第三十一話
「あなた、魔術師なのだから自分が持っている魔力量と、一回あたりの消費量は把握しておいた方がいいでしょう?」
「はい、おっしゃる通りです」
正論である。
樹利亜は目を伏せて認めた。
「まあいいわ。医者の所に行って、ついでに計測してもらいましょう」
スピカはそう言うと、迷わずに歩き出して樹利亜はあわててその後を追う。
「お医者様はどういった人なんですか?」
「行けば分かるわ」
樹利亜の問いにスピカはそっけなく答える。
「いきなり訪問しても大丈夫でしょうか?」
アポを取っていないのが不安で、次の問いを発した。
「大丈夫よ。ただ忙しい人だから、待たされるかもしれないわね。そういう意味であなたの方こそ大丈夫?」
スピカは振り向きもせず、淡々としているものの、彼女を心配してくれる。
(感情が分かりにくいだけで親切なエルフなのね)
と感じる。
「ええ。今日はもう仕方ないと割り切りました」
樹利亜は笑顔を浮かべた。
「そう」
見えていたはずはないのだが、気配を感じたのだろうか。
スピカも声が少しだけやわらかくなった。
安心してくれたらしいと何となく伝わる。
スピカに連れてこられたのは薬屋の隣にある、グレーの石造りの建物だった。
「アジェナ診療所」と簡素な木のボードの看板が出ている。
「ここよ」
スピカが白いドアを手前側に引いて開けると、チリンチリンとかわいらしいベルの音が鳴り響く。
中は白で落ち着いた空気がただよっている。
空気が清新なもののように感じられるのは気のせいだろうか。
何となくだが背筋が伸びてしまう。
診療所は入ってすぐに待合室なのか、四人が椅子に座っている。
四十歳くらいの女性と十代前半の少女の親子はどちらも人間だ。
それ以外には五十歳くらいと思われるドワーフの男性、三十歳くらいの女性がいる。
受付には四十歳くらいの女性と二十代くらいの女性たちが座っていて、どちらも白い服を着ていた。
「こんにちは。あらスピカさん」
彼女たちに話しかけてきたのは右側に座っている二十代の女性だった。
どうやらスピカとは顔なじみらしい。
「アジェナ先生に相談に乗ってもらいたいことがあって来たんだけど」
スピカが用件を切り出すと、女性は困った顔をして待合室の人たちにちらりと視線を向けた。
「診察を待っている患者さんが三人ほどいるので、その後になりますね」
「大丈夫よ。ね?」
スピカに聞かれて樹利亜はうなずく。
「分かりました。では空いている席にかけてお待ちください」
女性にそう言われたので、二人は空いていた壁際の椅子二つにそれぞれ腰を下ろした。
(待っている人が三人?)
と樹利亜は内心首をひねった時、受付の女性がひとりの名前を呼んだ。
三十歳くらいの女性が立ち上がって受付前まで歩き、財布を取り出してお金を払い、代わりに何か白い紙を受け取っている。
(診断書か処方箋かしら)
こちらの世界でもこういうところはあまり変わらないのかもしれない、と感じた。
順番が来るまで待っているのはヒマだった。
スピカは隣に座っているものの、彼女の方を見ようとせず、口を開こうともしない。
仲良く談笑するという空気ではなかった。
(まあ病院と考えれば当然かしら)
と樹利亜は納得したので沈黙を守る。
手持ち無沙汰だったため、あれこれと想像を働かせてみた。
(許可さえ出れば、鎮静系の付与魔術とかできるのよね)
待合室にリラックスの効果をかけてみるとか。
いくつかのアイデアが出てくる。
(それにしてもどういう先生なのかしら?)
スピカが信頼していて、魔術に関しても詳しい医者となると、ちょっと樹利亜には想像ができなかった。
三人の患者が順番に名前を呼ばれ、中へと消えていく。
待合室にスピカと樹利亜の二人だけになるかと思いきや、ドワーフの男性がほどなくして出てくる。
しばらく経って母娘二人が出てきた。
同時に白い服を着た中年女性が中から顔を出す。
「スピカさーん」
そしてスピカの名前を呼んだ。
いよいよだと思い樹利亜は彼女と一緒に立ち上がる。
スピカの名前を呼んだ女性は一瞬怪訝そうな顔をしたものの、樹利亜は付き添いか何かと思ったのか咎めたりはしなかった。
引き戸の奥には廊下があって長めの緑色のソファーが設置されていて、さらに奥に白いドアがある。
(何だか既視感があるわね)
この病院に来たのは初めてのはずなのにとぼんやりと考えた。
「スピカさん」
中からよく通る少し低めの女性の声がする。
この声の主がおそらくアジェナ医師なのだろう。
「行くわよ」
スピカはようやく口を開き、短く言った。
「ええ」
樹利亜はうなずいて立ち上がり、白いドアを右に開ける。
入ってまず彼女の目に飛び込んできたのは、白いロープを着た美しい銀色の髪と長い耳、さらに雪のような肌をした美しいエルフの女性だった。
「あら、二人連れなの?」
「そうよ、アジェナ」
青い目を丸くしたアジェナ医師に対して、スピカはそっけなく答える。
「まずは二人とも座って」
木の丸椅子が一つしかないと思っていたが、スピカが慣れた様子で診察室の左隅に置かれていた背もたれ付きの椅子を持ってきた。
丸椅子の左に置き、そちらに自分で座る。
そこで樹利亜は丸椅子に腰を下ろしてアジェナ医師と向かい合った。
「見たところ具合は二人とも悪くなさそうね。何の用なの?」
アジェナ医師の質問にスピカが答える。
「こっちのジュリアは付与魔術師なんだけど、彼女の使う付与魔術が医者としてどうなのか、調べて欲しいのよ」
「というと?」
アジェナ医師は怪訝そうに眉を動かす。
「体内から温まるような飲み物を飲むようにした方がいいと、医者に忠告された人がいてね」
「ああ、そういうこと」
アジェナ医師は最後まで聞かなくても理解できたらしい。
青い瞳には理解の光が浮かぶ。
「たしかに医者の保証がないと、詐欺になるものね。それで私のところに来たわけか」
「ええ。付与魔術を見て、医療的な効果が分かる医者なんて、あなた以外にほとんどいないでしょう?」
スピカの言葉にアジェナ医師はうなずく。
「そうね。私以外には七大魔導のシリウス様くらいかしら。確実なのは」
ここでシリウスの名前が出たことに、樹利亜は少しだけ驚いた。
それから少し複雑な気持ちにもなる。
だが、今は後回しにすべきことだ。
「ではさっそく試してみましょう」
アジェナ医師はそう言うと、銀色の机の上に乗っていた金色のベルを鳴らして、白い服の女性を呼ぶ。




