第一筋 ―異世界転移なるもの、筋肉で例えよ!―
流石筋肉である、かなりの時間を落下したが無事着地できた。代わりに地面が少々破壊されたが我輩には関係のない事である。
「えっ!?なんで……。」
驚いたような少女の声が聞こえる。
驚かれるのは心外である。万物の心の友である筋肉はいついかなる時も親しまれなくてはいけない。だから我輩は少女に筋肉の抱擁と言う至福のひと時を与える。
我輩こそ筋肉である、故に我輩に抱擁される事ほどの幸福はこの世界には他に存在しないのである。
「いやああああ!汗臭い!きつい!硬い!苦しい!むさい!」
「筋肉に対して何を言うかこの不届き者!?我が胸の中でその素晴らしさを知れ!!!」
我輩はこの少女を不憫に思いさらにぐっと抱き寄せた。
「折れる折れる折れる折れる!!!」
少しして少女は我輩の腕の中で眠った。筋肉は愛を囁くのだ、きっとそれに安心したせいに違いない。愛とは即ち筋肉である!
少女の表情が少し険しいのはきっと、慣れない筋肉に、幸福に戸惑いを隠せないからである。いずれ彼女も気付くだろう、筋肉の囁く愛が真実である事に。
しばらくして少女は目覚めた。だから我輩は少女に優しく声をかける。これからは我輩が愛を教えなくてはいけない相手だ。即ち筋肉を教えるのだ!
「大丈夫であるか?急に気を失う故気を揉んだぞ。」
少女は失礼な事に我輩の声を聞くや否や顔がみるみる青ざめていく。まだ疲れが抜けないのであろう。
「ひっ!?」
そんな悲鳴をあげて、壁際に行きもたれかかっている。本当は体を起こすのも辛いのだろう……。
「あ、あんた一体なんなのよ!?」
少女は狼狽している。初めてとはなんだって恐ろしいものだ。だから、我輩は最大限気を使って少女をなだめる。
「安心せい、我輩は筋肉である。」
「せめて名前を名乗りなさいよ!?」
侵害である、名前よりも大切なことを伝えたというのに。この少女は筋肉をなんだと思っているのだか……。
「はぁ、我輩の名は大山剛である。つまりは筋肉だ!」
「あんた、筋肉抜きで会話できないわけ!?」
考えてもいなかった。会話とは筋肉が不可欠なものであり無しでは成立しないと思っていた。だが、どうやら少女を見る限りここは文化が違う可能性がある。つまり、悲しいことにこの国は筋肉ではない可能性もあるのだ。なんとも不幸な文化である。
「わかった、筋肉抜きで話をしよう……。」
筋肉抜き、その単語に心の底がずきりと痛む。我輩こそが筋肉なのだ、筋肉こそ我輩なのだ。我輩不在のそんな会話に疎外感を感じないわけがない。苦渋の決断で当たり前だ。筋肉は大切なのだ。
「はぁ……。私の名前はルージュ。見習いの魔術師。」
「つまり、筋肉で言うと?」
我輩が問い返すと少女は呆れたような諦めたような顔をしている。やはり、文化が違うのだ。幸福の概念に筋肉が存在しない退屈な国に生まれてしまったのだこの少女は……。
「どうしても抜きにできないのね……。」
「すまん、筋肉のこと以外は我輩はあまり理解できないのだ……。」
「これまで一体どうやって生きてきたのよ……。」
少女ルージュはそう呟きながらこちらに可哀想なものを見るような目を向けてくる。我輩からしたら可哀想なのはルージュの方であるが文化の違いは尊重し合わねば摩擦を生み争いを起こす。我が筋肉ならば彼女を完封できるがそれは、筋肉の美観に反する。筋肉は愛を好むのだから争いを自ら引き起こしてはならないのだ。
「ところで筋肉……。」
「例えられない!」
バッサリと切り捨てられてしまった。少々遺憾である。
「そうね、これなら筋肉で例えられるわ……。」
しかし、彼女も歩み寄ってくれている。歩み寄りは美徳である。要するに筋肉だ。
「何であるか?」
「私がやったこと……。」
「聞かせてほしい。」
「私は、あんたの世界からあんたという筋肉を奪ってこの世界に移植した。」
「よろしい、ならば戦争だ!!」
筋肉を奪うなどとそんなことはあってはならない。たとえいかなる理由があろうと断罪せねばならない。筋肉の美学に反しようと我が筋肉がそれを求める。
「ちょっと待って……。」
「なんだ?この外道!さっさと言え!」
思わず激高するが筋肉を持つものなら当たり前だ。
「あなたは、元の世界で代謝された筋肉だったの……。それに、たとえってだけで筋肉じゃないじゃない!」
「あぁ、そうであった。外道などと罵倒して済まなかった……。」
そうだ、筋肉ではない。なら、闘う必要などないのだ。とある神も言っていた(筋肉は寛容であり、筋肉は情け深い。また、ねたむことをしない。筋肉は高ぶらない、誇らない、無作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで、筋肉を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。)と。流石は筋肉の神である。
「はぁ、ほんとあんたって変なやつ……。まぁ、それはいいわ。あなたを帰らせてあげる、だから謝って許してもらえることじゃないと思うけど……。」
「何をそんなに謝ってるのであるか?」
「いきなり、知らない世界に呼び出しちゃったこと……。」
「筋肉を鍛えられるのならどこでもいいのである。」
吾輩がそう言うと、ルージュは少し笑った。少し笑ってその後言った。
「あんたってホント変なやつ。」
「で、あるか?」
ルージュは戸惑う我輩を見て更に笑った。
「じゃあ、変なやつついでに少しの間。私がこの建物にいる間だけでいいから使い魔のふりをしてくれない?」
「それは、筋肉であるか?」
「まぁ、それでいいわ……。」
ルージュは諦めたような顔をしていたが筋肉であるなら吾輩には関係ない。筋肉とは即ち我輩で、要するに普段通りにしていればよいのである。筋肉はいついかなるときも万能だ。
キリスト教徒の方々からお叱りを受けないか心配です……。