第四十五話
「『花と風』というお店です」
樹利亜は名前を告げると、リゲルたちはそちらに向かう。
物々しい様子に外に出ている人々は何事かと興味深そうな顔だった。
「花と風」の裏口のドアをリゲルが叩き、再び老婆が顔を出す。
「おや、リゲルさんにアジェナさん」
老婆は二人のことをよく知っているような反応だった。
「こんにちは。話はすでにきいていらっしゃるかもしれませんが」
リゲルの用件を聞いた老婆はうなずいた。
「靴下と腰巻きはいつも同じところに干しているので、簡単に言えますよ。二階のベランダです」
「見せていただいてもいいですか?」
「ええ、どうぞ。現場を見た方がいいでしょうし」
老婆は快く案内してくれた。
基本的に樹利亜が借りている建物と構造は似ているが、二階には洗濯物を干せるだけのベランダがついている点が違っている。
「なるほど、ベランダの目の前は別の建物だし、人が入るだけの隙間はなさそうですね」
「ええ。泥棒が入るとしたら、一階からでしょう」
老婆は何気ない口調で言った。
「ご協力ありがとうございました」
外に出て老婆に礼を言うと、アジェナ医師とリゲルは少し考えているようだった。
「時間帯によっては十分日光が当たりそうだ。日光が十分当たらなかったため、問題は起こらなかったとは考えにくいですな」
リゲルの言葉に樹利亜は「ようやく疑いが晴れたのかな」と思う。
それでも心証を悪くしたくなかったので黙っていた。
「風と舞う妖精」でも似たようなことを確認した後、樹利亜は言った。
「一つの仮説が生まれました。そのためには質問が必要になりますが」
「何でしょう?」
首をひねったリゲルを見つめながら樹利亜は聞く。
「発火した人たちって、一階に洗濯物を干していたのじゃありませんか?」
「えっ、どうして分かったんですか」
リゲルは目を丸くし、他の兵士たちもざわめく。
「ふと思いついたのです。そういう魔術具を使えば……と」
「ああ。あるわね。【起火眼鏡】とかね。確かにあれは距離が開くと効果が出ないから、二階に干されている洗濯物には手が出せないのも道理ね」
樹利亜の思い付きをアジェナ医師が真っ先に賛成してくれる。
「何を言う。放火魔がいるって言いたいのか?」
兵士の一人が噛みついてきたが、樹利亜は負けていない。
「私を疑うのはいいのに、他の人を疑うのはよくないのですか?」
なんて理不尽なのだろうと怒りを込めてにらむと、兵士は驚いたように目をそらす。
どうやら深く考えての発言ではなかったようだ。
「お嬢さんの言うとおりだ。部下の非礼、私が代わりに詫びましょう。申し訳ない」
リゲルが代わりに頭を下げたので、樹利亜は水に流すことにする。
「分かっていただければいいのですよ」
「【起火眼鏡】か、それとも別の何か。いずれにせよ一階の建物しか火をつけられない魔術具を犯人は使ったのね」
「使い方次第では便利かもしれないけど、用途が限られているから持っている人はほとんどいないはずよね、おば様」
スピカの言葉にアジェナ医師とリゲルはうなずく。
「それに樹利亜さんの手掛けた商品に火をつける動機があるとなると、かなり絞られますね」
「かなりって言うか、実質一人か二人しかいないような」
リゲルに対してアジェナ医師は答える。
この店で唯一樹利亜と商売が競合しているデネブだ。
「そうかもしれませんが、証拠は何もありませんよ」
リゲルは困った顔をした。
樹利亜も実は同感である。
(怪しいのは確かだけど、怪しいってだけじゃあ私も同じだものね)
もしかしたら犯人はデネブに罪をかぶせたいと考えているのかもしれないのだから。
「証拠か目撃者は必要ですね」
リゲルは言う。
「ただ、目撃者らしき人はいません。だからこそ、最初ジュリアさんを疑う人がいたのですよ」
彼の言葉に樹利亜は納得する。
「証拠探し、どうやればいいのかしらね」
アジェナ医師も困ったように眉間にしわを寄せた。
「質問には必ず本当のことを言うという魔術を使うのは、ダメなんでしょうね」
樹利亜はぽつりと言う。
彼女の感覚で言えば自白を強要するようなもので、証拠能力は認められない気がする。
ところが、リゲルとアジェナ医師の反応は違っていた。
「そんなことができるのね」
「効果を確かめる必要はあるが、それさえできれば証拠になりますな」
アジェナ医師は感心し、リゲルは有効性を認める。
「領主のアルタイル様の承認さえ得られれば、採用させていただきます。その際、改めてご協力いただければと思います」
リゲルはそう言って部下と一緒に引き上げていった。
残された二エルフのうち、スピカが樹利亜に話しかける。
「危ないところだったわね」
「ジュリアさんが疑われ、私の信用も傷つくところだったわ」
アジェナ医師の声はいつもよりも低く、凄みがあった。
「犯人はただじゃすまないわね。まあ領主が動くなら領主に任せましょう。人間の貴族ってうっとうしいもの」
スピカは冷静に言った。
「何かあったら教えてね。もうあなただけの問題じゃないんだから」
アジェナ医師はそう言って診察所に戻り、スピカも樹利亜を一度見てうなずいて去っていく。
(どうにか乗り切ったわね)
樹利亜は深々と息を吐き出し、ゆっくりと自宅に戻った。
そこで血相を変えたミルザムと遭遇する。
「あっ、ジュリアさん! あんた領主兵たちに連れていかれたと聞いたけど、大丈夫だったのかい?」
「ええ、アジェナ医師のおかげで何とかなりました」
「そうだったのかい」
ミルザムはホッと胸をなでおろす。
心配してくれる人がいるというのはいいものだ。
樹利亜の胸は自然と熱くなる。
「私たちにできることなら遠慮なく言うんだよ」
「はい」
樹利亜はうなずいてから、たずねてみた。
「ミルザムさんは靴下や腰巻きは何ともないですか?」
「ああ、何にもないさ。だからあんたのせいじゃないよ、きっと」
ミルザムは気遣うような目を向ける。
樹利亜は念のために聞いてみた。
「洗濯ものはどこに干していますか?」
「三階のベランダさ。日の光は当たるし、人目につきにくいいい場所なのさ」
ミルザムの家を思い出し、樹利亜は「何ともない客」と同じだと判断する。
「もしかしたら領主様に聞かれるかも」
「ああ。任せな。代書人をやっている以上、ある程度は関係しているんだ」
ミルザムはいやな顔をしない。
実に頼もしい隣人だった。




