第三十三話
「あなたたちが仲良しなのは分かったから、いまは用事を優先させてちょうだいね」
「すみません」
樹利亜はすぐに謝ったが、スピカは不満そうに口をとがらす。
「べ、別に仲良しなんかじゃ」
「いいからいいから」
アジェナ医師はとりあわなかった。
そこへ遠慮がちな声が聞こえてくる。
「あのう、頼まれた飲み物を持ってきたのですが」
若い女性の声には困惑が満ちていた。
「ああ、ごめんなさい。入っていいわよ」
アジェナ医師が声をかけると、樹利亜と年が同じくらいと思われる白い服を着た猫の獣人がてれーに飲み物を五つ乗せて運んでくる。
机の上に並べるとぺこりと頭を下げて戻っていった。
「じゃあジュリアさん、付与魔術を使ってもらえるかしら」
「はい」
アジェナ医師に言われて樹利亜は、手を飲み物が入ったガラスのコップに向ける。
自分の商売の将来設計がこれで決まると思えば緊張し、唾を飲み込む。
深呼吸を二度繰り返して呪文を唱える。
白い光が飲み物を包んでいく。
「へえ」
「あら」
スピカとアジェナ医師の思わずといった声が聞こえる。
どちらも感心しているようであった。
(今までは驚かれてきたけど、さすがにエルフだものね。私の付与魔術を見たくらいじゃ驚かないのかも)
そう思いながら五つに付与魔術をかけ終わる。
「なるほど」
アジェナ医師はそうつぶやくと自分で魔術を発動させた。
おそらくどのような効果があるのか、どの程度効果が続くのかを分析するようなタイプの魔術なのだろうと樹利亜は推測する。
「うん。五つとも効果はあるわね。治療と同じと考えられては困るけど、自分でも無理のない範囲でできる工夫の一つにはできそう」
「本当ですか!」
アジェナの言葉に彼女は目を輝かせた。
治療と同じとは考えられないのは残念だが、それでも大きな一歩になるのではないか。
そう思うとワクワクする。
「ええ。何なら書きましょうか。冷えに悩む人は、ジュリアさんの付与魔術がかけられたお茶を飲むとよいでしょうって」
アジェナ医師は言ってからいたずらっぽく笑う。
「もっとも、治療として薦めるわけじゃありません。あくまでの日常生活の中での話だという言葉も、書かせてもらうけどね」
「それは当然です」
樹利亜はうなずく。
細かいようだが、その断り書きがなければ治療の代替行為だと医者が認めたと誤解する人が出てくるかもしれない。
そのような事態になるのは避けたい彼女に否はなかった。
「何枚書けばいいかしら?」
「あっ……」
アジェナ医師に聞かれたところで樹利亜は間抜けな声を出す。
「せっかくだからお通じがよくなるとか、美容にいい効果があるかとか、そういう点もチェックしていただけないでしょうか?」
「あら、あなたそういうこともしていたの」
アジェナ医師は彼女の申し出をずうずうしいと怒らなかった。
「そうね。そういう効果を謳うなら、たしかに確認させてもらった方がいいでしょうね」
大きくうなずいてみせる。
「じゃあお願いしてもいいですか?」
樹利亜が言うと、スピカが横から口をはさんだ。
「魔力量の計測をお願いすることを忘れているわよ」
「あ、そうでした」
樹利亜はハッとなる。
「後、魔術を一回使う際の魔力の消費量もですよね」
これもスピカが言っていたことだ。
「ああ、それは見ていれば何となく分かるわ。ジュリアさんの場合はだいたい十くらいね。それもほぼ均等になっていて見事よ」
アジェナ医師は笑顔でほめてくれる。
「え、そうですか?」
「よほどセンスがあるのか、相当いい指導を受けたか……その両方かね。あなたの魔術師の師匠の名前、よかったら教えてくれない?」
照れる樹利亜にアジェナ医師はそう切り込んできた。
「私も興味あるわね」
スピカもクールな表情に隠しきれていない好奇心を覗かせている。
「えっ」
これに困ったのは樹利亜だ。
シリウスからできるだけ隠せと言われた以上、守らなければならない。
「師匠は誰かに自分の名前を出すなと言われていまして……」
仕方なく事情を明かすと、両エルフはあっさりと引き下がった。
「そうなの。そういう魔術師、意外と多いものねえ」
「まあ名前が知られるのは、いいことばかりじゃないし」
アジェナ医師もスピカも苦労しているのか、やけに理解があった。
(シリウス様が気難しい変人ってだけじゃないんだ)
樹利亜は新しいことを発見したような気分になる。
「では魔力の計測をはじめましょう」
アジェナ医師は立ち上がって後ろに置かれていた深緑色のツボを手に取り、机の上に置く。
「じゃあこのツボのふたのところに手を置いて」
樹利亜はとまどいながらも指示に従う。
ひんやりとしていて金属のような手触りだった。
「少しずつ魔力をツボに流し込むようにイメージして」
樹利亜がゆっくりと魔力を流すと、三十秒くらいでアジェナ医師が言った。
「はい、そこまで」
「これでいいのですか?」
意外とあっさりしているなと彼女は意外さをあらわにすると、アジェナ医師は苦笑する。
「魔力を出し切ってしまうと、しばらくグッタリとして動けなくなるわよ。だからこれは潜在魔力を推測して判定する道具なの」
「そうなのですか」
樹利亜は納得した。
(魔力は一日で使い切るな、必ず余裕は残しておけって、そう言えばシリウス様もおっしゃっていたなあ)
シリウスの教えには意味があるのだなと今さら感心する。
「それでジュリアさんの推定魔力だけど……千五百ね。つまり一日あたり、百五十回くらいがあなたの限界ね。あくまでも推測だし、限界までやるのはよくないから、百回から百二十回くらいで止めるのをすすめておくわ」
「千五百……」
アジェナ医師の言葉を樹利亜は反芻する。
それから彼女に礼を言った。
「ありがとうございます、アジェナ先生。突然押し掛けたのにもかかわらず、いろいろと親切にしていただいて、本当に感謝しております」
「いいのよ。スピカが誰かを連れてくるなんて珍しいし、連れてきた理由もよく分かるしね」
アジェナ医師は笑って気にするなと手を振る。
「そう言えばつかぬことをおうかがいしますが、スピカさんとアジェナ先生はお知り合いなのですか?」
樹利亜は聞いてみた。
はぐらかされるのならば、それ以上追及はしないでおこうと思いながら。
「ああ、知らなかったの」
アジェナ医師は目を軽く見開き、スピカに動かしながら言った。
「この子は私の姉の娘、つまり姪に当たるのよ。つまり親戚ってわけ」
「そうだったのですか」
樹利亜はびっくりしたが、それ以上に納得もする。
なるほど言われてみれば、思い当たる節がないわけでもない。
(親しそうって思えばそうだったしね)
彼女が納得したところでアジェナ医師は言った。
「それじゃあなたの魔術について書いた紙を用意するわね。何枚くらいほしい?」
「えっと、体を温める効果、美容効果、お通じが良くなる効果を二つの店に出すとして、自分の店にも宣伝を兼ねておきたいので、とりあえず九枚でしょうか」
「了解。今から用意するし、料金の請求もするから外で待っていてくれる?」
「分かりました。今日はありがとうございました」
樹利亜がぺこりと頭を下げると、スピカも礼を言った。
「ありがとう、おば様」
「あなたが何とかやっているようで、姉さんも安心でしょう」
アジェナ医師は微笑んで退出する二人を見送った。




