第四十話
翌日、レグルスが最初にやったのは樹利亜の話で盛り上がっている、女性たちの会話にさりげなく加わることである。
「へえ、そんな魔術があるんですね」
レグルスがおだやかな表情で話しかけると、女性たちは一瞬会話を止めて怪訝そうな顔になった。
彼の堂々とした態度と清潔な様子、おだやかな笑顔を見て彼女たちは「見覚えがないだけで近くの人なのだろう」と判断する。
親しい人、よく見かける人以外の顔はあまり覚えていないのは彼女たちにとって珍しいことではない。
「でも、変ですね。どうしてそんな魔術師がうちみたいな小さな町にいるんでしょうね?」
レグルスは何気ない口調で疑問を口にする。
「どうしてって……」
聞かれた女性たちは口をつぐんでしまう。
彼女たちに答えられるはずがないからだ。
「そんな効くって不思議ですよね。どうしてなんだろう?」
「あなたこそ、どうしてそんなことを言うんです?」
若い女性が少し気分を害したように質問する。
「申し訳ありません。うちにも母がいるのですが、母のためになるならと思っているんですが、ふと考えたのです。なぜそんな人が? と」
レグルスが巧妙だったのは、決して否定しなかったことだ。
彼女たちの話を否定したり、樹利亜を貶すようなことを言えば女性たちは怒り、彼の言葉に耳を貸さなかっただろう。
しかし、彼は彼女たちの話を聞き、ただ疑問をぶつけただけだった。
「言われてみれば……」
「そうよね」
「アジェナ医師だって似たようなものじゃないですか」
先ほどの若い女性が少しあわてたように言う。
(どうやらこの女性は、ジュリアって女にかなり肩入れしているな)
ならばこの女性を刺激しないように気をつけねばと思った。
「アジェナ医師って人間は好きで治療は好きだけど、大都市や大勢の人はきらいって人だからじゃない?」
「ジュリアさんだって同じかもしれないじゃないですか」
「それはそうね」
若い女性の意見に、他の女性たちも納得したようだった。
(ちっ)
レグルスは内心舌打ちをしたが、ここで余計なことを言って彼女たちに疑われるのはまずい。
「そうですよね。変なことを聞いちゃったかな?」
彼は笑って謝り、その場を立ち去る。
(だが他の女たちに多少の疑念は植え付けられたはずだ)
レグルスはそう自分に言い聞かせた。
少しずつ疑問を持つ人間を増やしていく。
まずはそれからだ。
その後、不審な展開を起こしていき、樹利亜が疑われるように仕向けて行けばいい。
魔術商売というのは基本的に信頼関係が必要である。
一度崩れた信頼関係というのは容易に取り戻せないし、元々この地に縁があるわけではないらしい樹利亜は、逃げるようにこの町から出ていくしかないだろう。
そうなればデネブの店がナンバーワンに返り咲き、レグルスは依頼を達成できる。
レグルスはデネブの親せきで協力者だが、別に樹利亜を破滅させてやろうとは考えていなかった。
(腕利きの魔術師相手だと、やりすぎた場合後がこわいからな)
万が一発覚した時には、きっと後悔させられてしまうだろう。
デネブはそこが分かっていないようだが、それを指摘してもあの性格では逆上するのが目に見えているため、レグルスは何も言わなかった。
いざという時は自分一人で逃げ出すつもりでいる。
そんな男は場所を移動して、やはり樹利亜のことを尋ねた。
「なぜって言われても……」
困惑する人が多く、反発する人は少数だった。
(やっぱりな。日が浅いから熱心な客というのは、まだまだ多くはない。これなら切り崩すのはそこまで大変じゃなさそうだ)
レグルスはほくそ笑む。
デネブは困った女だし土壇場になった見捨てるつもりではあるが、ケチではなく成功報酬はきちんと払ってくれるので、彼としてはできれば成功したいところだ。
レグルスは一度デネブのところに戻って報告する。
「とりあえず、何でこの町に来たのかって疑問を持つ人間を増やすのには成功したと言えそうだ」
「ずいぶんと回りくどいことをするのね」
デネブは露骨に不満をこぼす。
レグルスは舌打ちをしたくなるのをこらえ、理由を話す。
「直線的にやったら足がつきやすいし、最初に疑われるのはお前だろ。ジュリアって女に迷惑してそうな奴も、いなくなれば得する奴もお前が一番なんだから」
正論だと思ったのか、デネブは悔しそうな顔で黙り込む。
「安全に追い落とすためには、疑われないように少しずつやっていくのが一番だろ。それがいやだって言うなら、代案を出せよ。俺のアイデアより安全で確実で、しかも早く効果が出るようなやつをよ」
「……分かったわよ、あんたに任せるわよ」
レグルスに言われたデネブはふてくされた顔で答える。
「でも、失敗しないでよね」
「分かっているさ。失敗したらお前だけじゃなくて、俺だってやばい。それに今までは上手くやってきただろ?」
「そうね」
デネブはようやく落ち着きを取り戻した。
彼女たちは過去に何人もこの町から追い出すことに成功している。
全員デネブより若くて魅力的な女性だった。
今回も気を付けて動けばきっと上手くいくだろう。
レグルスはデネブより幾分かは慎重なようでいて、実際のところ大差はなかった。
「でも疑念を植え付けるだけじゃダメなんじゃない? 適当なことをジュリアって女が言えば、それを信じるんじゃないの?」
「そうだな。だから信じられなくなる小細工が必要だ」
レグルスとデネブはいくつかアイデアを出し合うが、どれもしっくりこなかった。
そのうち不意にデネブがポンと手を叩く。
「そうだ。腰巻きや靴下とやらを発火させればいいのよ。そうすれば一気に危険扱いにできるわ!」
名案だと喜ぶ彼女にレグルスは賛成しなかった。
「どうやってやるんだよ? 下手なことをすれば足がつくだろ?」
「魔術具を使うわ。加熱する魔術具よ」
「怪しまれねえようにするのは無理だろう」
レグルスはあきれた。
離れた場所から、誰にも気づかれずに効果を発動させる魔術具など、希少で非常に高額でデネブが手に入れられるようなものではない。
だからこそこの町でくすぶっているのだ。
「くっ」
デネブは悔しそうに右手親指の爪を噛む。
「じゃあ飲み物や食べ物に食中毒を起こすっていうのは?」
「店を敵に回すとジュリアって女を孤立させられないって言ったのは、あんただろ」
レグルスはそう切り返す。
さっき自分が言ったことも忘れたのかと目で言うと、デネブは真っ赤になって両手をわなわなと震わせる。
「魔術が原因かもしれない、そう思わせればいいじゃない!」
デネブは何も考えず、感情的になって叫ぶ。
そしてハッとなってニヤリと笑った。
「そうよ。下剤でもぶち込んでやりなさい。お通じがよくなるものを飲んでいたら下痢を起こした、これならジュリアって女が疑われるじゃない」
「……たしかにな。効き目がありすぎたって感じだもんな」
レグルスはデネブのことを見直した。
下剤であればそこまで入手難易度が高いものでもない。
「問題はどうやって入れるかだな。やっぱり夜中に忍び込むしかないか?」
「それは骨だねえ。それだったらまだ靴下とやらを燃やした方がよさそうだ」
「お、悪くないな」
レグルスは手を叩く。
「魔術効果がある靴下だけがいきなり燃えたら、使っていた奴らはどう思うかな?」
「いいねえ! 冴えているじゃない、レグルス! 洗濯して干してある靴下に魔術具を使うだけなら、怪しまれない方法はあるわよ!」
二人はそこで悪い笑顔を交わし合う。
「飲み物の方は後回しでもいいか?」
「ええ。靴下や腰巻きが燃えて不安になっているところを狙いましょうか。それに何もしなくても売り上げがボロボロになるかもしれないし」
デネブは実際に想像したのか、うっとりとした顔になった。
自分を差し置いて成功しそうになった女が破滅するのは、最高に気持ちがいい。
「じゃあ魔術具を貸してくれよ」
「あいよ。こいつを使うといい。離れたところにある物を加熱する魔術具だ。一度標的を決めさえすれば、後は懐に入れておいても効果を発揮するから、怪しまれにくいだろうよ」
デネブは白い透明な円盤のような魔術具を取り出し、そう説明した。
ほとんど火打石のような効果しかなく、今となっては売れない魔術具である。
それでも使い方次第で凶悪な物になるというわけだ。
「上手くやりなさいよね」
「もちろんだ」
レグルスはそう言ってそっと店を出て行った。




