第二十六話
営業がてらに歩いてきた結果たどりついた店で、彼女の自宅兼店舗からは徒歩で三十分以上はあるだろう。
軽い気持ちで来られる距離ではないし、彼女は食べ物のためにはいくらでも歩くというタイプでもなかった。
このまま付近の店を探して営業をするか、一度自宅まで戻るかを迷った結果、樹利亜は戻ることにする。
こちら側と反対側にも道はあったので、そちら側に行ってみようと思い立ったのだ。
戻っていく時、周囲の店をもう一度覚えておく。
一度では覚えるのは難しいが、往復すればある程度頭に入るのが樹利亜という女性だった。
(方向に強い友達は一度で覚えられるそうだから、こういう時は重宝したのでしょうね)
と思う。
あいにくと樹利亜はそこまで器用ではないから、反復する必要がある。
ゆっくりと時間をかけて店舗の前まで戻り、なじみのある風景に出迎えられた。
そのまままっすぐ進んだ先にも、カノープスたちがくれたメモに記された店がある。
歩を進めていくと少しずつだが雰囲気が変わっていくことを、樹利亜は気がついた。
今までは店舗が多かったのに対して、今進んでいる通りは住居が多くなってきているようである。
にぎやかな空気が閑静なものへとなったように思う。
(こういうところにもお店はあるのね)
日本も住宅街にだって飲食店はあったのだから不思議な話でもない。
こちらでも同じなのだなと思ったのだ。
道を歩いている人もまばらになっている。
ここらあたりに住んでいる人たちは、どういう仕事をしているのだろうとふと思う。
もっともすぐに忘れてしまった。
今の樹利亜にとって重要なのは、教えられた店を発見することなのだから。
やがてその店は見つかった。
このあたりでは珍しい赤いレンガ造りの家の奥に、「気まぐれな小人」という看板が出ている。
青い屋根とクリーム色の壁は付近では目立たないので、店の名前を知っていて看板が出ていなければ見落としたかもしれない。
「こんにちはー」
樹利亜は少し意識して明るめの声を出してドアを開けた。
「いらっしゃい」
出迎えたのは愛想のないおそらくは中年女性である。
年は四十歳くらいで、茶色の服を着ていて、背丈は百四十センチくらいだろう。
彼女はドワーフと呼ばれる種族らしく、グレーの硬質な光を放つ皮膚を持っている。
この店はドワーフの夫婦が経営しているのだ。
もっとも店内の内装は人間のものと大差はない。
店内の客にドワーフが多いこと、まだ昼なのにすでに酒を飲んでいる輩が大半であることが特徴として挙げられるかもしれないが、樹利亜に思うことはなかった。
「あいている席があるから、適当に座りな」
中年女性はそう言ってあごでしゃくる。
「あのすみません、私は近所に付与魔術の店を開いたものなのですが」
樹利亜が遠慮がちに切り出すと、女性は顔をしかめた。
「売り込みはいらないよ。帰っておくれ」
たしかにマナーはよくない。
断られたら素直に引き下がるべきだ。
彼女はそう思い、ぺこりと頭を下げる。
「営業中ごめんなさい。失礼します」
「客としてなら来てもいいよ」
そうでないなら二度と来るな、というニュアンスがこもった言葉に送られて、樹利亜は店を出た。
(今までが順調だっただけよね)
何も腐ることはないと樹利亜は思う。
むしろいい返事ばかりの方が怖いのだ。
そう考えれば気が楽になるというものである。
他の店に顔を出してみたものの、やはり客が何人も入っていたため自重することにした。
いつかのために店の場所を覚えていればよい。
(よし、帰ろう)
試しに仕事をくれた店が閉まるまで、まだ時間はある。
その間、家に戻って魔力量アップと、回復力アップのトレーニングに戻ろうと考えた。
ローマは一日にして成らずという。
彼女は付与魔術師として成長していこうという姿勢を忘れてはいけない。
午後の六時を回ったので彼女は再び家を出た。
最初に向かったのは「花と風」である。
看板がしまわれているため、裏口に回ってノッカーを叩く。
少し待たされて焦げ茶色のドアが開き、例の孫娘が顔をのぞかせる。
「こんばんは」
「こんばんは、ジュリアさん」
笑顔で迎え入れられた。
「いかがですか?」
「お客さんの間ではけっこう話題になってましたよ」
孫娘はそう答える。
「ただ、二杯を頼む人はいませんでしたね。早くても明日以降になるでしょう」
それはそうだろうと樹利亜も思う。
お通じがよくなる効果は飲んですぐに出るわけではないのだから。
今ごろ効果を実感している客がいれば嬉しい。
「魔術の効果はどうしましょうか? 確認しますか?」
樹利亜が申し出ると、孫娘はすぐにうなずく。
「ええ、お願いしますね。注文が入っている最中に効果が切れてしまうと困りますから」
そう心配されるだけの注文があったのだろうか、と彼女は思った。
(だとすれば嬉しいな)
同時に女性の悩みはこちらでも同じなのかと親近感を覚える。
そして食生活に気を付けたり、自分にも使う必要が出てくるかもしれないとも思う。
樹利亜は店内に案内された。
裏口から入ったせいか、明かりが控えめになっているせいか、朝やってきた時とは店内の雰囲気がずいぶんと違っているように感じられる。
彼女が付与魔術をかけた物は分けられて並べられていた。
手に取るまでもなくそれらがまだ力を失っていないことは分かる。
「まだ効果は残っているようですね。いつまでもつとは断言できないので、念のためにかけなおしておきましょうか?」
「本当ですか? 助かります」
樹利亜の申し出に女性は目を輝かせる。
「いえいえ、これも仕事ですから」
彼女はにこやかに答えると同時に、内心安どしていた。
いつ付与魔術の効果が切れるか分からないなんて、頼りにならないと言われなくて。
(経験を積めば分かるようになると、シリウス様はおっしゃっていたけど)
明日あさってのうちにできるようなことではないだろう。
何とかボロが出ないように気をつけておきたい。
「他の店も回るのですか?」
何気ない問いに樹利亜はうなずく。
「ええ。他にも私の提案を受け入れてくださったお店はありますから」
「でしょうね。食べ物や飲み物に嬉しい効果が出るとなれば、きっと人気が出ますよ」
女性は力強く言った。
「そういうお言葉を聞けると、私としても勇気をいただけますね」
「ふふふ。私、アルヘナっていいます。まだ名乗っていませんでしたよね」
アルヘナに名乗られた樹利亜は笑顔と同時に右手を差し出す。
ふたりの女性はにこやかに握手を交わした。
「改めてよろしくお願います、ジュリアさん」
「こちらこそ、アルヘナさん。じゃあ失礼します」
樹利亜は少々名残惜しかったが、個人的な感情で商売を後回しにするわけにはいかない。
「花と風」を後にした彼女は次に「風と歌う妖精」へと向かう。
そこの店もやはり営業時間は終わっている。
裏に回ってノッカーを叩くと、ヴェガが顔を見せた。
「あら、ジュリアさん。いらっしゃい」
「どうなったかなと思って様子を見に来たのですが」
「どうぞ」
ヴェガが笑顔で手招きしてくれたため、樹利亜は中へと入り誘導に従って店舗に進む。
「みんな太りにくいケーキや美容にいい紅茶に興味津々でしたよ! もっとも半信半疑って人の方が多かったですけど」
ヴェガの説明に樹利亜はやはりなと思う。
(お通じがよくなる効果は出なくてもダメージは大きくないけど、太りにくい効果が出なかったら悲惨だものね)
躊躇する女性が多くても不思議ではない。
ダイエット志向が強い人ほどためらうだろう。
「じゃあ売れなかったのですか?」
その割にはヴェガの表情は明るいなと樹利亜は不思議だった。
「いえ、十人ほど注文がありました。美容にいい紅茶は二十人くらいでしょうか」
「あら、そうなんですか」
樹利亜は目を丸くする。
ヴェガの表情が明るい理由は分かったが、話の流れ的にはもっと苦戦していると思った。
(それとも何かあったのかしら?)
内心首をかしげた彼女を見透かしたわけではないだろうが、ヴェガは事情を話してくれる。
「エルフの女の子がケーキを頼んでくれたんです。この皿からはたしかに魔術を感じるって。そのおかげでじゃあ私もという気持ちになった人がいたんじゃないでしょうか」
「エルフの女の子が?」
樹利亜はスピカと名乗った少女を思い出し、まさかねと思う。
「ジュリアさんはご存知か分かりませんけど、エルフって種族として魔術関連の素養がかなり高いんですよ。そのエルフが言うなら、と考えた人はいたでしょうね。ジュリアさん、なかなか幸運の持ち主ですね」
ヴェガに笑いかけられて、樹利亜は反射的に愛想笑いを返す。
たしかに運がいい。
シリウスと出会わなければ野生の獣に殺されていたか、野垂れ死にしていたか、悪い人間に捕まっていたか、いずれにせよ笑えない結末が待っていただろう。
そして出会ったのがシリウス以外であれば、ひとりで生きていくための手段を会得できなかったかもしれない。
誰も知り合いがいない異世界に飛ばされた運命を樹利亜が恨む気になれないのは、これらのことが大きかった。
「そうかもしれませんね」
少し間を置いて答えた樹利亜はヴェガに申し出る。
「魔術の効果がまだもちそうか、確認してもいいでしょうか?」
「ええ。お願いします。もしかしたら今後、頼む人が増えるかもしれませんから」
ヴェガは笑顔で答えた。




