第十話
「興味があるなら、買っていきましょうか?」
エマがそのようなことを言い、樹利亜は自分の顔色を読まれたことに気づく。
(分かりやすいつもりはないんだけどなあ)
エマは従者としてのスキルが高いのか、彼女の考えていることをけっこう的中させてくる。
「いいのですか?」
「ええ。遠慮なさらず」
エマは笑顔で力強く言う。
(シリウス様に買ってこいと言われているのかしら?)
シリウスは偉そうで無遠慮で冷淡なようでいて、たまに気が利くし面倒見がいい。
十分にあり得そうだった。
「分かりました。では寝つきがよくなる香水と、冷たさを逃がさないコップを一つずつください」
数え方があっているのか不安だが、デネブは何も指摘してこなかった。
「お買い上げ、ありがとうございます」
笑顔で商品を棚からとって赤い布で包み込む。
「大銅貨三枚、頂戴します」
エマはためらわず出す。
(ふたつで約三千円かあ)
高いのか安いのか分からない。
使ってみた上で判断するしかないだろう。
(いいものだったら、この店での営業はあきらめるべきかしら)
樹利亜はそんなことを考える。
商売は素人だし、付与魔術を習いはじめて二か月程度しか経っていない。
強力な競争相手がいる場所で商売をはじめる必要などなかった。
(いっそ、ここのお店で雇ってもらうというのもありかしら?)
そう思ってみたものの、繁盛しているのかも分からない。
店主一人で十分やっていけているのであれば、頼んでも断られるだけだろう。
「行きましょう」
エマに声をかけられて樹利亜はハッと我に返り、店主の女性にぺこりと頭を下げて店を出た。
「この後はどこに行きたいですか?」
「えっと、不動産屋さん、それに生活雑貨などを見られたらなと思います」
弱気になってしまったが、相場を知ることは悪いことではない。
貸し店舗の家賃に日用品の値段を知っておけば、どれくらいの稼ぎが必要になるかが分かる。
後、どこかに雇われる場合は家を借りることになるだろう。
それを考えてもやはり不動産屋は外せない。
「では不動産屋に行ってみましょうか」
エマはそう言って右手側に進んでいく。
迷いのない足取りから、彼女が街のどこに何があるのか頭に入れてあるのだろうと推測する。
「デネブ」の店から十軒ほど先に不動産屋はあった。
黒い屋根にクリーム色の壁で、青いひさしに少し乱暴に「にっこり不動産」と書いてある。
「貸し店舗などを扱っているところはまずここになりますね」
エマはまずはそう説明してから黒い木の扉を開けた。
「いらっしゃい」
中には白いひげを伸ばした、白髪頭のお年寄りがカウンターに座っていた。
「貸し店舗を見たいのですが」
「あいよ。業態は何かな?」
「魔術具店です」
年寄りの問いにエマが答える。
「魔術具店か。ひと口に言ってもいろいろあるだろ。どういう設備が必要になるんだ?」
年寄りは青い目をエマと樹利亜にかわるがわる向けながら訊いた。
「付与魔術関連の店をと考えていまして、材料と商品を置く場所さえあればいいかなと」
樹利亜が言うと年寄りの男性は顔をしかめる。
「付与魔術の材料って言ったって、色々あるだろ? 香水か? 衣服か? それとも飲みものか?
品物を絞って在庫を抑えるのか、幅広く商品を扱うのか? 身体強化魔術を使えるならともかく、そうじゃないなら女の細腕じゃきつい重量のものもあるだろう。それらのことは一体どう考えているんだ?」
「あ、そっか。在庫を考えないといけないですよね」
完全に忘れていたことを今さらながら樹利亜は気づく。
「置き場所もそうだけど、在庫を持てばその分リスクはあるだろうし……」
どうしようかと彼女がぶつぶつ呟いていると、エマが男性に話しかける。
「ひとまず、現在あいている店舗をすべて見せていただけませんか?」
「すべて?」
「ええ。こちらの方はこの街に来たのが初めてで、何かの参考になればと思いまして」
エマの言葉に男性はしぶしぶうなずく。
「そうだな。店舗を決めてから商売内容を決める例は、珍しくはない」
男性はカウンターの下をのぞき込み、獣革紙を二枚とり出す。
「今のところこれだけだ。さすがに中を見せるのはもう少し希望が具体的になってからにさせてもらうが、外から見る分にはかまわんぞ」
「この紙をいただいても?」
樹利亜の問いに男性は目を剥いた。
「いいわけないだろう。ちゃんと返してくれ」
あわてたような反応に、彼女はああそうかと思う。
(この世界、紙はいくらでも用意できる世界じゃないのね)
紙そのものがけっこう貴重な時代があったと、小耳に挟んだ覚えがある。
この国ではそこまで貴重ではないのかもしれないが、気軽に用意できるものでもなさそうだ。
エマが苦笑してポケットからちょっと上等そうな羊皮紙をとり出す。
「書き写す分にはかまわないですよね?」
「ああ」
年寄りは彼女が持つ紙をまじまじと見つつ、返事をする。
それを聞いたエマはカウンターの上に紙を乗せ、ペンをとり出してさらさらと書き写す。
「……あんた何者だ? いいところのお嬢さんなのか?」
「まさか」
樹利亜は笑おうとしたが思いとどまる。
シリウスに師事して、エマに同行されている今の自分が周囲からそのような誤解を受けてしまう可能性に気づいたからだ。
(え、どうしよう?)
と思ったものの、どうしようもないという考えにいたり、こっそりため息をつく。
「お待たせしました」
エマは樹利亜にそう言うと、獣革紙を年寄りに返す。
「いや何の。もし気に入った物件があれば連絡してくれ。手続きに何が必要なのか、知っているよな?」
「ええ。紹介状と準備金ですよね」
男性の確認にエマは即座に答える。
「そうだ。分かっているならいいんだ」
男性は満足して目を彼女たちからそらした。
「行きましょう」
エマに促されて樹利亜は退出する。
「準備金、必要なのですか?」
彼女は聞いていないという顔でエマに聞いた。
「ええ。家賃一か月分ほど必要になる場合が多いです」
敷金のようなものかと樹利亜は解釈する。
「私、出せないんですが」
お金自体持っていないのだからどうしようもない。
もちろん、エマの回答は予想していた。
「シリウス様が出すとおっしゃっています。後で返してくれればよいと」
「……分かりました」
他に道はないと樹利亜も分かる。
素直にシリウスの厚意に甘えるのが一番だろう。
「今あいている店舗は五軒のようですね。どこもここからそこまで離れてはいないようです」
エマは住所を見ながらそう言った。
(それはありがたいわ)
と樹利亜は正直に思う。
ただでさえかなり歩いたのだから、これ以上歩き回るのは恐ろしい。
「近くの店から順番に見ていきましょうか」
「はい」
見透かしたような笑みを作っているエマに、樹利亜は強がるように答えた。