たたかえ 小さな戦士たち
このたび、台風や豪雨の被害に遭われた地域の方々に、心より御見舞申し上げます。
たくさんのひまわりが並んだ八月のカレンダー。
その中に、真っ赤なマジックでぐるぐるまきにされた数字がならんでいる。
八日、九日、十日。この三日間、ユウキたちの地区では四年生以上の小学生のサマーキャンプが行われるのだ。
「もう、メチャクチャ楽しかった。山登りしたり、バーベキューしたり、河川プールで泳いだりさ。ボランティアの大学生と、夜はテントで怪談ばなし。盛り上がったぞ~」
これまでは、近所の上級生が得意げに話しているのがうらやましくてたまらなかったけれど、今年はユウキも四年生。ついに、キャンプに仲間入りできるのだ。
ずうっと待ちあぐねていたそのキャンプまで、いよいよあと三日。
来い、来い、一足飛びにやって来い!
あまりの待ち遠しさに、ユウキが思わずため息をついてしまったころ、茶の間では、思いがけないニュースが飛び込んでいた。
三時のおやつに下におりていくと、かあさんとおばあちゃんが、くいいるようにニュースを見ていた。
「ねえ、ユウキ、台風が来るよ。ひょっとしたらキャンプはできないんじゃないかねえ」
ガーンといちげきをくらったように、ユウキの足もとがいっしゅんふらついた。
「た、台風って?」
「ほうら、見てごらん。ここに大きなうずまきがあるでしょ」
おばあちゃんが、画面の天気図を指さした。
日本列島の地図の下の方に、たしかに大きなうずまきがある。
「ちょうど三日後くらいに、ここも暴風域に入りそうなのよ」
かあさんも心配そうだ。
「そ、そんなあ……」
まるで黒板の文字を消すかのように、さっきまでのウキウキ気分が、さあっとふきとんでいってしまった。よろよろした足どりで部屋にもどると、ユウキはバタリとベッドにたおれこんだ。
「おにいちゃん、どうしたの?」
ぷっくりした色白の顔が、ユウキをのぞきこむ。五才年下の妹のエミだ。
「台風が来てるんだ。でっかいやつ。サマーキャンプ、中止になるかもしれないって」
「なあんだ。そんなこと? じゃあ、エミが台風さん来ないようにおまじないしてあげる!」
「そ、そんなおまじない、ホントにあるのか?」
ユウキはガバッとはねおき、エミのぽっちゃりした肩を両手でゆすった。期待で心がどんどんふくらんでいく。
「エミ、どんなおまじないなんだ。教えてくれ」
「てるてるぼうずよ」
「え?」
「てるてるぼうず。おにいちゃん、知らないの? エミ、たあくさん作ってあげるからね」
エミは自信たっぷりにそう言うと、にっこりした。
ーケッ! なんだよ! やっぱり幼稚園児だよなー
穴のあいたふうせんみたいに、期待でふくらんだユウキの心がみるみるしぼんでいく。
エミはさっそく自分のおどうぐばこから、紙だのはさみだのをとりだし、てるてるぼうずを作りはじめた。
―こんなことにつきあっていられるもんかー
大きく音をたててドアをしめると、ユウキは外に飛び出した。
くやしいときや悲しいとき、ユウキは刀をふりまわすことにしている。
刀といってもおもちゃだけれど、四年生になった今でも手放すことが出来ない大切なおもちゃだ。
えい、やあ、とう。
悪いヤツを成敗する正義のヒーロー。なりきり遊びが好きなユウキは、今、まさにそんな気持ちで、台風をもたらす悪の集団と戦っていた。
「おにいちゃああん」
二階からエミがてまねきしている。
「てるてるぼうず作りなら、手伝わないぞ」
しぶしぶ部屋にもどったユウキだったが、中に入るなり、あっと声をあげそうになった。
外に出ていたほんのちょっとの間に、エミはかなりの数のてるてるぼうずを仕上げていた。どうりでかあさんが、いつもエミの手先の器用さをほめるわけだ。
「あと、どのくらい作るんだ?」
「う~ん。まだあと六十くらいかな?」
「ええ―っ?」
まだ作るのか? もうかなりあるっていうのに……。
「おにいちゃんもてつだう?」
「やだよ」
こんな子どもじみたこと、ちまちまやってられるもんか。そのかわり、ユウキはあることを思いついた。
「エミ、マジックかして」
エミが新しいてるてるぼうずをつくるはしから、ユウキは、のっぺらぼうの顔に、次々と落書きをしてやった。
りっぱな八の字ひげをたくわえたやつ。ほっぺたにぐるぐるうずまきをもったやつ。メガネをかけたやつ。たれ目のやつ。上がり目のやつ。おこっているやつ、わらっているやつと、ずいぶんにぎやかになってきた。
百五十作って、まだものたりないのか、最後にエミは特大のてるてるぼうずをひとつおまけした。
「これ、リボンちゃんっていうの」
紙の中にふうっと自分の息をふきこんで、それを作ると、エミはマジックでリボンちゃんの顔を描き、輪ゴムの上からごていねいにピンク色のリボンを結んだ。そしてまじめな目をしてユウキを見た。
「あのね、これからおまじないをかけるからね」
「おまじない……?」
「そう」
「テルテール、ハレハーレ、ピカピーカ」
ぜんぶのてるてるぼうずたちにくまなく聞こえるように、エミは大きくゆっくりとした口調で、三度くりかえし唱えた。思わずプッと吹き出しそうになったユウキだったが、あまりにエミがまじめなので、ぐっとこらえた。
家の軒下とふたりの部屋に、ところせましと並んだ百五十一個のてるてるぼうずたち。
こんなにたくさんあると、さすがに台風もよせつけないような心強い気分になってくる。
てるてるぼうずたちは、それくらいに自信たっぷりの表情をしていた。
キャンプ前日。
てるてるぼうずのおまじないもむなしく、台風の予報円が、今夜おそくからこのへんを通過するのは、決定的になった。おまけに、大型でのろのろ台風だから、イヤというほど滞在時間が長くなりそうだ。
空は朝からどんよりとなまり色。昼前からは風も強くなりはじめた。
『大型で強い台風七号は、南西諸島を暴風域にまきこみながら、北上をつづけております』
テレビはどのチャンネルに変えても、同じことをあきもせずにくりかえすだけ。
「かわいそうに……。このぶんじゃ、ユウキたちのキャンプは中止だろうねえ」
「ええおそらく……。軒下のてるてるぼうず、せっかくだけど中にいれとかなきゃ。風でふきとんだらご近所迷惑になっちゃうわ」
そう言って立ちあがろうとするかあさんを、おばあちゃんが手で止めた。
「およしよ。せっかくエミがユウキのために作ったてるてるぼうずなんだから……。そのままにしてておやり。台風が行ってしまったら、あたしがちゃんとそうじしとくからさ」
―それ見ろ。やっぱり役立たずのてるてるぼうずどもめー
ユウキは、完全にくさくさした気持ちだった。
―あいつら、ぜんぶ刀ではらい落として、ぐちゃぐちゃにしてやるからなー
夜になると、風はいっそう強くなり、雨がときおり激しくガラス窓を打ち始めた。
「中止ってわかりきったことなのに、連絡は、明日の朝まで待つんですって」
なんでも早くしておきたいかあさんは、なかなかまわってこないキャンプ中止の連絡にしびれを切らしている。
「効き目なかったな。エミ」
エミになんの責任もないとわかってはいても、ユウキはにくまれぐちをたたかずにはいられなかった。
「てるてるぼうずなんか、くそくらえだ!」
ねむってるエミを起こすと、かあさんからしかられて、いっそうめんどくさくなりそうだから、小さな声で何度も何度も、役立たず! くそったれ!とくりかえした。
そうこうしているうちに……。
「テルテール、ハレハーレ、ピカピーカ」
どこからかいきなり、むじゃきな声が聞こえてきた。
さてはエミのやつ、たぬきねいりしてるのか?
となりのベッドにねているエミの顔を、そっとのぞきこむ。
あれ? くうくうと寝息をたてて、エミはぐっすりねむりこんでいる。
今のはなんだ? 空耳か?
外はいちだんと風が強まっていた。
ホーッホホホホ・ホーッホホホホホ
荒れくるう風の中から、とつぜん耳をつんざくようなかん高いわらい声がしてきた。
風の音じゃない。たしかに人のわらい声だ。
それも、若い女の人の……。
いったい、だれなんだ? こんな夜ふけに……。
どうしてもそのままにはしておけなくて、ユウキは、いつもの刀をにぎりしめ、ぬきあしさしあしで、うらぐちから外に出た。
ビューッ、バシッ、ようしゃなくおそいかかる雨粒。
まっくらな嵐の中を刀をふりかざして、ユウキはさけんだ。
「おい、こら、今、わらったやつ、出てこい!」
けれども雨風にさえぎられて、声はなかなかとどかないようだ。
「わらったやつ、出てこーい!」
何回目かにさけんだときだ。
ホーッホホホ。ホーッホホホ。
再び、かん高いわらい声とともに、あたりいちめんにグオーンとドラの音色が鳴りひびいた。
すみを流したように、真っ黒な空から、とてつもなくでっかい舟が、ゆっくりと降りてくる。
へさきには、するどい目つきのドラゴン。
それをとりまくように、風が次々にうずをまいてわきおこっていた。
「わたしをよびだすとは、なんて勇気あるぼうやだこと」
風のうずにかくれてよく見えなかったが、ドラゴンの背中には、おうぎをもった女の人がいた。
こうもりみたいな黒マント、黒いかんむり、黒いおうぎ……じっと見つめられると、身がすくむような冷たいまなざしだ。
「わたしの名は台風ナナコ。せっかく生まれてきたんだもの。今夜は暴れるだけ暴れさせてもらうわよ」
「うるせえ。おまえのおかげでキャンプが台無しなんだよ! とっとと消えてしまえ!」
勇気をふりしぼってどなりかえしたが、台風ナナコは鼻先でせせら笑った。
「ごあいにくさま。たっぷり明日の午前中までは滞在させていただくわ。さあ、よい子のぼうやはもうおやすみなさい。お楽しみのキャンプ、お気の毒さまね。ホーホホホホ」
「うるせえ。そっちがその気なら、こっちだって……」
言いかけて、ユウキは、ぐっと口ごもった。
手にしたおもちゃの刀一本で、台風ナナコをやっつけようなんて、どう考えたって無理だ。
「まあ、わたしに勝負をいどもうというの? なんてかわいいぼうやなのかしら。じゃあ、まずは小手だめしといきましょうか。これをかわせるかしらね」
台風ナナコは、ひらりとおうぎをふった。
舟の上から、まるでねらいを定めているかのように無数の雨の矢が、ビュンビュン飛んでくる。
「あいたっ! いたいっ!」
にげまわるユウキを見て、台風ナナコは笑いころげる。
―クッソー―
ぎゅっとくちびるをかみしめたときだった。
「ユウキどの。おたすけにまいりました」
頭の上でだれかの声が聞こえた。
見上げたとたん、
「あわわわわ……」
あやうく、ユウキは腰がぬけそうになった。
八の字ひげを先頭に、空中にずらりと並んだ百五十のてるてるぼうずたち。
うずまきほっぺに、たれ目に、つり目。メガネもいるし、泣きそうなのや、おこってるのや、そのほかにもいろいろ。ユウキが落書きした、すべてのてるてるぼうずが、自分のまわりに集まってくれている。
八の字ひげ隊長が、一歩前に進み出ると、ユウキに向かってうやうやしくおじぎをした。
「われらてるてる戦士は、小粒ながらもユウキどののお役にたてればと生まれてまいりました。さあ、共にたたかいましょう。みなのもの、じゅんびはよいか」
「おおお―っ」
戦を告げる、てるてる戦士たちのときの声が、あたりいちめんにひびきわたる。
「たかが、紙でできた小坊主たちになにができるというの。ああ、ゆかい、ゆかい」
台風ナナコは、おうぎをふりふり、カラカラ声をたてて笑った。
「テルテ―ル、ハレハ―レ、ピカピ―カ」
八の字隊長がおまじないを唱えると、てるてる坊主たちの体からみるみる武器を持った手が、ニョキニョキと伸びてきた。
「とつげきい!」
次のしゅんかん、小さな小さな刀や、やり、サーベルなどを手にしたてるてる戦士たちが、いっせいに巨大な舟めがけて飛んでいく。
「こしゃくなやつどもめ!」
台風ナナコは、おうぎをひとふりした。
たちまち、空から無数の雨つぶ戦士がおりてくる。
雨つぶ戦士は、もうれつないきおいで、てるてる戦士たちをはたきおとそうとし、てるてる戦士は小さな武器をふりまわして、雨つぶ戦士のこうげきをふせごうとする。けれども数からみても、雨つぶ戦士の方に軍配があがりそうなのはたしかだった。
百五十一個の戦士たちの半分以上が、むざんなすがたで舟の外に転がり落ちていく。
隊長やメガネ戦士はまだまだがんばってくれている。
「ええい、こうなったら……目覚めよ、ドラゴン」
台風ナナコは、ふたたびおうぎをふった。
すると、これまでおとなしくしていたドラゴンの目が、かっと見開き、らんらんと赤く燃え始め、口からはごうごう火をふきはじめたのだった。
―やばいよ! てるてる戦士たちがもえちゃうー
逃げろ!と命令を下そうとしたユウキの前を、
「あきらめないで! テルテール、ハレハーレ、ピカピーカ」
聞き覚えのある声とともに、まっ白な雪だるまがさあっと走りぬけた。
「エミ?」
思わず、声に出して呼んでしまった。けれどもそれは、雪だるまではなく……。エミが作ったリボンちゃんだった。
リボンちゃんはあざやかに、持っていた二本の刀でドラゴンの両眼をつらぬいた。ドラゴンはまたたくうちに力をなくし、その場にドサッとたおれこむ。
「おのれ、よくもわたしの大切なドラゴンを!」
悲鳴に近い声をあげながら、台風ナナコは、またもや黒いおうぎをふりかざそうとした。
「ユウキどの、ぼんやりしないで!」
リボンちゃんがユウキに向かってさけぶ。
そうか!
あれだ!
あれがすべての力をあやつる司令塔なんだ。
「てるてる戦士。台風ナナコの右手をねらえ! 」
「承知いたしました」
ひときわ大きなリボンちゃんを真ん中に、残りの戦士たちが真一文字にならび、むううとうなり声をあげはじめる。
戦士たちの小さな体が、青くなり、むらさきになり、そして赤くなったとたんに、それらは燃えさかる大きな火の玉となって、ナナコのおうぎ目がけてとっしんしていった。
バシッ、バリバリ、シュッシュッ
火の玉は、みごとおうぎをつきやぶり、おうぎからもうもうとけむりがたちあがる。
「ああ、おうぎが……私のおうぎが……」
くるったように泣きさけぶ台風ナナコ。
舟はみるみるしぼんでいき、一陣の風が台風ナナコの姿をさあっとかき消した。
ユウキとてるてる戦士たちは、あらためて向かい合った。らくがきしたどの顔も、戦いすんで晴れ晴れとした表情をしていた。
「どうもありがとう。きみたちのこと、バカにしてごめんね」
ユウキが頭を下げると、八の字隊長がしずかにこたえた。
「すべてはエミどののまごころのおかげ。われわれは作ったモノと作られたモノとの気持ちがぴったりと重なり合ったときに初めて、想像をこえる力を出すことができるのです。エミどのの気持ちに打たれて、わたくしたちは生まれてまいりました」
そうなのか……うつむくユウキをとりなすように、リボンちゃんが元気よく言った。
「さあ、ユウキどの。わたしの首についているリボンを空高く投げ上げてください。そして目をとじて、サマーキャンプがありますように祈ってください」
ユウキは言われたとおりにリボンをとると、えいっと空に向かって投げ上げた。
するとふしぎ。ゆらゆらと真っ黒な空へ昇っていったリボンは、あっという間に、夜空に広がる、満天の星の帯へと変わったのだった。
「サマーキャンプがありますように」
ユウキは目をとじて、手を合わせた。
目の前が急に明るくなったと思ったら、カーテンごしの朝の光だった。
まどを開けると、夏の朝のにおいがあふれている。
ゆうべ、台風が来たことなんてうそのようだった。
まもなく、トントンとスリッパの音がしてエミが入ってきた。
ぽっちゃりとした両手で、まだ寝たままのユウキをゆすりはじめた。
「おにいちゃん、キャンプあるんだって! 学校に九時集合だって。早くしなきゃ」
「うん」
ユウキはくるりと起きあがると、エミのほっぺたを指でチョンとつついた。
「なあ、エミ」
「ん?」
「てるてるぼうず、たくさん作ってくれてありがとうな」
雪だるまみたいなエミの顔が、うれしそうにほころんだ。
せみが、あつくるしくジイジイ鳴き始めた。
さあ、サマーキャンプに出発だ!