虚無教
唐突な彼女の登場に、思わず哄笑をあげそうになった。
ラプラス――マリー・ルヴォギンスの使い魔である君の存在は僕達のキューピッドだと日記には書いてあった。彼女のいつも変わらぬ出で立ちを、日記の中の僕は気に留めていたから直感でわかった。
「ありえませんね、私はキューピッドではなく悪魔ですから」
「どうでもいいけど、僕は君達を探していたんだ」
「それはまたどうしてでしょう?」
「……マリーと、賢者の孫娘と会いたいんだ」
「マリーとですか? なら私は帰らせて貰います」
ちょ!
「ちょっと待って、どうして帰ろうと思ったんだ。僕に会いに来たんだろ?」
「当初の目的としては何も覚えてないイクトと性交渉をしようと思っただけです」
「よくも臆せずそんなこと断言出来るな」
彼女の性交渉という発言はやたら滑舌が良かった。
「今から売春宿に行きましょうか」
「行かないから」
嫌だなあ、この人がマリーに繋がる唯一の手掛かりかも知れないなんて。
「……所で、イクトに忠告したいことがあるのです」
「忠告?」
「えぇ、貴方との付き合いも浅くはないので、私なりの老婆心です」
僕が日々付けていた日記の冒頭には、仲間のみんなのことが記されている。
マリーとの関係性だったり、オリビアやサイラスへの信頼感だったりと。
赤裸々に綴られていた。
思うに、書いていた時の僕はこれ以上ないぐらい真剣だったのだろう。
ラプラス、いつも静かな顔をしている彼女に付いてはこう書かれていた。
「日記には、ラプラスは性にだらしない性格しているけど、嘘はつけないって書いてあったよ」
「嘘をついてもしょうがなかったからでは?」
加えて、彼女だけは仲間の中でも信用出来ない悪魔だと書かれていた。
だから推測ではあるけど、彼女はここぞという時に――嘘を吐く。
そういう性質をしてるんじゃないかな。
「忠告とは貴方の両親についてです」
両親について?
「父さん達がどうかしたのか」
「イクトの両親は当然ながら、貴方が付けている日記を見てますよね」
「たぶん、でもそれが何か?」
「貴方の両親はその日記を改ざんしていますよ」
……少し考えたけど、わからない。
例え彼女の言うことが本当だとして、両親に何の得がある。
「それが本当だとして、両親に何の得があるんだ?」
「イクトの両親が望んでいるのは、この世の終焉ですから」
「二人は超がつくほどの平和主義者だぞ」
彼女は記憶欠乏症の僕を惑わそうとしているのだろうか。
両親に何のメリットがあるのかわからないのと同様に。
ラプラスがこう証言することに何のメリットがあると言うのか。
「貴方の両親は敬虔な虚無教の信者なのです」
「虚無教?」
「この世、アルビーダを元の姿である虚無へ還そう。という旨を絶対とする宗教です」
「……それで、僕の日記を改ざんする意味は?」
「虚無教に取ってイクトは脅威なのですよ、貴方は虚無教の教皇に強い影響力があるので」
彼女の発言は、恐らく記憶があればパズルのように繋がりもするのだろうが。
記憶を失った今の僕からすれば窮鼠の如く混乱するだけ。
窮鼠猫を噛む、という諺にならってラプラスに噛みついてもいいものか。
悩ましい。
「……ねぇイクト」
「な、何ですか」
混乱をきたしている僕に、彼女は妖艶な声音を繰って少しだけ距離を詰める。
彼女は明らかに僕を喰おうとしているのが判っただけに、及び腰になれば。
「私は、情交の最中に噛まれるプレイって未だしたことないのです」
と言い、彼女はYシャツの裾を捲り、白い腕をさしだす。
「さぁ、いいですよ」
「ここで腕に噛みつくのは暑さで頭をやってしまった人だけだと思うし」
「さぁ」
「その勝ち誇ったような顔にイラッとしたよ」
ここで私から皆様に取って置きの自己弁護をお教えしましょう。
キーワードは、禁欲。
例えば会社や学校に遅刻し、咎められた時は。
拙僧は禁欲し過ぎて頭がとち狂っただけでござる!
例えば不良に絡まれた時は。
わっちは禁欲し過ぎて頭がとち狂っただけでござる!
えぇそうです。
禁欲中に付き、面白いことが言えません。




