第三十六話
「ほれ、ジュリアさんも」
見守っていた樹利亜にカノープスは花を渡してくれる。
「え、私にもですか?」
目を丸くする彼女に、カノープスは照れ笑いを浮かべた。
「あんたはもうワシらの娘のようなものだからな……何が好きなのか知らないから、ミルザムと同じ花にしたのは申し訳ないが」
「いえいえ! お気持ちだけでありがたいですよ!」
樹利亜の頬は自然とゆるんでいた。
彼らに娘みたいだと言われるのは、彼女にとってとても素敵なことだ。
「もうちょっと気を利かせたらどうなんだい。妻と娘に同じものを渡すなんて、芸がない男だね」
ミルザムが少し不満そうな顔になる。
「私みたいなおばさんとジュリアさんみたいな若い娘を、同じように扱うとはな」
「大丈夫ですよ!」
ミルザムが何に怒っているのか理解し、樹利亜は割って入った。
「ミルザムさんとおそろいなの、嬉しいです」
これは場をおさめるためのうそではない。
樹利亜の表情を見てそう悟ったのだろう。
ミルザムは不満をひっこめた。
「そうかい。ならいいんだよ。カリタスの花を花瓶に入れなきゃ。ジュリアさんの分もあるから、遠慮なく使っておくれ」
「はい」
これから食事だと言うのに花を持っているわけにもいかない。
樹利亜はミルザムの言葉をありがたく受け入れる。
(たしかに渡すタイミングを考えてほしいという、ミルザムさんの気持ちも分かるかなあ)
ほんの少し思ったが、表情に出さないように努めた。
ミルザムは自分の分を白、樹利亜の分は青色の花瓶を用意する。
「カリタスの花は三日もすれば色が落ちはじめるけど、そうなった時にお茶や水に花びらを入れると、美味しい花茶や花水が楽しめるよ」
「へえ、そうなんですか」
樹利亜が感心すると、ミルザムは照れ笑いを浮かべる。
「私は単に花じゃなくて花茶も好きでね。亭主にはそれを知られているのさ」
「素敵な夫婦ですね」
樹利亜は本心から言った。
「はは、そう見えるかい? いいことばかりじゃなかったし、喧嘩もたくさんしたけど、仲直りもできたねえ」
ミルザムはなつかしそうに目を細める。
「おっと、花瓶は適当なところに置いていてくれていいよ。私の分は食卓に飾るけどね」
「あ、はい」
樹利亜はどこに置かせてもらうか迷ったものの、結局テーブルの上に置くのが無難だと判断したので、ミルザムの分の隣に並べる。
「いいにおいがしますね」
「そうだろう」
樹利亜の言葉に、カノープスがちょっと得意そうに笑った。
ミルザムの料理を味わって食べ終えると、カノープスに近況を聞かれた。
隠すことでもないと思い、彼女は今日の出来事を話す。
「へえ、お医者様にねえ」
目を丸くするミルザムに、樹利亜はたずねる。
「アジェナ医師のこと、ご存知ですか?」
「知っているよ。いいお医者様だって近所じゃ評判だからね」
ミルザムはすぐに答え、カノープスもうなずく。
「そうだな。エルフというだけでも珍しい上に、腕もたしかでありがたいとうわさはワシもよく耳にする」
「それに美人だしねえ。まあエルフだから、人間の男なんて相手にしないだろうけどさ」
ミルザムは感嘆の息をこぼす。
「そうか。そのアジェナ医師に一筆書いてもらえたのか。あの人は分からないことは分からないとはっきり言うし、責任を取らないというから評判になるかもしれないな」
まじめで慎重なアジェナ医師の保証はそれだけ大きいとカノープスは言う。
「だとしたらいいんですが」
樹利亜はそうなったらいいなと思うが、楽観はしていない。
「うん、地に足がついているのはいいことだ。商売ってやつはあわてては損することが多いからな」
「はい」
カノープスの言葉にうなずいた。
「急いては事を仕損じるって言うしね」
ミルザムの発言は思いもよらないものだった。
(こっちにもあるんだ。そういうものが)
あるいは別の言い回しが脳内で変換されただけかもしれないが、よりいっそうこの世界に親近感を抱く。
「急がば回れとかですか?」
樹利亜が聞いてみると、二人はきょとんとする。
「何だそれ?」
「急ぐ時はまっすぐ進むんじゃないの?」
カノープスとミルザムは仲良く首をひねって、彼女はおやと思う。
(これはないの……)
落ち着くことは大事、あわててもいいことはないといった意味で使うのはどちらも同じだと彼女は思ったのだが……。
「故郷の言葉なのですが、似たような意味だなと思いまして」
「ふうん。ジュリアさんの故郷にねえ」
ミルザムは目を丸くし、カノープスは腕を組む。
「人間、思いつくことはどこでも大差ないのかもしれんな」
「それは私も思います」
三人で笑いあうと、ちょうどいいと樹利亜は立ち上がる。
「そろそろ失礼します。今日はありがとうございました」
「ああ、またおいで」
ミルザムはそう言って樹利亜の分の花瓶を手渡してくれた。
「ありがとうございます。あんまり毎日だと来にくいのですが」
「毎日でも私らはかまわないよ。ねえ?」
ミルザムが同意を求めると、カノープスは大きく何度もうなずいた。
「もちろんだ。むしろ毎日の方がいいくらいだ」
「ふふ」
二人は真面目な顔つきだったので笑ってはまずいと思ったのだが、樹利亜は嬉しくてついつい笑ってしまう。
花瓶を大事に抱えて自宅に戻った樹利亜は、ダイニングテーブルの上に花瓶を置いた。




