賢者の孫娘との出逢い
恥ずかしい死に方だった。
その日、僕は小学校の同窓会に出席していた。
僕の人生の中で最も楽しかった記憶がある小学校。
その同期と十数年振りに会い、僕は嬉しかった。
「仕事は嫌じゃないよ。ただ今の会社に勤めて三年は経つけど、誰とも飲みに行ったことがない。給料も最低賃金で、年収は行っても二百万がいい所。今年で三十四っていう年齢を考えると転職も視野に入れるよ」
寡黙気質だった僕は同窓会の席で普段の鬱憤を愚痴っていた。
そうやって僕はかつて小学生だった昔と。
大人になった今との空白を埋めたかったのかもしれない。
「所で、イクトは今何の仕事してるの?」
同期の一人がよこした質問は妥当なものだった。
僕は告白するかしまいか悩んだ挙句、苦笑を零して口を開いた。
「僕は、今はエロゲ会社に勤めてる」
そこで同席していた同期達は一際甲高い笑い声を上げる。
浅薄な僕だって、エロゲ会社勤務の世間体ぐらい把握しているつもりだった。
だがその事実は予想以上の波紋を起こしてしまったんだ。
「浪川、ちょっとこっち来てくれないかー浪川ー」
浪川は小学校の時から明け透けにものを言う女子だった。
僕がエロゲ会社勤務であるのを知ると、彼女は爆笑して。
「キッモ! キンモー!」
露骨に僕を気持ち悪がった。
「でも、どうしてその会社に入ったの? 吉岡って見掛けは普通じゃん」
「色々な想いがあって入社した、エロゲは趣味でやってたし」
「ふーん、どんなの作ってるの?」
浪川からほんの少し関心を持たれ、僕はバックを一瞥した。
しかし、同窓会の席ではさすがに中身を取り出すわけにはいかない。
「純愛系かな」
というのは嘘で、僕の会社では射精産業を何よりも重視している傾向にある。
浪川は「純愛系かー、結構まともなの作ってるぽい?」と言い、僕たちの卓に腰を下ろした。
彼女が座ると香水の馥郁が漂ってくる。
さあ、いよいよこの時がやって来た。
僕はこの時に死に、何の因果か異世界アルビーダに転生することになる。
とある農家の嫡男に転生した僕は神童として持て囃され、すくすくと育った。
視界一面に広がる黄金色の麦畑が、そよ風に撫でられ、波打ちながら凪いでゆく。
僕はそんな第二の原風景を心に焼き付けながら前世を思い返していた。
「で、吉岡は今彼女とかいたりするの?」
前世での僕の名前は吉岡イクトと言い、今生でもイクトを名乗っている。
あの時の浪川は僕の意識を引くようにやたら質問して来た。
そのことを訝しがった同期の浜ちゃんが思い出したかのように声を張り上げる。
「そう言えば、浪川ってイクトが初恋だったんじゃね?」
「違う」
――――ッ!
浪川の瞬殺劇よりも、浜ちゃんの推測に僕は胸を痛めた。
前言すれば、僕はあの時デスマーチを明けてから同窓会に出席していたんだ。
それに、小学校当時の僕は浪川が好きだった。ような気がする。
すると浜ちゃんは思い違いを正すように記憶を辿り。
「そうだそう、浪川がじゃなくて、イクトが浪川好きだったんだよ確か」
余計なことを口にしだした。
周囲の人間は囃し立て、浪川に告白するよう仕向けた。
吉岡イクト、享年三十四歳の死因は恐らく心筋梗塞だったと思う。
「小学生の頃から好き、でした」
手揉みをしながら浪川に一世一代の告白をすると。
浪川は太陽のような微笑みを湛える。
「いいよ、付き合いましょう私達」
――ッ、マジで!?
「何て言うと思ったぁ? ブァァァァカァっ」
……あ、ああ……あ、あぁ!
アァアアアアアアアアアァアァェアァァアェアアァアァアアッッッ!!
デスマーチ明けの失恋は僕の心臓を物理的に止め。
僕は呆気なく他界してしまったようだ。
僕の後悔と言えば、あの時、僕の鞄にはエロゲのパッケージがあったことで。
その後、僕の死は同期の間で伝説級の恥辱になったことだろう。
生まれ変わっても僕はあの時の記憶を鮮明に覚えていた。
「……ボーイミーツガールに憧れて、何が悪いんだよ!」
実家が所有している麦畑に向かって吼えると、遠雷の音がした。
山向こうの空が黒い雲で覆われている。
それを確認した僕は屋内に戻ろうと立ち上がり、踵を返すと。
「ボーイミーツガールに憧れてるんですか?」
「なっ、だ、誰」
「イクトさん? イクト・マクスウェル・Jrさんですか?」
目の前の轍に、スカーレットの毛髪を携えた少女が立っていた。
焔のような濃淡をした少し癖のある髪は鎖骨まで掛かっている。
彼女の炯眼はまだ幼さを残しているものの、竜種のように鋭くそして獰猛だ。
「誰? もしかして浪川?」
「ナミカワ? 私の名前はマリー。マリー・ルヴォギンス」
マリー……ルヴォギンス。
僕は彼女の名前に聞き覚えがあった。ような気がするが、一向に思い出せない。
「まぁ立ち話もなんだし、家でお茶でも飲みながらゆっくり話そう」
「あ、うん、でも、それ本来なら僕の台詞だ」
「細かいこと気にしなさんな」
彼女を連れて家に帰ると、両親は少し驚き、呆けた様子だった。
「遂にこの時が来たと言うのか」
この時? 父さんが口にした台詞に僕は小首を傾げる。
「イクト、お前は母さんのお腹にいた時からこの日を予言されていたんだ」
「私は神父様の冗談だとばかり思ってて」
じゃあ、両親は彼女の正体を知っている?
そう思い、彼女を見ると彼女は僕をじっと見詰めている。
その光景を見守っていた両親は仄かに笑っているようだった。
「今さらだけど、初めまして」
マリーさんは木机に頬杖を突き、礼儀正しいとは言えない挨拶をする。
彼女は初対面の僕にずいぶんと馴れ馴れしかったけど。
社交辞令然としてなくて、逆に好感を覚える。
「初めまして、マリーさんは」
「イクト、俺達は明日からこの家を空けるぞ」
僕が彼女に挨拶し返そうとした時、父さんは急にこう言いだした。
「……不安はあるけれど、私達は神父様のお告げを受け止めるしかないのよ」
どうしよう、話が見えない。
「神父様から何を言われたんだよ」
と問えば、母さんは魂が抜けた表情で口を開いた。
「イクトは将来、賢者の孫娘と結婚するって」
「そうです、私が賢者の孫娘こと、マリー・ルヴォギンス」
……結婚? 結婚ってあれだよな。
人生の絶頂期で後は転がり落ちるだけの奈落装置。
僕が死んだ日、同窓会の時も結婚してからの夫婦関係を嘆く奴ばかりだった。
ああはなりたくない。と思えど、僕は自分よりも大人になった同期を羨んだ。
◇
嵐が過ぎ去ッた翌日の空は藍色に澄み渡っていた。
「イクト、後のことは頼んだぞ」
「ん、畑仕事のことなら父さんから教わった通りしっかりとやるよ」
父さん達は昨日中に荷物をまとめ、前言通り旅の準備を済ませていた。
母さんは別れを惜しむように家の前で長く祈っている。
「いってらっしゃい、後のことは原初の魔法使いの再来と謳われた私にお任せあれ」
「マリーさん、息子のこと、どうか良しなにお願いします」
こうして、僕と賢者の孫娘との同棲生活は始まった。
この世界に転生した当初こそ、期待で胸をいっぱいにしていたけど。
「さてと、イクト、これからよろしくね」
「……出来れば、君は早々に帰ってくれないか」
「どうしてそんなこと言うんだよ」
今年で十六になる僕と年恰好も背格好も同じの彼女は一言で美少女の部類に入る希少種、一介の農家の嫡男である僕には棚から牡丹餅級の出逢いだったことだろう。けど違う。僕が転生してまで望んだのは自由と安寧であって。浪川に振られ、ショック死してしまった一件以来僕は――
「親族以外の異性は信じない主義だから」
すっかり女性不信に陥ってしまったのだ。ふふん。