第六話
その後、修行を再開し、エマが作ってくれた食事を三人で食べる。
シリウスはどう見てもいいところの出のようだったが、その点にあまりこだわりはないらしい。
エマの存在は樹利亜にとってありがたかった。
「シリウス様、心配なさっているのは判りますが、ジュリアさんはこちらに来たばかりなのでしょう? 早めにおやすみになったほうがよいと思いますよ」
という風に指摘してくれたのである。
「そうだったな、すまん」
すっかり失念していたらしいシリウスは、素直に詫びた。
(忘れていたの?)
わりと頼りになりそうというシリウスの評価を、樹利亜は下方に修正する。
食事を終えた段階で樹利亜はエマを手伝おうと立ち上がった。
「あら、お客様ですのに」
「いつまでも客ではいられませんから」
という樹利亜の目を見て、その意思の強さに負けたのか、エマは食器の片づけを手伝わせてくれた。
「あなたは強い人ね。でも、何でもひとりでしようと思わず、困ったら頼ってくださいね」
エマに優しく言われ、樹利亜は小さくうなずく。
あまり好意を無下にするのもどうかと思ったからだ。
シリウスはというと、早々にどこかの部屋に引っ込んでしまう。
(お父さんもそうだったな)
食器洗いなどは常に母や自分の仕事だった。
たまには手伝ってくれてもいいのにと感じていたことを思い出し、少しもやっとする。
エマはそのまま彼女を寝室に案内してくれた。
「隣が私の部屋です。何かあればお申し付けください」
「判りました。ありがとうございます」
樹利亜はそう言って部屋の中に入る。
中は六畳間くらいの広さで、ベッドと机があるだけの質素な部屋だった。
机の上にランプが置かれている。
今日一日ですっかり見慣れてしまった魔術具の一種だ。
(本でも持ってこようかしら)
シリウスには勉強のため自由に読んでよいと言われている。
部屋の外に出ようとしたところで、睡魔が襲ってきた。
(……やっぱり今日のところは寝よう)
今日は激動の一日だった。
気づいたら知らない世界にいて、見知らぬ人に出会い、未知の文化に触れ続けた。
自覚がないだけで疲れている可能性は非常に高い。
(ここに医者がいるのか、いても頼っていいのか判らないし……)
正直なところ体調を崩してしまうのが怖いのだ。
体の欲求に素直に従い、ベッドに入る。
数分と経たないうちに彼女は寝息を立てはじめた。
翌日から樹利亜の修業は始まったのだが、彼女はしばしばシリウスを驚かせた。
「思っていた以上に順調だ。君のセンスは大したものだ」
そう言って褒められたことは一度や二度ではない。
「ありがとうございます」
ひとまず礼を言うのが無難だろうと彼女は思い、頭を下げておいた。
「どれくらいでモノになるのか君は危惧していたが、三か月もあれば十分そうだ。安心していいし、誇りに思っていいぞ」
という言葉は樹利亜を安心させた。
ある日、朝食をとったところでシリウスが言う。
「一度、街に行ってみようか。どういう店があってどういう物が売られていて、どういう人が住んでいるのか見ておくといい」
「本当ですか?」
シリウスの言葉に彼女は目を輝かせる。
正直、森の中の家にずっとこもり続けて、少々息が詰まりそうだったのだ。
「教えたことは覚えているか?」
「はい。大陸中央に位置する王国で、ここはイーアの森林ですね」
地理なども何かの役に立つかと思い、樹利亜は学んだのである。
「近くにあるのはイアンの街だ。人口が一人万程度の比較的大きなところだ」
「伯爵の領地の一つですね」
樹利亜の回答にシリウスは満足そうにうなずく。
(伯爵がいて領地を経営しているなんて、さすがと言うべきかしら)
彼女は内心そう思った。
王国と言うくらいだから国のトップは王なのだろう。
関わり合いになることがあるとは思わないが、知らないと誰に何と言われるか判らない。
「シリウス様、一緒に行きましょう」
「私も行くのか」
シリウスは仕方がないという顔をしたので、樹利亜はムッとする。
(土地勘のない私を放り出す気?)
基本的に親切なのだが、残念なところが散見される男だった。
「シリウス様、仕方ないでしょう」
エマがシリウスをたしなめる。
「判っている」
彼はむっつりと答えた。
何か訳ありなのだろうかと樹利亜はピンとくる。
こういう森の中で暮らしている変わり者だから、単純に街に出たくないだけかもしれないが。
「どうしてもお嫌なら、私はひとりで行きますけど」
樹利亜がそう言うとシリウスは首を横に振った。
「君ひとりで行かせるのはダメだ」
「……何か理由でもあるのですか?」
彼女の疑問にエマが口を挟んでくる。
「ジュリアさん、お店で働くか自分で持ちたいのですよね?」
「はい、そうですけど」
「どちらにせよ、紹介状が必要になりますよ」
「えっ」
樹利亜は目を丸くしたものの、考えてみれば当然の話だった。
(どんな人か判らないのに雇ってくれたり、店舗を貸してくれたりするのは難しいわよね)
こちらの世界に戸籍や身分証などはないと聞いていたため、その辺について深く考えてこなかった。
こればかりは自分の力だけではどうすることもできない。
雇ってもらえさえすれば真面目に働き、信用を得る自信はある。
しかし、雇ってもらう段階で信用を証明しろと言われても、こちらの知り合いがシリウスたちしかいない樹利亜には無理な話だった。
「君さえよければ俺かエマが紹介状を書くが」
シリウスがそう申し出てくれる。
彼らを頼る以外に手段はないのだろう。
「少し考えさせてください」
樹利亜がそう答えたのは半分意地みたいなものだ。