送ってくれた。少し離れたところから黙って少女を見つめていた。荷馬車が動き出すと男の子は駆け寄って叫んだ。
「ごめん! あの時、何もできなくてごめんなさい。あの、登校する前にくれたら、僕が全部食べちゃって見つからなかったのに」
少女は笑い出してしまった。確かにそのとおりだ。夕陽の中で告白して渡そうなんて考えたから大失敗したんだ。いや、どこか間の抜けたことをわざわざ言いに来るような男の子に苦労して、チョコを作ろうとしたのが間違いの始まりだった。自分には生まれつき魔法の才能はあるみたいだけど、恋愛をする才能はないと思った。このことは絶対忘れてはならない。
トゥーリが魔法学院に来るまでについても触れておこう。彼は王都の宮廷貴族の三男坊だった。彼の家は代々宮廷魔導師長、若しくはそれに準じる地位につく名門だった。現在は彼の父親が師長を、長兄が参謀を務めていた。次兄はあまり魔法の才能がなく、宮廷財務官付き官吏として会計事務を行っていた。跡継ぎではないトゥーリはいくら魔法の才能があっても宮廷魔導師に加わることはできない。
「君の魔法の才能はいちばん上のお兄さんより上だろう。ひょっとするとお父さんに匹敵するかもしれない」
長兄も次兄も世話になった魔導師の家庭教師が残念そうに言う。
「いいえ。俺は宮廷勤めなんか向いてないですから。……自分の将来を見つけに旅に出るのもいいな」
「いや、まずは魔法を磨きなさい。気に障るかもしれんが、君の中でいちばん光っているのは魔法だ。それを突き詰めてから他の道を考えるのもいいだろう」
「俺の中で光っているものをより磨く。ということは……」
「魔法学院だよ。あそこには王国中から優秀な子弟が集まって来る。この国は産業も軍事も何もかもが魔法を中心として成り立っているからね」
「そういうのはどうでもいいんですが」
この年齢の少年にはめずらしくないが、世の中のことには関心がない風を装うとする。
「そんなことはないよ。いい友だちは一生の財産だ。その友だちが国の中枢を担って国を動かしていくのを見るのは楽しいものだよ」
家庭教師は押しつけにならないようにそう言うと、遠くを見つめるような目をして、魔法学院で学んだ日々、宮廷魔導師として国を守った日々を思い出していた。学院の院長もトゥーリの父親の師長も教会の神父もなつかしい仲間だった。いや、今もなおどんなことでも力になってくれるよき友人だった。