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【相野仁】異世界にトリップしたので『付与魔術』で生き延びます!  作者: 相野仁【N-Star】
第一章「トリップ」
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第三十四話



 二人が出た時、廊下には六十歳くらいの老夫婦が座っていたので、黙って目礼する。

 そして待合室に戻れば二人の女性が待っていた。

「けっこう人が来るのですね」

「おば様、信頼されているもの」

 そっけなく答えたスピカだったが、その表情はちょっと誇らしげである。

 注意深く見ないと分からない程度の変化だった。

(自慢のおば様なのね)

 そう思えばとっつきにくい印象だったスピカが、何だか身近な存在になったような気がして、樹利亜としては嬉しい。

 しばらく待っていると受付が彼女たちの名前を呼んだ。

「スピカさん、ジュリアさん」

 二人が受付前に行くと若い女性が獣皮紙よりも上等そうな紙を出す。

「検査料、診断料、証明書発行で本日は大銅貨八枚になりますね」

 その言葉に樹利亜はギョッとなる。

(た、高っ? 覚悟していたつもりだけど)

 思わず固まった彼女をよそに、受付の女性は証明書の紙を封筒のような包みに入れて、紫色のヒモで縛る。

(払えない額じゃないわね)

 最近、銀貨数枚分の稼ぎがあったのが幸いし、彼女は自力で再起動できた。

 アジェナ医師の証明書が話題になれば余裕で取り返せるだろう。

 痛いけど出す価値はある。

 そう自分に言い聞かせて、樹利亜はピンクの財布から大銅貨を取り出して支払った。

「大丈夫? 少しくらいなら貸そうか?」

 スピカが小声でそんなことを言ってくる。

 連れてきた本人(エルフ?)という責任を感じているのか、彼女は少し心配そうな顔をしていた。

「大丈夫です。払えますよ」

 樹利亜は微笑む。

 決して強がっているわけではなかった。

 もう少し余裕がなければ、彼女の好意に甘えることを考えただろうが。

「お大事に」

 受付の人たちにそう言われて、樹利亜は病院を後にする。

(最後にかける言葉が同じなのね)

 そう思えば奇妙で、笑いをかみ殺す。

 もしかしたら翻訳魔術の働きによるもので、実際は別の意味があるのかもしれないが、世界は違っていても共通することはあると考える方が素敵ではないか。

 樹利亜はそう思うのだった。

「そう言えばものすごく今さらなのですけど」

 彼女はスピカに話しかける。

「どうしたの?」

 怪訝そうに小首をひねったエルフに彼女は聞いた。

「どうして私のために親切にアジェナ医師を紹介してくださったのですか?」

「……本当にものすごく今さらな疑問ね」

 スピカは宝石のような瞳をあきれたように丸くする。

「答えたくないなら、けっこうなんですけど」

 樹利亜は遠慮した。

 どうしても知りたいというわけでもなかった。

 しかし、スピカは笑って首を横に振る。

「大した理由じゃないし、隠すようなことでもないわよ」

「というと?」

 さっぱり思いつかない樹利亜が先をうながすと、スピカは頬を染めながら目をそらす。

「私、甘いものが好きなんだけど、気を付けないと太っちゃうのよね」

「……あらまあ」

 樹利亜は何と反応していいのか、とっさに分からなかった。

(ずいぶん個人的で、切実な理由だったのね)

 彼女もまたどちらかと言えば太りやすいタイプである。

 ダイエットに苦労するほどではないが、体重計など気にしなくてもいいタイプの知人がいたし、彼女のことを非常にうらやましく思っていた過去がある。

「がっかりした? エルフが太りやすいって」

 スピカは赤くなったまま、早口で聞いてきた。

 樹利亜は笑みをこらえながら首を横に振る。

「いいえ。エルフという種族に親しみを覚えました。人間と似ているところもあるんだなって」

「人間はよくそう言うわね」

 スピカは不本意そうに顔をしかめた。

「食べたら太るし、虫歯にだってなるのよ」

「虫歯ですか?」

 樹利亜は思わずぷっと吹き出す。

 目の前に立つ少女はこの世のものとは思えないほどの美貌の持ち主で、殺されても死なないと言われても納得してしまいそうなほどだ。

 花の化身だったとしても不思議ではない。

 そのような少女が虫歯と言うのだから、ギャップはあまりにも大きかった。

「何よ」

 スピカは拗ねたように頬をふくらませる。

 大人びた雰囲気が消えて、幼さが顔を出した。

「いえ、別に」

 虫歯に悩まされるエルフなんてとてもかわいらしいと樹利亜は思うのだが、それを口にすればきっとスピカの機嫌を損ねてしまうだろう。

「本日はどうもありがとうございました。よければお試しくださいね」

 天下の往来、それも診察所の前でいつまでもぐずぐずしているのはまずい。

 そう判断した樹利亜は別れのあいさつを告げた。

「ええ、期待しているわ」

 スピカの方も同じ気持ちだったのか、うなずいてさっと手を挙げて去っていく。

 樹利亜の家とは反対方向である。

(どこに住んでいるのかしら)

 ちょっと気になったものの、さすがにプライベートに立ち入るのはまずいだろう。

 機会があれば聞いてみようと思いつつ、彼女は自宅を目指した。

 しばらく歩いてようやく自宅が見えると、彼女はホッと息を吐きだす。

(あーっ、何だかとても長い一日だったわ)

 異世界に来てから、最も一日が濃かったかもしれない。

 これほどまでに時間の経過が遅く感じたのは、おそらく転移してきた初日以来だ。

 あの日は自分の置かれた状況を理解し、適応しようと必死だった。

 今日は新しいステップへと至るために一生懸命だった。

(そう考えれば、同じような状況だったのね)

 あの時はシリウスがいて、今日はスピカがいたという点も似ているように思う。

 もっとも、その点について恥じることはない。

 幸運に感謝したいほどだ。

 ただし、この世界に転移してきた点は恨めしい気持ちもあるのだが……。

 自宅へとは上がらず、店舗に入ってアジェナ医師からもらった紙を飾る場所を決めることにする。

(どこがいいかな?)

 やはり来訪者から見えやすい位置がいいだろう。

 そうでなければ宣伝になりにくい。

(となると、入り口付近?)

 そう考えたが、却下する。

 店の入り口だと風やほこりの影響で汚れやすそうだった。

 紙が汚れるのを防ぐビニールカバーなんてものを、樹利亜は持っていない。

 せっかくアジェナ医師に書いてもらったのに、汚れやすそうなところに配置するというのはためらわれた。

(額縁に飾るのもねえ)

 客からすれば遠すぎるかもしれない。

 そもそも額縁なんてものもない。

 それなりの間、ああでもないこうでもないと悩む。

 悩んだ結果、机の上に置いておくことにする。

(結局、ここが無難なのよね)

 客が来た時に手を取って持っていき、見せればいいのだ。

 別に奇をてらう必要などないだろう。

 落ち着くところに落ち着いたところで、彼女は紙を置いて自宅へと上がった。

 部屋に入ったところで「帰ってきた」という感慨がわく。

(……だいぶ慣れたのよね)

 ここが自分の居場所だと思えるようになったのは大きい。

 明日も頑張ろうと思える。

(その前にお風呂とご飯だなあ)

 けっこう散財したので、面倒でも自炊をするべきだった。

 その前に風呂にも行っておきたい。

(お風呂が先だと、汗をかいちゃうような料理は避けたくなっちゃうわよね)

 鍋にかけてから行くというのも、火事が怖かった。

 こちらの世界の器具には、火事防止機能など備わっていないのが基本である。

(今はマシだけど、暑くなってきたら大変よねえ)

 その場合はどうしようか。

(一番現実的なアイデアは、ミルザムさんにレシピについて相談することよね)

 彼女ならば暑い時期でも調理が苦にならないレシピを知っていそうだ。

(うん、そうしよう)

 樹利亜は結論を出すと、風呂に行く準備にかかった。

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