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スケアクロウ

作者: 鈴村蓮
掲載日:2019/02/22

 ある所に、人家と青々とした田畑からなる小さな村がありました。

 うららかな春の日、村に住む一人のおじいさんが、家の前の畑に一体の案山子を立てました。丸い頭と木の棒が不器用に組み合わされ、へのへのもへじの苦い顔を麦わら帽子で隠したものです。

 その恰好はまるで、不機嫌に畑を睨んでいるようでした。


 畑の目の前には、田んぼが遠く山際まで広がっています。ある日、そこに二羽のツバメが飛んできました。彼らはどうやらつがいであるらしく、おじいさんの家の軒先に巣をかけるため、黒い土がむき出しの田んぼと家とを何往復もするようになりました。

 幸せそうに飛び交う二羽の姿を、案山子は口を結んで眺めていました。


 耕された田んぼに水が張られ、大きな鏡の様に薄い空と白い雲を映しています。そこに植えられた小さな緑の苗の上を、つがいの片割れが縦横無尽に飛び回っていました。

 身動きが取れない案山子と違い、ツバメは自由に空を滑って虫を捕まえます。そして時折おじいさんの家へ帰ると、今度はもう一羽が頭上を通り抜けていくのです。

 彼らの行く先は、大抵が田んぼやその間を流れる川の方でした。天気が良い日は水面からの光に目が痛いくらいでしたが、若葉色が伸びるに従って水の反射が和らぎ、それと同時にツバメがおじいさんの家に戻る頻度も増えていきました。

 一羽で悠々と飛んでいたツバメも、いつの間にか二羽で忙しなく空を駆け巡っています。今では家の中へ飛び込んだかと思うと、またすぐに餌場へ向かって勢いよく飛び出す有様です。

 どうしてこんなに二羽は慌てているのか、ゴム製の頭ではさっぱり理解できません。それがわかったのは苗が太く水面を隠し、空気が雨の匂いを含み始めてからでした。


 乳白色だった雲が黒味を帯び、案山子が雨に濡れる日が増えていきました。おじいさんの孫がさし掛けてくれた傘も、大きく広げた腕までは守ってくれません。

 そんな憂鬱な季節でも、嬉しかった事が一つあります。それは雨間に飛ぶツバメたちが、二羽から五羽に増えたことです。

 初めてそれに気づいたのは、前からいた二羽が虫を取ってもおじいさんの家へ帰らなかった時です。おやと思って様子を見ていると、彼らは電線に止まっている小さな三羽の元へ滑空していったのです。

 そうか、あのつがいは子供を育てていたのか。一人得心していると、ふいに並んでいた中の一羽が力一杯電線を蹴りました。

 勢いよく飛び出したものの、小さな体は放物線を描いて畑へ落下していきます。危ない、と目を見張った瞬間、子ツバメは必死に翼を動かして体勢を立て直しました。

 よかった、と胸を撫で下ろしている間に他の二羽も空へと向かい、三羽は何とか広い世界への一歩を踏み出すことに成功しました。


 ツバメは雨の隙間を縫いながら、案山子の脇スレスレを通って飛行を繰り返します。初めはふらついていた子供たちも、徐々に安定して飛べるようになっていきました。

 しかし中には、いつまでも飛び方が危なっかしいものもいました。最初の時に地面に落ちかけた、あの一羽です。一度空高くへ飛び出すものの、風に乗る前に羽を動かす速度を緩めてしまうのです。

 いつか、あの青く茂った草原の中に落ちてしまうのではなかろうか。案山子はその子が羽ばたくたびにその身を案じ、体が落ち始めると上手く開かない口の中で頑張れ、頑張れと声をかけ続けました。

 それでも雨の降らない時間が長くなるにつれ、子ツバメは力強く羽ばたけるようになっていきました。飛行距離も少しずつ伸び、太陽が雨雲の隙間から強い光を放つ頃には、少し離れた葦原まで往復できるようになったほどです。

 やがて雲が白い輝きを取り戻し、空が紺碧に塗り潰される夏が来ました。草木の色はますます濃くなり、セミやトンボなどの大きな昆虫が自分の天下を高らかに叫んでいます。一方で近くの林から湧き出る虫たちに気圧されたのか、ツバメたちは葦原へ住処を変え、こちらへは時々餌を捕りに来る以外はあまり近寄らなくなってしまいました。

 以前の様に彼らを見守る事はできなくなりましたが、それでも案山子は平気でした。遠くで動く影やこちらへやって来た時の飛び方を見れば、どんどん腕を上げていることが手に取るようにわかったからです。

 特にあの子ツバメは、まだ多少動きが覚束ない部分もあるものの、そんな時でもすぐに体勢を立て直して虫を追えるようになっていました。これなら、食べ物が捕れずに飢え死にする心配はなさそうです。変わらない表情の下で、案山子は安堵のため息をつきました。


 日差しの勢いは、夜明けを繰り返すごとに強くなっていきます。案山子は自分の体がじりじり焦がされ、劣化していくのを肌で感じていました。つばの広い麦わら帽子も、この暴力的な太陽の前ではほとんど役に立ちません。

 それでもおじいさんの家から薄い匂いの煙がたなびき、空に大きな光の華が咲いた日を境に、太陽の力は少しずつ弱まっていきました。

 そしてそれと反比例して田んぼが少しずつ黄色みを帯びていき、気が付くと田んぼは深緑から金一色に変わっていました。風からも湿り気が抜け、透き通った空は青く輝いて過ごしやすい日々がやってきたことを表しています。

 それにも関わらず、案山子の心には薄い雲が張っていました。やかましいスズメが大群で畑や田んぼに押し寄せ、子ツバメがあまりおじいさんの家に近寄らなくなってしまったからです。

 スズメはあっちの米がいい、こっちの豆がいいと叫びながら右往左往しています。どうにか追い払おうとするのですが、すっかりしなびてしまった体では何の威嚇にもなりません。

 おまけにスズメからは、「突っ立っているだけの木偶の坊」「何もできない藁頭」「悔しかったら何か言ってみろ」と馬鹿にされ、罵られる始末。惨めになっても、中途半端な円形の目からは涙を零すことすらできませんでした。

 だからたまに子ツバメが頭の上にやって来ると、案山子の心は大きく弾みました。以前はよろよろと下降と上昇を繰り返していただけだったのに、今では急旋回、急下降・急上昇もお手の物。毎日どこかしらで刈り取りが行われ、隠れ場を失い田んぼから逃げ出す虫を確実に捕らえていきます。

 弱々しかった小鳥たちは、すっかり立派な狩人へと成長していました。


 爽やかな日の光が降り注ぎ、よく晴れたある日。ほとんどの稲が収穫され、島の様に残された金色の上をゆっくり飛ぶあの子ツバメの姿を、案山子は見つけました。

 明らかに虫を追っているのではないその動きに首を傾げていると、その子は漆黒の羽を広げて案山子の上空へやって来ました。そして一度だけ大きく旋回し、細かく連なるうろこ雲の彼方へ向かいます。

 その日を境に、ツバメの姿は全く見えなくなってしまいました。


 金色の海が一面の禿坊主になり、その刈り跡から伸びた二番穂にスズメが群がっています。周囲の木々は徐々に、自らの葉を赤や黄色に染め上げていきました。

 季節が移り替わっていく中で、案山子はツバメたちを探し続けました。しかしどれだけ待っても、葦原にも屋根の上にも彼らは現れません。

 それでも色が薄れてきたのの字の目を必死で凝らしていると、今度は何羽ものスズメが案山子の肩に飛び乗り、チュンチュン嗤い出すのです。

「待っても無駄だよ、あいつらなら遠くに行っちゃったよ」

「お前を置いて行っちゃったよ」

「もう帰ってこないよ」

「帰ってきてもお前の事なんか忘れているよ」

「馬鹿な案山子、ただ立っているしかできない間抜けな案山子」

「やーい、役立たず」

「そのままずーっと畑に立って、枯れて腐って肥やしになっちゃえ」

 うるさいと、案山子は怒鳴ろうとしました。あの子たちはまた戻ってくる、自分はその時の目印でいたいのだと、言い返そうとしました。しかし固く閉じられたへの字口のせいで、声が思うように出せません。その様子を見てスズメはまた笑い、役立たずとからかうのです。案山子は更に憤りを顕わにしますが、色褪せた顔と棒切れの体ではどうすることもできません。

 この背中に、彼らと同じ羽が生えていたらよかったのに。自由に動ける体、言いたい事が言える口があったら良かったのに。白く長い雲を残して天高く飛び去る鳥を仰いでは、案山子はとても悲しい気持ちになりました。


 鮮やかに紅葉した葉が地面に落ちて次第に林が茶けていく中、案山子はずっとツバメを待っていました。二番穂も食べ尽くしたスズメが田んぼに来なくなり、村全体が枯れ草色になっても、ただひたすらに待ち続けました。

 日を追うごとに、空気は冷たく締まっていきます。凍った大気は夜になると全身を無数の細かい氷で包みこみ、日差しの温もりすら全てを溶かすことはできません。案山子は震えながら、昼も夜も一人畑に立っていました。

 寒さが一際厳しい晩のこと、空から一片の雪が落ちてきました。小さな欠片はどんどん仲間を増やし、朝になるまで降り続きます。

 雲が晴れて太陽が顔を覗かせると、そこにはどこまでも続く銀世界が広がっていました。

 滑らかな純白が一面を覆い、田んぼの中の川はまっさらな布の上を這う蛇の様。常緑樹も落葉樹も、今では一様に白い華を咲かせて見分けがつきません。

 太陽光を反射させて輝く世界はあまりに美しく、初めて見る光景に案山子は心を躍らせました。それは他の生き物も同じようで、いつもは痕跡を残さずひっそり動くウサギやタヌキが足跡を残して雪上を跳ね回っています。おじいさんの孫たちも、雪合戦をしたり案山子の隣で雪だるまを作ったりと、毎日が楽しそうです。

 案山子は雪の重みでずり落ちた破れ帽子の隙間から、青と白の合間で遊ぶものをいつまでも眺めておりました。


 分厚く積もった雪はしかし、少しずつ溶かされては次第に面積を減らしていきます。そして遂に木影に小さな氷の欠片を残すだけになった頃、茶一色だった大地に若草色が混ざり始めました。

 緑の合間に青と白の群れや黄色が咲き誇り、香りに誘われ出てきた羽虫は案山子の耳元で春をささやきます。林には再び緑が萌え出で、家の前の桜は枝の先に小さな蕾をつけました。

 薄紅の蕾はぐんぐん膨らみ、やがて焦げ茶の幹を隠してたくさんの花を咲かせました。

 満開の桜の下で空を仰いでいると、花吹雪をかいくぐっておじいさんとその孫がやってきました。そして二人は力を合わせて、案山子を畑からずぶりと引き抜きます。

 一年間風雨に耐えた体は、もうぼろぼろでした。体は汚れ、服はほつれ、へのへのもへじは薄らいで何が書いてあるのかほとんどわかりません。

 ああ、自分は捨てられてしまうんだ。案山子は自分の未来を悟り、もうここにはいられない事実に少し寂しくなりましたが、その心は不思議と穏やかでした。

 自分は色んなものと出会って、幸せな毎日を過ごさせてもらった。もう、充分。

 満ち足りた思いで身を預けていると、おじいさんは薄汚い服を脱がせ、壊れかけた帽子と頭を覆っていた布を取ってしまいました。顔が無くなったので、何も見聞きすることができません。触覚だけが頼りの世界で、案山子は頭が柔らかく撫でられ、自分の体が乾いた布に包まれるのを感じました。

 このままバラバラにされるのだろうな。そう思った時、頭に新しい布が巻かれたことに案山子は気づきました。おやと首を傾げていると、ペンの音と共に視界が徐々に明るくなっていきます。

 そして新しい服をまとい、再びその足を畑に刺して立ち上がりました。

 まっさらな顔には、おじいさんの孫によって新しい目鼻口が黒々と描かれています。その口はへの字ではなく、にっこり笑った半円形をしていました。


 田んぼが耕されて黒々とした土に覆われると、南の空から一羽の若いツバメが飛んできました。見覚えのある姿形のそれは飛びながら器用に虫を捕まえ、広い空を自由自在に滑っています。

 と、何を考えたのかツバメはすーっと下降し、案山子の腕に静かに舞い降りました。

「こんにちは、ツバメさん」

 案山子は、高鳴る鼓動を抑えてぎこちなく挨拶します。するとツバメはにっこり笑い、嬉しそうにピチュチュとさえずりました。

「ご無沙汰しました。またお会いすることができて嬉しいです、案山子さん」

「……私のことが、わかるのですか?」

 案山子は目を丸くしました。地面からツバメたちを見上げることしか出来なかった自分など、存在を認識されていたはずが無いと思っていたからです。仮に気づいていたとしても、あの時と比べて姿形は随分変わっています。わからない方が普通でしょう。

 しかしツバメは当然の事だと言わんばかりに、大きく育った体を更に膨らませました。

「何を仰ります。だって私が空を飛ぶたび、落ちないようにずっと応援して下さっていたではありませんか」


 ある所に、人家と青々とした田畑からなる小さな村がありました。村の遥か高みでは、ツバメが悠々と空を滑っています。

 その様子を優しく見守る案山子が一体、畑の中に立っていました。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

こちらは以前小さな児童文学賞に提出し、最終選考にまで残らせていただいたものです。自分でも気に入ってる話なので、陽の目を見ることができて良かったです。


またどこかでお会いできましたら、お付き合いいただければと思います。

その際はどうぞよろしくお願いします。

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