第三十七話
そして寝室に行って日課にしているトレーニングを行う。
(診断だと百五十くらいが上限で、百くらいで止めるのが無難なのよね)
一日に百もの仕事が来るかなという疑問はある。
三種類の効果を数個ずつ食器に付与したとしても、受け入れてくれる店が現状二軒しかないのだから、樹利亜の作業工数はそこまで伸びないのだ。
(三種類の効果を五つずつの食器にかけた場合、担当できるお店は六軒までになってしまうけど、もしもお湯を沸かすためのポットなんかにしたら一気に店舗は増やせるわよね)
ただし、その場合はお湯を使う飲み物にしか効果は出せない。
こちらの世界で人気らしい花水などにも効果を付与した場合、別にかける必要が出てくるだろう。
それでも食器一つずつに付与魔術をかけていくよりも負担は軽くなるのもたしかだ。
(ヴェガさんやアルヘナさんに相談かしら……)
需要がある商品に付与するのが一番だ。
それにはやはり店側の人間の意見が必要になる。
(明日にでも相談してみましょう)
トレーニングを終えた樹利亜は、すっきりした気持ちでベッドに入った。
次の日、いつもより少々早く起きた樹利亜は、早めに食事を済ませて「花と風」に足を運ぶ。
話は早い方がいいと思ったし、この時間帯ならば対応してもらえると判断してのことだ。
「花と風」の看板はまだ出ていなかったので、裏口のドアを叩いてみるとすぐにアルヘナが顔を見せる。
「おはようございます、ジュリアさん」
「おはようございます、アルヘナさん」
二人は微笑を交わし合う。
樹利亜のうぬぼれでなければ、単なる営業スマイルを超えたものだ。
「本日は報告したいことがあってきたんですよ」
「はい、何でしょう?」
アルヘナは不思議そうに瞬きをして、彼女を見つめる。
スピカにアジェナ医師のところに連れていかれた話は、まだ彼女には伝わっていないようだ。
「実は昨日、アジェナ医師に診察していただきまして」
と言いながら樹利亜は、アジェナ医師が書いてくれた紙をアルヘナに提示する。
「医学的効能はあるとは言えないものの、個人でやる効果があることとしては認められるという評価をいただいたんです」
「あら、そうなんですか!」
アルヘナは大きめの声を出して、目をみはった。
かなりの驚きを与えたようである。
(アジェナ医師って、有名な方なのね)
だとすればあえて名前を出したのは正解だったわけだ。
「医学的効能はないのですか。魔術って医療でも使われるはずなんですけど」
アルヘナには分かりにくいことだったらしく、かわいらしく首をかしげる。
「ええ、残念ながら私は医術の心得がないもので」
樹利亜は感情を殺して微笑む。
(たとえ医学の知識があっても、こっちの世界じゃ難しかったでしょうね)
どうやら病原菌のたぐいには大きな差はないらしいが、それでも獣人やエルフを人間のように診察できる気がしない。
「そうなんですね。この紙をお借りしてもいいのですか? できれば店内に置かせてもらって、ジュリアさんのことを宣伝したいのですが」
「ええ、大丈夫ですよ。お願いしようと思って持ってきたので」
樹利亜の回答を聞いてアルヘナはにっこりした。
「さすが、ジュリアさん。やり手ですね!」
「どうも」
アルヘナのほめ言葉を笑顔で受け取っておく。
「それから相談させていただきたいのですが」
次に樹利亜は付与魔術を使う対象について話をする。
「なるほど、一日当たりの使用上限ですか。当店としてはポットの方でも問題はないかと思います。基本飲み物ばかりですし」
「ありがとうございます!」
アルヘナの返事に樹利亜はホッとした。
「いえいえ、ジュリアさんの魔術がなくなるのは、こちらとしても痛手ですからね」
「そう言ってもらえればありがたいです」
樹利亜は心からの笑顔を見せる。
(まだそんなに日は経っていないけど、必要だと認められたみたいで、嬉しいわね)
この調子でいこうと思う。
「ではポットを……」
「その前に花水について相談したいのですよ」
アルヘナの言葉を樹利亜は申し訳なさそうにさえぎる。
「花水ですか?」
首をかしげた彼女を変に思いながら樹利亜は問いかける。
「ええ。花水に関しては別途ポットが必要なのでは?」
「……ああ、うちは花水を作る際、熱湯を使っているので問題ありませんよ」
アルヘナは樹利亜が言いたいことを察し、ポンと手を叩いた。
「えっ? そうなんですか?」
樹利亜は予想外の答えに思わず声が高くなった。
「ええ、たまに勘違いしている方がいらっしゃいますが、大丈夫ですよ」
アルヘナはいやみのない笑顔で応じる。
それでも樹利亜は頬が熱くなるのを避けられなかった。
(穴があったら入りたい気持ちって、こういうことを言うのね)
いやでもよく分かってしまうと思う。
「まあ何かある前に分かってよかったです」
樹利亜はそう言うのが精いっぱいだった。
「それは素晴らしい考えですね!」
アルヘナは顔を輝かせる。
「え?」
自分の気持ちを切り替えるために言ったのに、予想を超える好反応に樹利亜は目を丸くした。
「いいことを探していくという姿勢は素敵です。商売をやっていれば、いいことも悪いこともありますからね」
「それはそうでしょうね」
樹利亜が相槌を打つと、アルヘナはうんうんとうなずく。
「ジュリアさんは商売向きな性格をしていらっしゃいますね」
「そうですか?」
この言葉に樹利亜は小首をかしげる。
そのような自覚はなかった。
「ええ、きっと上手くいきますよ!」
「ありがとうございます」
アルヘナの気持ちをありがたく受け取り、樹利亜は自分のやるべきことを果たして「風と歌う妖精」に足を向けた。
こちらの店もまだ看板は出ていなかったが、やはり裏のドアを叩くとヴェガが顔をのぞかせる。
「いらっしゃいませ。どうでした?」
ヴェガはあいさつもそこそこにさっそく本題を切り出した。
「アジェナ医師に診断してもらいました」
樹利亜はそう言って紙を取り出す。
アルヘナにやったのと同じような流れだ。
「へえ、アジェナ医師ですか!」
「やはり有名な人……エルフなんですね」
樹利亜の言葉をヴェガは肯定する。
「そうですよ。近所じゃ知らない人はほとんどいないと思いますね」
「やっぱりすごいエルフなんですね。少しは周囲の反応変わるかしら」
樹利亜がつぶやくとヴェガはにっこりと笑う。
「そこは何とも。お客さまの反応ってなかなか読めるものじゃないですか」
安請け合いをしないところが彼女らしい。
樹利亜はそう思う。
「私はお店に戻って、誰かが訪ねてこないか楽しみにしていますね」
「分かりました。何かあればお知らせします。もしくは気軽にいらっしゃってくださいね」
ヴェガの申し出はありがたいことだ。
開店前の忙しい時期でも対応してもらえるのは余計にである。
樹利亜は戻って店を開けた。




