第二十四話
そこで考えたのが、「花と風」でも提案されたことだ。
「どうでしょう? 効果が一週間くらい得られなかった場合、私の手数料分は返金するとか、モニターでお試ししてもらうとか」
料金がいらないなら、試してみる好奇心の強い女性は現れる可能性はあるはずだ。
「そうですね。ちゃんとお金を払ってくださる人がどれだけいるか、わかりませんよ。何しろ、ケーキ以外を食べたせいで太ったとしても、分からないでしょう?」
少女は心配そうな顔をする。
(なるほど、その可能性もあるのね)
悪いことを考える人間はこちらの世界にも存在するのだな、と樹利亜は思った。
ケーキならばいくら食べても太らないが、ケーキ以外を食べれば太ってしまう。
それを利用してケーキ以外もたくさん食べて効果がなかったと主張し、樹利亜の手数料を払わない人間が出てくる可能性は、たしかに考慮するべきだ。
「ただ、心配はいらないと思います。ケーキ一個で、その日は太りにくくすることは可能ですから」
樹利亜が言うと、少女は小首をかしげて聞き返す。
「つまり太りにくいのはケーキだけじゃなくて、食べ物や飲み物すべてということですか?」
「ええ」
それだったら先の例に出た悪人も何も言えないだろう。
「それだったらやってみたいですね。ちょっと待ってください。父に相談してみます」
少女はそう言うと、厨房のほうに引っ込んだ。
待たされたのは五分ほどで、ひとりの厳めしい顔つきの中年男性が姿を見せる。
「あんたかね、付与魔術師のジュリアっていうのは」
「はい、そうです」
無愛想な男の無遠慮な物言いにひるみそうになったが、ここで負けてはいけないと樹利亜はじっと目を見つめ返す。
「客が支払いを渋ってもこちらは責任を取らない。その点を飲み込んでくれるなら、試しに扱ってみてもいい。それでいいか?」
「はい、私はかまいません」
探るようなと言うよりは、挑むような鋭い目つきに負けじと答えると、男性は小さくうなずいた。
「じゃあ。やってもらおう。ただ、ケーキに魔術をかけるってどうやるんだ? こっちが用意するものにあんたがいちいち魔術を付与していくのか?」
「ええっと、そうですね」
ケーキをいちいち作っている間、待っていろというのは樹利亜にとって困る。
「できればお皿やカップに付与させてもらえればありがたいのですが」
「それだと付与魔術に興味ない客が困るだろ。一部の皿とカップにだけ、やるべきだな」
「お願いできますか?」
男性の気乗りしていない態度を見て、樹利亜は断られるかもしれないと思いながら聞いてみた。
「まあいいだろ。ダイエットをしながらじゃ、ケーキの美味さは半減だからな。客には美味いケーキを心ゆくまで堪能してもらいたい」
男性はそう言って優しい顔をする。
(あら?)
意外な一面を見たせいか、樹利亜の心には印象的だった。
「ではよろしくお願いしますね」
「ああ。ヴェガ、皿とカップを持ってこい」
「うん」
ヴェガと呼ばれた少女は皿とカップを取りに行き、男は奥へと引っ込んでしまう。
ふたりきりだと間が持ちそうになかったので、樹利亜としてはひと安心だった。
「はい。これらにお願いします」
カップと皿が五つずつ差し出される。
「ええ。お任せください」
樹利亜が魔術をかけ終わると、ヴェガは青い目を丸くした。
「噂通りの速さですね。これで今日一日はもつのですか?」
「ええ。もしかしたら明日まで効果は消えないかもしれませんが」
大丈夫だと彼女は思うが、万が一ということもある。
そう答えるとヴェガは圧倒されたようだ。
「すごいですね。ジュリアさん、じつは高位の魔術師だったりします?」
これは否定しておかなければならないと感じ、樹利亜は首を横に振る。
「いえ、とんでもないです。私はまだまだなんですよ」
「そうなんですか。魔術師ってすごい人たちですものね」
ヴェガはあっさりと受け入れる。
どうやら魔術師の存在は知っていても、あまり詳しくはないようだ。
(私も人のことは言えないけどね)
と樹利亜は自嘲した。
彼女もほとんどシリウスに教わったことがすべてで、そこまで知識を持っているわけではない。
「今日、営業が終わったら様子を見に来てもらえますか?」
ヴェガの要請を樹利亜はすぐに受け入れる。
「分かりました。何時頃まで営業していらっしゃるのですか?」
「だいたい十八時ごろですね」
「かしこまりました」
十八時であればまだ人通りはあるし、そこまで危険ではないだろう。
樹利亜はそう判断した。
「ではよろしくお願いしますね」
「こちらこそ」
店の外に出た樹利亜は長い息を吐き出す。
二軒目をゲットしたものの、あまり喜ぶ気にはなれなかった。
飲食店の方が需要はありそうなのだが、同時にすでに彼女の客となった人が身内にいる店が話を聞いてくれたという感覚が強い。
店を開いて数日しか経過していないのだから、むしろ幸せなことなのだろう。
だからと言って満足してはいけないと思うし、向上心を刺激されるのが樹利亜という女性の性格である。
(この後はどうしようかしら?)
まだ営業してみるか、それとも周辺を見て回ることを優先するか。
迷った末、周辺を見て回ることにする。
周りのことを覚えるのも必要なことだが、人々の暮らしと様子を見ていれば何か思いつけるかもしれない。
(どういう需要があるかを調べなきゃね)
樹利亜はそう思う。
ダイエットや美容関連が当たってくれればいいのだが、現段階で期待しすぎるわけにはいかない。
そんなことを考えながら歩く樹利亜の視界に飛び込んで来たのは、重そうな荷物を担いで歩く男たちだった。
(一時的に力持ちになる魔術具……だと人の仕事を奪っちゃうかしら)
樹利亜はシリウスに禁止されたことを思い出す。
ひとつめは異邦人だと吹聴することだ。
隠さなければならないことではないのだが、こちらの世界にうとくしっかりとした後ろ盾がいないと、犯罪者にとって狙いやすい存在だと親切に教えてやるようなものだと言われた。
(若い女はなおさらだって話よね)
男よりも女の方が狙われやすいのは、腹立たしいことにこちらでも同じようである。
次に禁止されたのは付与魔術を使って、誰かの仕事を奪ってしまうことだ。
仕事がなくなった人は当然彼女を恨む。
(こっちの世界で無難に生きていきたいなら、恨みを買うような真似は慎むべきだものね)
これは納得できることだ。
もっとも、仕事を奪うのではなく、仕事がはかどるようになるだけならば、恨まれるどころか感謝されるので、やってもかまわないらしい。
(たとえばだけど)
誰でも重い物を持てる魔術具を作るというのは禁止だが、荷物を持っている人間の負担を軽くする魔道具ならばありなのだ。
(実際に考えてみると、線引きは難しそうね)
樹利亜はひとまず保留にする。
次にこの街には人間以外の種族もいるというようだ。
獣耳と尻尾を持った獣人、小柄でひげをたくわえたドワーフはすでに見ているが、彼女がたった今目撃したのは、美しい金色の髪に尖った耳、白い透き通るような肌を持ったエルフの少女だった。
そのエルフは右肩の上に赤い髪の小指サイズの羽が生えた少女を乗せている。
(精霊だ)
シリウスに精霊を見せてもらった樹利亜はすぐに分かる。
一方でエルフの少女も樹利亜を見て「おや?」という顔をした。
それでもお互い声をかけずに通り過ぎる。
(もしかして見ただけで私が魔術師だと気づいた?)
と樹利亜は考えた。
エルフは基本的に魔術師としての素質が高い者が多いというので、一目で彼女のことを見抜いたとしても不思議ではない。
あるいは彼女が精霊を見ていた方に気づいたのかもしれなかった。
(精霊、エレメント使いなのね)
エルフは人よりも格段に精霊との相性がいいというのも、シリウスの情報である。
先ほどのエルフの少女もおそらくはそうなのだろう。
道行く人はそのエルフの少女に目を奪われる様子がなかったことから、この街でエルフを見かけるのはそこまで珍しくなさそうだと見当をつける。
(まあエルフなら、私の付与魔術なんて必要ないでしょうね)
樹利亜は自嘲気味に思った。
ただ道を歩いているだけなのに、精霊を顕現させていても平気となると、相当な実力者に違いない。
そのような実力者ならば、樹利亜の力を必要とすることはないのだろうなと思う。
(エルフとはお話をしてみたいのだけどね)
単純な好奇心の問題である。
エルフ以外の種族、獣人やドワーフもそうだ。
人間以外の種族が珍しいからと言えば、彼らは気を悪くするだろうか。
結局、街を歩くだけではよいアイデアが浮かんでこなかった。
別の目的は一応達成できたと言えるので、樹利亜は悲観せず昼食を楽しむことにする。
(どこで何を食べようかしら?)
彼女がきょろきょろしていると、若いハンサムだが軽い感じの男に話しかけられた。
「きれいなお嬢さん、どうしたの? よかったら一緒に俺とご飯を食べない?」




