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祝福の鐘は、クリスマスイブに成る  作者: 大久保ハウキ▲
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祝福の鐘は、クリスマスイブに成る。2

あたしとヒガシは広い玄関ホールに居るんだよ。奥の部屋は、ドアは無くなっているけど、割と不法投棄物とかあるから、あんまり使わないんだ。それはあたしたちが子供の頃からそうだった。

「サワ。声だけなら大丈夫か?」

「うん、まあ、なんとか……」

 最近は剣の姿を見ても、発狂しそうになることは無いんだけど、あんまり頻繁に会いたいと思う奴でもないんだよね。その辺りを剣はわきまえている。

「剣兄?」

「おう、久し振りだな、ヒガシ。訳は言わんでも判るだろうが、俺は姿を見せられねぇ。声だけ邪魔するぜ。お前が性転換しても、園は振り向かねぇから、注意しに来た。義弟のハッチと30分ほど遊んでいたんだがな、とっくに30分過ぎているぞ?」

「剣兄、俺はどうすれば良いんだ?」

「そうだな。説明してやろう。お前の悩みなんぞ、俺の悩みに比べれば、屁でもねぇ、簡単だ。お前がサワより強くカッコよくなり、園のレズビアンを吹き飛ばすくらいの男になれば良い。漢字の『漢』って書く方の男な」

 はぁっ?

 聞いていたあたしとヒガシは、そんな顔をしただろう。

「21にもなろうかって、大の大人が、可愛い後輩兼幼馴染の為に助言してやるんだから、真面目に聞けよ」

 壊れた壁の隙間に光る物がある、剣は鏡でこっちの様子を見ているようだ。

「ところで、あんたはどうして園ちゃんがそういう人間だって知っているの?」

「見りゃわかんだろ? と言いたい所だが、園の羊の皮は俺でも見抜けなかった。お前と園の小学校の卒業式の日だったかな。偶然園が俺を見つけたんだよ。そんで、俺がサワに近付かないように依頼された。もちろんお断りだが、それじゃあ勝負すると言い出してよ。自分の気持ちを突然大声で語り始めた訳だ。俺の気持より自分の気持ちの方が上だと言いたかったんだろう。流石にファミレスでそんなことして、大声で泣かれた日には、俺も参ったよ」

「園ちゃんがそんなことを……」

「そこまでして、お前を守りたいと思ったんだそうだ。俺の想いも似たようなもんだったからな、感銘を受けたよ。虹子の奴もそんな想いだったんだろうな」

「!!」

「剣兄、その名前は出さないでくれ」

「ああ、悪い。サワ、スマン」

「……一瞬キレそうになった」

「まあ、真実はいつも残酷だ。俺の想いはサワには届かねぇ、フロントのバカはまた話が別だが、届かねぇ。園の気持ちも、届いているとは言い難く、ヒガシの想いも、まだまだ結果は見えねぇ。俺に出来ることは、ひとつでも俺のライバルを減らすくらいだ。そこに幼馴染という調味料が加わると、俺はどうしても園とヒガシをくっつけたい」

「それはなんとなく理解したけど、なんで、虹子姉の名前を出した?」

 壁を睨む。

あたしの横に居るヒガシが少し怯えている。

「言っても良いのか?」

 それはヒガシに向けられた言葉だった。ヒガシが小さくなる。

「ああ、剣兄から言ってくれ。宮野が暴れ出したら、一緒に止めよう」

「あたしが暴れる?」

「まあ、聞けよ。言っとくが、暴れんなよ? 俺たち幼馴染の中で、お前を好きな奴は『三人』居た。俺と園、そして……虹子だ」

 頭の中が白くなりかけた。

それを止めたのは、ヒガシだ。ヒガシがあたしの後ろに回り込んで、腰の辺りに腕を回しているから、一応抑えることが出来た。

それにしても、虹子姉があたしのことを好きだった? 何の冗談のつもりだろう。

「ナイスアシスト、ヒガシ。この話は、お前も知っている筈なんだが、確か病院で死ぬ程暴れた時の話だから、記憶から消去されているのかもな。確かにお前の精神に傷を負わせたのは俺だ。これは一生かけても俺が償う。しかし、お前はもう一つの傷をその時負い、今も記憶の底に封印しているんだよ。変だと思わねぇか? 発唆のオッサンを含めた警察が、たかだか中学生の書いたレポートに、あんなに目くじら立てることと、あんなに必死に守ることをだ」

「あたしに、何かあたしの知らない秘密があるとでも言うの?」

「まあ、そうなる。小学三年生の女の子が、いくら本気で暴れたと言ってもだ。病院が半壊することは無ぇだろ? その起爆剤が虹子の手紙だったんだよ」

「剣、それ以上喋るな。逮捕するぞ?」

 気付くと剣の居る壁に拳銃を向けた大戸さんと、ポケットに手を突っ込んだままのオジサンが玄関口に立っていた。

「サワ。オッサンも詳しくは知らないから、俺の口からしか聞けないぜ?」

「オジサン、それは本当?」

「く……痛い所を突くな。ああ、俺は上司から命令を受けているだけだ。君の中に何か得体の知れない物が隠れているくらいしか知らん。警察内部でも、その真実を知ろうとする人間は、ことごとく降格するか、犯罪者に成り下がるとだけしか、俺は聞いていない。大戸もそうだ」

「ええ、私も似たような都市伝説的な話しか知らないわ」

「成程、フロントが差し向けられた理由も本当はそれなの?」

 話を進める方向に持って行く。

自分のことを知らないのは、どうにも腑に落ちないからだ。

オジサンは諦めて大戸さんの拳銃を下げさせ、頭をかいた。

「ここでその現象が起きても、知らんぞ?」

「ああ、それは大丈夫だ。俺もこれには最近気付いたんだが、近くに幼馴染、或いはそれに近い感情をサワが持つ人間が、二人以上居る時にこの超能力とも呼べる現象は発動しねぇよ。ひとつは受験の時の地下鉄車内、あの時園が傍にいて、俺も隣の車両に居た。もうひとつは、五月連休後の鬼畜バカ警官の暴走時、これも俺と園が傍に居た」

「え?」

「お前は気付かなかっただろうが、園は俺と同レベルにお前の傍に居る。あの時は偶然俺の方が先に欄干から飛び降りて、車に轢かれたが、その欄干の上に園も居たんだよ。そしてこの前のフロントの件だ。あの時フロントが最も注意しなくてはならなかった依頼内容は、お前の傍にその手の人間が居ない状態で襲うということだ。浜辺には園とヒガシが居て、襲えない。これではただの暗殺だからな。成田で捕まったアホな独裁者も、他のお前を狙う連中も、皆お前がキレた状態で暴れるのを見たいんだよ。中学生の書いたレポートに腹を立てている人間が居るのも事実だけどよ。もっと上層では、お前の能力の真価を知りたいんだよ」

「そんな人体実験をして良い筈がない!!」

 怒鳴ったのはオジサンだった。

剣は壁の向こうで笑う。

「それはオッサンの考えだろ? 今言っているのも俺の考えじゃない。だけど、世の中には色んな考えの奴が居て、その中でサワのことを知っているバカで、そんな考えを持ち、一国の軍隊を動かせるバカも居るって話だよ。あんたが鑑識課で、拳銃もろくに撃てねぇのに、サワの監視と護衛に付いているのはおかしいと思わないか? それは、先程もチラッと触れた、サワを落ち着かせる人間があんただからなんだよ。フロントの大失敗、と言うか、その独裁バカの依頼の大失敗は、先ずはあんたを殺させなかったことだ。あんたが居なければ、サワは独裁バカの目論見通り、暴走してホテルどころか、札幌市全体を破壊していたんじゃねぇかな」

「ちょっと待って。あたしがキレるとそんなことが起きるってのは本当?」

「まあ、お前をそこまでキレさせた奴は居ないから、あくまで推測の域だけどな」

「それは一体なんなの?」

「……破壊衝動……かな。もしお前が寝て起きたつもりで目覚めて、世界が全て壊れていたら、自分でやったんだと思えば良い」

「宮ちゃんはそんなことしないもん!!」

 また人物が増えた。

園ちゃんだよ。無遅刻無欠席が売りでもある真面目ちゃんが、こんな時間に何しているのさ。

「園ちゃん、学校に行って。遅刻はあたしのせいにして良いから」

「宮ちゃん……」

 怒っているつもりはないけど、実際ちょっと腹を立てていた。園ちゃんはあたしに黙って尾行していたことが何度かあるらしいからだ。

これで嫌いになる訳じゃないけど、今は園ちゃんとヒガシの話から、大きく逸れていて、それがあたしの話だから、あんまり大人数に聞かれたくない。

「それから、ヒガシと付き合ってみなさいよ。ヒガシはこの通り、根性ある奴だよ。ヒガシ、ちょっと園ちゃんを学校まで送って行って、それから復学しなよ」

 ヒガシは、まだあたしを後ろから抑えているんだよね。

「あ、ああ」

「あたしの暴走を抑え込む力が最も強いのは、オジサンだよね? なら、此処でキレることはないから。行っても大丈夫だよ」

「宮ちゃん……」

 正直言って、この二人には聞かれたくない話だ。

出来れば大戸さんも追い払いたい。

 そう思ったのが通じたのか、オジサンが大戸さんに100メートル下がるように命じた。

ヒガシと園ちゃんを連れて、大戸さんも下がる。

「あたしがキレた所って、病院だけ?」

「ああ、本格的にキレたのはその時が最初だ。時折お前の中で何かの衝動が出て来るだろ?」

「ええ、キレた感じのする時はあるけど……」

「普通に考えれば、自分の指の骨が折れる勢いで、人を殴ったり叩いたりはしねぇ。折れた後殴り続けることもしねぇ。それは俺のせいでもある、お前の超ド級に鈍い痛覚がそうさせているのも事実だが、それだけじゃない。破壊衝動の後、お前の頭の中で、急に回転し出す回路が一個あるだろ?」

「悪い頭と表現するあれか?」

「俺はその場に居たことがねぇから、オッサンの言うそれだと思う。破壊衝動の後、破壊するのにはどうしたら良いかが、お前の頭の中で生まれる。フロントと対決した時、お前は俺が現れる前に小石を拾ったよな?」

「ああ、そんなこともしたかな……使わなかったけど」

「俺が現れたからだよ。気が逸れたんだな。お前はその小石をフロントに投げ付けるつもりじゃなかった。違うか?」

「だって、ヘルメットに小石を投げ付けても、効果はないじゃん?」

「そうだ。お前は小石をヘルメットの隙間から詰めて、殴ることを考えていた筈だ」

「普通にそう考えたよ」

「それが普通じゃねぇことに気付かずにやっているだろ?」

 どうして剣の語気が強くなったのか、あたしには理解出来ない。

振り向くとオジサンは頭をかいていた。

「つまり、君の考えた『普通の考え』は、まったくもって普通じゃないんだ。フロントと戦うことを勧めたのは俺だが、拳銃を持つ凄腕の暗殺者に向かって、そんなことは普通考えない」

「そのデラックスな破壊衝動が来た場合、お前は全てを破壊することを、普通に躊躇い無く考えて実行出来るんだよ。破壊衝動を持っている人間は結構居るんだがな。実践出来る奴は少ないんだ。その方法が、単純だが残忍であることに、お前は気付いてもいねぇ」

「それが、あたしの狙われる本当の理由?」

「そうさ。お前の考えはイコールで世界を滅ぼせるんだ。しかも、単純で、効率良くな。そう考えれば、世界の大半を敵に回している奴なんかは、国家レベルでお前が欲しいんだ。お前を自由に操ることが出来れば、世界なんて簡単に滅ぼせるからな」

「……あたしを操るのって、そんなに簡単なの?」

「だから実証実験が必要なんだろうよ。それがフロントの件の真実だ。逆に国家権力が、お前の能力をひた隠しにし、必要以上と思えるような護衛を付けている理由もそこにある」

 園ちゃんとヒガシの恋愛話から、とんでもない方向に話が進んじゃっているよ。

「それからもうひとつ、補足だ」

「まだなんかあるの?」

 正直な気持ちだよ。

そりゃあ、あたしは超ド級の痛覚の鈍さを持っているよ、精神も普通じゃないのかも知れない。でも、普通の人間として生きているつもりなんだよ。

「まあ、これは本当に蛇足だから、聞き流せ。俺を含めたお前のことを好きな連中の話だ」

 そっちの方が普通の話っぽいじゃん。

そんな国家権力なんて話とか世界を滅ぼせるとか要らないから、そっちだけ話してくれよ。

「なんでお前がそんなにモテるかと言うとな。特殊な精神状態の人間、例えば俺の場合、悪人としての衝動の中で、俺はお前に出会った。園も虹子も、レズビアンという特殊状況の中でお前を見た。フロントは俺に言った。サワが小石を拾った瞬間、頭の中に女神が見えた。とな。そういう極限状態みたいな物を通してお前を見た人間は、お前の中にある人間とは思えない部分に惚れてしまう性質がある。お前の尻を触った痴漢常習の背広男も、酔った揚句にお前を車で撥ね、車に連れ込もうとした鬼畜警官も然りだ」

「……あたしに選ぶ権利無し?」

「なにほざいてやがる。お前は充分人を選んでいるじゃねぇか」

「ヒガシがあたしに惚れない理由は?」

「あいつは『まとも』なんだよ。引き篭もってゲームしているのが異常に見えても、あいつの精神は実にクリーンなんだ。それに、あいつは幼稚園くらいの時から園のことを好きなんだよ。お前のことを邪魔に思うことはあったかも知れねぇが、好きになることはねぇよ」

「剣。お前の情報量の多さには感心するが、その出所は何処だ? インターネットの掲示板に転がっているようなネタじゃないぞ?」

 オジサンが訊くと、剣は無くなったドア枠の所から手だけ出して、手帳みたいな物をひらひらさせた。

「何それ?」

 訊いたけど剣は答えてくれない。オジサンに判れば良いという事らしい。

「世界を狙う奴は、手に入れたい能力だ。俺の知る中で、その能力は四人持っている。俺とお前がそれを持っていると言えば、あとの二人は見当付くだろ? 解説はここまでだ。それと、最後にひとつだけ、良い方法を教えてやろう」

 手を引っ込めた剣は、そこから立ち去ろうとしているみたい。

「思い切り恋をしな。切なくて胸が苦しい奴だ。そうすりゃあ、まともな人間に戻れる。俺の母ちゃんは俺の父ちゃんと結婚するのに、周囲のライバルを蹴っ飛ばして這い上がった。お前の母ちゃんは俺の母ちゃんのことを好きだったお前の父ちゃんにアタックする為に、勇気を振り絞った。今日のヒガシみたいな感じでな。そして俺は心の底からお前が好きだ。俺たちはそうやってまともな人間とやらに戻ったんだ。まあ、俺や母ちゃんがまともとは言えないかも知れないがな。さて、俺も上司に報告しに行かなきゃならんわ。暫く日本を離れるから、オッサンしっかり頼むぜぇ……」

 壁の裏から剣の気配が消えた。

「で? 剣は一体どこの所属?」

 残ったオジサンにそれを訊く。

「アメリカの特殊工作員だ」

 オジサンはタバコに火を付けながら答える。

剣の奴、一体どこでそんな資格を得たんだ?

「剣の行方が時々本気で掴めない時があるんだが、周囲をその手の工作員に固められているなら、話は簡単だ。琴尼や君のお母さんがその能力を若い頃有していたのなら、剣も当然持っていたんだろう。アメリカがその能力に着目し、スカウトしたんだろうな」

「でも、今は無いって言ってたけど?」

「それは、元能力保持者でも、研究対象にくらいは使えるし、情報漏洩を快く思わないなら、飼い殺しにしておくのが一番良い。仮想敵国に情報が漏れない為にすることとして、最善策だよ。それにあいつはスパイ向きな性格でもあるしな」

 うーん。あたしが本気で恋をしなきゃ、この変な頭は治らないらしい。困った。

 一旦家に帰ることにした。オジサンと大戸さんは、真面目に学校に行って欲しかったみたいだけど、ちょっとそれ所じゃない。

 自宅に戻ると、まだウチの車が駐車場に停まっていた。

父は走って会社まで通っているけど、母は車通勤なんだよ。

つまり、母はまだ家に居る。

しかし、この話をどう切り出したものやら。

「あれぇ? サワちゃん。どうしたのぉ?」

 母は教習所の事務仕事を家に持ち帰り、そのまま机に突っ伏して寝ていたようだ。

「母さん、話があるんだ……」

 さっきまでの出来事を手短に話す。

園ちゃんとの少しエッチな関係を話す時以外は、かなり包み隠さず話したつもり。

「ふうん、そうかぁ。サワちゃんもそんな年頃になったんだねぇ」

 他人事かよ。

「母さんも昔、そんな類の超能力者だったと剣に聞いた。琴尼叔母さんもだって、だから母さんには話したけど、父さんには話したくない。だから今相談している」

「うーん。あの頃とは状況も違うしなぁ……ちなみに、サワちゃんの好きな人ってだぁれ?」

「……言いたくない」

 そう言いながら、窓の外を指差す。

母の顔が一瞬固まった。

「それって、本人は知っているのぉ?」

「多分、知らない。あたし並みに鈍感だから」

「そっかぁ。じゃあ、先ずは告白しなさぁい。駄目だったら苦しみなさぁい。悩みなさぁい。そうやっている内にぃ、多分治るよぉ。母さんの時はそうだったもん」

「でも、あたしは不感症だよ? 上手く告白出来ても……」

「母さんはモリくんに恋をしたお陰でぇ、不感症は治ったよぉ。モリくんはお姉ちゃんのことが好きだったからぁ、すっごい苦しかったしぃ、すっごい泣いたしぃ、すっごい悩んだんだぁ。でもねぇ、その苦しみの果てにはぁ、結婚してサワちゃんを授かったんだよぉ」

 モリは父の名前ね。

「……治った。イコールこの変な考えの出る頭も治るの?」

「そうねぇ……少なくとも母さんの攻撃衝動は無くなったよぉ」

 攻撃衝動か、破壊衝動と同じと考えても良いんだろうか。

それでも、やってみるしか手段は無いらしいことだけは理解した。

母の喋り方がおかしいのは勘弁してくれ。今はそれ所じゃない。

「解かった。コクって来る。駄目だった時は流石に泣くから、母さん今日は仕事休んで」

「ダメダメェ、一人で悩むからぁ、人間は成長するんだよぉ。でもぉ、きっと上手く行くよぉ。だってぇ、サワちゃんは滅茶苦茶可愛いんだもぉん。モリくんと母さんの良い所を全部持って生れたぁ、可愛い可愛いサワちゃんなんだからぁ。自信持って行きなさぁい」

 く、それは自信ないな。

急に心臓がバクバクし出した。今まであたしが振って来た人たちもこんな気分を味わったんだろうか。そう言えば、自分から告白するのは初めてだ。

 玄関を出る。やっぱり止めようかな。

メールか電話で……否、ヒガシでさえ、面と向かって告白したんだ。

怖いのは皆一緒。これは普通の感覚だよね。

 その前に、園ちゃんにメール。ちょっと長く打った。返信がすぐに来る。

『こっちは大丈夫だから、今は自分のことに集中して。園』

 ありがとう園ちゃん。力出て来た。

 自宅斜め向かいのアパートの階段を、ガンガン音を立てて昇る。ドアに施錠なんてしてないのは知っているから、勢いでノックもせずに開けた。

「どうした?」

 驚いた様子も無い。

部屋を見回し、他に人が居ないことを確認。

「もう爆発しそうだ。ここで言う!」

「な? 何が爆発するんだ!?」

 さっきの廃屋で採取したと思われる、剣の指紋を入念にチェックしている手が止まる。

「あたしの気持ちだ、バカ野郎!! 剣に襲われている所を助けてくれた瞬間から、あたしの気持ちは一度も変わってねぇ! あたしと付き合え!!」

 しばしの沈黙。

オジサンの吸っていたタバコの先から灰が落ちた。

「あー、なんだ。それは……告白なのか? 一応此処は鑑識課の分室扱いで、此処での会話は全て録音されているぞ?」

「そんなこと知るか!! 録音テープを回し聞きしてほくそ笑む奴が居るなら! 連れて来い!! ぶっ飛ばしてやる! あたしはそれくらい真剣だ!! 返事を聞かせろ!!」

 オジサンは立ち上がって、窓からあたしの家の様子を一度窺い、カーテンを閉めて、玄関の上にあるブレーカーの電源を強制的に切った。

それから押入れを開け、その中に隠されている録音機材の中から録音されたCDを抜き、手動のシュレッダーでバキバキに砕いた。

「こういう状態にこの部屋がなると、大戸がすっ飛んで来る仕組みになっている。時間は5分弱だ。先ずは落ち着け。そして、靴くらい脱げ。ボロだが、これでも土足厳禁の部屋だ」

 言われて初めて気付いた。

靴を脱いで、オジサンの前に正座する。

その間もオジサンの目をずっと見て、放さない。

オジサンは一旦あたしから視線を逸らして、タバコに火を付けた。ゆっくりと煙を吐く。

「俺は君のお父さんより年上だぞ? それは本当に恋愛感情なのか?」

「年齢差を口にする時、人は言い訳を考えていると、何かの本で読んだ。それは断る準備か?」

「質問に質問を返すなよ。確認をしているだけだ。本気で俺に告白しているのか?」

「もちろん本気だ。あたしが男口調の時、それは大抵本気だ。ずっと想っていたけど、口に出せなかった。園ちゃんに告白したヒガシを見て、何か触発されたんだ。あたしの数居るストーカーの中で、あたしが本気で恋愛感情を抱ける人物は、発唆のオジサンしか居ない」

「……俺はストーカーじゃねぇって。先程の剣の発言を鵜呑みにしたとも思えるが?」

「そう、鵜呑みだ。あたしはこの変なことを考える頭が大嫌い。だからこの頭を殺したいんだ。国家権力だの独裁者だのに狙われない為にだ。日本で言えば北の田舎モンが、そんな中央の意志に踊らされて、巻き込まれるのは、金輪際御免だ」

「俺も、一応その国家権力の手先の一人ではあるんだが……」

 そんなこと、聞いちゃいねぇ。

こういう時のあたしは、なんとかして都合の良いことだけ聞こうとする節がある。

「ずっと、小学三年の時からあたしを守ってくれているのは、オジサンだ。時にはこういう無茶をしたり、本気で死にかけたりもしてくれる。そんな人はオジサンしか居ない。そんなオジサンにあたしが返せるのは、この心と体だけだ」

「おいおい。それは恋愛感情ではなく、単純な恩義の範囲じゃないのか?」

「いいや! 誰がなんと言おうと、これは恋愛感情だ!!」

「落ち着け。確認は終わった。だから返答しよう」

 言われて、振り上げそうになった拳を引っ込めた。

自信はまったくない。こんな言葉使いの悪い暴力的な女子高生に、オジサンが振り向いてくれる可能性は、低い。

振られて、苦しむ。

怖い。嫌だ。

オジサンと付き合いたいんだ。

園ちゃんにも触らせなかった所まで触ってもらうんだ。

不感症も治るんだ。あたしは本当にオジサンを愛している。

「あと5年で俺は定年だ」

 はいっ?

「本当にそんな爺さんと付き合いたいのか? 結婚とか考えているのか? そこまで本気か?」

「う……ん。初恋の人と結婚するのが夢だって言ったら、笑うか?」

「いや、今時の女子高生の言葉とは思えんが、笑わねぇ。君こそ、あと5年で退職した俺と、結婚とかすることになっても、平気なのか? 結婚生活というより、介護生活かも知れないぞ?」

「それも覚悟した。今だけど」

「そうか」

 オジサンはあたしの頭を撫でた。

フロントに撫でられた時には感じなかったけど、今のあたしを落ち着かせる、大きな皺深い掌。同じくらい苦労の滲み出た顔。髪には白髪も混ざっているけど、これがあたしの好みなんだ。剣もフロントも、あと30年くらい頑張って、それからなら、あたしは申し出を受けるかも知れない。

でも、今はオジサンが好き。

「良いだろう。定年後は山登りでもして一生暮らそうと思っていたんだが、その予定はキャンセルだ。君が俺のことを好きで居てくれる限り、俺は全力を尽くす。その代わりと言ってはなんだが、二つ三つ約束をして欲しい」

「何?」

「ひとつ、俺より先に死なないこと」

「うん」

「ひとつ、学生で居る間は、変にエロいことばかり考えないこと」

「う…うん」

「ひとつ、知り合い全てに関係を認めさせること」

「え?」

「君のストーカー連中に付きまとわれては、落ち着いてデートも出来んだろ? 痴漢だの変質者だのの突発的なのは、俺が全力で君を守る。それはこれからも変わらない。どうだ? 約束出来るか?」

「……うん。やる、今からでもやる」

 そう言って携帯を取り出す。

その時、拳銃を構えた大戸さんが現場に到着。部屋に居るのが二人なのを確認すると、拳銃をしまう。

「ほれ、認めさせる相手の一人だ」

 オジサンに促される。

「あの……大戸さん」

 大戸さんの前に進みでるあたしの肩越しに、オジサンの表情を観察している。

大戸さんは手を挙げて、あたしに待つように指示した。

ドアののぞき窓の部分に指を入れて、何か作業する。

「なんだ、特別捜査班は、そんな所にマイクを仕掛けていたのか」

 その言葉が終わらない間に、大戸さんが小型マイクを指で挟んで壊した。

「流石に冷静でいられないから、後半は聞いてないわ」

「はは、聞かれていたか」

「笑いごとではないわ。あなたという人は! 未成年の! 更には護衛対象の女の子に何を言わせているの!?」

 激昂しそうになる大戸さんに抱き付いた。

「サワさん?」

「聞いていたなら話は早いです。あたしはオジサンが大好き! だから、オジサンをあたしにください!! お願いします!」

 こんな恥ずかしい告白をあたしは十数人にする羽目になった。

しかも、ほぼ全員面と向かってだよ。

 オジサンに告白した翌日には、園ちゃんがあたしの部屋に来た。

これからヒガシと付き合ってみて、少しずつ男の人に馴れて行くことを決意表明し、これが最後だからと、数百回キスされた。あたしは苦笑い。

ヒガシは信じられないくらいの補修を受け、あたしたちと同学年になることを条件に学校側から特別に復学を許可されることになる。補修はこれからで、最終的には復学テストがあるけど、ヒガシはやる気満々だ。

手井根おじさんは嬉しいやら悲しいやら、複雑な表情を見せたけど、あたしとオジサンの関係を祝福してくれる。

虹子姉の墓前には、剣を除く幼馴染三人で報告に行った。

剣が先に一人で来たようで、花が一輪だけ供えられている。

最も難関だったのは父だ。母と手井根おじさんを巻き込み、大挙して父の仕事場に押し掛けて、土下座しまくった。

「わかった。オッサンとの付き合いを認める。ただし、子作りなんぞ10年早ぇからな。その辺の節度を守り……」

 ゴメン、あんまり覚えてないや。

八回目の土下座でようやく許してくれたのだけは覚えてる。

剣とフロントだけは面と向かってとはならなかった。剣はアメリカ渡航中だったからね。フロントは携帯もメールも全然繋がらない人なので、手紙になった。返事は剣との電話にまとめられている。

『ああ、俺とフロントは構わねぇよ。オッサンが死んでからでも、遅くねぇし、処女だの子連れだの、こだわりもねぇからよ。まあ、お前がピンチの時には駆け付けるから、オッサン張り切って護衛してねぇと、俺もフロントも飛んで行くからな』

 やっと平穏な学生生活に戻ることが出来た。

普通に通学して、勉強して、友達とお喋りして、時には喧嘩して、泣いたり、泣かせたり、こんな当たり前の生活が今まで出来ていなかったことが不思議でならない。

これは気分の問題なのかも知れないけどね。相変わらずオジサンと大戸さんはあたしの護衛をしているし、剣への直通電話もそのまま持っている。フロントからも、時々様子を探るように手紙が来る。

ちょっとだけ変わったのは、園ちゃんの来訪率。それでも、あたしの部屋に二人きりになると、ヒガシのことを愚痴りながら、抱き付いて来る。

あたしの体は、あれだけ苦労して、オジサンに大告白したのに、まだ超ド級の鈍さを有しているし、精神状態も不安定。

それでもこの平穏を楽しんでいるから、悪い考えを生み出すことはない。

そういう考えが出て来そうな時は、オジサンを呼び出して頭を撫でて貰うと、ほぼ収まる。

約束したから仕方ないけど、オジサンとそれ以上の関係にはまだ進んでいない。ちょっと一杯食わされた感は否めないよ。基本的に何も変わっていないからね。

 変に暑い夏と残暑がやっと終わり、秋の風向きに変わる頃まで、その平穏は続いた。


 あたしの家を訪れる率が少し上がったオジサンだけど、今日はあたしじゃなく、母に急用があると言い、教習所のバイトがひと段落した母が対応している。

あたしは園ちゃんと自分の部屋で勉強中。

ガチャン!

 どう考えても食器が割れた音が居間方面から聞こえる。おっちょこちょいさんな母らしいけど、その後悲鳴のような声が続く。

あたしと園ちゃんは読んでいた参考書から顔を上げて、目を見合わせる。

オジサンの声が聞こえ、ただごとならぬ様子が伝わって来た。

 園ちゃんに部屋に居るように言って、居間に行く。

「どうしたの?」

口に手を充てて顔面蒼白になった母を初めて見た。

オジサンは落ち着いた様子で、居間にあるDVDデッキからソフトを抜いている所だ。なんか怖い映画でも一緒に見ていたの? という感じではない。そもそもオジサンと母がそんなに仲良くしていたら、父が黙っていないし、あたしも怒る。

ただ、この『怖い』という意味で、二人が見ていた物は的を射ていた。

「サワさん。こっちに来て座りなさい。奥さんも……」

 オジサンはあたしのことを時々下の名前で呼んでくれるようになったけど、今日のオジサンは普段の感じじゃない。仕事モードのオジサンだ。

固まってしまっている母に肩を貸して、ソファに座る。

母が座った途端に、テーブルにあった父のタバコを手に取り、ガタガタと震えながら火を点ける。一言も口をきかない。

母から何か聞ける状態でないのは理解した。

オジサンを見る。顔が真剣だ。

「取り乱さず聞いてくれ。昨晩遅く、浜益の海岸で、御婦人の撲殺体が発見された」

 空白。

「ちょっと……聞き違えたのなら謝るから、もう一回言ってくれる?」

「ああ、昨日の夜。行方不明者として捜索対象になっていた、浜益在住の主婦『吸鯛琴尼』さんの他殺体が発見され、所轄署から本人確認の為、画像添付されたDVDをお母さんに見て貰った所だ。君は未成年だし、刺激が強過ぎるので、見せられん」

「琴尼おばさんが!?」

 フロントとの戦いの時、車を飛ばして現場に駆け付け、剣と共にあたしたちを援護してくれた、あのヤンチャなおばさんが死んだ?

「何らかのトラブルに巻き込まれた可能性大だ。それが例の君が持つ能力絡みなのか、剣の関係なのか、それとも漁師同士の何かの争いに巻き込まれたかは、今の所不明だ。状況を知った吸鯛氏は、ショックで今朝自殺してしまった。大戸が連絡を受けて、話を聞く為に現場に向かっていたんだが、間に合わなかった」

「ええっ! そんな!?」

「そして、困ったことに、吸鯛氏の連れ子であるハッチくんが行方不明だ。剣は単独で行動しているのを確認しているし、誘拐、或いは最悪の場合、殺された可能性もある」

「……ハッチはこの家のことを知っているの? 血は繋がってないけど、従姉であるあたしのことは知っているでしょ?」

 ガタガタになってしまった母の代わりに質問する。

「まあ、あの時助けに来てくれたから、知ってはいるだろうが、剣の説明を何処まで理解しているかが問題だ。ハッチくんは、あの時暗がりでよく見えなかったが、まだ小学四年生だ。所轄署、海保、漁協関係者や農協関係者、学校関係者にも捜索に加わって貰っているが、昨日の下校時に見掛けたという証言を最後に、ぱったりと音信を絶っている」

「ハッチが犯人である可能性は無いのね?」

 母が顔を上げて、ついでに手も上げた。

「お姉ちゃんの子供が、例え血の繋がりはなくても! そんなことする筈ないじゃない!!」

 結構強めにビンタされた。

「母さん、ゴメン。今のは言い過ぎた」

「奥さん、落ち着いてください」

「だってぇ。サワちゃんがおっかないこと言うからぁ~~。お姉ちゃ~~ん」

 泣きだしてしまった。

そこに早番だった父が帰宅。

あたしは一旦居間から出される。DVDを見せられているんだね。

部屋に戻り、問題が発生したので、今日の泊まりは無しだと伝える。

「宮ちゃん、顔が青いよ」

 取り乱した母を見たことが無かったから、少々その気持ちが伝染したのかも知れない。こんな時は園ちゃんが優しく抱き締めてくれるのが嬉しい。

その時、今度は居間から父の叫び声が聞こえた。初恋の人の変わり果てた姿を、父が落ち着いて見ていられる訳もない。

やっと落ち着いた父が電話で手井根おじさんを呼び出す。

DVDを見せられたおじさんは、その人柄の熱さを象徴するかのように、泣いてしまった。

その晩の我が家では、聞いたこともない悲鳴と怒号が連続して聞こえる日になった。

オジサンは仕事だけど、こんなに辛い仕事はないよね。

 翌日は流石にテレビニュースとして、琴尼おばさんの凄惨な死と、その夫の自殺、そして行方不明のハッチの件が流れた。

事件であるので慎重に取り扱われている。

普段冷静な母が取り乱しっ放しなので、結局園ちゃんに一晩中付いていてもらい、あたしが炊事をした。

父は大人しくしているが、一気に10歳も年を取ったみたいに、俯いて居間のソファから動かない。

オジサンもそのまま居間に残っている。これは、ハッチが誘拐だった場合、ウチに身代金なりなんなりの脅迫電話が掛って来る可能性が否定出来ないからだ。

手井根おじさんは、一晩中泣きながら電話を掛け続けていた。例の連絡網だ。

 珈琲を淹れて、居間に持って行く。

「サワ」

「はい」

父の声は掠れていたが、聞きとることは可能だ。

静かな怒りの炎を燃やしている。

複雑な心境の父の姿は、見ていて悲しくなる。

「お前の持っている、剣に直通の電話を貸せ」

 オジサンが何か言い掛けたが、すぐに言葉を飲み込む。

あたしは珈琲をテーブルに置いて、ポケットから電話を取り出した。

「オッサン。剣の奴がキレた場合、サワと同じ現象が起きるのか?」

「……おそらく。しかし、サワさんより遥かに低いレベルの発動が起きる筈だ。その能力の殆どを剣は失っている」

「手前の実母が殺されて、キレねぇ奴は居ねぇだろ? ずっと離れて暮らしている妹でさえ、手の付けられねぇ状態だ。剣の奴は最近まで琴尼義姉さんの所に居たんだろ?」

「ああ、居た」

「今頃ニュースを聞いて、奴はどんな怒りに震えているんだろうな」

 父はあたしから受け取った携帯を暫く眺め、思い直してあたしに返してくれる。

「俺は……一緒に怒ってやることしか出来ねぇ。冷静に出来る自信がねぇ。こんなに怒りが煮えたぎる思いは、これまで感じたことがねぇ。サワ、オッサン、済まねぇが、ちょっと外してくれるか? これから大泣きする。男が娘に泣いている所なんて見せられねぇ……オッサンは俺の義理の息子になる人だ、そのオッサンにも見られたくねぇ」

 居間から出て、ドアを閉めると、父の啜り泣きの声が聞こえて来た。

あたしはその声を聞かないように、階段を上がる。

母は園ちゃんと一緒に寝室に籠って泣いている。

オジサンも部屋に来てくれた。

「ハッチを……」

「駄目だ。君は此処に居ろ。自衛隊も参加して山狩りも行われている。ハッチは無事に戻る」

「ゴメン。あたしも冷静にしていられないみたいだよ。琴尼おばさんとは、剣の事件以来会ってなかったけど、凄く自由な人で、奇麗で、可愛いと思える、自慢の叔母だった。父さんの初恋の人で、母さんの姉さん。小さい頃、幼馴染の剣は悪ガキだったけど、いつも母親の自慢をしていたのを思い出したよ」

 気分が沈む。

オジサンは頭を撫でてくれた。

「サワ。君に出来ることは、ハッチの無事を祈る事。剣の怒りを鎮めること。そして、暴走しない程度に例の悪い考えを持つ頭を使い、俺と大戸に的確な指示を出してくれることの三つだ」

 顔を上げると、力は無いけど、オジサンが無理矢理笑顔を作っていた。ハッチの無事はさっきから祈っている。じゃあ、次は剣だ。携帯を取り出して、通話ボタンを押す。

『この電話は、お客様の都合により、水中に没して居るか、火中に投げ込まれているので、お繋ぎ出来ません。サワ・ミヤノ様へのメッセージをお預かりしております。オッサンも一緒であれば、スピーカー音量を上げてお二人でお聞きください』

「ふざけんてんのか、この野郎……」

 言い掛けてから、オジサンに携帯を渡す。

オジサンは注意深くこの電子音で作られた応答メッセージを聞き、ポケットから携帯用のイヤホンを取り出し、それを繋いで片方を寄越した。

『サワ、オッサン。元気に付き合っているか? まあ、オッサンは早く死んでくれると有難いんだけどよ。冗談は置くとして、どうやら緊急事態のようなんだ。さっきから母ちゃんとハッチに連絡が出来ねぇんだよ。ん?……ちょっと待ってくれ』

 音を聞き逃さないように、あたしたちは真剣に聞いた。

周囲の雑音の多さから考えて、駅か空港のどちらかに剣は居るみたい。

この最初の冗談部分は、まだ剣が琴尼おばさんに何が起きたか知らないことを示している。

多くの雑音の中、剣が携帯を手に持ったまま、呟いた言葉が聞こえた。

『バカな……そんなことってあるかよ』

 剣はあたしに帰って来たことを知らせる為に、直通とメール以外の機能もあるんだぞという感覚で、この留守電サービスを使っていたに違いない。

メッセージを録音している最中に、何の気なしに空港か駅にある大型スクリーンを見てしまった。

事件性があるからハッチの顔は公開されていないけど、今朝のニュースから琴尼おばさんの顔写真は何度もドアップで使われている。

それを見てしまったんだ。

『サワ。お前はこの件に絡むなよ……オッサンは警察官だから仕方ねぇ』

 剣の声も父と同じように掠れた声に変わった。

あたしの心配してくれる所なんかは、いつもの強がりな剣だけど、あの独特の飄々とした感じはなく、歯切れが悪い。

『俺は……これから上司と相談して、解決策を探す……暫く連絡は出来ねぇし、電話も繋げなくするから……オッサン、サワを頼むぜ……それから、警察の方でこのニュースをなんとかしてくれ。この写真は母ちゃんの卒業アルバムだろ? 俺の母ちゃんは今ではもっと奇麗で、可愛いんだ。それと、ハッチの写真だけは絶対に出させるなよ……クソ、頭がこんがらかるぜ。ハッチは絶対死なねぇ。俺の一の子分で、義弟だ。テキトーだが、サバイバル訓練もさせている。そこらの小学四年生じゃねぇ。将来は立派なスパイになるって張り切ってんだ、今写真を流通させるな。この国には職業選択の自由がある筈だ。こんな小さな子供の夢を潰すような真似しやがったら、同盟国でも生まれ故郷でも、俺は容赦なく潰すからな……じゃあ、またな』

 そのメッセージの後、通話を切る寸前の剣の声が入っていた。

『だから! その写真を使うんじゃねぇ!!』

「成田だ」

 オジサンが剣の周囲から聞こえる音を分析した。

「空港であんな大声で叫んだら、目立つじゃない。特殊工作員なんでしょ?」

「まあ、そうだな。しかし、その辺の駅構内とかでも、たまに叫んでいる酔っぱらいとか居るから、一瞬目立つがそれだけだ。あいつは指名手配犯でもないから、空港の警察に捕まることもないだろう。問題は、これが今日の午前に録音されていることだ」

「午前? どうして判ったの?」

「館内アナウンスの、出発便案内が少し聞こえた。ニュースが放映され始めたのは今日の朝一からだ、そして、琴尼さんの写真は現在放映されているニュースでは既に成人してからの物に変更されている。そう考えれば、四、五時間くらい前の成田に剣は居たことになる。公共交通機関を使っているなら、まだ羽田かも知れんが、あいつは少なくともアメリカの特殊工作員だ。上司に指示を仰いで、米軍基地からスクランブルで千歳に向かっている可能性もある」

 成程、流石は鑑識課、良い耳している。

特殊工作員が何をするのか知らないから、そこはなんとも言えないな。

「やっぱり、先ずはハッチを探して、話を聞いてから状況を整理しないと駄目だね。琴尼おばさんを殺した奴の全体像が掴めない間は、余計な想像が膨らんでしまって、あたしの頭でまとめられない。思い付く限りのことはメモしておくから、オジサンは大戸さんに指示して、ハッチを探させて」

 オジサンがそれを聞いて、大戸さんに電話する。

とにかく、情報が少な過ぎる。

あの勢いであれば、剣は確実に犯人を見つけ出して殺すだろう。

剣を殺人犯にしたくないという、従妹としての情くらいはあたしにだってある。

 夕方に近くなった頃、大戸さんから連絡があり、ハッチとみられる男の子が、札幌方面に向かってヒッチハイクしているのを目撃した情報が入った。

「札幌に吸鯛さんの親戚は居るの?」

「いや、居ない。あるとすれば此処だけだ。剣の行動を模倣するよう教育されているなら、単独行動は理解出来る。だが、それだと此処に向かっている理由がおかしい」

「それはハッチくんが、まだ小学生だからじゃないのか?」

 今や対策本部と化している我が家の居間には、あたしとオジサン、父と手井根おじさんが居る。電話口の所ではオジサンの仲間が電話に逆探知装置を付けたりしているけど、居間に居るのはこの四人だ。

「いや、それは考えない方が無難だ……サワさんの前であまり言いたくは無いが、剣が悪人道を極めたのは小学生の頃で、殺しと強姦以外の悪さを全て覚えたとされている。ハッチくんはまだ途上だが、それに近い教育を剣に受けている。剣がメッセージに残した通りであるならば、ハッチくんは危険な小学生だ」

「つまり、ハッチは犯人を知っていて、義理の母親の復讐に向かっていると考えた方が自然?」

 あたしの頭は、既に回路が回り始めている。

オジサンの持って来た情報を見て、ノートに書き写して、眺めながら考える。

勿論捜査上の機密になるから、後でノートは回収されちゃうけどね。

「ああ、そうだな。しかし、こちらでは犯人の目星が付いてない。身柄を確保するだけの証拠も揃えなければ、警察は動けない」

「あっ!」

 突然思い付いた。

立ち上がり、玄関に向かって走り出す。

「サワ!!」

「サワちゃん!?」

 父と手井根おじさんを残して、靴を履き、飛びだす。

流石にオジサンだけは付いて来ていた。

「どうした!?」

「ハッチの居場所が判った!! でも、刺激したくないから、一人で行かせて!!」

「駄目だ! 少なくとも俺が付いて行く!」

「判った。でも、拳銃は駄目だからね?」

「どの道撃てんよ。何処に居ると判断した?」

 走りながら会話する。

オジサンの年齢を考えると、あんまりやらない方が良い気もして来た。

でも、緊急事態だ。

あたしの考えが正しいなら、ハッチはそこで復讐の準備を整えてから出発する。もう少し早く気付けば良かった。

「廃屋だよ!! なんでもっと早く思い付かなかったんだ! このバカ頭!! この前ヒガシに呼び出された時、剣は近くに居たんだよ!! あたしがヒガシと二人きりで話したいからって電話した時、ちょっと不機嫌そうに剣が言ったんだ!『わかった、じゃあハッチと遊んでる』って!! スパイの勉強だかなんだか知らないけど、剣は札幌にハッチを連れて来ていたんだ!!」

 廃屋は家の近くだ、走って五分も掛らない位置。

そしてあたしの家の周囲にはパトカーも沢山停まっているし、警戒の警察官も沢山配備されている。

そんな中に単独行動で親の復讐をしようとしているハッチが、助けを求めに来る筈がない。

更に、警察としては、あの廃屋は今回の琴尼おばさんの殺害にまったく関係無いから、ノーマークなんだ。

 立ち入り禁止のテープがベタベタ張られている廃屋の前まで来た。

当たり前だけど電気なんて通っていないから明りは見えない。そろそろ日が暮れる時間帯。

何かの準備をするなら、陽があるうちじゃないと、両隣には高層のマンションが建っているから、出来ない筈。

構わずテープを破って中に入る。

「ハッチ! 居るなら出て来て! あたしよ! サワ! 宮野サワ!! この前助けに来てくれた時のお礼を言いたいの!! お願い! 出て来て!!」

 無人に思える玄関ホールで叫んだけど、反応が無い。後ろの気配はオジサンだ。

二階へ続く階段は崩れているから、いくら小学生で体重が軽くても、昇ることは不可能。これはあたしたちが小学生の頃からそうだった。ヒガシがカッコイイ所を園ちゃんに見せようとして、昇ったら崩れて、怪我したことがあったから覚えている。小学生の考えるカッコイイだからね、感覚が幼いのは当たり前。

つまり、ハッチが居るのは一階、地下室は無い筈。

剣が極秘で掘ってでもいない限りはね。

「掘ったか……」

 偽装はしてあるけど、明らかに記憶に無い古いベニヤ板を見つけた。

誰かが不法投棄したにしては、丈夫そうで、人が乗っても下に空間があるとは気付かない程度の厚み。板の裏側にゴム板が貼り付けられ、雨水の侵入や雪対策のしてある不法投棄物はいくらなんでも無いでしょ。

それが偶然、床板が割れて、土の見えている部分に、不自然なくらいぴったり落ちている。

それも有り得ないでしょ。

まあ、それに今まで気付かなかったんだから、偽装としては完璧かも知れない。

今回の件が無ければ、一生気付かなかったと思うよ。あたしがこの場所に来るのは年に一度もないからね。

あたしたちが子供の頃は、此処が遊び場だったり夜は危ない連中の溜まり場だったりしたんだけど、事件後は警備と巡回が厳しくなったというデマに踊らされ、殆ど人は近付かないんだ。

しかし、自分の犯行現場に秘密基地を作るかね。剣らしいと言えば、らしいけど。

 オジサンもその板が気になったみたい。

つま先でそっとずらして見る。

「そこには居らんよ」

 驚いて飛び上がりそうになった。

声がオジサンより後ろから聞こえたし、気配が無かったからだ。

振り返ると、あたしたちの入って来たドア枠の部分に、形容し難い巨人が立っていた。

此処は古い家だから、ドアも低かったのかも知れないけど、簡単に身長が2メートルある男が居るんだもん。

その足元に、剣とフロントが手錠をはめられて転がっていた。

「剣? フロント?」

 ちょっと傷だらけの二人。

巨人はドア枠を潜って家の中に入って来た。

「ああ、警察の人。あんたにはこれを見せる」

そう言って、オジサンに何かの書面を提示する。

拳銃を抜きかけていたオジサンがその書面を見つめて、大男を見上げた。

「あんたが、剣の言っていた上司か。日本語が上手なようだが?」

「ああ、俺は日本人なんでな。ウチの部下が迷惑を掛けているようで、済まない。ケンは現在俺の部下見習いだ。こっちの殺し屋は前に一度やりあったことがある程度の知り合いだが、ケンとは仲良くしていたみたいだな。状況説明が要るだろ?」

「ええ、どうして二人がそんなに傷だらけなのかも含めて、説明が欲しいよ」

「君がケンの従妹のサワさんだな?」

「ええ」

 答えてから暫く沈黙。剣の上司である大男は、あたしを観察しているようだ。

何かあたしの感想を述べるかと思ったけど、何も言わずに説明を開始した。

「俺が札幌に来たのは偶然でな。ケンより一日早かった。浜益での殺人の情報はその日の遅くに貰ったので、取り敢えずケンの行動を読み、先回りして待ち伏せた。こいつはこう見えて結構有能な男なんでな、千歳で取り逃がしてしまい。この殺し屋の所に逃げ込むと予想したので、これも先回りして、先にこの殺し屋を黙らせ、殺し屋の潜伏先にのこのこ現れたケンを捕えた。少々暴れたので、大人しくさせたが、二人とも命に別条はない」

 世の中にはあたしの知らない戦闘バカがまだまだ居るんだね。剣もフロントもかなり強い筈なのに、子供扱いだ。

「ケンが義弟になにやら戦闘の真似事をレクチャーしていたのは知っていたのでな。義母の仇討ちをすることを聞き、加勢する為に此処に来たんだが、遅かった」

「止めるんじゃなく、加勢?」

「ああ、俺はアメリカに雇われている兵士、所謂傭兵だが、この手の事件に関しては、法外に動く人間でな。出来ればその子とケンに仇討をさせてやりたいと思っている。勿論日本の法令に違反していることは承知しているが、相手はあのコトニを殺した程の連中、加勢無しでは、敵討ちなど夢のまた夢だ」

「琴尼おばさんを殺した犯人も知っているんだ?」

「どんな小さな戦いでも、情報を制する者が勝つ。これが俺の長生きの秘訣だ。ついでに言うとな、俺は君と同じ能力を持つ男だ。君も必死に考えたのだろうが、俺は少しばかり君より年長なのでな、能力の使い方も充分承知している分、計算も早いんだよ。情報網も君の持つ日本の警察の物より、遥かに多い情報を持っている」

 あたしと同じということは、破壊衝動ではなく、この頭の方か。あたしは無くしたいと願っているけど、この人はそれを有効に使う場所を見つけて、生きている。

剣みたいな一匹狼が、上司と言う理由がなんとなく理解出来た。

「ちなみに犯人は、この殺し屋に依頼した国の諜報機関だ。君の暴走実験に失敗したこの国は、独裁者も捕まり、国際法廷で裁かれている最中なんだが、研究機関が生きていてな。表立って警備の付いている君と母親、俺の部隊の庇護にあるケンを除いて、単純にコトニを狙った。しかし、元とは言っても能力者であるコトニを簡単に捕えられる筈もなく、激闘の末、殺すという最悪の結果を出してしまった。義母と言っても、二度も母親を失ったケンの義弟は、復讐鬼と化して、この近辺をウロウロしているって訳だ。俺がこのバカ二人を取り押さえるのに時間を食ってしまい、一足違いで彼は敵地に向かってしまった」

「それって、どれくらい前の話なの?」

「義弟が此処に居たのは約1時間前で、俺が此処に着いたのは30分程前だ。どうするか車の中で思案している時に、君たちが此処に来たので、出張ったという訳だ。日本とその国は表面上の国交もあり、一応正常に機能している。だが裏では、日本は君のような能力者の存在を否定し、かの国はその能力を研究、軍事利用しようとして躍起になっている。国際問題になると厄介なので、俺のような人間が登場せねばならんのさ」

 そこまでの説明を聞き、あたしは半ば呆れながら頭でまとめ、オジサンはポカンだよ。

「俺は日本人だと自分で思っているが、何十年か前に日本人という資格を無くしている。この頭で考え出すことを全て実行出来るという能力を、日本が認めず、密かに隠蔽しようとしたからだ。俺はこの能力を生かせる場所を、傭兵に定めて旅に出た。基本的に世界を滅ぼせる能力であるから、各国のスパイやら研究者に狙われたが、全て切り抜けたので、今日こうして生きている。俺の一件で、海外への人材流出に一応の反省を見せた日本は、俺の次にそれに近い能力を有して生まれた、コトニと君の母親を観察研究し、恋愛感情によるコントロールを発見した。しかし、大恋愛の末に生まれて来た君とケンも同じかそれに近い能力を有することに気付き、更なる研究中というのが現状だ。俺がこの場に登場しなくてはならない理由として、俺が暴れても、日本にもかの国にも軋轢が生まれない。そして、俺はこの頭を完全にコントロール出来る。更に、俺の可愛い部下であるケンを此処まで感情的にさせた、かの国の諜報機関を、俺は許す気がまったくないんだよ」

 オジサンに続いてあたしもポカンになった。

この人の話はデカ過ぎて、掴みきれない。

ついでに、相手はフロントを雇った国の諜報機関らしいけど、そんな得体の知れない連中の相手なんて、あたしに出来るとも思えない。

火事場のクソ力的に倒せた痴漢や鬼畜警官、フロントとは違うんだ。

「大佐」

 呆然自失のあたしとオジサンの代わりに、その人に敬礼して立つ若い兵士が喋ってくれた。

正直、この人が口を開いてくれなければ、あたしもオジサンも頭がパンクしそうだったよ。

「どうした?」

「100メートル程先の路地で、こちらを窺っている御婦人を発見いたしましたので、保護いたしました」

 この若い兵士は外国人にしか見えないけど、フロントよりも日本語を流暢に使う。

その報告の意味を考えていると、別の兵士に両脇を抱えられて、大戸さんが連れて来られた。

「くっ。放せ! ここは日本だぞ? なんでこんな武装した連中が、こんな市街地に大量投入されている?」

「コラ。御婦人には礼儀を尽くせといつも教えているだろう? この人は彼等の仲間だ。警察官でもあるようだから、外交問題にでもなると厄介だから、放して差し上げろ」

 大佐さんの命令で他の兵士が敬礼し、大戸さんを開放した。

腕をさすりながら、大戸さんは大佐さんを睨む。巨人にも臆さない大戸さんは、気が強い頼れる味方だ。

「御婦人、部下が失礼した。教育責任者である俺の失態だ、スマン」

「……これは一体どういうことなの? 外国人部隊のようだけど、こんなに大量の兵士を展開させているのはどうして?」

 大戸さんの疑問は尤もだ、多分あたしとオジサンを追って此処まで来たんだろう。

あたしもオジサンも急いでいて気付かなかったけど、大佐さんの部下はかなりの人数が配置されているらしい。

そりゃそうだよね、相手は某独裁国家の諜報機関だもの。大佐さんがあたしと同じ能力を有効に使っているとしても、一人で動いている筈ないよ。

「報道されてしまって、動きが取り辛いので、これでも部隊の5分の1しか連れて来なかったんだが……相手がちょっとした国の機関なのでな、最低限の装備で蹴散らせる程度の人数を投入している。説明は車の中でしよう。折角掴んだケンの義弟の位置情報が無駄にならない為にもな」

 そう言うと、また違う兵士が敬礼しながら走って来て、大佐さんに何か耳打ちした。

「ハッチの居場所が判ったの?」

「ああ、それも含めて、説明は車の中だ。総員! トラックに乗り込んで着替えろ! 軍服は此処までだ!」

 大佐さんに命令され、部下たちがトラックに乗り込んで着替え始める。

「ちょっと急いでいたんでな。偽装の為の着替えが後回しになっていたんだ。君たちも仇討見物くらいはするだろ?」

「大佐さん、ちょっと待って。駄目、あたしはハッチにも剣にも、それをさせたくない。だから必死に考えて、ハッチを保護したいと考えたんだよ。ハッチの将来の夢がスパイでも殺し屋でも、まだ早過ぎる」

「……日本人らしい意見だが、それは従兄と義理の従弟を思っての発言だな?」

「うん、そうだよ。復讐は復讐しか生まないって教育を受けた、あたしの出せる精一杯の答えだよ。お願い、剣にもハッチにも、人殺しをさせないで」

「フフ……」

「何が可笑しい? サワは本気だぞ?」

「いや、失敬。良い響きの言葉と声を持っているな、と思ったんだ。俺の時もそんな声の持ち主が居れば、俺もこんな風にならずに済んだのではないかと思ったのさ。甘い考えだが、心に響く……」

 大佐さんが目を瞑る。

「良かろう。ただし、現場までは付き合って貰う。ケンと義弟を見事に説得して見せろ。俺たちは仕事だから、かの国の諜報機関の支店は潰しに行くけどな。俺たち傭兵は人殺しが服着て歩いているような連中だ、それを止めることは誰にも出来ん」

「……わかった。説得はする。出来れば札幌市内で銃撃戦なんて止めて欲しいけど、それがあたしの我儘だってことくらいは判る。そっちにはそっちの判断があるんだってことも判る。だから、剣とハッチを止める権利をくれたことには礼を言うよ。ありがとう」

「聡明だな。ケン、そんな強くぶん殴ってねぇんだから、目は覚めているだろう? お前の大好きな従妹は、お前のことをこんなに心配しているぞ?」

 大佐さんの足元に転がされている剣が、顔だけ上げた。

無言で大佐さんを睨んでいる。

「ただ、これは家族の愛情であって、恋愛感情から来る物ではないようだ。お前が死んで悲しむ家族が居るならば、お前は生き残らねばならん。それはお前の力にもなるが、ネックにもなる。お前がアメリカではなく、俺の部下になると言うなら、その辺りをちゃんと整理せねばな。勿論お前一人の力でだぜ?」

「……判っている。判っているから、俺はハッチを止めに来た。母ちゃんを殺した奴を千切りにして海にばら撒いて、魚のエサにでもしてやりたいのは山々だけどよ。俺やハッチがやらなくても、大佐がそれをしてくれる。それに、サワの悲しむ顔を見るのは嫌だ。フロントの所に逃げ込んだ理由は、千歳でいかにも怪しい軍服の集団が俺を追い詰めたからだ。そうじゃなきゃ、俺は今頃ハッチをぶん殴ってでも、この場で取り押さえている筈だったんだ」

「剣……」

「俺は人殺しにはならねぇ。サワとも約束している。それを守りながらでも、余裕で敵を蹴散らせる大佐みたくなりたくて、俺はあんたの元に居るんだ。アメリカの為でもあんたの為でもなく、俺はサワを悲しませない為に行動している」

 解り辛い感情表現しか使わないから、少し剣の性格を勘違いしていたみたい。

剣にとってはあたしへの贖罪が全てなんだね。

「剣、あたしは大丈夫だから、あんたはあんたのことを考えれば良いんだよ。この大佐さんは信頼出来そうに見える。あたしにはオジサンが居る、あんたはこの人の元でもっと修行させてもらいなさいよ」

「ク、ハッハハハ! こいつは大物だ! ケン、お前はとんでもない大物に恋をしているぜ?」

「んな事、解ってるよ! 前にも言ったかも知れねぇけど、サワは凄ぇんだ。サワを除いた俺の幼馴染は性別も問わずに皆サワに惚れているんだ! 本当に凄ぇんだ! 俺はそんなサワに追いつきたいんだよ。負けたくねぇんだ! だから、俺をあんたの元に置いてくれ! 便所掃除でもなんでもするからよ! あんただって実際に会って見て、思っただろ? こいつが凄ぇってさ?」

 そう言われた大佐さんが、また目を瞑った。これはこの人の癖なんだろうか。

目を開けて、転がされた剣の所に膝を着く。

剣は噛み付きそうだけど、大佐さんの巨大な手が頭をグリグリと撫でた。大人しく剣は撫でられる。

「解った解った、そう吠えるな。それでは今日からお前のコードネームはアイアンドッグだ。お前はまだ『鉄の犬』で充分な程幼い。俺が育ったと判断した場合は、アイアンソードに格上げしてやろう。そっから先は自分で歩め。俺からの最初の命令だ、アイアンドッグ」

「お、おう」

「手錠を外してやるから、義弟を救いに走れ。敵の攻撃がある場合は反撃して構わんが、殺すことは禁ずる」

「おう!!」

 手錠を外された剣は、勢い良く立ち上がり、大佐さんに敬礼してから、その場を走り去った。

巻き込まれた形になったフロントも解放され、あたしに目配せする余裕もなく、一度廃屋の中に入ってから、大佐さんから目を離さずに姿を消した。

「すまねぇな、警察の人。俺が責任持ってあいつを育てるから、逮捕とかはナシにしてくれや。あっちの殺し屋は好きに追っかけて構わんが、なかなか捕えるのには苦労するかも知れん。さて、君は見事にケンを説得したようだが、更に見学希望か? 相手は諜報機関で銃火器とか持っているが、俺は一発も撃たせねぇで勝つぜ? 君は能力を無くしたい人間みたいだが、後学の為にもそういう現地見学しとくのもアリじゃねぇかな?」

「……興味が無いと言えばウソになる。でも、見学は剣とハッチが無事に戻るかを確かめる為だ。それに、剣を焚き付けたのは大佐さんだ。あたしじゃない」

「そうか? 君は自分で気付いていない間に、ケンを発奮させるようだぞ?」

 そうかも知れない。

でも、剣とハッチが心配なのは事実だ。本当は剣じゃなくて、大佐さんに全て任せてしまいたかった。

「オジサン、大戸さん。付き合ってくれ」

 あ、男言葉になっている。これも気を付けていたのに。

大佐さんは笑って、あたしたちに防弾ベストとヘルメットをくれる。

「まあ、一発も銃声は聞こえんだろうが、念には念ということだ」

 そう言った大佐さんは普通のジャケット一枚羽織っているだけで、下着はTシャツ。防弾な感じの物は身に付けていない。

バカでかいジープみたいな車に乗せられ、あたしたちは出発した。

オジサンと大戸さんに挟まれても、かなり余裕のある後部座席、運転しているのは先程流暢な日本語を使った兵士だけど、着替えるの早いよ。

他の兵士が乗ったトラックは、別々の方向に散る。

ジープは簡単に走り、目的地に30分も掛らずに着いた。

車を停めた場所に違和感ありまくり。

なんかド派手な巨大看板に、半裸のお姉さんたちの写真、右のビルも左のビルもそんな感じ。

ここはススキノだよ。

学生であるあたしはあんまり来ない歓楽街。あたしの好きな中古CD屋さんがあるから、休みの日にたまに園ちゃんと来るくらいかな。

夕方を過ぎてから来たことはないけど、こんなビカビカに光っているのは知らなかったよ。

それにしても、此処が目的地なの? 

ビルが沢山並んでいるけど、そのどれかに、琴尼おばさんを殺した連中が潜伏しているという意味なんだろうか。

大佐さんは暫く黙って腕組みして、目を瞑っていた。

運転していた兵士もフーセンガムをクチャクチャと噛んでいる。

後席のあたしたちは顔を見合わせるばかり。

突然車内にあるブザーが鳴り、目覚まし時計のように兵士がスイッチを押して止めた。

「大佐、配置完了です」

「ああ、特殊隊はどうしている?」

 運転手はヘッドホンを付けて、マイクに向けて何か喋った。英語ではない言葉だ。

返事はすぐに返って来たらしい。

「ビルの屋上に待機中。対象者の数が来ました。八名です」

「少ねぇな」

「本国に極秘で空輸された大型の荷物が、他に七つあるそうです」

「流石コトニだ。自分が死んでも、七人巻き込んだか……」

 なんだか聞いてはいけない会話のような気もするけど、大佐さんも兵士も気にした様子もない。

そもそも、あたしたちは見学者で、そんな前例は今まで無かったに違いないね。

きっと彼等は普段通りに仕事をしているだけなんだ。その中で、あたしたちは空気みたいな物だ。

「ケンがビルに入り、五分経過」

 ここに来るまで、このジープは法定速度を守り、信号も守って来ている。

剣が自転車を全力で漕ぎ、全ての信号を無視したと仮定すると、それくらい前にこの場所に着いていても不思議じゃない。

剣がビルの中に入っているということは、ハッチは既に中に居るということだろう。

「じゃあ、そろそろ俺の出番か」

 腕組みを解き、目を開けた大佐さんが助手席から降り、ビルの正面口に向かう。

なんか怖い物知らずな感じのお兄さんが、客引きっぽく寄って来ているけど、簡単に無視する。

 大佐さんがビルの正面口に立つと同時に、剣がハッチを抱えて飛びだして来た。

ジープは急発進して、剣の前で急停車。

剣は後席のドアを開け、ハッチを放り込んで、自分は助手席に乗る。運転している兵士は、あの酩酊鬼畜変態警官などより運転が上手く、簡単にターンして、反対側の歩道ギリギリに駐車した。

「ガウっ!」

 ハッチがあたしの太腿に噛み付いている。

ただし、じゃれている感じなので、歯型も付かない。

剣は額の汗を拭っていた。兵士がポケットからハンカチを出して剣に渡す。受け取った剣はそれで更に汗を拭いながら、ビルの正面口から目を離していない。

あたしも見学に来たのだから、見なくては。

 そう思って視線をビルに向けると、自動ドアを何かが突き破ってこちらに飛んで来るのが見える。一瞬なんだか判らない。

その物体は、あたしたちの頭上を越え、歩道に落ちてバウンドし、そこにある店のシャッターにぶつかって止まる。

「動いた?」

 あたしと同じく何が飛んで来たのか理解出来なかった大戸さんが驚いて声を上げる。

そこに転がってピクピクしているのは、紛れもなく人間だった。

あたしの膝の上でじゃれていたハッチが、真顔でパチンコを使って、その半死半生の人間に向かって撃っている。玉はプラスチックなので、死にはしない。ハッチはこの装備で八人の大人相手に戦おうとしていたんだろうか。

そう思って剣を見ると、剣の左手に鉄製の玉が20個程握られていた。剣が駆けつけたのは、結構ギリギリだったに違いない。そうじゃなきゃ、いつも余裕の顔しかあたしに見せない剣が、肩で息をしている筈がないもの。

「八人だったな。先ず一人か……いや、あと五人だな」

 オジサンはその様子を冷静に見ていた。

今飛んできた人間は、琴尼おばさんを殺した奴らの一人なんだ。

多分、剣とハッチを追い掛けて来て、捕まえる寸前に、大佐さんにぶん殴られた。

此処からは大佐さんの背中しか見えないけど、壊れた自動ドアの所にあと二人転がっている。

トラックに乗って来たと思われる私服に着替えた兵士がパラパラと集まり、両腕両足を持って運び去る。手際が良い、良過ぎる。

大佐さんは階段を登って行き、姿が見えなくなる。

見えなくなった途端に、階段から二人落ちて来た。

どちらも顔の原型を留めていないくらい殴られている。

「ケン、大佐のあの殴りが見られるとは思わなかったな?」

 運転席で兵士がはしゃいだような顔で言う。

剣は真剣にその大佐さんの動きを目に焼き付けているようだ。

「ああ『千手観音殴り』だ。仏の心で殴っているから、殴られた側は痛みではなく快楽を感じるという、伝説のハードパンチだぜ。あれを喰らった奴は、天にも昇る気分で顔を腫らす。一週間は顔が腫れて膨らんでいることにも気付かない。ただ、その後遺症の『仏罰』で、八日目には顔所か、体中に痛みが走り、のたうちまわる。子供の頃冗談でやっていた『三年殺し』の超デラックス版だ」

 ネーミングセンスは別として、なんて恐ろしい殴り方を心得ているんだよ。

大佐さんが一発も銃声が聞こえないと言った意味が判った。

自動小銃を持った部隊が突入して銃撃戦をするイメージしかなかったんだけど、大佐さんのレベルはそんな物じゃない。

 残った三人は、他の連中が殴られている間に、拳銃を手に持つことくらい出来たと思うんだけど、大佐さんの言う通り、銃声は聞こえない。

彼等の潜伏先は二階だったようで、窓と巨大看板を突き破って、一人落ちて来た。

下で待ち構える大佐さんの部下が受け止める。

もう一人は飛び過ぎで、あたしたちの居る車の前で違法駐車している車の屋根に落ちた。

剣の言うことが本当なら、あたしと同じように痛みを感じなくなっている筈なので、死なないけど、ダメージ大で身動き出来ない。

最後の一人は階段を駆け下りて来て、出入り口から出た所で、何十丁という拳銃を向けられ、素直に降伏した。最後の一人だけは大佐さんの奇妙なパンチを食らわずに済んだらしい。

「八人倒すのに三分弱」

 オジサンが時計を見ながら呟く。

あたしと大戸さんは一人倒されて飛んで来る度に、悲鳴を上げることも忘れてポカンだよ。

その間ハッチの手があたしの胸に伸びて来たので、ちょっと頭を小突いた。ママのオッパイが恋しいって程低年齢でもないでしょ。

大佐さんは服についた埃を払う仕草をしながら、階段を降りて来て、運転席の窓を開けさせた。

「片付いた。俺はこの辺りを仕切る奴と話を着けに行くから、お前たちは戻れ」

 そう言うと、大佐さんの後ろから屋上に居たという特殊隊が降りて来た。

銃ではなくカメラ機材を一式担いだ人たちだ。

「皆さぁん!! 驚かせてソーリィ、ムービー撮影隊でしたぁっ!!」

 特殊隊の一人がそう叫んで、一般の通行人に謝っている。

突然のことに唖然としていた人々は、腑に落ちない物を感じながらも、なんとなく納得して足早にその場を去って行く。

ワイヤーアクションもCG使わずに、人が空を飛んで落ちて来る映画なんて見たことがないけど、変な外国人の犯罪現場に巻き込まれることを、普通の人は嫌がる物だと思う。特殊隊の胡散臭さは並じゃなかったよ。

「サワ」

「ん? 何、剣?」

「あんなので、少しは参考になるのか?」

「まあ、殴り方は別として、人を殺さずに片付けるという、大佐さんの言った意味くらいは理解したよ。千手観音殴りは大体一瞬で25発くらい相手の顔面を殴る技、本当に手が千本になったら、人間は見ることが出来ても、認識は不可能だと思うよ。剣がハッチを連れて階段を下りて来る時間を計算しつつ、ビル正面口で待機、すれ違った瞬間に、追い掛けて来ている三人を瞬時に殴り殲滅。ビルに入って、狭い廊下を利用し、多対一にならない程度……と言っても、大佐さんにとっては、十対一くらいなら普通なのかも知れないけど、そうならないように位置取りに気を付けながら、階段で二人倒し、二階がどんな風な間取りかは知らないけど、残った三人もドアを開けて中に突入した瞬間に一人を殴り飛ばして窓を突き破らせ、強さを誇示して一瞬の間を作り、他の一人も殴り飛ばす。最後の一人は戦意喪失気味で、拳銃片手に逃げだした所を皆で囲んでチェックメイトかな。言うのは簡単だけど、あれをやれと言われても、出来る気はしないよ」

「……それを見て、何が起きたか理解出来るお前が、羨ましいくらいだぜ」

「それは慣れだと思うけど、見えたことを分析するんだよ。自分に出来るか出来ないかは別として、大佐さんが人間外の強さを持つと想定すると、何をしたのかが判るよ。大佐さんは車の中で運転している人に、相手の人数と剣がビルに入ってからの時間を聞いただけで、頭の中で全て想定が終わっていたもん。あたしと同じような頭の回転能力だと言ったけど、あんなに早く全ての計算を終えることは出来ないよ」

「ケン……お前の従妹って凄ぇんだな……」

 運転している兵士は半ば呆れ顔。剣はあたしの膝からハッチを引き剥がして、自分の膝の上に座らせる。

「ああ、大佐に匹敵出来る人間は、世界中探しても、サワ以外そんなに人数は居ないだろうぜ」

「匹敵は無理。一対一でもあたしは大佐さんの一撃をかわす運動能力が無いもん。こういう場合は味方にしておくのが安全。あたしはそう理解したよ」

「成程、それが良い手だ。俺も大戸も驚いて何も出来んからな」

 オジサンがヘルメットと防弾チョッキを脱いだ。既に車は現場を離れ、廃屋に向かっている。

 翌日、ニュースから琴尼おばさんの件は、何事も無かったかのように、奇麗さっぱり消えていた。訂正のお詫びすら入らない。

その日に合わせるかのように、芸能人の結婚と出産と離婚のニュースをぶつけて来た。普段あんまりテレビでは流れない、アメリカの猟奇殺人のニュースもついでに流されている。

一部の週刊誌が、その謎を含めた記事を載せて翌週に発売したけれど、その日も国際的ニュースが流れ、雑誌の存在など誰もが忘れる。

あたしは琴尼おばさんのことだから、その雑誌を買って読んだけど、どれも核心に触れる程の取材力を感じなかった。

一誌だけ、我が家のことに触れている記事を載せた雑誌があったらしいんだけど、印刷工場が火事になったとかで、発売が延期され、その間に原版であるデータの入ったDVDが盗難されて、記事が差し替えになったんだって。

記事を書いた記者とカメラマンは、行方不明だそうだよ。昨日ウチの両親の前で土下座させられていた二人の大人が居たけど、それがこの記者とカメラマンに該当する。

二人を連れて来たのは、大佐さんの横で運転手をしていた若い兵士だった。大佐さんの傭兵部隊は、日本の警察も政治力も及ばない領域にまで、その力を発揮し、少々壊れたビルの持ち主を納得させ、その周辺に居る暴力的な大人たちも黙らせた。

 二日程学校を休み、両親と浜益まで行った。これは漁協で主催された琴尼おばさんとその夫である吸鯛さんのお葬式の為だ。剣とハッチは姿を見せなかった。大佐さんが二人を預かると言って、何処かに連れて行ってしまったからね。

 更に数日後、オジサンはそのままあたしの監視役に留まれたけど、大戸さんの転勤が決まる。

大戸さんは元々特別捜査班だし、中央で要人警護の職に就きたがっていたそうで、その十年越しの夢がいきなり叶ったんだそうだ。

オジサンは少し嫌な顔をした。

自分のお兄さんがその任に当たって、応援警護の最中に殉職しているからだし、数年前にオジサンに大戸さんが想いを寄せていてくれたことも関係しているだろう。

飴と鞭って話じゃないけど、大佐さんが、大戸さんに今回の件を口止めする為に、警察の偉い人に圧力を掛けて、希望を叶えたというのも、気に食わなかったみたい。

 ヒガシはこの頃までに、凄い数の補修と課題をクリアし、復学の為のテストを受け、見事に合格していた。

真正から両刀に移行しつつある園ちゃんの、あたしの部屋への来訪率が少し下がる。それはそれでちょっと寂しいと思うのは、あたしの我儘だよね。それでも園ちゃんとは相変わらず登下校は一緒。今日はヒガシの合格祝いも兼ねて、三人ファミレスで食事中。

 注文を終え、暫く三人で会話するけど、どうもヒガシが居ると盛り上がりに欠ける。

否、これはあたしが邪魔者なのか。

一旦トイレに立ち、戻らずに柱の陰から二人を観察してみる。

ヒガシは背中しか見えないけど、園ちゃんの表情が見える位置。

まだ少し馴れていない感じはあるけど、園ちゃんなりに頑張って男との付き合いを成立させようとしているのは窺える。

「フム。邪魔しちゃ悪い気もするね」

 そう呟いて、踵を返す。

向かったのはガラス一枚隔てた喫煙席。

「ん? どうした?」

 あたしたちの席が見える位置にオジサンが座っていた。相変わらず下手な尾行だよ。

無言でオジサンの向かいに座り、その顔を暫く見つめる。

園ちゃんがこうやれば、ヒガシは真っ赤になって俯くけど、オジサンはその辺鈍いし、そんな純情少年は数十年前に卒業している。

 オジサンの注文したピザを持って来た従業員に、あたしの注文した分をこっちに持って来てくれるように頼む。従業員が不思議そうな顔をした。

そりゃそうだよね。どう見ても親子、否、下手するとお爺ちゃんと孫にしか見えないもんね。

 それから、あたしの分が来るまでの間、無言でオジサンが食べるのを見続けた。

「……俺が物を食べているのが、そんなに珍しいか?」

「ううん、そんなことないよ」

 あたしの分が来たので、半分オジサンに分けた。それを摘まみながら、園ちゃんとヒガシの話を少しする。食べ終わってから、オジサンがタバコに火を点け、ゆっくりと煙を吐き出す頃、あたしは飲み放題のジュースを取りに行く。

園ちゃんと会ったので、ヒガシとゆっくりするように言い、またオジサンの所に戻る。

「なんだ? 戻ったんじゃなかったのか?」

「うん。あっちはあっちで、二人きりにした方が盛り上がるんだよ。あたしが居ると二人とも変に気を遣うからさ」

「まあ、そんなもんだろうな。ヒガシくんと園さんが良ければ、ちょっと二人で出ないか?」

 オジサンにしては良いセリフだよ。

更に、オジサンは大人だから、あたしたちの分も支払いをしてくれた。安月給なのに頑張っているじゃん。

 恐縮する園ちゃんとヒガシを残して、オジサンの車でちょっとドライブ。あたしの希望で、夜景の見える場所まで車を走らせた。

「もう少し遅い時間になると、此処も暴走族の溜まり場だが、今の時間であれば、良い筈だ」

 オジサンの言う通り、今の時間はあたしたち以外誰も居ない。そして、駐車場には車かバイクで無理矢理ターンしたタイヤの跡なんかもあるから、これもオジサンの言う通りなんだろう。

「……どうした? さっきから少し様子がおかしいぞ?」

「ああ、ちょっと考えごとしていたんだよ。剣とハッチは元気かなぁ、とか、大戸さんは向こうで頑張っているのかなぁ、とか……最近フロントも見掛けないなぁ、とか」

「君の後ろを付いて歩いているのが、俺一人だから、寂しいんじゃないか?」

「そんなことはないよ。同じストーカーが減って寂しいのはオジサンじゃない?」

「俺はストーカーじゃねぇって」

 うん。いつもの調子だ。

このまま話してしまおう。

「オジサン、あのね……」

「ん?」

「あたしさ。生理が来たんだ……」

「そうか…………? どういうことだ? 君は16歳だろ?」

「ああ、一応女の子だから、大戸さんしか知らなかったのかな。あたしが剣に襲われる前、早熟にもあたしには生理があったのね。それが、剣に襲われて、体がおかしくなったでしょ? その時から一度も生理が来てなかったの。それがオジサンに大告白した後、ちょっと調子悪くてさ、なんだろうって思っていたら、生理だったんだよ。調子が悪いとか、生理痛とかって、暫く忘れていた感覚だったんだよ」

「そうか……言われて見れば、君の資料にそんなことが書かれていたな。直接事件と関係しないと思っていたので、失念していた」

「それでさ、生理が来て『痛み』があるんだよ」

「ん? 痛みだって?」

「そう。痛み。まだ鈍いけど、あたしの体は、痛みを感じるようになって来ているんだよ。これと頭が関係しているかまでは判んないけど、オジサンとあたしにとっては、良いことだよね?」

「ああ、君の体が元に戻ることは、俺も嬉しい」

 そう言ってオジサンは頭を撫でてくれた。

「なんかね。頭撫でてもらうのもさ。頭にちゃんと手が乗っている感じなんだ。今までは、オジサンの手が少しぼやけた感じでしかなかったんだよ。だから、今撫でられているのは、凄く嬉しいんだ」

「そうか……それでは、こうするとどうだ?」

「!!」

 オジサンが軽く抱き締めてくれた。

押し倒すとかじゃないし、あたしはオジサンが好きだから、とても嬉しい。

そして、体に電気が走ったみたいに、ビビっと来た。

「オジサン……それ以上は……」

「大丈夫だ。しない。こうやって少しずつ感覚を戻して行けば良いだろう。急がなくとも、俺は何処にも行きはしない。君の傍に必ず居る」

 抱き締められて、耳元でそんな言葉を囁かれた。オジサンの渋い声が、とろけさせる。

しかも、オジサンだって同じ男なのに、剣やフロントなんかより、凄く紳士的。

まあ、これくらい落ち着いたオジサンクラスじゃないと、付き合うのが不可能だと思える頭は、相変わらずまともじゃないのかも知れないけどさ。


 琴尼おばさんの件の傷が癒えた頃、と言っても、忘れた訳じゃないよ。

冬休みが近付いている。札幌の街は最近雪が少なくてね。単純に降っては溶け、降っては溶けを繰り返しているから、積雪が少なく感じるんだよ。12月の後半に入ろうかって時期だけど、市内に殆ど雪は無いんだ。そりゃあ、降っては溶けているから、道路や歩道は毎朝凍っているけど、自転車の乗れない季節ってのは、殆ど無くなった。

あたしのマウンテンバイクは、今日も快調に学校まであたしを運ぶ。勿論タイヤは冬用に替えてある。自転車のタイヤに冬用があることを知らない人も結構居るからね。

あたしはね、冬は冬用タイヤに替えることを推奨している。

だって、転んだら危ないじゃない?

 流石に園ちゃんはあたしのこの考えには同調出来ないらしく、運動神経もかなり鈍めだから、バス通学に変更したよ。あたしの感覚では、冬にコート着て、バスや電車に乗るのが嫌いなんだよね。人熱って言うのかな。あれにあたしは弱い。

ヒガシもその考えには賛成らしく、なんとなく一緒に学校に通うようになった。

ヒガシに言わせると、一年学校に通っていない間に、すっかり人混みが嫌いになったのと、運動不足を解消して、園ちゃん好みの男になる為の鍛錬も兼ねているんだって。

手井根おじさんはこの息子のやる気に触発され、毎朝通勤をジョギングに変えた。健康バカという意味で、あたしと手井根おじさんは似ているかも知れない。

 それでも、学校帰りにあたしの家に集まって、お茶を飲んだり、勉強したりするのは変わらない。

園ちゃんは相変わらずだけど、ヒガシと結構進展もしているらしい。あたしにベタベタくっつくことは減ったかな。時々になった。

「宮ちゃんは、クリスマスはどうするの?」

 高校一年生の女の子らしい会話だな。

あたしの部屋で期末テストの勉強をしている時に、園ちゃんからそんな話が出た。

「父さんと母さんは、休暇を取ってニセコに遊びに行くとか言ってた。あたしを誘わなかった所を見ると、二人でたまには新婚気分になりたいんじゃないかな?」

「え? あの……発唆さんは?」

「ああ、年末特別警戒とやらに駆り出されて、ススキノ辺りで暴れる酔っぱらいを任意同行中かな? オジサンの休みは少ないんだよ。基本的には休みの日はあたしの監視だしね。それに、冬だから事件が起きないって訳でもないから、足跡だの指紋だのは毎日取りに行っているも同然。ろくにデートもしてくれないんだよ」

 冬になる前に車の中で抱き締めてくれた時から、そんなに進展はないんだ。

「そっかぁ……警察官のお嫁さんになるのも大変なんだねぇ」

「まあ、あたしの場合はそれ以前の問題だけどね。多少体に変化があったけど、相変わらず鈍いのに変わりないし、生理も二カ月に一回のペースだもん。園ちゃんはヒガシとどうなの? クリスマスの話題を振って来たからには、ヒガシからお誘いがあったんじゃない?」

 あたしの推理は当たったらしく、園ちゃんが顔を赤くした。

「こういうのに誘われているんだけど、宮ちゃん、どう思う?」

 園ちゃんが鞄から何かのチケットを取り出して、見せる。

「フィギュアスケート? へぇ、今年の全日本選手権は札幌なんだ……って、来賓席じゃん!?」

「そうなんだよ。張り切り過ぎだと思わない?」

「……ヒガシらしいと言えば、らしいかな。冬になってから結構一緒に登校するから、話も一応するけど、凄い勢いで体作りとバイトをしているのは聞いてるからね。園ちゃん、大事にされているじゃん? そっちのチケットは何?」

 園ちゃんは更に複数枚のチケットを持っている。

「こっちは気が向いたら行こうって言われているんだけど……」

「……スキーか……しかもロッジの宿泊券とリフト乗り放題チケット付き、うは! 送迎バスの無料券まで付いてるじゃん。そんで……観光バス無料に……定山渓温泉高級旅館、スウィートルームか……張り切り過ぎな揚句、最後のスウィートルームで下心丸見えな気もする」

「でしょう?」

 札幌は小学校からスキー授業があるから、園ちゃんがいくら運動音痴でも、多少は滑れるから問題ないんだよ。

ヒガシも決してスポーツマンではないから、これはファミリーゲレンデとかでお茶を濁せば良い。

ウチの両親と行くと、幼稚園児だろうが初心者だろうが、いつの間にか山頂まで連れて行かれて、置き去りだからね。

小さい頃のあたしは泣きながらスノボを覚えたものだよ。

温泉は男女別の筈だから、園ちゃんには目の保養になるだろう。

しかし、スウィートルーム宿泊はちょっと引くなぁ。

「ネットで調べたら、その部屋の中に大きな露天風呂が付いているんだよ? ベッドもダブルベッドが一つだし……」

「まあ、普通は新婚旅行とかで使う部屋だからねぇ。少々あたしたちには刺激が強い場所だよね。蟹の食べ放題は魅力的だけど……園ちゃんが食べられちゃうんじゃねぇ」

 オッサンみたいな発言をしながら、園ちゃんを見ると、真剣に悩んでいた。

付き合い始めて二カ月でクリスマスを迎え、張り切るヒガシには悪いけど、もう少し園ちゃんのことも考えないと駄目だね。

「こういうヒガシの積極的な所、嫌い?」

「ううん、好きだよ」

 おお、即答。今までの園ちゃんからは聞けないような発言だよ。

「でも、まだ心の準備が出来てないんだよ」

 あたしとの関係の時は妙に積極的だった園ちゃんも、いざ男に誘われるのは戸惑うんだね。

オジサンとかに言わせると『まだ早い! 成人してからにしろ!』って言われそう。

「ヒガシには悪いけど、もうちょっと待ってもらいなよ。条件出して、それを守れないと別れるぞって、脅しておけば、あいつのことだから凹んで暫くは大人しくなるって」

「そうなんだけど……そういう女って、高飛車に見えないかな?」

 園ちゃんは初めて付き合う男との関係を、かなり大事にするタイプらしい。園ちゃんなりに必死なのもなんとなく解る。

「でもさ、行ったが最後って気もするよ? ある意味、彼氏の部屋に行くのより危険じゃん?」

 ちなみに、あたしは園ちゃんの部屋に入ったことが無い。少なくともヒガシと付き合う前の園ちゃんの部屋は、怖くて行けなかったんだよね。あたしの部屋に居る時よりすごいことされそうでさ。

「ヒガシくん、時々おじさんにそっくりに見える時があるんだよね。宮ちゃんが言うように、行ったが最後って気分も解る。でも、そんなヒガシくんのことがだんだん好きになっている自分も居るんだよね」

 16歳のエロ妄想話は、深夜まで続いた。

 そして、今年最大の不思議事件の幕が、この時既に上がっていたことに、あたしは気付いていなかった。

 あたしと付き合い始めたオジサンは、あたし専属のストーカー任務から外れることが多くなっている。

これは、学校のクラス分けで『双子の兄弟は別クラス』とか『学力平均を上から順番にクラス担任が指名する』とか『生徒同士の性格が合わない、或いは逆に交際に発展しそうで、問題を起こしそうだから別クラス』みたいなことを、大人がしていることを現わしていた。

50代後半の鑑識課員が、警護対象の女子高生と良い仲になるのが、そんな悪いことには思えないんだけど、融通が利かない頭の堅い人たちの考えることだから、仕方が無いとも思っていた。

 だから、オジサンの仲間があたしの後ろを付いて歩くことが増えたんだよ。オジサンは後方支援で、車の中で待機という日々が続いている。

単独行動は許されていないので、今日の下校もヒガシと一緒だ。

「なあ、宮野」

「ん?」

 ヒガシは結構、園ちゃんのことをあたしに相談することが多くなっている。

今日はクリスマスイブイブで、祝日なんだけど、補修のまだ残るヒガシと、受験講習のあったあたしは学校に行ったのね。

ちなみに明日が終業式。

「丸山高をクリスマスに誘ったんだけど、返事をまだ貰っていないんだ。催促するのもどうかと思うんで、電話も出来ていないんだが、何か聞いていないか?」

「ああ、フィギュアスケートの件?」

「う……相変わらずお前には何でも相談しているんだな」

「まあね。あんたと登下校を一緒にしているあたしにやきもちを焼かない所が、園ちゃんらしいけど、結構ウチに来てテスト対策とかもしているから、あんたの話も良く聞くんだよ。フィギュアスケート観戦はまあ、良いとして、その後冬休みに行く定山渓辺りが、園ちゃんの中で引っ掛かっているみたいだよ?」

「……あれは、親父がノリノリになっちまって、あちこちの知り合いに頼み込んで貰った物なんだよ。あんまり気にされると、俺も困る」

「そうか……手井根おじさんはそういうイベント大好きだもんね。それにしてもあんた、父親に彼女のことを相談するのかい?」

「いや、してねぇよ。親父がどこからともなく……お前の父さん辺りからなんだが……情報を仕入れて来て、母ちゃんと一緒にノリノリモードなんだ」

「ありゃ、父さんも一枚噛んでいるんだ? それは娘として、捨て置けないね。もう少し真剣に考えるか……」

「おいおい、真面目に考えてくれよ。泊まり無しで観光だけでも一緒に行きたいんだよ」

「そうね……」

 言い掛けて、自転車は急ブレーキ。

ヒガシは一度追い抜く形になって、20メートルくらい前で止まる。

ヒガシの更に前、30メートルの位置に、フロントが立っていた。

「どうした?」

 そう言いながらヒガシが戻って来る。

あたしの視線がフロントに向いていることに気付き、そちらを見る。

「外人? 知り合いか?」

 ヒガシはフロントと面識がないし、殺し屋だと知らないから、美形の外国人男性が立っているようにしか見えないんだろう。

あたしの後ろを尾行していたオジサンの仲間が一斉に飛びだして来て、ヒガシはそっちの方に驚いている。

フロントはなんの抵抗もしないまま、オジサンの仲間に囲まれ、身体検査されているけど、視線はあたしに向いたままだ。

情報屋殺しと翻訳家殺し、それにオジサンの仲間三人と大戸さんとオジサン、あたしに対する殺人未遂容疑で、フロントは指名手配中だ。

そのフロントが、武器も持たずにあたしの前に現れて捕まった。

 あたしは園ちゃんに電話して、ヒガシと話し合いの場を設けてあげたが、それ以上のことは出来なかった。フロントの逮捕によって、オジサンがウチに来たからだ。

「通訳は男性にしたんでしょうね?」

「ああ、そうしたが、奴が言うには『男と喋る口は持っていない』んだそうだ」

 まあ、フロントらしい言動かな。

「取り調べに対しては黙秘だが、君宛ての手紙を渡すことだけは譲らない姿勢でな。仕方なく預かって来た」

「手紙? いつもの奴?」

「俺もそう思っていたんだが、どうにもならなくてな」

「どうにもならない? どういうこと?」

「危険物ではないんだが、開封出来ないんだよ。フロントにそのことに関して訊ねても、ニヤリと笑うばかりでな」

 見れば、いつもの奇妙なラブレターと封筒が違う。もっと奇妙な封筒だ。

「一応、最先端の技術を使って、開封或いは透視出来ないかと試みたんだが、どれも受け付けない。封筒の指紋は採れたけどな。問題は中身だ」

「開けられない手紙って、どこのオカルト話よ?」

「さあ、俺はそういうのには詳しくないんでな。まあ、そんな訳で、宛先である君なら開けるんじゃないかという話になった訳だ」

「そんな話、信じられないけど、オジサンの頼みなら仕方ない」

 そう言って、机の中からハサミを取り出す。

ハサミを開いて、手紙の端っこを切ろうとする。

 ガチっ!

「……何これ?」

 ハサミの刃が欠けた。

「まあ、欠けたハサミは弁償するよ。君にも開けられないとなると、どうにもならんのだが」

「まさか、手で直接破るという意味ではないよね…………なんで?」

 端っこを指で挟んで引くと、簡単に破れた。

「不思議手紙としか言いようがないな……中身はどんな物だ? 俺が見ると字が消えるとかいう仕組みだと困るので、君が読んでくれ」

「昔駄菓子屋にそんなの売ってたよね。まあ、いつもの調子の文章だけど、少し長いかな。『メルクリ、ことよろ、元気かい? 俺は元気だい』……先ずツッコムけど、メリクリだよね。ことよろは年明けに使うんじゃない? 元気だいは……だよの間違えかな」

「外国人の覚えた日本語なんてそんなものだろう。略語の間違えはかなり多いから、気にするな」

「うん。取り敢えず読んでしまうよ。『サワには、言ってなかったかも知れないけど、フロントのグランマは、魔女だい。しかも大魔女だい。そのグランマから手紙が来たんだい。内容は暗号文だから、サワには読めないけど、フロントが訳すとね、こうなるんだい』……ここから、重要そうだよ?」

 オジサンはボイスレコーダーをポケットから出し、電源を入れた。

『あなたの想い人に重大な危機が迫っている。あなたの持つ鉄砲での解決は不可能。同じ想いを持つアイアンドッグにも不可能。迫っている災いに、対抗出来るのは当人とその想い人のみ』

「……『愛するサワ、死なないことを祈る。フロント』……」

 暫く目だけで読み返すけど、あたしに何か危険が迫っていることと、それを解決出来るのはあたしとオジサンだけだと書いてあるように思える。

「重大な危機ってのが、問題だな。何を意味するかだ」

「この文章を信じるの?」

「ああ、あのフロントが、丸腰で出頭する程信じている婆さんの話だからな。それに、俺たちには開けられなかったその手紙を、君が簡単に開けられたというのも、内容の重要性から見れば、解る気もする。婆さんの書いたという原文は同封されていないのか?」

 封筒にはフロントの書いた訳文しか入っていなかった。

「誤訳が無いとすれば、その何かには、拳銃が通じない。フロントと剣は役に立ってくれず、君と俺が解決出来ると書いてあるんだな?」

「そうとしか読めないけど、重大な危機って何? ついでに、この文章からは、それがいつ来るのかが判らない。どこで起きるかも書いてない」

「……ちなみに、今日ご両親はどうしている?」

「? 休暇が取れたから、二人でニセコに旅行中って言ったじゃん?」

「そうだったな……ヒガシくんと園さんは、君がさっき電話した通り、二人で話し合いの最中だな?」

「うん……まさか!?」

「ああ、今この家に居るのは俺と君の二人だ。どういう状況で、何が起きるのかは判らないが、ここは危険な気がする。その前に、剣の直通電話はまだ通じるのか?」

「え、いや、あれから掛けてないから、どうかな?」

「試しに掛けてみてくれ。俺は会社に応援を頼むから……」

 言いながら携帯を取り出したオジサンの顔が引き攣る。

剣への直通電話を取り出したあたしも、画面を見て固まる。

「札幌の街で、山奥でもないのに、圏外になる携帯なんてあるのか? 剣の直通電話もか?」

「うん」

 取り敢えず掛けてみるも、まったく繋がらない。留守電にもならない。

剣は多分、大佐さんにアメリカに連れて行かれているだろうから、繋がらなくてもおかしくはないけど、オジサンの携帯が警察署に繋がらない理由は思い付かない。

あたしは自分の携帯も取り出して見る。同じく圏外。

オジサンはあたしのノートパソコンを開く、あたしは家電の子機に飛び付いた。

「嘘でしょ? 警察も消防も繋がらないよ?」

「なんてこった! パソコンも駄目だ」

 オジサンが部屋のカーテンを開け、内窓を開く。

そこからはオジサンが普段居る鑑識課分室が見えるんだけど、窓に明かりがない。

「バカな……俺が此処に入る前、あそこには仲間が四人待機していた。それに……ここは住宅街で割と幹線道路からも離れているが……車が一台も通らない。通行人も見えない」

 暫く二人で窓から外を眺めていたけど、オジサンの言う通り、誰も通らない。

「これは……その手紙の中にある状況が始まったと考えて良いだろう。効かないのは理解したが、俺は拳銃を会社に預けたままだ。まさかこんなに突然この状況が来るとは思っていなかったからな」

 二人しか居ない世界に迷い込んだかのように、街は静かだ。

雪が静かに降り始めている。

時計の秒針の音と、舞い落ちる雪が無ければ、本当に時の止まった世界に迷い込んだと錯覚してしまいそうだ。

「なんだか判らないけど、物すごく嫌な予感がする」

「君の感覚で、この家から出ることに抵抗はあるか?」

「ううん、それはない」

「じゃあ、ちょっと外に出る支度をしてくれ。今は君の勘が頼りだ。俺は分室の様子を見て来る」

「あ、オジサン! 待って! 一人で行動は駄目!」

 あたしの部屋から飛び出しそうになっていたオジサンが止まる。

これは、あたしの勘云々より、単純に一人になるのが怖いと思ったからだ。

準備をして外に出ると、静かながらも雪は勢い良く積もっていた。

そして、夕方だけど、これだけ雪が降れば、自宅前で雪かきする住民の姿が見えてもおかしくはないのに、その積もった雪の上を、誰一人歩いた跡も、車で通り抜けた跡もない。

 アパートの階段を上がり、ドアノブに手を掛けて回す。

普段鍵なんか掛っていない筈のオジサンの塒は、鍵が掛っていた。

オジサンが鍵を取り出し、挿し回す。

「開かない」

 オジサンがドアを叩くも、中に誰かが居る反応もなく、ドアを叩く音だけが、虚しく雪に吸い込まれる。

「フロントの奴、君が手紙を開けるのが、状況開始の合図だと知っていたんだろうか?」

「これがその状況だとすると、正確に状況を知っているのはフロントのお婆さんって人だけじゃない? どうにも、フロントが丸腰で、相手を見もせずに投降したのが腑に落ちなかったんだよ。あいつだって、剣には及ばないけど、あたしのストーカーの一人で、諦めの悪い人の筈じゃん? いくら大魔女のお婆さんの言葉でも、あいつなら諦めないと思っていたんだよ」

「確かに……あいつにしては素直過ぎる。つまり、その婆さんの言葉を見た時点で、フロントは戦力外の通告を受け、信じてしまうように仕向けられたと考えられるか?」

「そうね。こんな二人だけになる状況なら、オジサンを殺してあたしを攫うくらいのことは考えそうだけど、その考えも無く、フロントはメッセンジャーに使われた。手紙の差出人が魔女っていうのも、案外本当かも知れないよ。こんな街は見たことが無いもの」

「成程、警告を発した当人が犯人ということか……しかし、例えばこの状況で君が例の頭を働かせたとして、その実験を誰が検証する? 検証不能の世界に俺たちを閉じ込め、なんの利があると言うんだ?」

オジサンは一応駐車場に停めてある自分の車と、父の車もチェックするが、ドアのロックは何度キーを回しても開く事は無かった。

「解らないよ」

 そう言いながら、一旦家に帰る。

「そ、そんな……」

 ウチの電気が全て消えていた。

鍵なんか掛けなかったのに、玄関も開かない。

「車も使えない……何処に向かうのかは知らないが、元の場所に戻るのは禁止というルールか。本当に魔法だな。箒にでもまたがれば飛べるのか?」

「そんなことに感心している場合?」

「まあ、先ずは落ち着け」

 オジサンが頭を撫でてくれる。

「このまま人に会わないだけなら、何も問題ない。俺は君と二人なら、世界中から人が居なくなっても、然程問題に感じない。まあ、このまま外に居るのが重大な危機であるなら、確かに凍死する心配はあるけどな」

 二人きりだと思って、オジサンはなんて恥ずかしいことを口に出しているのよ。

そりゃあ、オジサンと二人きりは、剣やフロントと一緒より断然良いけどね。

だけど、いきなり二人きりの世界ってのも、どうだろう。

「何を持って解決と判断するか?」

「それは、元の世界? 普通の札幌に戻ることかな。これじゃあ、コンビニに買い物にも行けないじゃない?」

「……行って見るか? コンビニ」

 そう言ってオジサンが歩きだす。手にはウチの玄関先に置いてある雪かきを持っている。

雪の積もり方が半端じゃないから、道を作りながら進まなくてはならない。

町内会のボランティアおじさんが、除雪機で歩道を作ってくれる姿も見えないからね。

あたしも予備に置いてある雪かきを手に取った。

ウチの傍にある筈のコンビニまで、肩で息をする程の運動量が必要だったよ。

その間も人に出会うことはない。

いつも通学前に歩道を除雪してくれるボランティアおじさんたちのありがたみを理解したね。

そして、コンビニの出入り口である自動ドアの半分くらいまで雪に埋まっていた。

「オジサン、大丈夫?」

「ああ、俺の若い頃は、朝起きたら自分の家の玄関が完全に雪で埋まっている事なんて、普通にあったからな。二階の窓から出入りしていたことも稀ではなかったし、そんなに気にはならんが、年齢的にはキツイな」

 更に、24時間営業の筈のコンビニの電気も消えていた。

「フム、普通に考えられる所は無人であるようだな。これは本格的に凍死の心配が必要か。いつまで続くかも考慮するなら、食料の確保もしておかなければならんか」

 オジサンはまだ落ち着いている。

あたしは必死に次行く所を思案した。

オジサンの言う通り、落ち着いて考えなければ、こんな近いコンビニに来るまでに、これだけ体力を使うのだから、そんなに沢山の場所を回ることは出来ない。

そう思っていると、オジサンがコンビニの窓を叩き割った。

「緊急事態につき、破壊させてもらったので、取り敢えず中に入ろう。これで少しは寒さも凌げる……」

 電気の消えてしまったコンビニなんて、入ったことは無いけど、凄く不気味に思える。

オジサンは勝手にレジ横にある電話をチェック、首を横に振りながら、奥にある店員スペースに入り、そこに並ぶ監視カメラのモニターをチェック、これも首を横に振る。

売り場をウロウロして、緊急用に備え付けられている懐中電灯を4つ程貰い、陳列棚からカードラジオを一個貰って来る。

ラジオを試すが、何も聞こえず。廃棄。

「戻ることが出来ないというルールなら、此処で持てるだけの物は持って行かないと、またコンビニをひとつ破壊しなければならんからな。カロリーが高く、保存の効く、軽い物で、大きさがなるべく小さい物を選んでくれ」

 そう言ってあたしに買い物カゴを渡す。

そう言えば、オジサンはあたしと付き合わなかったら、定年後は山登りでもして過ごすとか言っていたな。サバイバル好きなのか。

「まだ温かいな」

 温めてあるジュース棚の商品を触って、このコンビニが無人になってどれくらい経っているのか確認する。

そもそも、時間の経過が自分の感覚以外でまったく判らない。電池で動いている筈の時計も止まっているし、携帯の電源も入らなくなってしまった。

緊急充電用バッテリーを試してみたけど、これも無駄だった。

「オジサン、結構厳選したつもりだけど、カゴ二つ分くらいになっちゃうよ?」

「ああ、それは考えてある。外に子供用のプラスチックソリがあっただろ? あれに積んで、引いて行く。濡れて困るような物は袋に詰めてくれ。裏手に車が停めてあるが、キーが見つからんので、使えない。まあ、俺の車も君のお父さんの車も使えなかったのだから、他人の車なら尚更使えないとは思うんだが、試すことも出来ないのはちょっと残念だな……強盗用の緊急通報ボタンも押してみたが、反応無しだ」

「あたしたちって、強盗?」

「まあ、緊急事態だから、大目に見て貰おう。大都市停電だとしても、人間まで全員居なくなることは考え難い。これはフロントの婆さんの手紙の通り、重大な危機に巻き込まれていると考えた方が無難だろう」

「オジサン……凄く落ち着いているね? こういう経験あるの?」

「ん? ああ、まあな。君が生まれるより前に、炭鉱の落盤事故の現場応援に入ったことがある。勿論助ける隊に参加出来る訳じゃなかったんだが、交通整理やら現場に入ろうとする家族の説得やらが主な役目だった。それが翌日になって、救助隊の入った坑道で二次災害があり、次の救助隊到着までの間に、俺たち警官隊で崩れた場所を掘り起こしていたんだが、そこも崩れてな……俺は運良く坑道だった場所に落ちた。その坑道は両端が土砂で埋まっていて、人間一人がやっと身動き出来るスペースの中で、一週間程一人で過ごしたことがある。あの時は、ポケットに入っていたチョコレート一枚と、土砂の隙間から流れて来る雨水か何かで、なんとか生き残った」

「凄い経験だね」

「まあ、そんな経験が今役に立つとは思わなかったがな。あの時に比べれば、こうして水や食料の調達も出来るし、それ程のサバイバルとも思えんよ。次に行く場所は決まったか?」

 あたしはカゴの中の商品を袋に詰めながら、次に行く場所を慎重に考えていた。

この、人が居ない攻撃と、豪雪が序盤戦なら、これを越えた場合には、中盤戦と最終戦が待っている筈で、出来れば中盤戦は飛ばしたい。

精神力より体力の問題だよ。

こんな近いコンビニに来るだけで、あたしの体力は相当削られちゃったんだ。

「オジサンは次に何処に行けば良いと思う? 人が居ないなら、交番でも警察署でも役に立たないじゃん? 移動手段が雪かきしながらの雪中行軍じゃ、効率も悪いよ」

「それは同感だな。だが、行く場所を間違えていなければ、人は居るんじゃないかと、俺は考え始めている。重大な危機とやらには、フロントや剣の持つ拳銃では倒せないと書いてあっただろ? つまり、どんな化け物かは別として、相手が居るんだ。相手が君を狙うから、重大な危機だろう? まったく姿の見えない敵という場合も想定出来るが、どうも俺には相手が見える範囲じゃないかという予感がある。そして、その選択肢は、君が握っているんじゃないだろうか?」

 成程。雪と停電で死ぬことは、オジサンがあたしの傍に居る限り、殆ど考えられない。

「ちょっと待ってね、今考えるよ。その電子レンジは使えるの?」

「ん? ちょっと使ってみるか……おにぎりと弁当のどっちが良い?」

 サバイバル感覚はちょっと欠落した会話になった。

あたしはおにぎりをあたためることに抵抗がある人間なので、オジサンに適当に弁当を選んでもらう。

「使えたぞ。時間が判らないので適当に設定したら、外側が熱で変形してしまった」

「全ての電源が落ちているって訳でもないんだね。人間が居なく見えて、停電しているように見える世界に、紛れ込んだか……まったく、フロントのお婆さんって人も、なんとも迷惑な人だね」

「善意で危機を教えてくれたとも思えるが、罠に嵌められた感覚もある。その辺を魔女という言葉で片付けられる程、俺は夢想家ではないつもりだが……」

 二人でひとつの弁当を摘まむ。

外の雪は激しさを増しているけど、風がないから、そんなに寒さは感じない。

さて、何処に行くのが正解なのか。

そして、オジサンの言う相手というのが誰なのか。

「……これが、フロントのお婆さんという人の仕掛けた罠ではなく、別の人間の仕業だと考えると、犯人は誰だろう?」

「こんなバカげた世界を作り出せる知り合いを、俺は持っておらんよ」

「じゃあ、まったく知らない何処かの国の機関?」

「少なくとも、それならば剣の上司は動くんじゃないか? 君の能力発動を止める側の人間だからな。そんな秘密機関があるという話は聞いたこともないしな……まあ、俺も国の機関の中では下っ端だから、知らないのが当たり前かも知れん」

 成程、手紙には大佐さんのことは触れられていなかったな。

しかし、解決出来るのはあたしとオジサンであるとも書かれていた。

「まあ、そうなると、あたしの知り合いの仕業ってことになるけど、知り合いに超能力者なんていないよ? あたしのこの変なことばかり考える頭が超能力に入るなら、剣も含めて知り合いってことにはなるけど、剣がこんなややこしいことをするとも思えないし……!!」

 そこまで言って、思い付いた。

「どうした?」

「思い当ることがあった」

「そうか……では、行く先も決まったんだな?」

 オジサンは立ち上がって、頭を撫でてくれる。

「あたしの思い付きに疑問はないの?」

「ああ、無い。何故かは説明出来んが、俺には考えられないことを、君は考えられる。それだけで充分だ」

 オジサンはレジ前にある携帯カイロの袋を次々に破り、シャカシャカと振る。

「行き先は何処だ? 君の体力温存の為にも、君が乗って、俺がソリを引こう。近くなら荷物は要らんだろう?」

「そこで解決出来れば、この用意は無駄に終わるけど、念の為持って行く……行き先は『廃屋』だよ!」

 年に三回もあの廃屋に行くことになるとは思わなかったけど、あたしの頭で考えられる限界は、あの廃屋だった。

ひょっとすると、この世界を作り出したのは、あたしかも知れない。

その元凶はあの廃屋にある筈。

無ければ、万事休すかな。

「あの廃屋か……果たして俺がどれくらい役立てるか……相手の見当は?」

「それに関しては、まだなんとも……でも、あたしの変な頭はあそこを指示している」

「……雪かきで倒せる相手だと良いんだがな」

 オジサンの冗談はたまに笑えない。でも、勇気は出た。

 あたしたちは、最早道もはっきりしない雪山の中を出発した。

オジサンは道を作り、あたしがソリを引く。こんな激しい運動になるなら、コートじゃなくてボードウェアとかにすりゃ良かった。

5分も掛らない筈の道を、30分近く掛けて進む。

それでも、これが北海道特有のサラサラした雪で助かったよ。これに水分をたっぷり含まれていたら、雪かきで対処出来なかったからね。

「……当たりだな」

 雪の山を崩していたオジサンが呟いた。廃屋に出たからだけど、それだけじゃない。廃屋の周囲には、これだけ猛烈に降り注いでいる雪が、一欠けらも積もっていなかったんだ。

 肩に積もった雪を払い、オジサンの持っていた雪かきを受け取る。

あとはソリをぶん投げるか、持って来た缶詰を投げ付けるくらいしか、武器は無い。

何故かコンビニで包丁や果物ナイフに手は伸びなかった。

拳銃が通じない相手だからかも知れない。

「!!」

 ドアの無い廃屋の中から、突然何か飛んで来る。

人間だ。

久し振りに見る人間、でも、その人間は何かに殴り飛ばされたように、体をクの字に曲げている。

あたしは避け、オジサンが受け止める。

「! ヒガシくんじゃないか!?」

「うう……」

 そうか、話し合いはこの廃屋で行われていたんだ。

セッティングしたのはあたしだけど、場所までは聞いていなかった。

つまり、ヒガシを殴り飛ばしたのは、園ちゃん。

 ドア枠部分に、園ちゃんの姿を確認。

でも、普段のおっとりした園ちゃんでも、あたしの部屋で妙に積極的な園ちゃんでもない。

それは、園ちゃんの姿をした、別の生き物に見える。

「サ……ワ……」

 声も園ちゃんの声じゃない。

大体、園ちゃんはあたしが下の名前を嫌いだと知っているから、宮ちゃんと呼ぶ。

これを絶対に園ちゃんは曲げない。

 あたしの名前を呼ぶ人間は、両親、手井根おじさん、剣、フロント。オジサンもたまに呼んでくれるけど、オジサンはあたしの後ろに居る。クラス担任やクラスメイトでも、下の名を呼ぶ人は少ない。あたしに懐中時計を買ってくれたお婆ちゃんは、母方の祖母で、最後の最後まであたしの名前を宮ちゃんだと思っていた、ちょっと惚けていたんだよ。

「あんた、誰? 園ちゃんじゃないのは判っている。園ちゃんの体を使って、何をしている!?」

 持っていた雪かきを構えて見たけど、雪かきでチャンバラなんて、ふざけてでもしたことがないよ。大体、拳銃も効かない相手に、雪かきを構える意味を感じない。

「サワ! 逃げろ……」

 よく見ると、園ちゃんの足元にもう一人転がっている。

剣だ。

「グワっ!」

その足元に転がる剣を、園ちゃんが蹴飛ばした。

園ちゃんの力では有り得ない力で、ヒガシより重いであろう剣が宙を飛ぶ。

あたしはまた避けた。

こういう場合、園ちゃんから目を離しちゃ駄目なんだと、あたしの頭が警告しているんだ。

後ろでオジサンが受け止めてくれるから、二人は無傷ではないけど、無事。

「剣! あんたは何してるのよ!?」

 視線はそのままで、口だけ開く。

「チックショー……強ぇや。俺はいつも通り……お前を助けに来たつもりで、このザマだよ」

 剣は口の中を切ったらしく、あたしの足元に唾を吐いたけど、血が混ざっている。

「フロントの婆さんという奴が、フロントになにやら手紙を出したという情報を得て……大佐と一緒にフロントの祖国まで行って来たんだが……そのババアが、まったくもって信じられねぇ強さでよ。口を割らせるのに時間が掛って、引き返して此処に着いた時には、園がもうその状態だった……フロントの婆さんの予言通りになるのが癪でよ。戦ってみたんだが……歯が立たねぇ」

「大佐さんは?」

「ああ……フロントの婆さんとガチで戦って……腕一本折られて入院だよ。世界は広いとはよく言ったもんだぜ」

「あの大佐さんが?」

「勿論、腕一本折られたくれぇで引く大佐じゃねぇ……婆さんは取り押さえたよ。そんな感じで俺も出来ねぇかと思ったんだが……その園は強ぇよ」

「剣、あまり無理して喋るな。またアバラが折れているぞ?」

「オッサン……俺は予言なんぞ信じねぇが……あんたとサワでしかあの園は倒せ……ねぇんだそうだ……頼んだぜ……」

「気を失った。まったく、最近の若い者は……俺がそんな強さを持っている訳が無いだろう?」

 気絶した剣にそうツッコミながら、オジサンはヒガシと剣をその場に寝かせ、あたしの横に立つ。

「園さんの体を傷付けずに勝つ。そうだな?」

「うん。園ちゃんが悪い訳じゃないからね」

「サ……ワ……」

 園ちゃんの体を借りた何者かは、ドア枠から外には出て来ない。

「中で勝負だってさ」

 そう言っている気がしたので、雪かきは捨てる。

室内で振り回すにはちょっと長過ぎるしね。

「まあ、雪は無い方がやり易いのは確かだが、あの中は彼女のテリトリーじゃないのか? ヒガシくんは園さんのことを想うから、殴られ放題だっただろうが、剣はそんな感覚は持ち合わせていない、あの中に入れば、剣のレベルでもボコボコにされるみたいだぞ?」

「怖い?」

「ああ、逃げ出したいくらい怖いな。しかし、戦って勝利しないと、この場から抜け出せないのも確かだろう?」

「そうみたいね」

 あたしたちが一歩踏み出すと、園ちゃんは中に消える。

余計なフェイントは入れず、体を横にしてオジサンと背中合わせでドア枠を潜る。

いつもの玄関ホールに園ちゃんの姿は無い。

「剣の秘密基地に入ったか?」

 小声でオジサンが訊く、あたしは首を横に振った。

「あたしの予想が正しければ、誰も入ったことの無い、二階だよ」

「しかし、階段は崩れているぞ?」

 園ちゃんの気配は、二階にある。

誰だか知らないけど、園ちゃんの体を使って、あたしとオジサンを殺したい奴らしい。

その割には、攻撃がちゃっちい気もするけど。

「正面奥に大きな窓枠があるでしょう?」

「ああ」

「前から気になっていたんだけど、あそこの窓枠に、奇妙なくらい丈夫そうなカーテンが一枚残っているんだよ」

「……そして、天井に穴が開いているのか?」

「うん。今の普通じゃない園ちゃんが其処を通ったかは別として、二階に行くにはその穴を通るのが手っ取り早い。でも、二人同時に通るのは不可能。オジサンを持ち上げるような力はあたしには無いから、オジサンがあたしを持ち上げて、後からカーテンをよじ登ってくれると有難い」

「しかし……それでは、数瞬でも君が一人になってしまう。俺もそれ程身軽という訳じゃない」

「でも、議論している場合じゃない」

「解った、いきなり襲って来る可能性も頭に入れて、危ないと判断したら、すぐに飛び降りろ」

「うん」

 作戦は決まった。

問題は二階の間取り、一度も入ったことのない二階は、想像でしか間取りを考えたことが無い。

広い洋風の玄関ホールの上は吹き抜けだから、そこに部屋が無いのは理解出来る。

崩れた階段の感じから、左右に3つくらいずつ部屋があるに違いない。

あの天井の穴から入れば、左の一番奥の部屋に出る可能性が高い。

いきなりそこに園ちゃんが居るのか、それともドアを隔てるのか。

そもそもドアは存在するのか。

豪雪の無人札幌市内も未知の世界だけど、この廃屋の二階も未知の世界だ。

廃屋は元教会か何かなのね。建築方法が日本家屋と既に違うから、想像の範囲でしか考えられない。

小さい頃から此処は空き家だったし、あたしは信者でも無かったからね。

玄関ホール奥の部屋は元礼拝堂か何か、流石にここの持ち主が引き払う時にパイプオルガンとか十字架は一緒に持って出たみたいだけどさ。

「オジサン」

「ん?」

「ちなみに、此処に入ってから、あたしの頭は半分死んだみたいに働かない。ついでに、寒さを感じている」

「痛みを感じていて、更にはあの頭も働いていないのか?」

「うん……普通に戻るって、怖いね」

「では、逃げるか? 一旦退いて、もう一度来るか?」

「ううん。それは無い。この世界のルールを忘れないで」

「一度退けば、二度は入れない……か」

「大丈夫。勝つから……勝って元の世界に戻ろう」

「ああ、解った。せーので行くぞ?」

「了解」

「せぇーの!!」

 階段を通り過ぎ、奥の広い居間みたいな場所にダッシュ。

オジサンが屈み、あたしは肩に足を掛け、カーテンにしがみつく。

オジサンの立ち上がる勢いでジャンプ、カーテンレールに足を掛けて、天井の穴に飛び込む。

二階の床に手を伸ばし、無理矢理登る。

埃だらけの絨毯の上を転がり、ドアにぶつかって止まる。

あたしが二階に来ることは成功。

 ドアを背にして、部屋を見回す。

12畳くらいの洋間、窓にはガラスも残っている。

この廃屋が元々教会だったと考えれば、流石に和室な訳はないね。

窓からの雪明かりで少し見えるけど、漠然としている。

丸い洋風のテーブルがあり、その上に蝋燭がある。ここの住人が使っていたと言うよりは、廃屋になった後で運び込まれた感じが強い。

ドアはこの一枚だけだ。

あたしは着ていたコートを脱いで、ドアノブと近くにある重そうな机の足とを縛る。簡易閂みたいな物。

 オジサンがよじ登って来るのに手を貸し、オジサンも登ることに成功。

「なんだ? この部屋……浮浪者でも生活していたのか?」

 部屋を見回したオジサンが呟く。

テーブルの蝋燭がそれを思わせるんだ。

部屋の中に園ちゃんは居ない。

オジサンがポケットからライターを出し、蝋燭に火を点けた。

「!!」

「なんだ! これは?」

 蝋燭の明かりに照らされて、部屋の全体像がはっきりした。

変な模様の壁紙に見えた壁は、ぎっしりと写真が貼られている。

それも、全てあたしの写真。その写真は、天井にまで及んでいる。

「剣のストーカー部屋か?」

「いや、違う……最近の写真が無い……それに、この写真は……」

 ドアの横にある机、机だと思っていたのは鏡台だった、その上に写真立てがある。其処には、あたしたち幼馴染全員が写った写真が入っており、鏡部分にも沢山の写真が貼られている。

 そこに近付こうとした時、ドアに衝撃。

外から誰か、多分園ちゃんが叩いている。

 園ちゃんでは有り得ない力で、ドアが壊れる。

「そういうことか……フロントのお婆さんは、これを予言して、善意で知らせてくれたんだ!」

 あたしは叫んでから、走って園ちゃんに飛びついた。

「サ……ワ……」

 隣の部屋に組合ながら転がる。そこにも同じように、壁一面あたしの写真。

「……道理で、剣とヒガシもこの場に居られる筈だよ。指定はオジサンだけだったのに!」

 オジサンが蝋燭を手に持って追い掛けて来る。

「どういうことだ!?」

 転がりながら、あたしは園ちゃんの肩を掴み、園ちゃんはあたしの首に手を掛けている。

数回左右に転がり、窓際の壁に当たって止まる。

あたしが下になっていた。

園ちゃんとは思えない体重が、あたしの首に掛る。

『痛くて、苦しい』

「サワを離せ!」

 オジサンが咄嗟に体当たり。

咄嗟に下の名前を呼んでくれる。

「ゲホっ! ゲホっ!!」

「おい、しっかりしろ。この無人世界に剣とヒガシくんと園さんが居て良い理由はなんだ!?」

 背中をさすってくれるけど、声が上手く出せない。

「そ……れは……」

 代わりに立ち上がった園ちゃんの口が開く。

でも、喋るんじゃなく、オジサンの手に噛み付き攻撃。

オジサンは仕方なく園ちゃんの腹部を蹴って、突き放す。オジサンの左手に園ちゃんの歯型が付いていた。

飛ばされた園ちゃんは、あたしの写真だらけの壁にぶつかるけど、オジサンは手加減しているから、ダメージも殆ど無い。

「写真好きの幼馴染が居た」

 ゆっくりと、園ちゃんの目を見ながら立ち上がる。

「あたしが病院を半壊させる程暴れた時、その引鉄を作った人」

「な? なんだと!?」

「当時、この二階に唯一上がれた、年上の幼馴染。この廃屋の二階を秘密基地にしていた人。あたしのことを好きで、好きで、堪らないという気持ちを持って、自殺した人!!」

「手井根……虹子……? この無人世界を作り出したのが、あの女子高生だと言うのか?」

「手紙の内容はもう思い出せないけど、そこにはあたしへの想いと、恨みが書き綴られていた筈。幽霊なんて信じられないけど、園ちゃんの中に、虹子姉の幽霊が居る!!」

 そこまで言うと、園ちゃんの動きが少し鈍くなった。当たりでしょ。

「サ……ワ……」

 園ちゃんの姿の中に、虹子姉を重ねる。

そう、虹子姉は高一の冬に死んだ。

化けて出るならこの時期が当然なのかも知れない。

しかし、元とは言っても聖なる場所である筈の教会に幽霊が住んでいるのはおかしいよね。

それとも、廃屋だからだろうか。

「待て。そんな見えもしない幽霊の相手なんて出来る訳が無いだろう? 園さんの中に居ると言われても、殴れば園さんを傷付けてしまうだけだぞ?」

 オジサンの言う通りだ。

園ちゃんをぶん殴って、虹子姉が出て行くことは考え難い。

そもそも、いつから園ちゃんの中に居るんだろう。いつも居たんだろうか?

ヒガシは実の弟で、そのヒガシと付き合うことに悩む園ちゃんの中に、虹子姉も居たんだろうか?

「待ってね、オジサン。今考えているから、少し見張っていて」

「ああ、押し戻すくらいなら出来るが、そんなに時間は稼げないぞ?」

この世界にオジサンを引きずり込んだのは、あたしがオジサンのことを好きで、告白して付き合い出したから。

剣とヒガシがこの場に居たのは偶然にも思えるけど、二人ともあたしの幼馴染。

あたしのことを好きだった虹子姉が、今もあたしのことを好きな園ちゃんの中に居て、ヒガシと付き合うことを否定して、暴走した。

園ちゃんの体を使っているのはどうしてだろう。

女同士だからか。

でも、あたしに想いを寄せている虹子姉を、一応ノーマルになったあたしが好きになることは無い。

それなら剣でも良かった筈。

ストーカーではなく、まともな告白だったなら、あたしはこんなに剣のことを嫌いにならず、剣と付き合っていたんだ。

幼馴染の三人があたしのことを好きで、その恋愛爆発能力を、ある意味成就したのは園ちゃんだけ。

園ちゃんの告白がまともだったとは言い難いけど、一瞬あたしはその園ちゃんに惹かれている。

その園ちゃんに取り憑いた虹子姉だけど、ヒガシの告白でおかしなことになった。

園ちゃんはノーマルに戻る努力をし始め、あたしはオジサンに告白した。

幽霊にストレスがあるかは知らないけど、そのストレスが今日爆発してしまって、今の状況にある。

まったく、こんな祝日は有り得ないよ。

園ちゃんをオジサンに止めてもらうのは、ある意味簡単だ。

元々の体力が低い園ちゃんなら、ぶん殴ればオッケー。

でも、それでは中に居る虹子姉にはダメージが無い。

「!! 来た!!」

 オジサンの叫び声で我に返る。

オジサンはあたしを背にして、園ちゃんの姿をした虹子姉と格闘戦になった。

園ちゃんが殴り掛かるのを、オジサンが払いのける。

園ちゃんの蹴りを、膝を上げて防御する。

防御するオジサンにダメージは残るけど、殴ったり蹴ったりしている園ちゃんにダメージは無い。

いや、園ちゃん事体はダメージがあっても、中の虹子姉にダメージは無いが正しい。

「つまり!! 殴り合いでは解決出来ない!!」

 オジサンの背中から飛び出して、園ちゃんの腰にタックルし、床に押し倒す。

そのまま馬乗りになり、膝で両肩を抑え、両手で園ちゃんの頭を持って、強度の頭突きにならない程度に、頭をコツンと合せる。

「園ちゃんの中に居ないで、出て来なさいよ……虹子姉」

「宮ちゃん……」

 園ちゃんの声がした。

「ごめんなさい。虹子姉様は、ずっと頭の中に居るの」

「何時から?」

「同性愛に完全に目覚めてしまった、中学一年の冬から……その前までは、まだ正常な精神も持っていたから、お姉様を封じていられたんだけど、受験の時、地下鉄車内で宮ちゃんに抱き付いた……あの時に、弾けてしまったの」

 成程、剣と同レベルにストーカーしていながら、あたしに気付かれなかったのは、その時の園ちゃんは虹子姉だったんだ。

剣が気付かないのは当たり前か、虹子姉と園ちゃんは顔の形が似ているんだもの。

ヒガシが園ちゃんに惚れた理由は、顔立ちが虹子姉に似ているという、シスコンが少しは理由に含まれていることは、なんとなく知っていた。

「つまり、似た者同士である園ちゃんに、虹子姉は取り憑いた訳だ?」

「……そうよ」

 今度は虹子姉の声に変わる。

「でも、園は私を裏切り、ヒガシと付き合い始めた。そしてあなたは……そこに居る発唆さんと付き合い始めた。許せなかった……」

「それで、この世界にあたしとオジサンを連れて来たのね? あたしを殺して、オジサンと引き裂く為、更に、あわよくば、あたしを手に入れる為」

「そう、サワはあたしの愛する人。生まれ変わってもう一度出会うことも考えたけど、それじゃあ遅いの。今の気持ちを成就したい……それには、サワをこちらに連れて来るしかない」

「オジサンを巻き込んだのは何故?」

「サワが目の前で消えなければ、発唆さんの中に永遠にサワが残るから……」

「成程ね。虹子姉の気持ちは判ったよ。でも、あたしの気持ちは譲れない……例え死んでも、あたしは虹子姉の物にはならない。園ちゃんの物にもならない。虹子姉と園ちゃんの気持ちは嬉しい。だけど! あたしの心と体は、オジサンの為だけにある!」

 あたしの下で、二人分の力が暴れる。

オジサンがあたしの背中を押し、二人分の体重で抑え込む。

「手井根虹子さん。俺は宮野サワを愛している。どのような障害にも屈しない。だから、俺にサワを任せてくれないか!?」

「駄目だ! あなたにサワを渡せない! 私はサワを愛している!! サワが生まれた時からずっと!!」

「……虹子姉。その気持ちは嬉しいよ。あたしはレズビアンを蔑視しない、あたしが精神的に不安定だった時、園ちゃんの愛情が無ければ、あたしは崩壊していた。だけどね、今は違うんだ。虹子姉でも剣でも園ちゃんでもなく、あたしはオジサンを好きなんだよ」

「駄目だ! 駄目!!」

「だから、今はレズビアンの精神を押し付けられるのが嫌なの。これがあたしの最大の我儘だとは理解しているよ?」

「駄目……だめ……」

 少し大人しくなった虹子姉にキスした。

体は園ちゃんだけどね。

「お願いだから、園ちゃんを解放して、そして、出来れば成仏して、虹子姉」

 キスを止め、顔を離すのと同時に、園ちゃんのメガネを取る。

園ちゃんの大事なメガネが、虹子姉の形見のフレームを未だに使っていることを、あたしは知っていたんだよ。

「駄目……」

 虹子姉の声は、メガネから聞こえていた。

レンズに度が入っていない。

園ちゃんは幼馴染の虹子姉の思い出を大事にする為に、ずっとメガネっ娘を演じていたんだ。

本当に目が悪いのに、時々メガネが合ってないんじゃないかと思える程、目を細めて物を見る癖があった。

そして、そこに虹子姉は取り憑いた。

「園ちゃん、メガネ買いに行くなら、後で付き合うよ。ごめんね、虹子姉……」

「駄……!!」

 あたしはそのメガネを、力の限り握り潰す。

折れたフレームと割れたレンズが手に刺さり、園ちゃんの顔にあたしの血がしたたり落ちる。物すごく『痛い』

 よく見えないけど、壊れたメガネの残骸の中から、半透明の物が飛び出す。

それがあたしの頭に入り込む。

その瞬間、頭の中で、既に壊れてから数十年は経過しているであろう教会の鐘の音が鳴り響く。

頭が割れそうだけど、不思議と心地良い響きにも聞こえる。

これはあたしにしか聞こえないのか、オジサンは我慢しているのか、あたしは虹子姉のメガネを手放し、耳を塞いだ。でも、頭の中で鳴り響く鐘の音を消すことは出来ない。

そして、あたしへの恋愛感情を持った虹子姉が、静かに微笑んでいるシーンがはっきり見える。虹子姉の表情は穏やかで、全ての恨みが消え、改めて遠い所に旅立つ姿が浮かぶ。

剣と同じくらい、虹子姉は表現が曖昧なんだ。

駄目よ駄目よも好きの内、これは虹子姉にとって、あたしとの決別の儀式だったんだ。

虹子姉はあたしの頭を通り抜け、部屋の中をクルクル回る。

その鐘の音と浮遊する虹子姉の霊魂は、祝福の歌を歌っているようにも見える。

「ウワっ!」

 思わずのけ反った体を、オジサンが抱き止めてくれる。

壁に貼ってあったあたしの写真が、一斉に落ち始めた。

それは、紅葉を終えて宙を舞う木の葉のように、或いは結婚式で行われるフラワーシャワーのようでもあった。

 そして、突然の無重力感。

床が渦を巻いているように見える。

頭を通り抜けた虹子姉の霊魂を二階に残し落ちる。

目を瞑る寸前に、虹子姉が手を伸ばしてあたしの頬に触れた気がし、頭の中から何かを吸い取られる気分がした。

あたしと園ちゃんを庇うように、オジサンが覆い被さって来る。

優しいオジサンは大好き……虹子姉……ごめんね。

静かに目を開けると、オジサンが上に覆い被さっている。

下には園ちゃん。その更に下には剣とヒガシが居る。

「流石に重いぜ……」

「剣兄、動かないでくれよ。痛い……」

「オジサン? 大丈夫?」

「ああ、俺は無事だ……君はどうだ?」

「体中痛いよ……特に、締められた首の辺りと、メガネを握り潰した右手がズキズキする。園ちゃんは大丈夫?」

「え? あれ? 私……どうしちゃったの? って! ヒガシくん!? 下で手を動かさないで!! そこはお尻だよ!?」

「うわ、ゴメン……」

 オジサンが避けてくれて、全員起き上がる。剣は胸を抑え、ヒガシは顔が腫れている。園ちゃんのメガネは無い。

夢ではなかったみたい。

「痛みの感覚が戻ったのか?」

「うん。だって、痛いよ」

 そう言って剣に掌を広げて見せる。

「痛いと言う割に笑顔だが……」

「だって、皆も会えたでしょ? 虹子姉にさ」

「あれは幻覚じゃなかったのか、俺の頭の中も通って行った」

「俺も……姉ちゃんに久し振りに会った」

「私は……常に頭の中に虹子姉様が居たけど、最後にあんな笑顔を見られるとは思わなかった」

 全員廃屋の一階に居た。

剣の秘密基地の板の上。床が抜けているから、皆這い上がる。

「……何日後だろうな?」

 剣の言葉に全員が外を見る。

外の道路を車が走り、廃屋の前を通行人が怪訝な顔をしながら通り過ぎている。

朝だった。

「俺の時計が合っているなら、翌日の朝ということになる。先程まで動いてもいなかったんだが、ちゃんとそれらしい時間を指している」

「そんな長い時間、こんな所で寝ていたのか? よく凍死しなかったな」

「でも、この出血からすると、さっきまで園ちゃんと格闘していたみたいだけど?」

「大体、あれだけ降った筈の雪が無い」

「まあ、起きたら春になっているというよりマシだろう」

 見上げると、二階の天井に新しい穴が出来ている。

その天井から、写真が一枚落ちて来る所だった。

誰かが空中で掴むこともなく、玄関ホールの床に落ちる。

「ああ、この写真か……」

 幼馴染五人が全員で写っている。皆笑顔の写真。

「そう言えば、この写真って、誰が撮ったの?」

「ウチの母ちゃんだよ……母ちゃんが撮ったからかも知れないな」

 剣がそう言いながら、写真を拾って懐にしまった。

「でも、あたしたちが生まれた頃には、琴尼おばさんは例の能力を失っていたんでしょ?」

「確かにな。それでもウチの母ちゃんは、時折その能力が復帰しているんじゃないかと思えることもあったんだ。この写真を撮った時が、どういう精神状態だったかは、確認出来ないけどな」

 ちょっと寂しそうな顔を剣がする。

今回はなんの犠牲も無かったけど、それで琴尼おばさんが生き返る訳でもないからね。

「剣、そのカメラは今どこにあるんだ? 事件絡みだったから、俺も遺品整理に立ち会ったが、そんな物は見なかったと思うが?」

「ああ、それはハッチが持って歩いていた。運動会の写真が現像されていなかったから、ハッチはそれだけ持って家を出て、この秘密基地まで来てから、俺が回収するまでの間、ここにあったよ」

 剣が天井に開いた穴を見上げ、壁から剥がれた写真の存在を視認する。

「カメラの中に虹子の記憶でも封じてあったのかも知れないな……カメラは厳重に封印されて、俺の上司が持っているよ」

「大佐さんが?」

「人の記憶が詰まった物ってのはよ。色んなことに悪用可能な代物なんだとさ。カメラ、ビデオ、DVD、本人の日記、愛用のペン。ライター、パイプ……そのカメラは、一時期虹子が使っていたこともあるんだ」

「虹子姉が使っていた?」

「初耳だな」

「手井根の家とウチの家が、虹子と俺をくっ付けようとしていたのは覚えているだろ? 写真好きだった虹子に母ちゃんが貸していたんだよ。虹子が自殺した翌日には、母ちゃんが回収していたのを思い出した。虹子は自殺する寸前まで、そのカメラでお前を撮りまくっていたって訳だ」

「じゃあ、虹子姉が暴走したのは……」

「母ちゃんが迂闊に貸したカメラのせいかも知れねぇな。精神が不安定な虹子に、母ちゃんの能力入りカメラは毒だったのかも知れねぇ。そう言えば、俺の大暴走……お前への強姦未遂後、大佐に拾われたんだが、その時真っ先に回収されたな……母ちゃんから貰った万年筆……」

「愛用品に宿る恨み辛みか……科学的とは言い難いが、フロントの祖母という魔女が居る世界でもある訳だし、世の中の不思議のひとつに巻き込まれたと思っていた方が、自然なのかも知れんな」

「まあ、そんな訳で、この写真は母ちゃんの墓前に供えて来るぜ。それと、園」

「はい?」

「もう変なのに取り憑かれるなよ……お前の好きなサワに嫌われるぞ?」

「はい……宮ちゃんに嫌われたくはないから……これからは気を付けます」

「よし、その心意気だ。ヒガシ」

「うん?」

「園を大事にしろ。お前がしっかりすりゃあ、もう虹子が出て来ることもねぇ。本当の『漢』になれ」

「うん! 剣兄、今度姉ちゃんが丸山高に近付いたら、俺が守って見せる!」

 ヒガシの決意表明に、園ちゃんが俯いて顔を真っ赤にして、もじもじした。

お似合いだよ。

「よし、今回俺に出来ることはここまでみてぇだ。取り敢えず浜益まで行って来るかな……」 

そう言いながらドア枠に向かって進み、剣が振り返る。

「オッサン」

「ああ、なんだ?」

「あんたの叫び声、下まで聞こえていたぜ。サワを大事にしてくれ。多分もう、サワの中にあの変な考えの出る頭は無い筈だ。きっと良いあんたの嫁になるだろう」

 剣はそのまま、オジサンの返事を聞かずにドア枠を潜って外に出て行く。

「がうっ!」

 その剣を待ち構えていたように、塀の陰からハッチが現れた。

ハッチにしてみれば、突然義兄が消えてしまったようにしか見えず、寂しかったんだろう。

思い切り剣の胸に飛びついて、じゃれる。

剣はアバラが折れているから、悲鳴を上げて逃げ回った。

格好良く立ち去るのは難しいね。

「本当に君の頭の中から、あの悪い考えを生む回路は消えたのか?」

 その様子を見送りながら、オジサンに訊かれる。

「多分ね。虹子姉があたしの頭の中を通った時、何か持って行かれた気がする。それがあの変な考えを生む頭だったとしたら、この痛みも納得出来るかな。でも、それだとオジサンとその仲間さんたちが、あたしをストーカーする必要が無くなっちゃって、あんまり会えなくなっちゃうかな?」

「まあ、それは定年すれば、いつでも取り戻せる時間だ。今は、君は学業に、俺は仕事に励むだけだ。俺は……君を愛している。これには何も変わりはない」

 最後の所に痺れる。オジサンカッコイイ。

「それにしても、どうして虹子姉は最後にこんなことをして行ったのかな?」

 あたしを殺して、向こうの世界で二人だけの桃源郷を作る虹子姉の作戦は、見事に砕かれてしまった。

砕いたのはあたしの気持ち、オジサンへの気持ちの強さだ。

その砕かれた作戦に、更なる恨みを重ねず、あたしの希望である、この頭の生み出す悪い考えを抜いて行ってくれたのは何故なんだろう。

「それは……」

園ちゃんが立ち上がって、剣を見送りながら口を開いた。

「虹子姉様が、本当に宮ちゃんのことを好きだったからだと思うよ。体力の最も低い人間に取り憑いて、宮ちゃんに勝つなんて、不可能だもの。それに、宮ちゃんのことを大好きな人間に取り憑くのもおかしい。最初から、殺すつもりなんて無かったんだと思う」

「そうだな、それなら俺に取り憑き、想いを成就させれば良かったのだからな。剣と同じく、手井根虹子もかなりの無理とストレスを溜め込んでいたんだろう。彼女は本当に君のことを心配していたに違いない。それが曲がりくねって、昨晩の現象にまでなってしまったんだ」

「姉ちゃんは……あんなに暗くて、寒い世界に一人で居て、きっと苦しかったんだ。そんな姉ちゃんの気持ちも考えずに、俺は丸山高に告白し、ある程度受け入れられちまった。丸山高の中で、姉ちゃんの考えとズレが出来ちまったんだ。俺が……丸山高に告白しなければ、こんなことは起きなかったのかも知れない……! 痛っ、なにするんだよ!?」

 そう言ったヒガシの頭をオジサンがポカリと軽く叩く。

「ヒガシくん。それを考えては駄目だ。剣ならもっと強く殴るぞ?『たられば』は、漢として言ってはいけないことだ。君の園さんへの気持ちは、そんな物なのか?」

「それは……今は姉ちゃんの話をしていたから、そう言っただけだい。俺の気持ちに曇りは無いよ。俺は良い男になって、丸山高を幸せにして見せる!」

 園ちゃんが真っ赤になった。

「園ちゃん。メガネ壊しちゃったから、明日にでも買いに行こう」

「うん……ありがとう、宮ちゃん。でも、明日はヒガシくんとデートだよ」

「お……おう? メガネでもコンタクトでも、俺が選んでやる」

 今度はヒガシが真っ赤になった。園ちゃんも耳まで赤い。この二人に関して、あたしの出番はもうないみたいだ。それはそれで寂しいことであり、嬉しいことでもある。

虹子姉の出現と消失は、少なくともあたしとオジサン、園ちゃんとヒガシには、効果絶大だった。

「ありゃ、フラれちゃったよ……ところで」

「ん? なんだ?」

「虹子姉が消える時、頭の中でガンガン鐘が鳴っていたんだけど、オジサンにも聞こえていたの?」

「ああ、愛情表現の下手な手井根虹子らしい、不器用な祝福の鐘だと俺は思ったが?」

「そっか。じゃあ、あたしの感覚は普通になれたんだね。あたしにもそう聞こえたもん」

 オジサンがあたしの手を取り、破ったシャツを巻いてくれる。

「もうひとつ、戻った感覚があるんだよ。」

「まだ君には俺の知らない能力があったのか」

「……あたしの顔、見てよ」

 応急手当を終えたオジサンが、顔を上げる。

「成程、確かに君が泣いているのは見たことがない」

 驚くかと思ったけど、オジサンは優しい笑顔であたしの頭を撫でてくれた。

「実はかなり怖かったんだよ。痛かったし……」

「ああ、よく今まで我慢していたな。もう良いんだぞ?」

 そう言われて、あたしはオジサンに抱き付いた。園ちゃんとヒガシが驚いている。

 暫くの間、抱き付いたままで泣いて、頭を撫でて貰い、やっと落ち着いた。

「オジサン、明日は暇?」

「今回の件の報告書を書いて、受理されれば、通常の鑑識業務に戻るだろうが、頭の堅い上司が手井根虹子の幽霊を信じてくれるかが問題だな。まあ、それで精神科の病院に行けと言われれば、その日は休日になる訳だから、適当に知り合いの医者に診断書を書いて貰って、午後からは暇だろう」

「じゃあ、精神を疑われるような報告書をお願いね」

「まあ、君には及ばないが、俺の全身全霊を懸けた報告書を制作しよう」

「オジサンも問題の多い警官だよね?」

「君には及ばんよ。問題児」

「……もう、それは書けないかな。虹子姉に皆持って行かれちゃったからさ」

 こうして、あたしの変な考えを持つ頭と、痛みを感じない体という奇妙な能力は、殆ど全て消えてしまった。

虹子姉の祝福の鐘と共に、あたしの初恋は成就したんだよ。

なんか今年のクリスマスは、随分良いプレゼントを貰った気がするね。

嬉しくて、もう一度オジサンに抱き付いちゃった。

これから先、もっと沢山の困難があるかも知れないけど、あたしとオジサンのコンビは、結構無敵だと思うんだ。



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