第三十二話
「飲み物を持ってきて。そうね、とりあえず五つくらい」
「分かりました」
四十歳くらいの人間の女性は目を丸くしたものの、すぐに引っ込む。
アジェナ医師の指示は、意図が分からなくても従う習慣ができあがっているようだ。
そのアジェナ医師は樹利亜を見て口を開く。
「ところであなた、ジュリアさんだっけ?」
「はい」
何だろうと思っていると、エルフの医師は単刀直入に切り込んできた。
「あなた、この国の人間じゃないわね?」
いきなり核心を突かれた樹利亜は息を飲む。
何か言おうと口を動かすが、舌が凍り付いてしまっていた。
外国人なのは髪や肌や目の色から推測できるはずだが、アジェナの聞き方といい、見る目といいそういうことを言っているわけではない。
直感してしまったからこそ、樹利亜は言葉に詰まったのだ。
「外国人なのは見た通りでしょう?」
スピカの方は分からなかったらしく、眉間にしわを作る。
「そうじゃないのよ」
アジェナ医師はスピカにちょっと微笑んでから、樹利亜に向きなおる。
「ジュリアさん、私の質問の意味、理解できるわよね?」
「……ええ」
樹利亜は何とか答えた。
「そんなに警戒しないで」
アジェナ医師は彼女に微笑みかける。
「ただ、あなたの場合、単に付与魔術をチェックする以外にも、診ておいた方がいいことがあるんじゃないかと思っただけ」
「……その通りです」
樹利亜は認めた。
(この女性には隠しごとができそうにないわ)
と思ったからである。
それにアジェナ医師は彼女をどうこうしたいわけではなく、純粋に医者としての使命感と親切心から言っているように見えた。
そうだとすればお世話になった方がいい。
(お医者様には聞きたいことがあったしね)
その場合、どう切り出せばいいのかという問題があった。
今回、アジェナ医師があっさりと看破して自分から聞いてくれたおかげで、さまざまな手間が省けたと考えられる。
ポジティブすぎるかもしれないが、樹利亜としてはそう信じたかった。
「そう、じゃあまずはいろいろとチェックしましょうか。スピカ、少しの間外に出ていてくれる?」
「了解」
アジェナ医師の言葉にスピカは素直に従い、診察室の外に出ていく。
「じゃあ調べるわよ。ベッドの上にあおむけで横になってちょうだい」
「はい。服は脱がなくてもいいのですか?」
立ち上がったところで樹利亜はふと疑問を抱き、たずねた。
「ええ。魔術を使うから、衣服はそのままでけっこうよ」
魔術とはつくづく便利なものだ。
樹利亜は改めて思わされる。
彼女が体をあずけるとベッドはギシリと音を立てた。
(私の体重のせいみたいでいやね)
と思ったのは、彼女も乙女だからだ。
「じゃあいくわよ」
アジェナ医師は彼女の胸のあたりに両手を差し出し、ぶつぶつと呪文を唱える。
「ふむ……健康、特に菌もなし……」
樹利亜が目を閉じて待っていると、やがて声をかけられる。
「はい、目を開けていいわよ」
目を開けるとアジェナの美貌と微笑が目に入ってきた。
「大丈夫そうね。私たちが抗体を持っていない菌を持っているわけじゃなさそうで、安心したわ」
「そうでしたか」
それを聞いて樹利亜も安心する。
パンデミックなんてものの発生理由になるのはごめんだからだ。
「後、こちらの病気に対する抵抗力も、平均的には持っていそうで安心したわ」
「あ、それもありますね」
樹利亜はそこまで気が回っていなかったと手を打つ。
うかつとしか言いようがないが、それどころではなかったのだ。
(あさって病気になる心配より、明日のご飯の心配していたものね)
自嘲気味に振り返る。
「大きな心配事項が片付いたことだし、あなたたちの用件を改めて聞くことにしましょう」
アジェナ医師はそう言うと、ドアの外で待っているだろうスピカに声をかけた。
「もういいわよ。入ってきてちょうだい」
スピカはすぐに入ってきて開口一番たずねる。
「こんなに早く呼ばれたってことは、大丈夫だったのね?」
「ええ、そうよ」
アジェナ医師が微笑むと彼女はほっと息を漏らした。
「心配してくれてありがとう」
樹利亜がベッドから身を起こして言えば、スピカは顔を向けずにやや早口に答える。
「ふん、病気を移されたら困るなってだけよ」
表情を見なくても照れているということが伝わってくる。
(これがツンデレなのかしら?)
そう思うと何だかとてもおかしい。
笑みをかみ殺している樹利亜の様子に気づいたスピカは、眉を動かして不満そうな声をあげた。
「何よ? 笑っているの?」
「ううん、違うわよ」
樹利亜はそう言ったが、彼女が信じなかったらしい。
「はい、そこまで」
アジェナ医師がパンパンと手を叩いて二人の会話を制止する。




