彼女と過ごした時間は僕の希望だった
失恋しただけで死んでしまう僕には具体化してない夢があった。
その夢は恥ずかしくて、口にするのも憚られる。
「か…………っ!」
「死ぬぞ少年、お前が期待している彼女の助太刀は間に合わない、絶対……なら絶対にお前は死ぬ。お前には抵抗する術もなく、お前には恐怖に打ち克つ勇気もなく、お前は絶対ここで今死ぬ絶対絶対」
僕を嬲るように人狼は首を締め上げる。
恐らく人狼の能力であれば、強引に首をもぐことも出来た。
「……言ってるだろ、オレヲコロセェ」
「イクト!! しっかりしろイクト!!」
人狼の背後にいるマリーが結界の中から僕の名を叫んでいる。
僕は無意識の内にマリーに手をかざしていた。
息が出来ないから、もう思考が回らなくなって来た。
このまま死んでしまうのか……でも思うんだ。
この死に方は、僕に相応しい――――
「っハァ! ――っ、はぁ、はぁ」
死を覚悟した時、人狼は僕の首に掛けていた手を離し、僕は地面に尻もちをつく。
何故だ? そう思い人狼を見上げると仁王立ちしたまま動いていない。
人狼は眼下にいた僕に目をやることもなく、虚空に視線を向けていた。
「無事か?」
「マリー、今のうちに逃げようっ」
「そう慌てるな、奴なら恐らく死んだよ」
「……」
駆けつけたマリーにこう言われ、僕は再度人狼を観察したんだ。
人狼の瞼は半開きのままで、僕の飼い猫が亡くなった時を彷彿とする。
「どうして急に死んだんだ?」
「原因はこれさ」
そう言い、マリーは地面に転がっていた蒼炎色の宝石のようなものを拾い上げた。
「それは?」
「これは魔石って言ってな、魔術を習得するのに必要なもの」
魔石……?
「この世界の魔術体系は主に二種類ある。一つは私のように血によって先天的に受け継ぐものと、もう一つはこの魔石を使って後天的に身に付けるもの。魔石には色々と種類があって、これはライフドレインの系統だったかな」
ライフドレイン――つまりは吸生。
僕の命が救われたのは地面に転がっていた魔石が効果してのことだった。
「イクト、この際だしお前も魔術師になっちゃう? ライフドレインは凶悪だぞ」
「いや、いいよ。それはマリーにあげる」
「マジで!? これ一つで金貨1000枚はくだらないんだよなー、ぃやったー」
「交渉しよう、その魔石の所有権について議論する必要がある」
「急に手のひら返しましたねぇ」
この世界の通貨単位を教えてあげようか?
僕の麦畑の平均的な収入が銀貨80枚で、銅貨換算で8700枚。
銅貨、銀貨、金貨、アルビダ金貨の順に価値が上がって。
金貨1000枚は紛うことなき億万長者だ。
「安心しろよ、これはイクトのものだから。魔石は手にしてるものの思念で効果を発揮するから、取り扱いには気を付けろよ。詐欺の案件とか嫌になるほど聞くしさ」
「それよりも、僕はマリーを置いて逃げようとしてしまった」
なら、僕達の関係はこれで終わり。
賢者の孫娘であるマリーとの生活は、僕の人生の黒歴史となるだろう。
かつては幸せだったとしても、それは現状の慰み物にしかならないだろ?
幸せな時間と言うのは得てして腐る、だから黒歴史認定。
「……一つ約束してくれないか、例えこのまま別れることになっても」
「何?」
マリーは目を細めながら僕に約束事を持ち掛ける。
「私と過ごした時間を、何があっても守って欲しい。それだけですよ」
「意味がよくわからないよ」
すると彼女は僕に背を向け、嘲笑するような声音でこう言ったんだ。
「かつての幸せは現状の慰み物にしかならない? そんなの私は認めても、世間は認めないだろ。世界はいつだって希望を抱いて回るんだから」
「……心を読んだのか、僕の」
「ごめんごめん、それよりもさ」
「何?」
彼女は僕が逃げたことを特に咎めなかった。
マリーは闊達な人だ。
彼女の大らかな精神に、僕は小さな自分を恥ずかしいとしか思わない。
「美味しい儲け話があるんだけど、乗る?」
だから、彼女と結婚したことは黒歴史なんかじゃなくて。
彼女と過ごした夫婦生活は、僕の希望だったようだ。




