第四十一話
樹利亜の耳に異変が入ったのは数日後のことだった。
「えっ? 何ですって?」
自分の耳を疑った彼女に対し、イラついた様子で三人の女性客が言った。
「だからあんたに付与魔術をかけたもらった靴下や腹巻きが発火して燃えたんだよ。しかも、あんたにかけてもらった物だけが燃えたんだ。これってどういうことだい?」
表情は厳しく、まるで詰問しているかのようである。
「まさかそんなはずは……」
樹利亜は思わずそうつぶやく。
付与魔術はあくまでも狙った効果を付与するだけで、物が熱くなったり燃えやすくなったりすることはない。
シリウスが説明してくれたことだし、樹利亜もそう実感していることだ。
だから付与魔術をかけた靴下や腹巻きが、そうでない物よりも燃えやすくなるということはありえないし、おかしいのである。
「何だい? 言い逃れかい?」
以前は優しく、樹利亜に感謝の気持ちを示していた中年女性たちの彼女を見る目が厳しい。
相当に腹を立てていて、しかも彼女を疑っているようだ。
「いえ、付与魔術にそれほど効果があるはずがないんですが」
「じゃあ何かい? 私たちが悪いっていうのかい?」
女性たちの声がより低くなり、顔が険しくなる。
「めっそうもありません」
樹利亜はどう言えば彼女たちに伝わるのかと苦悶する。
「あの、ジュリアさん」
若い女性がおずおずと口を開く。
「私たちはみんな、洗濯して干していたんですよ。そしたら靴下や腰巻きが燃え出したんですよ。太陽の光に長時間当ててはいけないなら、そうおっしゃっていただければよかったんです」
遠慮がちではあったが、樹利亜の説明不足を指摘するような言い方だった。
「そうだよ。そうすりゃ私たちは気を付けたんだからね」
「えええ……」
樹利亜は困惑する。
日光を浴びたからと言って靴下や腰巻きが発火するわけがない。
何か別の要因があるとしか考えられなかった。
「何だよ? あくまでも自分に落ち度はないと言い張るつもりかい?」
女性は目を吊り上げる。
樹利亜は言い返したくなるのをぐっとこらえた。
(ここで謝るのは簡単だけど……)
そもそも身に覚えがない、起こりえないはずの展開をわびたところで問題が解決するとは思えなかった。
(だいたい、本当に日光が原因なのかも分からないんだし)
魔術の知識がない人たちにはそう思えるというだけの話だ。
しかし、あまり頑として言い張るのもためらわれる。
「調査する時間をくださいませんか。もしも、私の魔術が原因だとすれば、その時は代金をお返しします」
樹利亜がそう言うと、最年長の女性が舌打ちをした。
「まるで私たちがお金目当てで言ってきた、とでも言いたそうだね」
「そんなことはありません」
樹利亜はあわてて否定するが、女性は納得しなかった。
「発火する物なんて危険じゃないか。たまたま外で発火したからよかったけど、家の中で起こっていたら大火事になったかもしれないんだよ!」
「そうよそうよ!」
「その辺もっと真剣に考えなさいよ!」
女性たちは口々にまくし立てる。
樹利亜はようやく相手がどうしてここまで怒っているのかを察し、納得した。
(そうよね。他に燃え移っていたら大火事になっていたかもしれないものね)
彼女としては自分に落ち度があるとは思えないが、客の方が怒るのは無理もない。
「ともかく今から調査をはじめます。火事を防ぐためにも、そうするのが一番でしょう」
「そうね。こうしている間に火事になる家が出てくるかもしれないしね」
女性のひとりが嫌味を言う。
樹利亜は傷ついたが、やはり我慢する。
反論できるだけの根拠がないのに反論しても、水掛け論にしかならないのだから。
(でも、どうやって根拠を集めたらいいんだろう?)
魔術師ならば調べたらすぐ分かるが、普通の人はそれでは分からないし納得してもくれないだろう。
もしかすると、今回の件で一番難しいのはこの点かもしれない。
女性たちが出ていくと、樹利亜はふーっと息を吐きだした。
「どうしてそんなことになっちゃったんだろう?」
思わずつぶやいたが、答えが出てくるはずもない。
すっかり客を待つ気分はなくなってしまった。
看板をしまってさっそく「花と風」へと向かう。
お得意様であり、樹利亜のファンがいる店でもあった。
先ほどの抗議しに来たメンバーにいなかったが、だからこそ気になる。
(営業中だったから来られなかっただけかもしれないし)
できれば違っていてほしい。
樹利亜はそう願わずにはいられなかった。
何となく営業中だろう店に正面から入る気にはなれず、裏口を叩く。
すると例のおばあさんが姿を見せた。
「あら、ジュリアさん。どうかしたのですか?」
とても不思議そうな反応に、樹利亜は少しだけ安心する。
もしもトラブルが起こっていたのなら、もっと別の態度で出迎えていたはずだ。
「ええ。実は魔術の件でトラブルがあったらしくて」
樹利亜は正直に打ち明けた。
ここで下手に隠しごとをすれば、亀裂が走り始めている客との信頼関係が、さらに悪化してしまうだろう。
「靴下に異変はないですか?」
「ええ。何ともありませんよ」
おばあさんは柔和な態度で答える。
嘘をついているようには見えなかったし、嘘をつく理由はないだろう。
そう考えれば樹利亜は安心できた。
「洗濯した後、お日様に当てていたら燃えたという人がいたのですが」
「? 同じことをしていますが、何ともありませんよ」
おばあさんは本当に不思議そうな顔で答える。
(同じ条件でも発火しない人がいるのね)
ひとまず前進したと考えていいだろう。
「ありがとうございます。万が一、何かあればすぐに連絡してくださいね」
「ええ、承知しました。大変かもしれないですけど、無理をしすぎて体を壊したりしないように、十分気をつけてくださいね」
おばあさんの優しさに樹利亜は胸が温かくなる。
深々と頭を下げて辞去した。
(別に全ての品物が発火したわけじゃないのね)
樹利亜は少し勇気をもらった気がしたが、同時に疑問もわく。
(でも、どうして火なんて起こるのかしら?)
もしも彼女が使う付与魔術にそのような効果があったのだとすれば、今ごろシリウスの屋敷は森ごと燃え尽きていただろう。
第一シリウスが独り立ちを許すはずもない。
だが、シリウスに名前を出すことは禁じられているし、自分で何もせずに偉大な師匠の名前にすがるのも樹利亜はいやだった。
(そんなことをしたら女がすたるってものだわ)
どうしても無理そうだと判断した場合は、頭を下げに行くことも考えなければならないが、まずは自分の力でやってみたい。
そうでなければ今後、ひとりで生きていくなんて無理だろう。
(何をやればいいかと言うと、まずは情報を集めることよね)
誰の物がどういう状況で燃えたのか。
燃えなかったおばあさんの場合とは何が違うのか。
(分かれば前進できるわね)
もう少しおばあさんに話を聞いてみるべきだったかなとちょっと思ったが、今の段階では何を聞くべきなのか出てこなかった。




