第三十八話
その日、七人の客が訪れたので、その都度アジェナ医師の診断結果を宣伝した。
「へえ」
感心する客たちに樹利亜は説明を忘れず行う。
「あくまでも民間療法的な位置づけですが、ぜひお試しください」
「そうねえ」
客たちはアジェナ医師の文章を見て、乗り気になる人たちが多かった。
彼女たちが帰って店じまいをして、「花と風」に行ってみると、すぐにアルヘナが出てきて、満面の笑みを浮かべる。
「やりましたよ、ジュリアさん! 三つの商品のどれもが五十杯を超えました! 銀貨四枚大銅貨五枚の売り上げです!」
「すごい」
樹利亜は目を丸くした。
さすがにいきなりこんなに大きな反響があるとは想像していなかったのだ。
「やっぱりアジェナ医師のおかげかしら」
「それもありますが、ジュリアさんのことを知っているお客さんが増えてきたように思いました」
アルヘナは若干疲労を感じさせる表情で報告する。
「そうでしたか」
「ええ、ちょっとずつですが、ジュリアさんの名前とサービスが浸透してきていますね。後は定着するまで継続できれば、一気に人気者になれますね!」
アルヘナの言葉には熱がたっぷりと熱がこもっていた。
「はい、頑張ります」
樹利亜は「だといいな」という言葉を飲み込み、別の返事を言う。
ここで弱気になってはいけない気がしたのだ。
「まだ余裕はありますか?」
アルヘナの問いに樹利亜はうなずく。
「ええ。今日も七人ほどのお客さんでしたし。使用上限には余裕がありますね」
「ならよかった」
安心してみせた彼女に、樹利亜は疑問を持った。
「何かあるのでしょうか?」
「いいえ。これだけ需要が伸びてきたら、ジュリアさんが魔力切れで倒れる心配がどうしても浮かんでくるものですから」
魔力が切れた魔術師は役立たずである。
また危険もあるという。
商売のパートナーとして、よき知人としてアルヘナは心配してくれたようだ。
「ありがとうございます。気を付けていますので大丈夫ですよ」
樹利亜としては強がったつもりはない。
まだまだ余裕は残しているのは事実だからだ。
新しい取引先の開拓はもう少し待った方がいいかも、と思うくらいに精神にもゆとりがある。
「それは頼もしいですね。末永くいいお付き合いをさせていただきたいですから」
アルヘナは微笑む。
(商売人の顔になっているわね)
と思いながらも樹利亜は微笑みを返す。
利にさとい商売人は、目的が一致していれば心強いパートナーになってくれる。
アルヘナのような人物に見捨てられないように気をつけようと思いながら、樹利亜は言った。
「まだ魔術の効果は残っているでしょうから、明日の朝早めに来ますね」
「ええ、よろしくお願いします。後、報酬はこちらですね」
アルヘナは白い袋を差し出す。
樹利亜が中身を確認すると、彼女が言っていたように銀貨が一枚と大銅貨が五枚入っている。
「はい。たしかにちょうだいしました」
「また明日お待ちしております」
アルヘナと別れて樹利亜は少し軽い足取りで「風と舞う妖精」へと向かった。
(同じくらい売れていてくれたらいいな……高望みかもしれないけど)
楽観的な考えも浮かんでくる。
浮かれすぎてはいけないとは分かっているが、少しくらいは夢を見てもいいじゃないかという気持ちが生まれていた。
「風と舞う妖精」はすでに看板を閉まっていたので、裏口のドアをいつものように叩く。
彼女に応対してくれたのはやはりヴェガである。
(あんまり気にしていなかったけど、応対係が決まっているのかしら?)
だとすれば他の人と顔を合わせないのも納得だ。
樹利亜としては年も近い同性の顔なじみとずっとやりとりできるなら、そちらの方が嬉しいので不満はない。
「こんばんは」
ヴェガの方はアルヘナと違って表情は読み取りにくかった。
それでも暗い様子はなかったので、樹利亜はひるまずに話しかけることができた。
「こんばんは。今日の売り上げは絶好調でしたよ!」
ところがヴェガは一転して満面の笑みを作った。
「え、そうなんですか?」
「ええ! 何しろ二百杯を超えましたもの!」
ヴェガはそう言って目を輝かせると、樹利亜の手を握る。
どうやら彼女は興奮を抑えるのに必死だったらしいと、樹利亜はようやく分かった。
「二百……」
どれだけすごいのか、樹利亜は急には理解できなかった。
「ジュリアさんの商品ってだけで買う人もいて、見ていただきたかったです!」
「そうなんですか」
樹利亜は気のない返事をしてしまうが、別に興味がないわけではない。
嬉しさのあまり処理落ちしてしまったとでも言うべきだろうか。
頭では理解できたのに、感情表現がついてこないのだ。
(あまりにも嬉しすぎると、かえって冷静になってえしまうのね)
どこか他人事のように考えるもう一人の自分が、冷静な分析をしていた。
「銅貨三枚分に二百杯で銀貨六枚分ですよ!」
「……すごいことになっていますね」
改めてヴェガに説明され、樹利亜はようやく驚きの感情が追い付いてきた。
銀貨六枚分、すなわち約六万円相当である。
それを一日で、一店舗だけで稼いだというのはとんでもないことではないだろうか。
しかも美容、ダイエット、お通じの三種類はできるだけ毎日続けたいものばかりだ。
(二つの店舗をあわせると、銀貨十枚を超えたのよね)
つまり一日当たりの売り上げが約十万円である。
(月に二十三日だと仮定すれば、ひと月の収入が約二百三十万円!)
月収二百万円と言えば、日本基準で言えば富裕層の仲間入りができそうなレベルの稼ぎだ。
(もちろん、毎日この売り上げを維持するのはきついでしょうけど)
よくもわるくも樹利亜は、前向きに考えられる能力とともに、冷静でネガティブな発想でブレーキをかける能力を備えていた。
「いくらなんでも、毎日がこれってわけにはいかないですよね?」
樹利亜が冷静になろうとして上手くいっていないぎこちない笑みでたずねると、ヴェガも落ち着きを取り戻してうなずく。
「客商売ですから。どうしても売り上げに幅はできてしまいますね」
「では、浮かれずに気を引き締めた方がいいですね」
樹利亜は自分自身に言い聞かせていたつもりだった。
しかし、ヴェガにはまぶしく見えたらしく、感動で目を輝かせている。
「素晴らしいですね! 成功する人はやっぱり違いますね!」
「……どうも」
純粋な賛辞を樹利亜は受け取った。
ここで否定し続けるのも何か違う気がした。
「何か落とし穴がありそうで怖いのですよ」
「落とし穴ですか?」
樹利亜の問いにヴェガはきょとんとする。
「ええ。上手く説明できませんが」
好事魔多しという。
こちらの世界に存在しているのか分からなかったので言わないが、この状況でふと頭に浮かんできた言葉だ。
「気を付けていれば大丈夫じゃないですか? 明日も引き続き、お願いしますね。もううちの店長もニッコニッコですよ!」
「そうですか」
ヴェガの言葉は意外ではなかった。
樹利亜が付与魔術をかけた商品の売り上げが伸びるということは、それだけ店の売り上げが伸びたということだ。
樹利亜と「風と舞う妖精」は共存共栄の関係である。
「実はここだけの話なんですが、樹利亜さんのことを紹介してもらえないかと言ってきたお店もあるのですよ!」
「え、そうなんですか?」
ヴェガの言葉に樹利亜は目を丸くした。
でも、驚いたばかりではない。
(とうとうそういう状況に……)
という気持ちもあった。
「どうしましょうか、ジュリアさん? あなたの許可をとらないといけないと思って、保留にさせてもらっているんです」
「そうですね。後一日くらい様子を見て、問題なさそうであれば取り引きをする店舗を増やせたらいいなと思います」
樹利亜は少し考えてから答える。
本当ならば飛びつきたい提案だが、あまりガツガツしてはいけない気がした。
理由や根拠など一切なかったのだが、ヴェガはその辺を聞いてこなかった。
「分かりました。先方にはそのように伝えておきます」
そう言ったヴェガと話を切り上げて樹利亜は自宅に向かう。
いつもより足取りが少し軽くなったのは当然のことだろう。
(明日からもっといいことがありますように)
樹利亜は暗くなった空を見ながら、そう祈っていた。




