記憶欠乏症
「イクトくんの症状はアルビーダ特有の記憶欠乏症だ」
ふと我に返ると、僕は島の主席であるヘンリーと対峙していた。
朦朧とする意識の中、ナイアや、マリーの姿を探していたと思う。
「過去の記憶が欠乏し、独白を埋めようと間違った記憶で補完してしまう。このまま症状が進行すると彼の記憶は完全に入れ替わり、別人のような振る舞いになる」
「原因は? それと治療法はないのか」
背後からマリーの声がして、振り返ると目が合った。
僕は安堵したものの、彼女は不安そうにしている。
「いいですかイクトくん、どうやら君の意識は虚無に呑み込まれようとしている。君が転生者だったことが大きな要因だ。このまま症状が進んだら、その時待っているのは『無』だ。君は無に還る覚悟を持つべきだ」
「だからさぁ、根本的な解決策はないのか訊いてるんだよ」
ああ、分かる。
マリーは明らかに苛立っている。
彼女と苦楽を共にした僕であれば、声色から機嫌を察せる。
「一時的な回避策ならあるが、辛いだけだ」
「どうしてだよ」
「二人にとって、愛って何だ」
マリーはヘンリーさんと重要な話をしているようだ。
「……帰ろうイクト、こいつは駄目だ、頼りにならない」
「頼りにならない? 賢者ブライアンの一番弟子である僕がか?」
「あんたは爺さんの肩書におんぶに抱っこしてる風にか見えないよ」
マリーはヘンリーさんに憤懣して、僕の腕を掴んだ。
「……原因は判然としてないけど、ある連中はこう言ってたんだ。自分達はこの世で唯一普遍的な虚無を尊び信仰する崇拝者だと。イクトくんが罹っている記憶欠乏症は虚無の支配が強まった証拠だと」
「マリー、ヘンリーさんはまだ何か言って」
「バイバイ、ヘンリー、爺さんに宜しく言っておいてくれな」
「虚無の崇拝者達は世界を大混乱に貶めた。僕は賢者ブライアンと一緒にその勢力と戦い抜いた……だから僕達は世界を救ったと謳われるようになったんじゃないか」
彼の言葉を尻目に、マリーと一緒に部屋から出る。
「イクト、お前と付き合ってると本当に飽きないよ」
「ごめんなマリー……ナイアはどこに?」
「……はは、ナイアって誰だよ? ああもしかしてあの時同席してた人?」
彼女の傷ついた顔は、初めて見たような気がした。
これにしたって僕が罹ってる記憶欠乏症のせいかも知れない。
……嫌だ。
マリーや、仲間との思い出を忘れて。
違う記憶を捏造してしまう醜態を晒すのは。
――嫌だ。
◇
「イクトの容態はどうだ?」
「……洒落にならない」
キャラバンの近くに設営したマリーとの寝床で寝ていると、オリビアの声がした。
「アルビーダ特有の記憶欠乏症なんだって、肩書だけのクソ馬鹿が教えてくれた」
「少し落ち着けマリー、周囲に当たり散らすな」
……だけどさマリー、僕は不思議と安堵してるんだよ。
君は僕が居なくても、オリビアやみんながいるんだ。
記憶欠乏症、つまり地球で言う所のアルツハイマーか。
僕は自分が負っている難病を知り、迷ってしまった。
このままマリーの面倒になるか。
それとも――
「そうだ、爺さんならイクトを治してくれるかも」
「賢者ブライアンが? 確かにその可能性は低くなさそうだ」
どうやらマリーは僕の病気を治すために祖父を探そうとしている。
なら、先程の迷いは今一時捨て去ろう。
「イクト、様子を見に来たぞ」
「ごめんなオリビア、心配掛けちゃったかな?」
僕なら平気さ。
それにしても。
「オリビア、君はいつ結婚したんだ?」
彼女の左手の薬指には銀のリングが嵌められていて、不思議に思い訊くと。
「……覚えてないのか?」
僕の心臓は一瞬にして張り詰める。
彼女の台詞に嫌な動悸がして、彼女が流した涙に嫌な予感がして。
予感なんてものじゃない。
明らかにオリビアの相手はこの僕だ。
するとオリビアは堪らないと言った様子で、愛情を示すよう、キスを迫って来た。
僕は彼女のキスを受け入れては、自己憐憫に拍車が掛かったみたいだ。
彼女とのキスでみぞおちに水滴が垂れ落ち、全身が快情動で満ちる。
僕は、
それでも僕は――マリーを愛している。
私は愛に付いてこう推察しています。
愛とは涙するものだと。
今作の主人公イクトの愛はマリーに注がれています。
なら、この物語の最期が、何となくですが、見えて来たのではないかと思います。
まだ最後まで書ききっていませんが、構想だけは固まっているつもりです。
重複しますが、愛とは涙するものだと思います。




