大腿四頭筋 ―侵入者? 筋肉があれば問題ない―
それは、ある夏の暑い日のことであった。我輩たちはいつもどおり魔法の授業を受けていた。我輩たちの机はほんの少しだけ狭い。それは、吾輩の新たなる友ラーズのせいであった。しかし、この狭さもまた、筋肉である。つまり、それは善である。善という言葉は、その地位を筋肉にとって変わられようとしているのである。我輩は止める気がない。
「やぁ、初めまして諸君。私は、今とある男を探しててねぇ。なんでも、奇跡が使えるそうじゃないか。さて、その男。大山剛くんはどこかなぁ?」
我輩は、答えねばならぬ。我輩を探すもの、誰であろうと我輩を見つける権利があるのだ。筋肉とはそういうものである。
「吾輩が大山剛である。」
「うん、だと思った。筋骨隆々な人間なんてお前しかいねぇしな。」
我輩を探していた男は立ち上がった我輩を見て冷や汗と苦笑いを浮かべている。なぜだろうか、こんなにも美しい筋肉に包まれているというのに。しかし、今はそれ以上に気になっていることがある。
「我輩に何の用であるか?」
大方予想は付いている。吾輩に会うことが目的なのだ。我輩は筋肉である、ならば誰もがそれを求めずにはいられないのが定めである。おそらく、この男もまた心に筋肉を宿す選ばれし民なのであろう。
しかし、この男が心に筋肉を宿すにも関わらずルージュは吾輩に不穏なことを耳打ちする。
「ちょっと、コイツやばいわよ。ここは、関係者以外立ち入り禁止。しかも結界もあるはず。だから、こいつかなりの実力もあるはず……。」
「心に筋肉を宿すものに失礼である。黙れ!」
吾輩が一括するとルージュは青い顔をして黙り込んでしまった。
「心に筋肉? ……っはははは。お前本当に馬鹿だな、この脳筋。」
「いかにも、吾輩の脳は筋肉で出来ている」
「はいはい、そうですか。なら、筋肉さんよ。っちょっと俺に手を貸してくれないかな?」
「場合によるのである。」
「あぁ、それなんだけどな。ちょっと事情が有ってここで言えないんだわ。」
何か、嫌な予感がする。吾輩の筋肉がそれは良くない提案だと叫んでいる。こんなにも大胸筋がざわつくのは初めてである。
「まいっか、言っちまった後で口封じしてもいいだからな。」
まずい、何か良くないものが動いている。吾輩の瞳孔括約筋が吾輩にそれを見せている。普段生徒たちが使っている柔らかなものとは違う。もっと別の、大胸筋をかき乱す嫌な色をしたなにかである。きっと気合だ。つまり、筋肉に魔法を発動させるためのなにかなのだ。要するに魔法が発動する。
「まずい!」
我輩は思わず叫んで音の鼻先三寸まで迫る。
そして、吾輩の腹に魔法が炸裂した。正直、庇う必要なんてなかったと思うのである。腹がいい感じに温い。
「な……、おい! お前どうなってやがる!」
「なんのことであるかわらないが、腹を温めてくれたこと礼を言おう!」
「無茶苦茶だ! 禁呪だぞ、人間を殺すために作られた岩をも溶かす魔法だぞ!」
はてさて、この男何を言っているのであろうか。こんな仄かなぬくもりが人を殺せるわけがないのである。
「うそ……。モロに食らったはずよね?」
「うん、さすが剛さん……。」
「なんでうっとりするのよ!!??」
後ろから聞こえる声から察するにほかの生徒諸君は暑がりのようである。この魔法には温めてもらいたくないのであろう。ならば、全て吾輩が魔法を受けよう。
男は、何度も魔法を方向を変え手を変え品を変え打ち続けて。その度に吾輩が射線を封じる、そろそろ少し暑いのである。汗も出てきた。
「そろそろ十分なのであるが?」
「何なんだよお前! ホントなんなんだよ!!」
いかんな、半狂乱である。何が彼を狂わせてしまったのであろうか……。
「魔法がきかねぇならッ!」
男は剣を取り出して吾輩を袈裟懸けに切り裂こうとする。いや、吾輩が感じた感想としては肩のいいツボにあたって気持ちが良かったのが……。要するに、どうやらこの男は誰も殺す気がないらしい。さすがは心に筋肉を宿すもの。それはすなわち優しさを宿すことと同義である。だが、残念なことにせっかくのマッサージ器もとい剣は折れてしまった。
「ふむ、やはり筋肉を心に宿すもの。優しい人間なのであるな。」
「ちげーよ、俺は……お前を殺そうとして……。」
「嘘は辞めるのである。」
「嘘じゃねぇ!」
「ならば、その涙はなんであるか! 裏切られ続け、貴様が心に宿す筋肉は泣いているではないか!!」
決まった、これできっと男も嘘をつくのを辞めるのであろう。
「なんでなんだよ、なんでどいつもこいつも俺の邪魔ばかりしやがる!?」
決まっていなかった、我輩はこの男の心を未だ開放できていないのだ。ゆえに、今も筋肉は男の心の中で泣いている。我輩は、無力だ。救いをを求めるちっぽけな筋肉ですら救えないのだ。
「なぜだ! なぜまだ嘘をつくのだ! もう良いのだ! 吾輩が、全て受け止めてくれる。だから、本当のことを言って良いのだッ!」
「うるせぇ! 俺は、嘘なんか吐いちゃいねぇ!」
「仕方がないッ! 荒療治だが我慢するのだぞ!」
そう言って、我輩は男を殴りつけた。男は三メートルほど吹き飛び気を失った。吾輩も、心が痛い。この世界に来て初めて涙を流した。
念のため、男を縛り上げておこう。我輩は何度も男に懺悔しながら男を、動けぬよう鎖で拘束した。ただの紐では心に筋肉を宿すこの男は捕らえきれないのである。
「剛よ、よくやったな。」
「ラーズ、なんのことであるか?」
「お前は、皆を救ったのだ。」
「なんのことであるか!? 我輩はッ……我輩は……この男の心を開放できなかったのである……我輩は未熟だ……断じて吾輩は筋肉ではなかったのだ……。」
「自信を持て、剛。お前は最後まで諦めなかった。俺が保証しよう。お前は……断じて筋肉である!」
我輩とラーズはふたりして泣いた。
善頑張って、筋肉に負けないで!!!
あと、男は嘘ついてねぇよ!