第十九話
「それで、相談とは何だ?」
カノープスに聞かれて、樹利亜は息を吸って用件を話した。
「ミルザムさんにも少し言われていたのですが、次の商品についてなんです。靴下や腹巻きってそんなすぐに買い替えるものじゃないですか? 需要が満ちたら、お客さんが来なくなってしまうんじゃないかと思いまして」
「たしかにその懸念はあるな」
カノープスがうなずくとミルザムも言う。
「靴下とかは消耗品と言っても、一日や二日で使えなくなるもんじゃないからねえ。穴が開いたもんの補修なら、裁縫屋が対応しているから分が悪いだろうし」
「一応、習ったことはあるのですが、素人レベルですからね」
樹利亜は家庭科の授業を振り返る。
本当にやったことがあるというだけで、とてもお金をもらえるような実力ではない。
「へえ、裁縫経験があるのか。じゃあ裁縫屋に話しかけてみたらどうだね? もしかすると魔術を必要とする案件があるかもしれん」
「経験と付与魔術と関係が分からないのですが」
カノープスの提案に樹利亜は困惑する。
「経験がある人になら相談できるってことはあるよ。まあジュリアさんの知識や腕にもよるだろうけどね」
ミルザムが旦那の発言をフォローした。
「そうですか。では時機を見て顔を出してみますね」
「ああ。うちの物件を借りていると言えば、話はスムーズだろう。ワシらとは顔なじみだからな」
カノープスの言葉にありがたく甘えることにする。
「ありがとうございます。話を戻すとして、私はダイエット効果、あるいは美容効果を食べ物や飲み物に付与できればと考えているのですけど」
「ええ、そんなこともできるのかい?」
ミルザムが大きな声をあげ、目を見開く。
「ええ。シ、師匠から大丈夫だと言われています」
樹利亜はシリウスの名前を言いかけたところで、「俺の名前は絶対に出すな」と念押しされたことを思い出して何とかごまかす。
「それが本当ならぜひやってみるべきだね」
ミルザムは興奮しているが、カノープスの方は冷静だった。
「だが、食べ物や飲み物を自分で用意するわけじゃないんだろう。だとすると、協力してくれる店を探す必要があるぞ」
「そうですよね」
それが難関だと樹利亜は思う。
「そうかねえ。そのふたつ、女ならぜひとも実現してほしいし、飛ぶように売れると思うんだけどね」
ミルザムは納得がいかないという顔だ。
「ワシらはすでにジュリアさんの実力を知っているから、任せてもいい。現実的だと思うんだ。だが、食べ物たちはそうじゃないだろう」
カノープスはそんな妻に言い聞かせる。
「腰巻きや靴下を体験してもらうというのはどうでしょう?」
樹利亜は自分の実力を売り込むための提案をしたが、カノープスは渋面を作った。
「ううむ。食い物系の店を経営しておるのは、男が多い。そのふたつでは魅力に感じない可能性があるな。腰巻きの方は将来的に必要になるかもしれんが」
「必要とされないものを売り込むのは難しいですね」
樹利亜はため息をつく。
「売り物を安心して預けられるのか? という問題が生まれるからな。靴下や腰巻きは自分の物だし、効果がなくても兼ねの払い損だけですんだが、商品は信用が懸かってくる」
「営業に行くだけ行ってみようと思います」
カノープスの言葉に気が滅入りそうになるも、「負けるもんか」と自分を叱咤する。
「それがいいよ」
ミルザムが笑顔で賛成した。
「案ずるより産むがやすしって言葉があるからね。案外、ケーキ屋だって付与魔術師を必要としているかもしれないじゃないか」
「それは否定できんな」
カノープスも嫁の言葉に一理あることを認める。
「ケーキ屋やカフェの場所は知っているかい?」
ミルザムに聞かれて樹利亜はちょっと考えた。
「一軒はエマさんと入ったので分かりますが」
だいたいではあるが、場所は覚えているし、行き方も分かる。
「何軒か回ってみるといい」
「ケーキ屋やカフェって、いつが休みって決まっているのですか?」
樹利亜は重要と思える点を確認した。
「決まってはいないな。すべての店の休みがかぶったりしないように、話し合ってずらしているはずだ。だから君が訪れても、すべての店が閉まっているということはならないだろう」
「それはよかったです」
カノープスの返事に樹利亜は安心する。
日本でも経験したことがあるが、休みの日に無駄足を踏むのは悲しいものだ。
「私はそういうことをしていないのですが、大丈夫でしょうか?」
ただ、同時に疑問が出たため、カノープスに尋ねる。
「あくまでも近隣に同業者がいる場合の話だからな。ジュリアさんは同業者と呼べる店がこの街には存在していない。しいて言えばデネブの店が近いが……まあいらないだろう」
「そういうものなのですね」
現地人の感覚に従おうと樹利亜は思う。
「あんた、地図を渡してあげたほうがいいんじゃないの?」
ミルザムに言われたカノープスはうなずいて立ち上がる。
彼は大きな獣革紙に手早く書きはじめた。
「大ざっぱなものですまないが」
そう言って彼女に紙を手渡す。
「いえ、大丈夫です」
何から何までお世話になって申し訳ないかぎりだった。
それでもまだ人の助けを必要としているという自覚はあるため、樹利亜は好意を受け取る。
紙には近隣の店が二十軒ほど書き込まれていて、裁縫屋が一軒、甘味処が二軒、カフェが二軒記されていた。
「五軒も……」
「まあ一軒くらい話を聞いてもらえたら上等だと思っていればいいさ」
「ええ、そうですね」
ダメでもくじけるなとカノープスは言いたいのだろう。
樹利亜はそう解釈し、肝に銘じておこうと思った。
そして話を変える。
「そう言えば、ふたりのお店って何をやっていらっしゃるのですか?」
隣同士だと言うのに、彼女はカノープスたちがどんな店をやっているのか知らなかったのだ。
「ワシらは代書人をやっておるんだ」
「代書人ですか?」
カノープスの返事に樹利亜は小首をかしげる。
何となくイメージはできるのだが、はたしてそれで正しいのだろうか。
彼女の疑問を読み取ったミルザムが答える。
「お役人に提出する書類とか、嘆願書とか、ラブレターとか何でも代筆するよ。私らはやっていないけど、公文書を書いてる人もいるねえ」
「へえ、いろいろやっていらっしゃるのですね」
樹利亜は感心する。
(行政書士や司法書士みたいなものかしら?)
もしかしたら微妙に違っているのかもしれないが、大きく外れていることもないだろう。
「職人だったり販売だったりしたらジュリアさんの力を借りることがあったかもしれないけど、あいにくとワシらの仕事で魔術はいらんからなあ」
カノープスが残念そうに言うと、ミルザムが相槌を打つ。
「少なくとも急には思いつかないよねえ」
「いいんです。そこまでしていただくわけにもいきませんし」
樹利亜は笑いながら手を振る。
「そんな遠慮せんでも、この街では助け合いはよくあることだぞ」
カノープスは白い歯を見せた。
「そうだよ。私らが困っていたら、魔術でパーッと解決してくれればいいんだよ」
ミルザムも陽気な笑顔で言う。
「そ、そうですね」
樹利亜は内心冷や汗をかきながら、ぎこちない笑みで応える。
(付与魔術ってそんな便利なものじゃないんだけどなあ)
むしろできないことの方が多い印象だ。
「おいおい、無理を言っちゃいかんぞ。七大魔導士じゃあるまいし」
カノープスが苦笑しながらミルザムをたしなめる。
「七大魔導……? 何ですか、それ?」
樹利亜は気になった単語を聞いた。