第二十五話
樹利亜はうんざりする。
(こっちの世界でもナンパってあるんだ)
彼女はナンパがあまり好きではない。
「ごめんなさい。そんな気分じゃないので」
やんわりと断ろうとするとあきらめないしつこい男がいたせいで、彼女ははっきりと断る。
「えー、何でそんなことを言うの? 俺、傷ついちゃうなあ」
男は大げさな身振り手振りで、被害者面をした。
(うそをつけ!)
と樹利亜は怒鳴りたいのをどうにかこらえる。
どうしてこの手の男は、断ると傷ついたり被害者面してくるのだろうか。
(ナンパが迷惑行為だって理解していないのかしらね!)
はらわたが煮えくりかえりそうになる。
「とにかく他の人を当たってください」
樹利亜が語気を強めて言うと、男はへらへら笑う。
「俺、お嬢さんがいいって言っているのに、そんなことを言うの? お嬢さんってひどい人だなあ」
「ひどいのはあなたの脳みそでしょ」
と言えたらどんなにいいだろうと彼女は思った。
「ちょっと! そこのあなた! 何をしているの!」
そこに割って入ってきたのは先ほどのエルフの少女だった。
どうやら異変に気づいて戻ってきたらしい。
「何って、きれいなお嬢さんに声をかけただけだけど」
男の表情から余裕が消えていて、忌々しそうな気配が伝わってくる。
風向きが完全に変わったことを樹利亜は察した。
「ごまかそうとしてもダメよ。この女性は断っていたでしょ。さっさと消えなさい!」
「へいへい。ちょっと顔がいいからって偉そうに」
男はぶつぶつ言いながら踵を返す。
エルフの少女と揉めるのはまずいという意識でもあるのだろうか。
「魅力的な女は魅力的な男のために存在しているの。あなたのようなゴミを喜ばせる義理なんて存在しないのよ!」
エルフが投げつける言葉は強烈だったが、迷惑していた樹利亜は正直スッキリした。
ところが、少女は男が立ち去ると今度は彼女をにらむように見上げる。
水色の宝石のような瞳には怒りの炎が燃えているが、それでも美しさに変わりはない。
「あなたもあなたで、きっぱり断りなさい。適当な言い方をするだけじゃ、ああいうクズ男は調子に乗るだけだから、しっかり蹴り飛ばすのよ!」
「ご、ごめんなさい。助けてくれてありがとうございます」
彼女の剣幕に押され、樹利亜は思わず謝ってしまい、それから礼の言葉を付け足す。
「今度からしっかりとしてね」
少女はそう言うと怒気を消す。
「だいたいあなた魔術師なんでしょ?」
その声には確信がこもっていたので、樹利亜は否定しなかった。
「ええ、そうです。と言っても付与魔術師なんですけど」
「そっか。付与魔術師か」
エルフの少女は納得したようにうなずく。
「自分の体に強化魔術を付与したりできないんだ?」
「そ、それは試したことがないというか、どうも私の才能は偏っているようで」
樹利亜は自嘲気味に答える。
「戦闘に関する才能はあきれるくらい足りない」
というのがシリウスの評価だった。
「そうなの。それでも魔力をまとめて放出するくらいできるでしょ? それをやるだけでも、あの程度の男は逃げていくから、参考にしてちょうだい」
エルフの少女は親切心であれこれ言ってくれているのだろう。
「ありがとうございます。できるように練習します」
ただ、それもできる自信はないため、樹利亜としてはそのように答えるしかない。
「ええ。私はスピカ。あなたの名前は?」
「樹利亜っていいます」
「そう。じゃあね、ジュリア」
スピカは左手を軽く挙げると、そのまま去っていく。
その様はカッコいいと言えるものだった。
そこでようやく樹利亜はおなかがすいていたことを思い出す。
(何を食べようかな?)
たまには日本じゃ珍しいものを食べてみようかという気分になる。
もっとも、味覚がそこまで違うわけでもないので、こちらで食材が日本や地球にはないという程度だが。
(このあたりで食べられるのは暴れ兎の肉に、ゴロゴロ豚か)
どちらにしようか迷う。
そしてゴロゴロ豚に決める。
(豚肉の方が疲れにはよかったはずだし。たぶん)
という理由だ。
ゴロゴロ豚とは怒ると「ゴロゴロ」と雷が鳴るような音を出し、相手を威嚇すると言われている。
味自体は基本的に普通の豚と変わらないか、美味しいようだ。
入ったのは「みんなの笑顔」とやや古ぼけた印象を受ける店だった。
店内は左側に二人がけテーブルが二つに四人がけテーブルが二つ、向かって右側にカウンターがL字型になっている。
「いらっしゃいませ」
出迎えてくれたのは三十歳くらいの犬耳の女性だった。
「おひとりさまですか?」
「はい」
樹利亜が即答すると、にこやかに聞いてくる。
「カウンターでもいいですか?」
「ええ」
かまわないと答えると、壁際の席に案内された。
店内には二人組の男性客、ひとりの男性客が二人、あとは二人の女性客が一組いる。
男性客ひとりを除けば全員が獣人のようだった。
「お客さん、人間? うちの店に来るなんて何かお目当てがあるの?」
と聞いてきたのはメニューを書いた獣皮紙を持ってきた、猫の耳と尻尾を持つ十代の少女である。
「ゴロゴロ豚を食べたくなった時、今日のおススメで出ているのを偶然見つけたから」
樹利亜は物珍しそうな視線を向けてくる少女に、正直に答えた。
「おー、お目が高いにゃ。うちのゴロゴロ豚、絶品だからぜひともご賞味くださいにゃ」
少女は嬉しそうに緑の目を輝かせたかと思うと、薄い胸を張ってポンと叩く。
「ええ。じゃあゴロゴロ豚の焼き物と、そうねサラダをお願い」
樹利亜としても肉だけを食べるというのは少し気が引けた。
一応いろいろな点が気になる乙女なのである。
「かしこまりましたにゃ。お飲み物はいかがですかにゃ? 今でしたら料理を注文してくださったお客様には、銅貨一枚でお出ししておりますにゃ」
勧められた樹利亜がちらりとメニューを見ると、通常の飲み物は一杯で銅貨が三枚するようだ。
二枚分得するならば頼んでおこうかなという気になる。
何人もの客が来てくれたおかげで、銀貨二枚分以上の収入を得られたことが少し彼女の気持ちを大きくしていた。
「じゃあ紅茶を一つお願い」
「ありがとうございますにゃ。しばらくお待ちくださいにゃ」
猫耳の少女はぺこりと頭を下げて、メニューを持ってさがった。
男性たちはむっつりと黙り込んで料理を待ち、女性同士で向き合っている二人組はなごやかな顔で談笑しているようである。
(新聞もない、携帯もない、雑誌もないものね)
待ち時間にすることが何もない世界だから、ぼんやりと待つか連れとおしゃべりを楽しむかの二択になるのだろう。
樹利亜自身、友達とおしゃべりをするのは好きだ。
落ち着いたらこちらの世界でも気の合う友達を作りたいものだ。
店の内装をゆっくりとながめて、シックなデザインで素敵だなとぼんやり思う。
可愛らしいインテリアなどはないが、これはこれでいい。
「お待たせしましたにゃ、サラダですにゃ」
猫耳の少女が木の丸皿に入った葉野菜と輪切りにされたトマト、細かく切られたニンジンを持ってくる。
(けっこうボリュームあるのね)
皿自体が小皿とは言いがたいサイズだ。
てっきりサラダは大したボリュームがないと思い込んでいたので嬉しい誤算なのだが、健啖家ではない樹利亜は残さず食べきれるのかと一抹の不安を覚える。
だが、頼んでしまったものは仕方ない。
一緒についてきたフォークを手に取って皿に手を伸ばす。
むしゃむしゃと食べる。
新鮮でみずみずしく味は悪くないのだが、樹利亜としてはマヨネーズかドレッシングがほしいところだった。
どちらも富裕層向けの品物らしく、庶民には出回っていないのである。
(のどが渇いてきたかも)
ひたすら生のサラダだけを食べ続けるというのは、けっこう大変だ。
何か口の中に変化を与えたくなった。
そう思ったところで猫耳の少女が、紅茶を持ってくる。
「紅茶以外の飲み物を頼まれなかったので、早めに持ってきましたにゃ。さしでがましかったですかにゃ?」
「いえ、助かりました。ありがとうございます」
樹利亜は笑顔で礼を言った。
とても気が利く店員だなと感心する。
湯気が立っている紅茶をひと口飲むと、思っていたよりも薄かった。
しかし、香りは日本時代のものと大差なく、なつかしさもある。
もう少し冷めるまで待っていると、メインディッシュが運ばれてくる。
「ゴロゴロ豚の焼き物をお持ちいたしましたにゃ。熱いのでやけどしないようにお気をつけくださいにゃ」
猫の獣人の少女はそう言って、石で作られたと思われるプレートを差し出す。
上には香辛料をまぶされた豚の肉がジュウジュウと音を立てている。
(こうして見ると、豚の生姜焼きみたいよね)
結局元の世界でも食べられるようになってしまったと思い、樹利亜は笑いをかみ殺す。
少し時間を置いてサラダを食べ、紅茶を飲み、フォークとナイフを使って豚肉をひと口サイズに切る。
「ふーふー」と息を吹きかけてぱくりと行く。
(美味しい)
肉は柔らかく、香辛料は利いていて、肉汁が口の中をあふれる。
豚肉と言うよりは牛肉に近い気がするが、言葉で違いを説明するのは彼女にとってかなり難しいことだ。
それよりも食事に専念する。
肉を食べてサラダを食べて紅茶を飲むというループは、今の樹利亜にとっては非常に重要な方程式になった。
肉とサラダを食べ終えた時はすっかり満腹になってしまった。
「ふう、おなかいっぱい」
思わず声が出てしまった。
美味しいものを堪能できたという気持ちと、何とか食べきれたという安ど感が混在している。
急には動けないと思い、少しの間休ませてもらうことにする。
樹利亜が来た時にすでにいた客はまだ誰も帰っていなかったので、多少は気が楽だった。
客は新しく女性が二人入ってきたが、彼女たちも獣人だった。
そして彼女に気づくと物珍しそうな顔を見せる。
(もしかしてここって獣人に人気で、人間の客はあまりいなかったりするのかしら)
遅まきながら樹利亜はそのことに思い当たった。
店員たちは普通に接してくれたため、たまたま今日は獣人が多い日なのではないかと思っていたのである。
今さら慌てても遅いだろうと彼女は開きなおることにした。
別に嫌がられたりしているわけではないのだから、堂々としていればいい。
そう思ったのだ。
ただ、のんびり三十分ほど滞在して、先に来ていた男性客や女性の二人組が帰りはじめると、自分もという気持ちになって立ち上がる。
「お勘定をお願いします」
「はい、かしこまりましたにゃ。サラダ、ゴロゴロ豚、紅茶で大銅貨一枚いただきますにゃ」
言われた通り大銅貨一枚を出す。
「ありがとうござましたにゃ」
という声を背に店を出て、樹利亜はポンとおなかを叩く。
(あのボリュームと美味しさで約千円なら、お得感あるわね)
機会があればまた来ようかなと思った。
味と量と価格以外にも、あの店の雰囲気も気に入ったからである。
(ただ、家からはちょっと離れているかしら)
ここまでの道のりを思い出し、ため息をつく。




